第100話 秘密旅の出発
4月10日、ファータの隠れ里への出発の朝となった。
屋敷の皆には、俺とエステルちゃんが3週間余りの旅に出ることは伝えられたが、行き先はもちろん知らされていない。
それでも家令のウォルターさんと家政婦長のコーデリアさんの指示で、旅の支度を充分に整えてくれた。
玄関ホールでの見送りも最小限だ。
両親のほかはウォルターさんとコーデリアさん、そしてクレイグ騎士団長とネイサン副騎士団長のみ。
彼らの前に、護衛組を加えた旅に出る5人が立った。
「それじゃ行って来るよ」
「行ってまいります」
俺とエステルちゃんが、ごく簡単に挨拶する。
「ああ、道中くれぐれも気をつけてな。男爵領以降は気を抜くんじゃないぞ」
「うん、わかった」
「わかりました」
「はいはーい、それじゃ行きましょうか。出発よー」
アン母さんが、お隣のブライアント男爵領まで一緒に行くことが急遽決まったんだよ。
ブライアント男爵家は母さんの実家だし、男爵夫妻にだけは今回の旅を説明しないといけない。
男爵家までは普通の訪問で、その後は旅商人一行を装わなければならないからね。
そこで擬装用の馬車は事前に送っておき、俺たちは普通に子爵家専用馬車で男爵領に行くことになった。
俺たちが男爵領を出た後、母さんだけがその馬車で帰る。
玄関前には、男爵領まで同行する母さん付き侍女のリーザさんと、護衛の騎士、従士が控えていた。
騎士団員はブルーノさんたちの騎士小隊だから、港町アプサラ行きでも護衛に付いてくれたエンシオ騎士やメルビン騎士たちだね。
彼らは無言で、俺たちが馬車に乗り込むのを見守る。
ブルーノさんは御者台に、そして従騎士のジェルメールさんと従士のライナさんは騎乗して、いよいよ出発だ。
誰も大きな声を出すことなく、エンシオ騎士の合図で一行は男爵領に向け走り出した。
ブライアント男爵領の領都までは100キロメートル余り、昼食や休憩を挟んで10時間ほどの行程だ。
今回は俺たちの旅そのものが公表されておらず、母さんとの男爵領行きも私的なお忍び旅という体になっている。
だから昼食も料理屋とかでは摂らず、レジナルド料理長謹製のサンドイッチだ。護衛の人たちの分も含め多めに用意してくれている。
それから、どこにお出かけする時でもいつもお菓子を装備しているエステルちゃんだが、今回は3週間以上の旅ということで、ものすごく大量に用意した。
そのほとんどはトビーくん製なのだが、作って貰うお願いには俺も付き合わされたよ。
「エステルさん、そんな大量にすか?」
「はい、旅のお供にはトビーさんのお菓子ですぅ」
「ザカリー様がどこに行かれるかは、聞いちゃいけないって言われてるっすが。でも、そんなに作るの大変なんすよ。馬車に積んで行くのなら、日持ちのする物じゃないといけないすよね」
「僕からも頼むよ、トビー選手」
「ザカリー様からの頼みじゃ、仕方ないっすけどね」
「カァ」
1日目の旅は何ごともなく消化されて行った。
馬車の中では、母さんと侍女さんふたりが今回の旅には決して触れることなく、女子会を開いている。
「ねぇ、エステルちゃんて、わたしよりひとつお姉さんだよね。なのに見た目が全然年取らないってなんかズルくない? そう思いませんか、奥様」
リーザさんは、エステルちゃんの前に俺の担当侍女だったシンディーちゃんの後輩で、たしか現在は19歳。
ひとつ年上のエステルちゃんは、今年にもう20歳なんだね。
しかし、ファータ人の特性から15歳くらいの見た目でいったん止まっている。
「それは種族の特性だからしょうがないわね。でも、わたしも羨ましいわー」
「いくつぐらいまで、そのままなの?」
「えと、個人差があるので自分でも分からないんですぅ。うちの母は次の段階の、人族で言うと25歳ぐらいで止まってるけど、実年齢は不詳でわたしにも言わないし」
そうなんだ、ホント不思議だよね。でも、娘が自分の母親の実年齢を知らないなんてあるんだ。
「それよりもリーザさん。あなた、もう19歳でしょ。いい人はいないの?」
「それは奥様……。それなら、エステルちゃんの方が年上ですし」
「わたしはもう、心に決めてるひとがいますから……」
「エステルさんのことより自分のことよ、リーザさん。そうだ、トビアスさんなんて、どう?」
「えー、トビーくんですかぁ」
この間、俺は馬車の座席に同化していました。
クロウちゃんは、偵察と見張りと称して空を飛んでいる。俺、走っちゃダメかな。
その日の夕方、無事に男爵家の屋敷に到着した。
馬車から降りると、すぐにジェルメールさん、ブルーノさん、ライナさんの3人が、俺とエステルちゃんのところに来る。
明日の出発までは別行動になるので、簡単な打合せだ。
明朝、7時に出発。
それまでに、5人の荷物を擬装馬車に積み替えて貰う。ジェルメールさんとライナさんの馬はエンシオ騎士の小隊に預け、彼らが引いて帰る。
母さんたちはもう一泊する予定になっていた。
いくつか明日朝までの確認を済ませ、彼女たちとはここで別れた。
男爵家屋敷の玄関ホールでは、ブライアント男爵夫妻つまり俺のお爺ちゃんとお婆ちゃんが出迎えてくれていた。
「おお、ザック、よく来たな。大きくなったな」
「いらっしゃい、ザック。そちらがエステルさんね、よく来たわね。それからクロウちゃん、もね」
「お爺ちゃん、お婆ちゃん、こんにちは。お世話になります」
「さあさ、話はあとでいいから、ゆっくり座らせて」
アン母さんは実家だから遠慮がないよね。俺は、生まれてから何回かしか会っていない。
「エステルさんも一緒にね。リーザさんは申し訳ないけど、わたしの荷物を下ろすのを手伝ってあげてくださいな」
俺たちは家族用のラウンジに案内された。
そこで男爵家の使用人さんには下がって貰って、5人だけになる。
「久しぶりね、お父さんお母さん。それで早速なんだけど、今回、わたしたちが急にここに来た理由を、ちょっとお話しなきゃいけないのよ」
「なんじゃなんじゃ。子爵家からは、急遽アナスタシアとザカリーが訪問する、とだけしか聞いておらん。つい2ヶ月前には、孫娘たちが立ち寄ったばかりだが。もしかしておまえ、ヴィンスから追い出されたか。それとも、そのエステルさんが一緒ということは、ザックの……ザックより年上みたいじゃが、可愛い子じゃな。わしは許すぞ」
「はいはい、あなた。静かにしてくださいな。アンが理由を話すと言ってるんだから、黙って聞いてなさい」
それからアン母さんが、これまでの経緯と今回の俺たちの旅の目的を簡潔に説明する。
時折、お爺ちゃんは口を挟みそうになったが、ファータの隠れ里への旅という話に、黙って静かに耳を傾けていた。
「ふむふむ、なるほどな。よし、分かった。これはどこにも洩れてはならない話じゃ。わしらふたりで留めよう。いいな母さん」
「ええ、ザックは単に祖父母への訪問で、エステルさんは担当侍女として同行しただけ。それだけにしときましょ」
「ありがとう。お爺ちゃん、お婆ちゃん」
俺は頭を下げ、エステルちゃんも隣で頭を下げた。
「それでは晩飯にするか。エステルさんも一緒じゃな」
「うん、そうでもいいんだけど、今晩までは普通にしなきゃいけないし。それに、わたしの侍女のリーザがひとりになっちゃうから、エステルさんには申し訳ないけどリーザと一緒でお願いね」
「ええ、もちろんです奥さま。あとザックさま、クロウちゃんは預かっておきますね」
他家なので配膳を手伝う必要もなく、リーザさんと合流するためにエステルちゃんはクロウちゃんを抱いて、男爵家の侍女さんに案内され部屋を出て行った。
「アン、あの子、なかなかいい娘ね。わたしには分かるわ」
「母さんもそう思うか。わしは、あの子がザックと一緒に入って来た時に、ピンと来たわい。もう、わしの孫娘でもいいぞ」
お爺ちゃんが早とちりの気があるのは、親しい人たちの間では有名らしいのだけど、まあ悪く言われるよりはよっぽどいいよね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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エステルちゃんが主人公の短編「時空渡りクロニクル余話 〜エステルちゃんの冒険①境界の洞穴のドラゴン」を投稿しています。
彼女が隠れ里にいた、少女の時代の物語です。
ザックがザックになる前の1回目の過去転生のとき。その少年時代のひとコマを題材にした短編「時空渡りクロニクル外伝(1)〜定めは斬れないとしても、俺は斬る」もぜひお読みいただければ。
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