第44話 サビオ川を散策
マスキアラン家別邸には部屋がたくさんあるということで、俺たち一行にはそれぞれ1部屋ずつが用意されていた。
すべてが2階の部屋で広さも同じぐらい。床から天井近くまである大きな窓からベランダへと出られる。
窓を全開にすると、別邸周囲の樹林を伝わって流れて来る風が心地良い。
それぞれがいったん自分の部屋を確認して階下の食堂に集合すると、サンチョさんとベニータさん夫妻がふたりで調理した昼食の料理がテーブルに並べられた。
それで彼らは厨房の方で食べると言うのを「一緒に食べましょう」とお願いして、初めはかなり遠慮していたが、ふたりもどうにか食堂で席に着いて貰う。
「わたしたちの王都屋敷でもそうしてますので、ザックさまの我侭だと諦めてくださいね」
「エステルさまがそう言うのでしたら、わたしたちもその我侭に巻き込まれましょうかね」
「なんとも変わったお貴族様だて」
「ワン」「ワフ」
もちろん大型犬のアリオくんとルキアちゃんも一緒だ。
彼ら用の食事は床に用意されて、皆が食べ始めるとそれに合わせて大人しく食事を始めた。賢い子たちだよね。
うちのクロウちゃんは、いつものように彼用に食器を用意して貰ってテーブルの上で食べている。
「ねえケリュさん。さっき挨拶したときに、アリオくんとルキアちゃんに何か言ったんですか?」
「ん? まあ、よろしくな、というぐらいだ。(我らでいちばん偉いのは、エステルだと言っておいた)」
「(まあ、またケリュさまったら、そんなこと言ったんですか)」
「(わたしは、いちばんお優しいのがエステルさまだって、そう言っておきました)」
「(カァカァ)」
「(犬やオオカミというのは、誰が群れでいちばん偉いのか、はっきりしておいた方が良いのだ)」
「(ははは。それってホントウだから、仕方ないわよねー)」
「(もう)」
だからそのあとラウンジで2匹の犬は、エステルちゃんの側で神妙に座っていたのか。なるほどね。
「それでは、飯が終わったら、まずはこの周辺をご案内しましょうかの」
「あ、いいですね。お願いします」
サンチョさんの提案でオレたちはいったん部屋に戻り、散策用の服に着替えて玄関ホールに集合した。
今日の皆の衣装は、えーと、独立小隊の夏用装備ですね。いちばん軽装の装備で防御能力は低いが極めて軽くて暑苦しく無い。
俺は普段着とか、あと昨年までの総合武術部の夏合宿で訓練用に着ていたものでも良かったのだけど、カリちゃんが俺の部屋にその装備を持って来て、強制的に着替えさせられた。
「もう学院生じゃ無いんですからね。ちゃんと独立小隊のを着ますよ」
「はいです」
ちなみに今回の旅では、リーアさんがいちおう侍女役を兼任しているのだけど、彼女はエステルちゃんをお世話する係なので、俺には侍女役の担当はおらんのですな。
その点は何となく、旅先での父さんを思い出す。
それで俺のお世話が必要な場合は、カリちゃんが担当しています。別にお世話はいらないのですけどね。
「放っておくと勝手なことするからって、エステルさまに言われてますからね。いまさらですけど」
「そうでありますか」
それで階下に降りると、もう既に全員が集合していた。
ヒセラさんとマレナさんも散策用の動き易い服装に着替えていたけど、俺たちが同じ装備を着て揃ったのを見て、サンチョさんベニータさん夫妻と4人で目を丸くしている。
「別に戦闘とかは、せんと思うのですがの」
「あー、やっぱりザカリーさまたちですねぇ」
「でも、屋敷の周辺を散策するぐらいですよね」
「いやなに、この装備は最も軽いものなのだ」
「全員でお揃いになってますけどね」
「せっかく夏用を作ったから、こういうときに着ないとよねー」
お揃い装備とは言っても、武器の類いは見えるかたちで装備していないので、まあそれほど物騒では無いと思いますよ。
ただし、オネルさんとカリちゃんが見た目は可愛らしいマジックバッグをそれぞれ肩から提げていて、そこに全員の各種武器が収納されております。
「あー、まあええか。それでは出発しましょうぞ」
「バフ」「ワン」「カァ」
「ベニータさん、行って来まーす」
アリオくんとルキアちゃんも行くのね。それじゃ、出発しましょうか。
馬車で乗り入れて来た屋敷への道とは反対方向に小径があって、そこに入って行くようだ。
その小径に足を踏み入れると、一気に樹木の緑に包まれる。
ただし足元はしっかり踏み固められており、散策の経路としては歩き易い。
先導はサンチョさん、と言うよりはアリオくんとルキアちゃんで、人が歩く速度に合わせながら進んで行く。
うちのクロウちゃんは空を飛ばずに、アリオくんの背中に納まっている。座り心地が良いのだそうだ。
小径は樹林の間を縫うように続いて行き、俺たちは言葉少なにこの亜熱帯の自然を愉しみながら、のんびり歩いて行った。
「この先ですな」
「バウ」
視界が突如開け、俺たちの眼の前にはわりと大きな川が流れていた。
「へぇー」
「まぁ」
流れはゆったりとしていて、午後の陽光が川面にキラキラ光る。
「この川がサビオ川で、対岸から東の樹林地帯が大昔よりサビオの森と呼ばれておるのですな」
カァカァ。サビオの森、つまり“賢者の森”という意味なんだね。どうしてその名称にというか、どこからその言葉が来たのかな。
「なんだか穏やかな川ですよね」
「いまはこのように流れが静かだがの。雨の時季になると、それはそれは暴れるのだ」
この地方では9月から12月ぐらいに掛けてが雨季なのだそうで、ちょうど現在の3月から5月ぐらいが乾季。その雨季と乾季の間の季節は、晴れと雨の日が交互に来るのだとか。
その点では、俺たちは旅がし易い季節に来たことになる。
このサビオ川は樹林地帯の中を北から南へと流れる川で、終着点はメリディオ海だ。
「向こう岸の、そのサビオの森へ行くには、この川を渡らなければいけないんですよね」
「どこで渡れるのかしらー」
「それは、ほれ、あそこに橋を渡しておるで」
サンチョさんが指差す方を見ると、いま俺たちが居る場所から少しばかり上流方向に小さな橋らしきものが見えた。
それで川岸を進んで、その橋の袂へと行ってみる。
ちなみにアリオくんとルキアちゃんは、サンチョさんに「良し」と許可を貰って川の中に入って走り回っている。
クロウちゃんはアリオくんの背中に乗ったままで涼しそうですな。
「クロウちゃんはいいなー。わたしたちも川の中でさー」
「装備が濡れるだろうが」
「脱いじゃえばいいんじゃない?」
「少しぐらい濡れても、直ぐに乾きそうですよ」
「だよねー、オネルちゃん。あとで入ろ」
えーと、この世界のこの時代で海や川に入って遊ぶという概念はまだ一般的には発達していないようだが、そう言えば以前にうちのお姉さんたちは、南の国の青い海のビーチに遊びに行きたいとか言っておりましたよね。
世界樹への旅の帰りに海辺に寄ったという話をお姉さんたちにしてしまって、そんな話になったんだよな。
あのときはミラジェス王国に美しいビーチがあるとかの話題が出たけど、もちろん更に南の地であるこのセバリオのメリディオ海沿岸にも、そんな海浜がありそうだよね。
ただ今回はアルさんが一緒では無いので、俺たちだけで速やかに遠方に足を伸ばすとすればカリちゃんを頼らないといけない。
でもいちおう公務で来てるし、こちらの人たちのお世話になっている旅なので、あまり勝手な行動は出来ませんな。
「この川には、危険な魚とか生き物とかは居ないですかね?」
「危険な魚? ですかの」
「あー、人間を襲って食べるみたいな」
例えばピラニア的な……。
「はっはっは。人は食わんが、何でも食いよるのはおりますぞ。この辺りではサビオの川鯛と呼ばれておる」
「川鯛、ですか」
「わりと美味くてな。昨日、漁っておいたで、今日の夕食に出しますぞ」
あとでクロウちゃんに聞いてみたところ、おそらくは前世の世界のティラピアに近い魚ではないかということだった。
ティラピアはアフリカや中近東が原産の雑食性の川魚だが、やがて世界各地で食用に導入されて生息するようになったものだ。確かに見た目はなんとなく鯛に似ている。
それはともかく、サンチョさんが橋と呼んだその袂に来てみると、こちら側の比較的大きな2つの木の幹と向こう岸の同じく木の幹に上下左右4本のロープが結ばれて渡され、そのロープに支えられて板張の吊り橋らしきものが架かっている。
これは何と言うか、アスレチックの遊具みたいなものですなぁ。
上下のロープはそれぞれ等間隔に縦のロープで結ばれているので、見た目よりはしっかりしているようだ。
「この吊り橋は?」
「商会の者にも手伝って貰って、わしらが自前で造ったのですよ。尤も雨季で川の増水が酷いときには渡れませんがな。はっはっは」
なるほど、そうだろうね。
「(ねえねえ、ザカリーさま。なんだか危なっかしい橋だから、わたしたちで石の橋とか架けちゃう?)」
「(あー、それいいですね。いまやっちゃいましょう)」
「(やめとこうよ。なんだかこれはこれで風情があるし、せっかくサンチョさんたちが造って守って来たものだからさ)」
「(そうね。それにわたしたちなら、川を渡るのにこの橋で充分でしょ)」
「(たしかにー。でもジェルちゃん、大丈夫かな)」
高所恐怖症気味のジェルさんだからな。
と、いま念話でやりとりした俺たちはジェルさんの顔を見る。
「な、なんですか。もしや、わたしがこの橋を怖がるとでも。このぐらいの高さならば、何のことはありませんぞ」
「でもさー、下は川だよー」
「空から落ちる訳ではないのだ。そのぐらいは平気、ってわたしは落ちやせん。剣士の平衡感覚を舐めるな」
「ふふふ。ジェル姉さんの場合、平衡感覚の問題じゃなくて、気持ちの問題ですよ」
「オネルも煩い」
ジェルさんは、剣士としての度胸は凄まじいものがあるのだけどね。でもそれと、高所恐怖症的なものとは別物なんですかね。
まあ、今日はこの橋を渡って向こう岸のサビオの森には行かない予定だから、ジェルさんの勇姿は明日に取って置きましょう。
「ところで、エルフのイオタ自治領に行く道も、このサビオ川を越えないといけないんですよね。あちらの街道は?」
「ああ、あの街道には、ちゃんとした石造りの橋が架かっておるのですよ。何でも大昔からあるのだとか。それもなかなかの造りのものですの」
「ふん。それは古代のものだ。まあ現在は、橋だけが頑丈で立派でもな」と、それまで静かだったケリュさんがぼそっと洩らした。
古代文明時代に架けられた石の橋ということですかね。
イオタ自治領がいつの時代から存在しているのかは知らないけど、人族中心のエリアとエルフが居住するエリアとを繋ぐ道に、古代文明時代の橋があって現在も残っているというのは、それなりの意味があるのかな。
「ねえ、向こう岸に行くのは明日でしょー。そうしたら、ちょっと川で遊びましょうよ」
「あ、そうしましょう、ライナ姉さん。ほら、姉さんたちも早く早く」
「こらこら、カリちゃん。なに、装備を脱ごうとしてるのだ」
「だって、濡れて乾かすより、脱いじゃった方が早いですよぉ」
「カリちゃん、下着は脱がないのよ」
「えー、エステルさまー。わかりましたぁ」
「よしっ。わたしも下着でっと。ほら、ジェルちゃんもオネルちゃんも、リーアさんも」
「ヒセラさんとマレナさんは、どうするのだ」
「あはは、えーと」
「この際、みなさんと一緒に」
「あー、サンチョさん、ケリュさん。僕らはちょっと向うに行きましょうか」
「そ、そうですな」
「ふむ」
俺たち以外の人間の気配はまずあり得ないし、大型の獣の類いも周辺には無い。
それに多少の獣が現れようと、カリちゃんが本来の存在感を解放すれば一目散に逃げるでしょうな。
仮にそうでなくても、あのお姉さんたちが襲われるような獣はそうそういませんがね。
と言うことで俺とケリュさんとサンチョさんの男性3名は、この川沿いを上流方向にもう少し辿ることにした。
ちなみに俺の前世では、海水浴などで専用の水着が着られるようになったのは19世紀のことだ。
それも女性の場合は、ほとんど肌が露出しない上下揃いの衣装だったという。
ビキニタイプの水着が出来たのは、20世紀の第二次世界大戦後のことだよね。
尤も、紀元前後の時代に栄えて、ヴェスヴィオス火山の噴火により火砕流に飲み込まれてしまったポンペイの街に残されていた壁画や、或いはイタリア・シチリア島の古代ローマ時代の別荘であるヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレのモザイク画などには、そんな後世のビキニに似た上下セパレートの水着みたいな衣装を着た女性の姿が描かれているそうです。
と、俺はそんなことを何となくつらつら考え、ケリュさんとサンチョさんもそれぞれ無言で、背後から聞こえて来るお姉さんたちのちょっと艶っぽいはしゃぎ声を背中に、川沿いの散策を続けるのでありました。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




