第54話 ショコレトール豆の入手交渉
エステルちゃんとイオタ自治領の領長であるオーサさんが互いに礼を交わしたことで、今日の話し合いはようやくスタートラインに立ったかたちだ。
いやあ、ここまでで結構時間が経過してますよ。
俺もケリュさんとクロウちゃんと一緒に、市場に行ってこの南方独特の冷たい飲み物でも味わいに行きたかったよなぁ。
「ザックさま」
「あ、はいです。ちゃんと聞いてますよ」
エステルちゃんの小さな声に、意識を話し合いの場に戻す。
いまはロドリゴさんが、ショコレトール豆の取引交渉に関するこれまでの経過を、確認の意味で話しているところですな。
「ということで、当方の要望、いえザカリー様としましては、ショコレトール豆から作り上げた菓子製品を試作品としてご提供するので、それをもってご了解いただきたい。ただし、手元には既にショコレトール豆が無いので、その試作品を製作するための豆を買い付けたい。また試作品の現物のご提供をもって、製法等の開示はしないとご理解いただきたい、と。それでよろしいですね、ザカリー様」
「あ、はい。そういうことです」
「(ねえカリちゃん、ザカリーさまはちゃんと聞いてるー?)」
「(んーと、何となくは聞いてたみたいですよ、ライナ姉さん)」
「(うふふ、大丈夫よライナさん)」
「(エステルさまがそうおっしゃるならー)」
あー、先ほどの冒頭の緊張感からだいぶ落ち着いて、念話が飛ぶようになりましたなぁ。
特にライナさんは俺の後ろ姿しか見えないので、盛んに様子を聞いて来るんだよな。
「そのご要望は、わたしも承知していますわ。ですが、あの豆はわたくしたちエルフにとってはとても大切なものなのです。それはご理解いただけているかしら」
ここまでずっと黙ってロドリゴさんの経過説明を聞いていたオーサさんが、まず口を開いた。
隣に座るグンナルさんと、それから外交及び対外取引局長のオリヤン・メルケションという人が、うむうむと頷いている。
このオリヤンさんが対外取引関係での実務責任者ですかね。
「精霊の食物……でしたか?」
俺がその言葉を口にすると、眼の前の3人、いや後ろに座るふたりも含めてエルフの全員が目を見開いて驚いた表情を作った。
グンナルさんなどは椅子から腰を少し上げて、いまにも立ち上がろうかという様子だ。
一方でセバリオの人たちは何のことだか分からないという感じだね。
「どうしてそれをご存知で?」
「やはり、ファータが付いているグリフィン子爵家というのは、油断ならないぞ」
「まあまあ落ち着いてください。それは、隣のエステルの実家に伝わる伝承を聞いたからですよ」
「あ、はい。わたしの実家には、精霊族に関わる伝承がいろいろと伝わっておりまして」
「シルフェーダ家、ですか」
実際は確か、初めにシフォニナさんから聞いたんだよね。
シフォニナさんもエステルちゃん家のご先祖様のひとりだから、まあ生きた伝承ということで大きな嘘ではありませんよ。
「なるほど、エステルさまのご実家ならば、そういう伝承も伝わっているやもですね。ならばそれは良いでしょう」
「しかし、オーサ殿」
「精霊族は互いに古い古い一族です。ですから、ファータのご本家であれば、そういうエルフ側のことも伝承となっていておかしくは無いでしょう。それに、精霊の食物という言葉自体は厳格に秘されていたという訳でも無いでしょうし」
ここぞとばかりに冒頭のいちゃもんを蒸し返そうとしたグンナルさんも、オーサさんの意見に不承不承頷いた。
それにしてもこのエルフたちは、ファータのシルフェーダ家がどんな家かちゃんと知っているみたいだな。
「いえ、ひょんなことからセルティア王国の王太子よりあの豆を頂戴して、それがショコレトール豆というものであると知った際に、その伝承にあるという精霊の食物ではないかと、そう考えたのですよ。確か、精霊の食物というのは、大昔に真性の樹木の精霊様からエルフ族に下されたものであるとか。僕らが知っているのはそのぐらいです」
ショコレトールという名称は王太子がこの豆を入手した際に、添えられていた説明書きにあったということだったね。
同時にその説明書きには飲料とする方法も書かれていたらしいから、おそらくはマスキアラン商会に持込んだエルフの商人が、イオタ自治領から持ち出す際に何かの書から書き写したかしたものだろう。
「お話を戻しましょう。ショコレトール豆は、エルフの一族にとっては確かに精霊の食物と呼ばれていて、我が一族の大切な薬湯の原材料として、それぞれの自治領で長い年月に渡って栽培されて来たものです」
「大切な薬湯……ですか」
「はい。従いまして、今回のお話がわたくしどもの元に届いたときには、それをお菓子の材料に? と酷く驚いたものです」
俺たちも、ヒセラさんとマレナさんがあの豆を持って来てくれたたときに、エルフの製法に倣って作られたカカオリカー、あショコレトールリカーか、そのペーストからドリンクにして飲んでみたよな。
酸味の強い苦さでじつに不味くて、まさに薬湯といったものだった。
あれは乾燥したショコレトール豆を焙煎して、外皮を除去したあとにすり潰してペーストにしたものだろうけど、作り方が荒くて更に不味くしている感じだった。
それでも抗酸化物質であるカカオポリフェノールにより、血圧を下げたり動脈硬化予防や老化防止に効果があるのだろう。
精霊族の中でも一番の長命族であるエルフだと、いくら若いままの肉体を長く留めているとしても、やはり身体の内部から確実に衰えや老化が起きる筈だ。
その点で見た目の若さに見合う健康を保ちなさいと、ドリュア様がショコレトールを与えたのではないかと、そんな理由が想像されるよね。
「あのショコレトール豆がお薬の材料になるというのは、僕も理解出来ますよ。おそらくは長く生きていると、外見の若さに対して、思うように身体の中身の方が付いて行かなくなって、例えば疲れ易くなるとか、足が痺れて動くのもおっくうになるとか、場合に依っては頭痛や目眩なんかが酷くなるとか。そんなときに、あのショコレトールで作ったドリンクを飲むようにしているのではないですかね」
俺の言った内容を聞いたエルフたちは、再び驚いた表情をした。
「ど、どうしてそこまで。あの豆や薬湯の素は、これまでほとんど人族の手に渡ったことが無かった筈ですし、薬湯の効能のことなどはもちろん」
「それは確かだろうな、オリヤン。ならばザカリー殿が、どうして知っているのだ。手に入った豆から調べたのか、それともやはりファータの……」
「いえいえ。僕がお菓子に仕上げる過程やその出来上がりから、なんとなく想像しただけですよ。もし多少なりと当たっていたなら恐縮です」
この言葉にグンナルさんとそれからオリヤンさんもまだ不審そうな表情をしていたが、オーサさんは何か考えている風だ。
この人、とにかく整理せずに何か理屈や言葉を重ねようとするのではなくて、エルフには珍しく自分の反応や意見を頭できちんとまとめて口に出すタイプですかね。
「ザカリー様のご慧眼には驚かされました。そしてそのご想像は、恐らくは当たっていると言って良いのでしょう。そこまでご承知になられているのならば、あの豆がエルフにとっていかに大切なものかもご理解いただけるのでは?」
「はい。そう理解したうえで、僕たちとしてはショコレトール豆から出来る薬湯そのものを、そしてそれがエルフの皆さんにとって大切なものであることを、否定も阻害もする考えはありません。こちらはその大切なショコレトール豆を更に活かしたいと、同時にその栽培をもっと増やして確実な需要に至る方策をご提案したいと、そう考えているだけです。加えて言うならば、その製品の原材料をエルフの自治領が生産している事実は、人間の様々な国や社会で広く賞賛されることになるだろうと、僕はそう考えています」
「それが、お菓子であると?」
「ただのお菓子じゃないんです。どんな種族も女性も男性も年齢に関係なく、みんなが好きになる魔法のお菓子なんですっ!」
「これっ、マレナ」
「あ、ひゃっ、すみません。つい大きな声を出してしまって」
進行役で仲介役のセバリオの席の後列から、マレナさんが思わずといったかたちで発言して、ベルナルダ婆さん議長から窘められた。
でもまあ、お菓子のショコレトールのファンとして、素直な意見だよね。
「魔法のお菓子? ですか。ふうむ、それほどに……」
オーサさんはそのワードに反応して、再び何かを考える様子だった。
「まあ、魔法のお菓子という表現が正しいかどうかは分かりませんけど、入手した豆で製造した試作品は、食べていただいた方々に等しく好評だったのは確かですね」
「いずれにしてもだ。門外不出とまでは言わないまでも、精霊の食物と呼ばれ我らにとっては大切な薬湯の素として、各自治領でしっかりと栽培し管理して来た精霊様の下されものを、そう易々と人族に売渡す訳にはいかない。例えそれが、どんなに人族が求めるものに加工されるとしてもだ。それに、偶然にもザカリー殿の手に豆が渡ったのは、あくまでこちらの不手際で、管理に当たっていた者も相応の咎めを受けている。そうだな? オリヤン」
「はい。あの豆は厳重に保管されていたのを、同族とはいえ利益だけを目論んだ考え無しの商人に倉庫の管理担当者が絆されて、不当にも運び出されてしまった物です。その事実が発覚後、倉庫の管理担当者は厳しく処罰しました。ですので、自治領外の人族に売却するなどはもってのほかでありまして」
事実が発覚したのは、俺の依頼でマスキアラン商会とカベーロ商会の合同チームが正規の取引を持ち掛けたからだよね。
当初の交渉相手であったそのエルフ商人は行方知れずとなり、いまのオリヤンさんの話だと、その商人に持ち出させた倉庫の管理担当者は、気の毒にも処罰を受けた訳だ。
「ということだから、我らとしても薬湯以外のものに加工が為されたという話を聞き、ならばどのような製法でと知りたかったところもあるのだが、そちらがどうしても製法は開示しないということであるのならば、尚更この交渉は……え? なんですか? オーサ殿」
「わたしも……」
「はい?」
「わたしも、その、魔法のお菓子とやらを、食べてみたい……」
「オーサ殿ぉ、はぁー」
結局、オーサさんが洩らしたこのひと言とグンナルさんの深いため息で、話し合いは大きく前進することになりました。
自治領の長である彼女が食べたいと言ったその言葉に応えるには、こちらとしてはショコレトール菓子の現品をまずは提供するしか無い。だけどそれを作る材料の手持ちが無いんだよね。
なのでそのためのショコレトール豆を、あくまで特別措置というかたちで購入出来るところまで話は進んだ。
その量についても、俺としてはなるべく多くとまた交渉が続いたのだが、結果的に以前に入手した3樽分と同じ量ということで落ち着いた。
価格は、意外と安かったですよ。
エルフ側はあくまで、自分たちの“精霊の食物”を無闇に外部に出しく無かっただけで、それを渋って価格を釣り上げたいとかの思惑などは持っていなかったせいですな。
ともかくも豆は彼女らが自治領に帰った後にその手配が行われ、それをマスキアラン商会とカベーロ商会の合同チームが買い付け、そうして俺たちの手元に運ばれてくる。
俺たちはその豆が到着次第、ショコレトールとして加工してセバリオ経由でイオタ自治領のオーサさんの手元まで届けられるという段取りだ。
いやあ、またまた日数が掛かりそうです。
それに俺としては、この南国の地でも品質が保てるようにショコレトールの仕上がりや輸送・保管の点も考慮しないといけません。
それでエルフたちがショコレトールを口にして、例え気に入ったとしてもそこからが本当の取引交渉となるのを考えると、ちょっと気が遠くなります。
あともうひとつ気になったのは、「本当にある程度の量を、定期的にお売りするということになりますと、イオタ自治領での栽培と収穫の量の問題もありますが、他の自治領から取り寄せる必要が出るとか、その場合にはアルファ自治領にしかるべき了解を得ないとなど、そんなこともありそうです」というオーサさんの発言だ。
ふうむ。栽培・収穫量の点は理解出来るとして、仮に他の自治領からも取り寄せるとなると、世界の東の果てに在るアルファ自治領から了解を得る手続きが必要となりますか。そうですか。
これは更に、かなりの日数と相当の面倒臭さが加わる案件となる予感がしますぞ。
実務的な話に移ってからは、諦めたのかグンナルさんも余計な口出しはせず、話し合いは主にオリヤンさんとこちらはロドリゴさんの間で交わされ、時折ベルナルダ婆さんが助言するという感じで進んだ。
そのやり取りも終わろうとしたタイミングで、「そうそう、オリヤンさん、あれを」と暫く静かだったオーサさんが声を出した。
「もう必要が無いのではありませんか?」
「でも、折角持って来たのですし、ザカリーさまに見ていただくのはどうでしょう」
「あー、そうしますか」
オリヤンさんは何となく不承不承という感じで返事をし、足元に置いてあったらしい樽を重そうに持ち上げてテーブルの上に出した。
「それは?」
「ええ、ザカリーさま。この樽に入っているのは……そのですね、当初ショコレトール豆はお出し出来ないということで、ですが、わざわざ遠いセルティア王国からお出でいただいたこともありますし、似た豆ならばと、そのぉ、お持ちしたものなんです」
「オーサ殿、なにも今更出さなくても」
似た豆ねぇ。ショコレトール豆は出せないので、もしかして似た豆で誤摩化そうとしたとかなのかなぁ。
「似た豆ですか。拝見しても?」
「ええ、どうぞ」
オリヤンさんが樽の蓋を開けて小皿に中身を少し取り出したのを、素早くヒセラさんが立ち上がって俺の前に持って来てくれた。
あれ? 確かにショコレトール豆に似ているし、なんだか見たことがあるような。それも前々世の記憶でだ。
「これは?」
「それはわたくしどもの間ではカーファ豆と呼んでいるもので、いえ、こちらは樹木の精霊様から下されたのでは無いのですけど、元は野性で繁殖していたものだそうです。それでショコレトール豆になんとなく似ていますので、砕いて煮出して飲むとどうやら眠気覚ましに効くとかで、これも古来より僅かながら栽培しています。それでその、こちらもご興味があるのでは無いかと。あの、ショコレトール豆の方はお渡し出来ない方針でしたので。えーと」
いま聞いた話も含めて考えるに、これってコーヒー豆では無いですかね。
この世界に生まれて初めて目にしたけど、もしそうなら瓢箪から駒と言うか、これは大発見ですぞ。
あー、クロウちゃんがこの場に居たらなぁ。彼なら直ぐに真偽の程を見分けられると思う。
通信を繋げれば彼も俺の目を通して見ることが出来るけど、やっぱりここは彼自身の目で見て貰って……。
「ザックさま、ザックさま」
「あ、はい。ははは」
「どうしちゃったですか?」
オーサさんはなんだか言い訳めいた話し様で、一方の俺の方はちょっと密かに興奮していたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




