第40話 エルフとの交渉経過など
「まずは、妾らに取引交渉をお任せいただいているにも関わらず、昨年の夏よりほとんど進捗が無いこと、誠に申し訳ござりませぬ」
ベルナルダ婆さんがそう言って頭を下げ、同席しているロドリコさんと、それからヒセラさんマレナさんも同じように頭を下げた。
「いえいえ。みなさん頭を上げてください。エルフ相手に根気よく交渉を続けていただいていること、僕らは充分に承知していますから」
「しかしですな。妾らは国を挙げて商取引の玄人。いくらエルフが相手とはいえ、ここまで手間取ってしまったのは、ほんに不甲斐ないことじゃわな」
「まあそれでも、交渉のテーブルにやっと乗せられたということじゃないですか」
「それもまた、まっこと不甲斐なく。本来なら代理人の妾らが話を纏めんといかんのに、ザックさんにわざわざセバリオまで来ていただくことになり申して」
「それは良いんですよ。僕らはこの旅を楽しんでいますから」
そんなやりとりを繰り返して、「お婆ちゃん、そろそろ本題に」というヒセラさんの言葉に、「そうでしたな」とようやく本題に入ることになった。
「ここまでのエルフとの交渉の経過は、ザックさんもあらかたご承知でしたな」
「はい、だいたいは」
「では、確認の意味も含めて、私の方からあらためてをご説明しましょう」
「そうですな。ロドリゴさんにお願いしましょうかね」
昨年の夏以降、ベルナルダ婆さんのマスキアラン商会とロドリゴさんのカベーロ商会が共同して取引の下準備と交渉にあたって来た。
それでまずは、一昨年に当のショコレトール豆を持込んで来たエルフの交易商人と、連絡を取ることから始まった。
しかしどうやら出どころであるエルフのイオタ自治領では、このショコレトール豆は自治領の行政府の管理下にあったものらしい。
それを交易商人がどうやって持ち出したのかは不明だが、どうも正規の手続き経たものではなかったようだ。
と言うか、そもそもがショコレトール豆は遥か大昔に、真性の樹木の精霊であるドリュア様よりエルフ一族にその苗が下賜されたものだ。
それでエルフの間では“精霊の食物”とか呼ばれていて、それから作られたショコレトールドリンクは現在でも薬扱いらしいんだよね。
ただし長い年月の間にエルフの一族としては、ショコレトール豆の活用を発展させようとする意識や意欲がほとんど失われ、おそらくはその管理もルーズになっていたのではないかと思われる。
それでも、ドリュア様から下されたこの“精霊の食物”はエルフの各領地で、最も西に在るイオタ自治領であっても細々と栽培され備蓄されていたということだ。
マスキアラン商会とカベーロ商会からあらためて話が持込まれた交易商人は、おそらく思いも寄らなかったことだろう。
自治領の管理下から持ち出したは良いものの、結局は他国で売れる商品にならずに扱いに窮したこの豆を、商業国連合議長の商会であるマスキアラン商会に、今後の商売に多少でも有利になればと贈答品のように持込んだ。
それが、忘れた頃に正式に取引したいという話が来たからだ。
しかし、その交易商人はこの話をイオタ自治領の行政府に丸投げした。
何故なら、マスキアラン商会に持込んだ豆が元々正規に入手し持ち出したものでは無く、また今後も行政府から卸して貰う可能性は皆無と踏んだからだ。
それにどうやら、持ち出した事実で何らかの罪に処されるのを回避するために、早く自分の手から離したいという意図もあったのかも知れない。
マスキアラン商会とカベーロ商会の共同窓口へは、本件の交渉先が自治領行政府に移ったという連絡があり、その後のこの交易商人との連絡は途絶えた。
マスキアラン商会とカベーロ商会は仕方無く、交渉先をイオタ自治領行政府へと変更する。つまりは交渉活動の歩みがここで振り出しに戻った訳だ。
そしてゼロからの交渉が開始される。なんとか交渉先の窓口を特定し、そして買い付けの意志を伝えられた。
だが、なにしろドリュア様から下された“精霊の食物”だ。
どうしてこのショコレトール豆を知ったのか、どうやって入手したのかから始まり、どうして欲しいのか、何に使うのかなど、あれやこれやの事情聴取が続いた。
しかしこちらの交渉担当者は、そのショコレトール豆がこれまでに味わったことのないお菓子の材料になると両商会の会長から聞いてはいるものの、本人たちは口にしていない。
それがどんな製品なのか、ましてや、どのように加工されて出来上がるものなのかなど知る由も無い。
一方で、価値の高いお菓子や食材として加工される可能性があると聞いたエルフ側は、取引交渉の前にまずはその製法を開示しろと強く要求するに至った。
プライドのやたら高いエルフとしては、長年に渡り放置されて来た“精霊の食物”について、多少は後ろめたい部分があったのかも知れず、またその活用の可能性があるらしいと人族からもたらされたことがかなりショックだったのだろう、というのがロドリゴさんの見解だった。
こちらとしては以前に伝えて貰ったように、加工方法は開示出来ないが、加工された製品のサンプルならば提供出来るというのが基本スタンスだ。
そして、そのサンプルを作るために材料であるショコレトール豆を、まずは若干量入手したいという提案を持ち掛けた。
しかし、加工方法を具体的に開示してからでないと、サンプル用とはいえ売ることは出来ないというエルフ側と、交渉は平行線となった。
そこからはごく最近の話だ。
つまり、その加工方法を開示しろという要求から、誰が加工方法を開発したのか、その当事者を明らかにしろという要求になり、そして終には、その当事者と直接に交渉がしたいという要求へと移って行き、つまりいま現在、俺たちがここに来ているという訳だ。
「これが先月初めまでの経過です。それで議長と私は協議を行い、ヒセラさんを通じてザカリー様へご連絡を申し上げたという次第でして」
「まあ要するに、ここまでエルフ連中に振り回され続けて、結果ほとんど進展もせずに、ザックさんにお出ましいただくことになったと、そういう訳じゃわな」
それは、マスキアラン商会とカベーロ商会で直接に交渉を担っていただいた方にも、ご苦労をかけたということでありますなぁ。
イオタ自治領の行政府の役人がどんな人たちなのかは知らないけど、以前にそのエルフ一族の大もとのアルファ自治領の長たちと話したことのある俺としては、頭の下がる思いだ。
俺はここまでの話を聞いて、その労に深く感謝した。
「いやいや、ザックさんに感謝をされてしまうと、妾らはなんとも気恥ずかしい限りですによって……」
またベルナルダ婆さんの謝罪が始まってしまいそうだったので、「これからの話をお聞きしましょう」と俺は明日からの予定に話を移した。
「そうでしたな。まず、エルフ連中との面談と直接交渉ですがな。あちらからも当地に人を寄越すことは確認済みで、また、ザックさんたちのおおよそのご来訪日程を先方に伝え、つい一昨日に返事が届きましての」
以前にそのイオタ自治領出身であるオイリ学院長から聞いたところによると、いま居るセバリオからイオタ自治領までは陸路で5日ほどの距離らしい。
なのでベルナルダ婆さんとしては、俺の来訪日程が正式に決まる前、つまりロドリゴさんが俺たちを迎えにアヌンシアシオン号を出航させると同時に、エルフ側へも連絡をしたというところだろうか。
それでなんやかんやで、エルフ側からの返事が届いたのが一昨日ということか。
さすがに俺たちの到着と同時に彼らも来ているとは思っていなかったけど、まあエルフの役人ならばそんなものですかね。
「それで、その返事の内容は?」
「あー、それが。しかるべき人選をして、なるべく早期にセバリオを訪れると……」
「はあ」
「(やっぱり、エルフね)」
「(カァカァ)」
「(なるべく早期にって、なによ、それー)」
「(早期って、いつですか、早期って)」
「(ふむ、いつになることやらだな)」
それまで静かにしていたのに、一気に念話が煩いです。
ジェルさんとオネルさんも何か言おうとして、ぐっと堪えているようだ。
「返事の文面はそれだけですか? 具体的な到着日程とかは?」
「それが、具体的には何も無うて……」
ベルナルダ婆さんの言葉に、当然にこのことを初めて知ったロドリゴさんやヒセラさんとマレナさんも盛大に溜息をついたのだった。
一昨日にその返事が来てから、俺たちの到着日が確定したのでエルフ側の日程も報せるようにとの督促をしているそうだが、その返事が来るとしてもまだ先だ。
この場に居るセバリオの人たちを責めても仕方が無いので、「ともかくも、まずは旅装を解いて貰って、暫くはセバリオ滞在をお楽しみくだされ」というベルナルダ婆さん議長の言に従うしかありません。
俺たちは執事のセレドニオさんと侍女頭のラモナさん、侍女のソラナさんに客室へと案内されて、それぞれに落ち着くことになった。
この屋敷の2階は居室や客室がいくつもあって、なるほど部屋がたくさん余っているという言葉の通りだ。
うちの一行にはひとり1部屋ずつが提供され、俺とエステルちゃんには2つのベッドルームと広いリビングの続き部屋がある、とても贅沢な部屋が用意されていた。
室内は品の良い家具や装飾のほか、バス、トイレ、パウダールームなどもしっかり備えられていて、これはミラプエルトで宿泊したホテルよりも豪勢でありますな。
あとケリュさんの部屋は、どうやらベルナルダ婆さんの指示で急遽変更されたようで、俺とエステルちゃんの部屋に次ぐ広さと贅沢さがあった。
また女性たちの部屋もそれぞれゆったりとした1ルームの造りで、長期滞在に充分と言いますか、長期になることを見越したかのような素敵な部屋だよね。
セバリオに到着したのが午前中だったので、「暫くしたら昼食にご案内します」とセレドニオさんたちが下がって行った。
そしてうちのメンバーは、俺とエステルちゃんの部屋のリビングに集合した。
ベルナルダ婆さんたちは、どうやら階下で今後の協議をしているらしい。なので俺たちもミーティングですな。
「という感じになっちゃったよね」
「ほんとですねぇ」
「ザカリーさまとエステルさまはそうのんびりしておるが、あらためて、エルフというのは何と云う連中だ」
「まあまあ、ジェルちゃん。南の国に着いた早々に怒ると、頭から熱い湯気が出るわよー」
「でも、ジェル姉さんじゃないですけど、怒ると言うか呆れてます」
念話が出来る組は先ほど散々に文句を言ったので、いまはだいぶ静かになっている。
その分、ジェルさんとオネルさんは文句たらたらだ。リーアさんは職業柄、冷静だけどね。
「わたしたちの身近で良く知っているエルフの人はそんなこと無いですけど、自治領とかのエルフはそんなものなのよ」
「そうです。それがエルフというものです」
あ、エルフと同じ精霊族のファータのふたりは、冷静だけどかなり厳しい目でエルフのことを見ておりました。
「まあ、ここはあの婆様が言った通りに、まずはセバリオ滞在を楽しむしか無いだろうて」
「どこか見物するとことかありますかね、ケリュさま」
「そうだな、カリ。この南方地帯だと樹林の奥に入れば、北方では見られぬ魔獣とかがおった気がするぞ」
「ほほう」
あー、樹林地帯で魔獣探しとか、そういうのは見物とかは言わないと思うんだよな。少なくとも真っ当な観光ではありません。
ここにアルポさんとエルノさんが居れば、「ならば早速、狩りに行きましょうぞ」とか騒ぎそうだよな。
「魔獣見物かー。セルティア王国じゃ見れない魔獣とか、面白そうよねー」
「どんなのが居るですかね」
「そうだな。獣だと大型のジャガーなどが居るが、魔獣ではこれも大型の猿の類いだな。あと魔物だと、オーガなども居るのでは無いかな」
ライナさんも魔獣見物は面白そうとか、この話に乗っている。やっぱり昔の冒険者心が騒めくのですかね。
しかし、前世の世界だとジャガーの生息地は南米だ。だけど、こっちではこの辺に居るんだね。それから大型の猿の魔獣というと、ゴリラっぽい感じですかね。
カァカァ。ああ、猿の魔獣だとしたら狒狒みたいなのってこともあるよな。あれは妖怪か。
あとオーガねぇ。オーガと言えば、つまり人型の残忍な鬼の魔物ですかね。そんなのが居るんだ。
「オーガというのは、わたしも見た経験は無いが、それは強いのですかな」
「ああ、アラストル大森林のかなり奥地になら居るやもだが、ルーの近くには決して寄らんからな。それで強いかどうかで言えば、人間と比べればまあ強いだろう。ただ、そう多数では群れんし、ジェルさんならば殺れんことは無いな」
あー、ジェルさんまで乗っかっちゃいましたよ。
「でも、ジェル姉さん。こんな旅先で、その樹林帯とかの奥に探索に行くのは難しいんじゃないですかね。今回はブルーノさんが一緒じゃないですし」
「そうだな。探索は難しいとして、でも見物程度なら可能かも知れんぞ。その見物で魔獣や魔物に出会せばだな」
「ああ、そうしたら、やっぱり倒さないといけないですよね」
オネルさんがわりとマトモなことを言っていると思ったら、そうでも無さそうでした。
しかし、異国に旅しての観光ってそういうのでしたっけ。
確かに見たことの無い自然を見に行くというのも、観光のひとつだとは思うのだけどさ。
エステルちゃんやリーアさんはどう思うのかな。
「街歩きやお買い物はするとして、そういうのもいいわね」
「こっちの森はどんな感じでしょうかね、エステル嬢さま。ちょっと気になります」
「どうやらヒマになりそうだし、ここは一発、樹林と魔獣見物ですよ、エステルさま」
ああ、ファータの貴女たちも本来、自然児でしたよね。カリちゃんは、言うまでも無いか。カァ。
そのとき、コンコンとドアがノックされた。すかさずリーアさんが「はい」と言って立ち上がり応対をする。どうやらソラナさんのようだね。
「お昼の用意が出来たので、ご案内いただけるそうですよ」
「はーい」
それではお昼ご飯をご馳走になりましょうか。
しかし、エルフへの文句って、いつの間にかどこかに行っちゃったみたいですなぁ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




