第64話 カーファ普及活動の第一歩?
エルフ・イオタ自治領のオーサ・ベーベルシュダム領長らとの話し合いの様子や、帰路にもミラプエルトに寄港した際に王宮の王太子宮殿を訪問したことなどを話して、俺たちの旅の土産話があらかた終わったのは夜もだいぶ更けた時刻だった。
クロウちゃんはユディちゃんの膝の上ですっかり寝ているし、シルフェ様やアルさんも普段の就寝時刻をずいぶんと過ぎていて少し眠そうだ。
「結局、ショコレトール豆の輸入交渉は、まずはエルフらに食べさせる試作品を作る用に送らせるということになったのでやすな」
「まったくエルフというのは、面倒臭い連中だて」
「ほんに。うだうだ言わんと、さっさとザカリー様に黙って供出すれば良いものをな」
いやエルノさん。黙って供出って、これはいちおう買い取り交渉ですからね。
「でもまあ、まずは少量でも入手の目処がついたのだから、行った甲斐はあったよ。それに、うん、思わぬ発見もあったからさ」
「その、カーファ豆ってやつでやすか?」
「そうそう、ブルーノさん。カーファ豆ですよカーファ豆。そうだ、これは明日にでも焙煎して、みなさんに飲んで貰いましょう。ね、エステルちゃん」
「あー、あはは、あれよね」
「うーんと、作るのはお手伝いしますけど」
「わたしは、うーむ、もう良いかな」
「ブルーノさんたちにはいちおう飲んで貰えば」
「でも、ミルクとお砂糖を入れればなんとかかしらー」
「なんだ、姐さん方には評判がいまいちですかの」
「元がエルフの薬湯なら、しょせんはの」
「いやいや、そんなことは無いんだよ。初めは馴染めなくても、そのうち毎日飲みたくなるものになるんだから。ね、ケリュさん」
「ああ、我は嫌いでは無いぞ」
「毎日飲みたくなるものになるって、ザカリーさまがそう言うのなら、興味はありますよ」
「でもな、アデーレさん。それって、エルフの何か怪しい薬成分でも入っておるのでは」
「あーいや、そういうのじゃ無いですから」
コーヒーに習慣性があるのは、味覚というよりもカフェインの精神的な覚醒作用と関連性があるという研究が、確か前々世の世界であったのでは無いかな。
これは女性よりも男性にその傾向が強いらしく、遺伝子的にカフェインの代謝速度が速い人ほど、コーヒーを習慣的に飲む傾向があるという説もあったようだ。
この辺のところは、いまはすっかり寝ているクロウちゃんが詳しいと思うけど、まあビターなチョコレートを好む人の傾向とたぶん同じだよね。
カフェインを多く含有しているコーヒーやダークチョコレートは、心疾患や糖尿病、またある種の癌などのリスクを下げる効果を有するって話もあった気がする。
まあとにかく、今夜はもう遅いから明日にしっかり準備をして、みなさんにコーヒーならぬカーファを飲んでいただきましょう。
昨晩は結構なアルコール消費で夜遅くまで過ごしたけど、久し振りに自分のベッドで熟睡し、いつも通りに朝早くすっきり目が覚めた。
前々世ではお酒がかなり弱かったが、前世は立場的に年少期から飲んで強くなり、今世でもいくら飲んでもほとんど酔うということが無い。
前々世だとまだ飲酒しちゃいけない年齢ですけどね。これも二度転生の結果だと大目に見ていただきたい。
朝のルーティンとして貴族街の中を少し走り、巡邏中の王都の警備兵や貴族屋敷の顔見知りの門衛さんなんかに挨拶される。
学院に入学した当時から、二日休日の朝にはこうして貴族街の中を走っていたから、子爵家の変わった息子としてどうやら認知されているらしいよね。
屋敷に戻って朝シャワーで汗を流し、皆で朝食。
ジェルさんたちお姉さん方も自分のベッドで良く眠れたようで、すっきりした表情だ。
彼女らは帰宅早々ながら、これまでブルーノさんたちに任せていた屋敷の仕事を朝から片付けて、そのあとは訓練をするそうだ。
一方の俺は、グリフィニアの父さんと母さん宛に王都に帰った報告の手紙を書き、ティモさんに託した。
通常の馬車便でも良かったけど、それよりもファータの連絡便で送った方が速いので、王都内にあるファータの連絡宿に届けてお願いして貰う訳だ。
「グリフィニアにはいつ戻ります?」
「そうだなぁ。少しこちらに居て、いったん戻りますか。でも来月にはバルトくんがこっちに来て学院に留学を始めるし、あと課外部対抗戦も見に行きたいな」
エステルちゃんに問われて、今後の予定を少し考える。
「ヒセラさんたちが、あらためてご挨拶に来られるって言ってましたよ。それからザックさま、セオさまたちへのご挨拶とご報告にも行かないとです」
ああ、やっぱりここの王宮にも行かないといけないか。
ショコレトール豆に関する報告はしておかないとだし、それにミラジェス王国で王宮を訪問した件も話さないといけないだろうな。バルトくんも留学で来ることだし。
「そうすると、ヒセラさんたちが来るのと、セオさんのところへの訪問が先か。それが済んだらいったんグリフィニアに帰って、学院で課外部対抗戦が始まる前に、またこちらに来る感じかな」
「対抗戦は来月の20日ぐらいでしたかね」
「昨年通りならね」
「でしたら、その予定でオネルさんに調整して貰います」
「うん、お願い」
あとはエステルちゃんとオネルさんに任せておけば大丈夫だろう。
まあでも今日が4月の14日だから、20日以降ぐらいにこちらを発って、来月の14、5日ぐらいにはまた戻るぐらいのスケジュールになりますかね。
「そしたら、カリ工房員。カーファの作成に入りますぞ」
「あ、やっぱり作るですか……えーと、らじゃー、です。ライナ姉さんも呼びます?」
「来てくれるのなら」
「いちおう、声を掛けてみます」
ショコレトールとかのときと違って、どうも積極性が足りないですなぁ。
ドラゴンはカフェインがあまり好みじゃ無いのですかね。アルコールはかなり好むけどさ。
ライナさんはわりと嫌がらずに来てくれたので、ザックお菓子工房のこの3名と監修のクロウちゃんでカーファ作りを行います。
アデーレさんに許可を貰って厨房の一画を借りましょう。
「まずは焙煎からでありますな」
「らじゃー」
「道具はショコレトール豆のときと同じでいいのー?」
「いや、ショコレトールよりもカーファ豆の方が簡単だから、ちょっと別の道具に加工しますよ」
ショコレトール豆の焙煎には金属のザルを上下でふたつ合わせたようなものを使って、それを後にはアルポさんとエルノさんにより丈夫な焙煎道具に作り直して貰ったが、今回は監修役のクロウちゃんにアドバイスされた別の道具にする。
こんな感じでいいよね。カァカァ。クロウちゃんも厨房に来ました。
要するにこれは、小さめのフライパンに金属網の蓋を被せた感じの手網焙煎器だ。
俺はその道具を、アデーレさんから提供して貰ったフライパンで3つ作成した。
作りが簡単なので今回の作成には土魔法で行ったけど、これもアルポさんとエルノさんにちゃんとした道具として作って貰いますかね。
「これで焙煎を行うのであります」
「もう新しい道具が出来てる」
「ははぁ、網の蓋付きフライパンかー」
「この焙煎道具にカーファ豆を入れて、火に掛けながらひたすら振ります」
「やっぱり振るのねー」
「らじゃー」
水洗いしたカーファ豆を量的には入れ過ぎないようにして、弱火でかつ火から離してフライパンを動かしますよ。
以前にショコレトール豆の焙煎用に魔導具のコンロを多めに購入してあったので、アデーレさんの邪魔にならないように3人で手袋をして並び焙煎を始めた。
ごく弱く遠い火入れでフライパンを動かしていると、水抜きから蒸らしの段階が徐々に進んで行く。
どうやら豆の温度が上がって色が白くなって来た。
「これ、どのぐらいするのー?」
「いまが4分か5分ぐらいだから、あと3分ぐらいで豆に色が付いて来る筈」
「カァ」
水抜きと蒸らしが進んだからもう少しだよね。
「あ、色が変わって来ましたよ」
「ホントね、だんだん茶色くなって来たわ」
「そしたらここで火を少し強くして、フライパンを気持ち火に近づけるよ」
豆が振られるときの音も変化し、やがてパチパチと爆ぜ始める。所謂、一爆ぜだ。この段階では極く浅い超浅煎りだね。
クロウちゃんによると、かなり酸味の強い状態なのだそうだ。
更にフライパンを振り続けると一爆ぜが収まる。この段階が中煎り。もうコーヒーとして美味しく飲めるけど、もう少し焙煎を進めましょう。
焙煎を開始してから12分ぐらいで、チリチリという音の二爆ぜが始まった。少し煙も出て来る。
「まだー?」
「もうちょい。あ、フライパンを火から少し離して」
「らじゃー」
うん、色がだいぶ良くなって来た。深煎りに入った状態だね。
「よし、火を止めて、このザルにあけて」
「はーい」
「そしたら冷やすよ。クロウちゃんもお願い」
「カァ」
ここに居る全員が風魔法で風を吹かすことが出来るので、急冷は簡単ですな。
コーヒー豆はこの急冷を手早く行わないと、余熱で更に焙煎が進んでしまうのだ。
豆をかき混ぜながら風魔法で急冷を行い、深煎り焙煎が完了した。
ローストレベルとしてはどんな具合ですかね? クロウちゃん。カァカァカァ。見た感じと香りでシティローストからフルシティロースト、つまり中深煎りからやや深煎り寄りといったところですか。
酸味と苦味のバランスが良く、コクが味わえる焙煎程度という訳ですな。
2回目だし自分の屋敷の厨房で落ち着いて作業をしたのもあって、今回は前回よりも上手く焙煎が出来たようだ。
若干の焼きムラがある豆は取り除き、香り立つその出来上がりを見る。
どうですかね、クロウちゃん。カァカァ。うん、わりと良い出来だと思う。
計量した訳では無いが目分量でひとりが120グラムだとすると、3人分を合わせて360グラム以上の深煎り焙煎豆だから、コーヒー1杯がだいたい10から12グラムとしてこれで30杯以上は飲める。
問題は豆を挽く方法だが、ミルが無いので前回と同じくカリちゃんに手伝って貰い、摺鉢と擂粉木に重力魔法も加えて振動粉砕に似た感じで行った。
まあふたりで重力魔法を遣っているのでこれもなんとか出来たのだが、こういう特殊な魔法がいつも必要だとこの世界でカーファは普及しません。
重力魔法の出来る人間をまだ知りませんからね。
なので、早くカーファミルを作成しないといけませんな。
クロウちゃんはコーヒーミルの構造って知ってる? カァ。知ってるのか。キミは何でも知ってるね、って、知ってることだけか。どこかで聞いたことのある台詞だなぁ。
ともかくも、カーファ豆を挽くところまで終了し、厨房内は先ほどよりも更に香ばしい香りが漂った。
その香りに惹かれるように、昼食の準備がひと段落したらしいアデーレさんと手伝っているエディットちゃん、シモーネちゃんが見に来た。
「これがカーファ豆の粉ですか。なかなか良い香りですね。ショコレトールとは少し違う香ばしさあります」
「お湯に溶かすんじゃなくて、お湯を通すだけなんですよね。ザックさま」
「シモーネはお味見がしたいです」
そうですかそうですか。香りに関しては人を惹き付けますよね。
でもシモーネちゃんに飲ませても大丈夫かな。見た目年齢が現在10歳ぐらいなので、人間だったらやめときなさいってところだけど、精霊少女だからねぇ。
「それじゃ試飲と行きますか」
「あ、わたし、ミルクとお砂糖をお願ーい」
「わたしも」
ライナさんとカリちゃんはもう味を知ってるからね。
アデーレさんたちは、まずはブラックで味見をしてみてください。
「これは……」
「苦い、です」
「ふぇー」
俺ももちろんまずはブラックで試飲したけど、うん、やっぱり前回よりもコクが出て酸味が抑えられていますな。
このエルフのイオタ自治領産カーファ豆の特性もあるのだろうけど、酸味はそれほど強くなくてコクが出易い気がするよな。
カァカァ。もう少し上手く焙煎出来れば、甘味も出ますか。なるほどね。
「ほらほら、エディットちゃんもシモーネちゃんも、ミルクとお砂糖を入れなさい。温めたミルクがまだあるからねー」
「あ、ずいぶん飲み易くなりました」
「シモーネはこれ、美味しいかもですよ」
少女ふたりはライナさんに勧められてカフェオレにしたけど、アデーレさんはカップ半分ぐらいを入れたブラックカーファを飲み干した。
「ふう」
「大丈夫ですか? アデーレさん」
「はい。最初はとても苦くて、何これって、あ、すみません。でも少しずつ飲んで行くうちに、何だか飲むのを止められなくなって。だんだん味に馴染んで行ったといいますか、どうしてですかね」
「前にも聞いたけど、これって変な成分が入って無いわよねー」
「カフェなんとかでしたっけ。毒じゃないってザックさまとクロウちゃんが言ってたけど」
カフェインと、あとポリフェノールね、カリちゃん。
カフェインは交感神経を刺激して自律神経の働きを高めるなどで、ポリフェノールは抗酸化作用や食後の血糖値の上昇を抑える作用があり、集中力を高めたり体脂肪の燃焼を促進したりと、良い効果が期待されるのですよ。
ともかくも食の専門家で大人なアデーレさんには、どうやら気に入って貰えそうだ。
エディットちゃんとシモーネちゃんも甘いカフェオレにしたら、ぜんぶ飲んでくれた。
さて、もう直ぐお昼だから食後のコーヒー、では無くて食後のカーファが楽しめますぞ。
それに、ブルーノさんたち男性陣にも飲んで貰わないとですな。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




