第80話 鍛冶職工ギルドから鍊金術ギルドへ
各ギルドの新しい施設の見学を終えて旧市街に戻り、アナスタシア大通りを左にぐるりと廻って、西南地区と北地区の境いとなるノースウェスト大通りとの交差点の鍛冶職工ギルドに顔を出した。
ここに来るのは初めてですかね。
建物の中に入ると、当たり前だけど冒険者ギルドのようにヒマそうな人が溜まっては居ない。ギルド員は全員職人さんだから、この時間は忙しいのだろう。
「おお、ザカリー様じゃないか。良く来たな」
受付でギルド長が居られるかを尋ね、タイミング良く今は居るということで呼んで貰った。
彼はギルド長であると同時に、もちろん工房の親方でもあるので、工房とこちらとを行き来している。
すると、間もなくしてボジェクさんが奥から出て来た。
「姐さん方を大勢連れてどうしたんだ? ああ、一昨日言ってたやつか」
そうです。焙煎道具とカーファミルの件です。
それで応接室に案内されると、ちょっと相談をさせて貰う。
カリちゃんとクロウちゃんだけがここに残り、あ、フォルくんもこっちに残る? お姉さん方の中にひとりは大変だよね。
エステルちゃんたちはボジェクさんに挨拶すると、大勢居ても仕方無いのでと、交差点で対角の反対側に在る鍊金術ギルドに行った。マグダレーナさんがギルドに行っているらしいからね。
「それで、どんな器具だ?」
焙煎器具については以前に話していたし、手持ち器具は王都屋敷に簡易なものがあるので、ショコレトール豆とカーファ豆が将来的に大量入手出来ることを想定して、大型の装置を相談する。
あとは、カーファミルだね。こちらは、クロウちゃんが自分の記憶機能の中にあったと彼が言っている手動式の伝統的なコーヒーミルの構造を聞きながら、簡単な絵図にしたものを出した。
見本として、焙煎したカーファ豆と粉にしたものも提供します。
「この豆を砕いて粉にする道具だな。ほほう、器具の中に渦巻きの刃みたいになっている臼歯ってやつがあるのか。この上のハンドルを回すと内側と外側の臼歯が噛み合されて、豆を粉にすると。要するに石臼の臼が金属の刃になっている訳だ。そうして粉が落ちて、下の容器に溜めるんだな」
コニカルカッターとも言うらしい臼歯はコニカルつまり円錐形になっていて、ハンドルを回した力で回転させる内側のものは、先端を下にして宙吊りになっている。
また、ハンドルと内側の臼歯を繋ぐ臼歯止めを回して調節することでそれを上下させ、内と外の臼歯の隙間の間隔を調整して、粉の細かさを変えることが出来る。
「ここにあるのは何だ?」
「カァカァ」
「何だって?」
「コイルバネ、ですね」
「カァカァ、カァカァ」
「これが無いと、豆を挽くときの振動で臼歯止めの上にある回転止めが跳ね上がってしまい、臼歯止めが回転して動いてしまう、と言っています」
「そう、なのか。クロウちゃん、おまえさんは職人なのか?」
ボジェクさんはカラスの姿のクロウちゃんをバカにしているのでは無く、頭の中で器具の姿と構造やその動きをイメージして、それが理に適っていると感心したようだ。
いや、クロウちゃんには羽はあるけど手が無いので、職人仕事は難しいかと。
なお、バネ自体の誕生は前世の世界でも有史以前にまで遡るらしいが、俺がかつて生きた時代はバネが色々な道具に本格的に活用され始めた黎明期だ。
それは例えば、15世紀に考案された火縄銃では引き金にバネが使われ、また16世紀から17世紀にかけて錠前には平鋼材のコイルバネが既に使われているのだとか。
それで、この世界にもコイルバネはあるのですかね。
「ああ、錠前には使われていると思うな。わしのところには無いが、鍵の細工師なら作れるだろう」
ボジェクさんの工房は、武器から一般向けの道具まで多種多様な物を作るそうだが、なかでも鎧などの戦闘用装備とそれに関連した道具の製作を得意としている。
俺の装備もボジェク親方の工房製ですね。
特殊な部品などが必要となる場合は、必然的に専門が異なる他の工房とも普段から連携しているそうだ。
なので今回のコイルバネについては、細かな細工を得意とする鍵の細工師と相談してみるとのこと。
金属製のバネというのはクロウちゃんによれば、炭素濃度の高い鋼材、つまりバネ材を高温で熱した状態でバネの形状に成形して、そのまま焼き入れを行って強度を高めて作るのだとか。
ちなみに、重ね板バネのサスペンションを使用した馬車が登場するのは、前世の世界では17世紀だそうで、それまでは座席のある車体部分を紐や鎖で吊るす懸架式が14世紀に考案されて走っていた。
この世界でも、荷馬車は別としてそのような懸架式馬車が一般的だが、馬車のサスペンションに使う板バネがまだ登場していないのは、その大きさや強度の問題があるからでしょうかね。
そこのところはクロウちゃんも分からないらしい。
ともかくも、クロウちゃんの知識から俺が描いた絵図を基にボジェクさんに説明したのだが、彼は頭の中でその構造や機能を整理し、俺の絵図に色々とメモも書き入れて、最後には「これなら作れるだろうな」と請け合ってくれた。
なお、ショコレトールやカフェの大量生産用の大型の焙煎装置については、暫く考えてみるとのことだった。
ボジェクさんへの依頼を終えて鍛冶職工ギルドを後にし、交差点の対角向かい側の鍊金術ギルドへと向かう。
あちらにはまだエステルちゃんたちが居ると思います。
それで鍊金術ギルドの建物の中に入ると、玄関ホールの一画の応接スペースみたいな場所で、エステルちゃんたちと副ギルド長のマグダレーナさんが何やら話していた。
こちらのギルドもやはり他に人影は無く、受付に職員らしき人が居るだけだ。
ギルド内で常に大勢の人間がダラダラしているのは、冒険者ギルドだけですかね。
商業ギルドも人の出入りは多いか。でもあちらは、忙しい商人や商会員の人たちが用件があってギルドに来るから、ダラダラ溜まっては居ないよな。
「あー、来た来た。ザカリーさま、鍊金術ギルドにようこそ。って、見て面白いものは何もありませんけどね」
「こんにちは、マグダレーナさん。うちのエステルたちのお相手をしていただいていたようで、ありがとうございます。お忙しいとかでは無かったですか」
「いえ、今日は別に忙しくはありませんよ。この年の初めから、ザカリーさまが見て来た新しい工房施設絡みで、施設の建設とか入居者の選定とか入居支援とか、いろいろありましたけど。それもようやく落ち着きましたからね」
「新しい工房が出来て無事に稼働し始めたみたいで、良かったです。なんでもグットルムさんが、こちらのギルドの建物を急がせたとか。さっきボジェクさんもぶつぶつ言ってましたけど」
「あー、うちの爺さまギルド長がさぁ。冒険者連中が採って来た素材の処理が、『工房を増やさんと一向に間に合わんのじゃ。拡張工事に使う材料作りも大量にあるからな』とか言ってね。それで急がせたのよ」
「単なるわがままじゃなかったんですね」
「ふふふ。わがままと言うより、年寄りは気が短いからさぁ」
確かに冒険者の数が増加していて、それがグリフィニア拡張事業に繋がっているのだけど、その増えた冒険者たちが大森林から採取して来る練金素材も、当然に増加している。
それに加えて、拡張工事で使用される工事用の材料のある部分も鍊金術ギルドが賄っているからだね。
この世界の鍊金術師の工房で生産されるのは、代表的なものとしてはやはり薬品類だ。
グリフィニアでは特に、アラストル大森林で採取された良質の薬草素材を原材料としたポーション類の品質が素晴らしく、領内で消費されるだけでなく他領や他国にも輸出されている。
それ以外にも、鍛冶職工の工房で鍛造などの金属加工に用いられる油や薬剤とか、建築材料となる漆喰とか。この辺が拡張工事にも関係して来る。
あとは例えば、陶磁器の原材料やその焼き物の表面に塗られる釉薬なんかも鍊金術師工房の製造品になるなど、その扱う範囲はとても広くて、この世界の鍊金術工房は要するに化学製品の製造工場という訳だね。
ちなみに俺の前世の西欧において、古代より作られていた東洋からもたらされた磁器を、ヨーロッパでも作れるように生産方法を再発見したのは、18世紀になってからの鍊金術師なのだそうだ。
この世界では古代文明時代からの名残なのか、その磁器も生産されている。
「ボジェクさんとの話は上手く行ったのかしら」
「ええ、なんとか無事に終わりました。それでエステルさまたちは、マグダレーナさんと何の話をしてたんですか?」
「それがね……」
「わたしが教えてあげるわ、カリちゃん。ひと言で言うとね、ザカリーさまの側に居る女性たちは、どうして若さを保っているのか、よ」
ああ、そういう話をしてたですか。話をしていたと言うより、自らグリフィニアでナンバー2の鍊金術師と称しているマグダレーナさんが、その職業的興味と同じ女性としての関心から、これは良い機会とばかりにうちの女性たちに根掘り葉掘り聞こうとしていたのでしょうなぁ。
でもそこのところは、簡単にこういう理由ですよとは答えられないよねぇ。
「ですから、わたしとリーアさんは精霊族のファータでしょ。ファータの女性って人族の女性とは見た目上の年齢の重ね方が違いますから」
「それはわたしも多少は承知してますけど、でもリーアさんとエステルさまって、お歳はそれほど変わらないんですよねぇ」
「あの、わたしの方がエステルさまより少し上です」
「そうなのよねぇ。それでリーアさんて、ジェルさんたちと同じくらいに見えるじゃない。でもさ、まずわたしが疑問に思うのは、エステルさまってこのグリフィニアで初めてお会いしたときと、ぜーんぜん変わらないのが何故かってことよね。ほんと、ザカリーさまとさ、同い歳か下手すると歳下に見えるのよね」
「ですからそれは、先ほども言いましたように、同じファータでも個人差があるので……」
ああ、まずそこね。
エステルちゃんの実年齢は、ぶっちゃけて言えば今年26歳になる。
俺が3歳の時にはグリフィン子爵家に来ていて、12歳で探索者見習いになった翌年のことだから、当時13歳。つまり俺と10歳違いだ。
この辺のところは、知っている人には直ぐに分かることだ。
その年にエステルちゃんとマグダレーナさんとは初めて会っていて、彼女が言っているのはつまり、当時と13年も経過した現在とでエステルちゃんの見た目がほとんど変わらないという事実だ。
いや、この13年間に多くの経験をして立場が変わった今なので、その人間的成長からかもう少し歳上、つまり俺と同い歳ぐらいに見えるということのようだね。
ファータの女性はその種族的特性として、ある一定期間は見た目が変わらずに段階的に変化して行くので、エステルちゃんよりひとつか2つ歳上のリーアさんは20代はじめの女性の姿なのだけど。おそらくはこの姿が暫く継続される。
でも、エステルちゃんは未だ十代半ばの感じなので、それはどうしてなのかってことだよな。
俺が思うに、これはシルフェ様の妹認定がされてから、ファータの一族の始祖であるシルフェーダ様の生まれ変わりであることが徐々に顕在化し、要するに風の精霊化が進行しているからだと。でもこれは、ぶっちゃけられませんよね。
「まあ、それはいいでしょう。ファータの女性の特性と個人差、ということにしておくわ。わたしがもっと不思議なのは、そこの3人。特にジェルさんとライナさんよ。さっきも言ったけど、あなたたちって揃って、美貌もお肌もぜんぜん衰えないわよね。これも個人的なこととか、ふたりの特性なの? オネルさんだって、まだ十代と言っても通るしさ」
マグダレーナさんは、エステルちゃんへの追求を取りあえず保留にして、うちの3人のお姉さんたちの方を向いて、そう言った。
ああ、そこに気付きましたか。さすがはグリフィニアでナンバー2の鍊金術師ですなぁ。
これもぶっちゃけて言えば、ジェルさんとライナさんはエステルちゃんと同い歳なので今年に26歳。ちなみにオネルさんは、ふたつ歳下の24歳だ。
マグダレーナさんから名指しされたふたりも、女性としてはかなり良いお歳になって来ていて、えーと、この世界の一般的な感覚では、その、普通はもう所帯を持って、子どものひとりやふたりは既にあって、もっと落ち着いたご婦人と言いますか、なんと言いますか。
この世界のこの時代では、女性のエイジングケアを行う基礎化粧品の類いはまだ発達してないし、そもそもジェルさんもライナさんもオネルさんも、戦闘職という職業柄もあっていつもほぼスッピンだ。
それでもジェルさんとライナさんって20歳そこそこに見えるし、オネルさんの場合は落ち着いた雰囲気とは逆にそれよりも更に若い。
その辺の若さの秘訣を知りたくて、マグダレーナさんがいろいろと聞き出そうとしていたらしいのだね。
「(ザカリーさまは、なに、あれやこれや表情を変えてるのー)」
「(どうせ、余計なことを考えてるですよ、きっと)」
「(ザックさまは黙ってましょうね)」
「(はいです)」
それは、世界樹ドリンクを飲んで加齢を遅らせているからだとか、そんなことは言えません。
ちなみにクロウちゃんは危険を察したのか、先に帰ると飛んで行ってしまった。
フォルくんはそういう訳にもいかないので、少し離れて独り座って素知らぬ顔で沈黙を保っている。
「わたしはね。これは何か、わたしが知らない魔法か、秘密の薬品とかの力ではないかと、そう考えているのよ。もしもそういう魔法か薬品なんかがあるとしたら、それは世紀の発見と言うか、すべての女性にとってはとても重大なことな訳。そこんとこ、どうなのかなぁ? ねえ、ザカリーさまぁ」
「あやぁ、僕を巻き込みますか、マグダレーナさん」
「だって、変な魔法と言ったら、ザカリーさまでしょ」
うちのお姉さんたちはたぶん、ずっとマグダレーナさんから追求されていて、「あー」とか「そのー」とか曖昧に誤摩化し続けていたらしい。
だからって、俺が登場したことでこちらに矛先を向けられてもですね。
「それはあれです。うちの女性はみなさん、精霊さまを慕っているからですよ、きっと」
何を思ったかカリちゃんがそう発言した。
神様とか精霊様とか古代竜とか、そういう上位の人外の存在はあからさまな嘘を基本的につけないので、まあざっくり言えば精霊様のお陰というに嘘は無い。
「精霊さまを慕うから、ねぇ……。って、カリちゃん、あなたはおいくつなの?」
「あやー、わたしですかぁ。(わたしって、年齢をいくつってしてたでしたっけ)」
「(17歳じゃなかったかな)」
「(でした、でした)えーと、17歳なのであります」
「ふーん。17歳で長官秘書ねぇ。まあそれだけ優秀なのでしょうけど、あなたは見た目通りか、ちょっと下かしら。エステルさまと同い歳くらいに見えるわよね。あなたもファータ? それとも人族?」
「あひゃあ。(藪蛇でしたぁ)えと、ですね」
「(ファータにしておきなさい)」
「(はい、エステルさま)エステルさまと出身は別ですけど、ファータなのであります」
このやり取りって、一向に出口が見えないですよ。
クロウちゃんが早々に危機を察知して逃げたのは、正解だったよな。
「そうだぞ、マグダレーナさん、われらは皆、精霊さまを慕っておるのだ」
「だからー、若いとか言われると、それって精霊さまのお陰かもよねー」
「ですです」
「ふーん、つまり精霊信仰ね。ファータやエルフも長寿の精霊族で、精霊信仰が盛んだって聞くから、それが年齢や寿命や外見と関係があるのかしらねぇ。それで身近のエステルさまたちがファータだから、そういう精霊信仰からの影響が出ていると……。これは、別の方面から研究する必要があるわね。ちなみにあなたたちは、どの精霊様の恩恵を得ているのかな」
人族は普通、アマラ様とヨムヘル様に次ぐ神だと戦神とか知恵の神とか商売の神とか、その人の職業などに関係のある神様を頼るので、神様とは若干位相の異なる精霊様を精霊族のようにあまり祈ったりはしないよな。
「それは風の精霊さまだな」
「水と樹木の精霊さまもねー」
ジェルさんもライナさんも、嘘は言ってませんね。
正確には、中でも樹木の精霊様からいただいた世界樹の樹液の恩恵だけどさ。
「なるほどね。風も水も、それから樹木も、なんとなく女性のお肌に関係がありそうだし。そうしたら、どういう風に精霊さまを慕えば若さが保てるのか、そこのとこを詳しく」
風は新鮮さをもたらし、水はまさに潤いで、樹木も瑞々しさで、ってまだ続くのかなぁ。
鍊金術師としてのマグダレーナさんの探究心は尽きないのかもですけど、そろそろ帰りましょうよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




