第36話 船上のお天気雨
早めの朝食をいただいた頃にアンヘロ&ディマス兄弟支店長と迎えの馬車が来て、俺たちはホテルをチェックアウトして港へと向かった。
航海に出発してからはずっと晴天続きで、今日も抜けるような青空の快晴だ。
昨晩にケリュさんが今日は「荒れる予感がする」と言っていたけど、ちっともそんな感じはしないよな。
この世界のこの時代は天気予報なんて無いから、大気の気圧がどう動いているかなんて知る由も無い。
まあ尤も、俺の前世の時代も当然にそんなものは無かったので、もう40年以上も天気図や天気予報なんて見たこと無いですけどね。
グラシアナ船長以下の整列した乗組員の皆さんに迎えられて、アヌンシアシオン号に乗り込む。
乗船の合図となる号笛の「ピューイー」という音が、朝の港に響いて心地良い。
俺たちが船上に上がると、「お帰りなさいませ」「今日からまたよろしくお願いします」という挨拶が交わされ、直ぐに出航準備が始められた。
今日は旅の5日目で、海に出てからは4日目だ。
これからはセバリオの港に到着するまで、どこにも寄港せずに足掛け4日間の航海が続く。
ミラプエルトまでが航海に慣れる期間で、これから本格的な海の旅というところだろうか。
航路としてはミラジェス王国の沿岸に沿ってティアマ海を暫く南下し、明日から明後日に掛けて沿岸を離れた沖へと進路を取る。そして途中、東南東方向に進路を向け、ティアマ海からニンフル大陸南のメリディオ海に入って進む。
このティアマ海からメリディオ海に至る辺りには、多くの島々が点在し群島を形成している。
また大陸沿岸側にも岩礁や浅瀬が数多くあるそうで、沖に離れて島嶼の間を縫うかたちで進路を取らなければならないのだそうだ。
その間は、風魔法を用いた高速航行も難しいらしい。
ということで本日の陽のあるうちは、魔導加速員の8名を総動員し4名ずつの組になって高速航行が行われ、距離を稼ぐ。
なので俺たちも、魔導加速員の皆さんをはじめとした航行の仕事の邪魔をしないために、剣術や魔法の訓練は控えた。
「いやあ、気持ちよく海の上を進んで行くねぇ」
「ほんとに。訓練のときにも感じましたけど、とても速いのがわかりますよ」
いま出ている速度は15ノット強といったところなのかな。つまり時速30キロ以上で、先日の訓練で教えて貰った2段階目の加速のようだ。
通常の航行が10ノット程度とすると、それに比べればかなり速い。
ただ海の上なので速度を感じる対象物が無いこともあって、俺的にはこんなものかなというところだ。
でもこの世界だと、騎馬は別として地上で一番速い乗り物は馬車しかなく、あれは速く走らせてもせいぜいが時速15キロぐらいのものだから、海上とはいえこの速度は速い。
あと俺たちの場合、アルさんの背中に乗せて貰って時速300キロ以上で空を飛ぶという経験をしているけど、みんなはあれに現実感が無いのかもね。
「それにしても、ヒマですよねぇ」
「カリちゃんはもう飽きちゃったの?」
「だってエステルさま、剣術の訓練は出来ないし、魔法は撃てないし、檣楼は邪魔になるから上がれないでしょ。空は飛んじゃいけないって言われてるし、そりゃヒマですよ」
そう言えばお姉さん騎士とリーアさんたちも甲板から海を眺めているだけで、暇そうだよな。ケリュさんは何故か右舷から進行方向や右手側を見つめている。
クロウちゃんは? ああ、甲板の上の空中で風に身を任せてホバリングの練習、というか空中で浮かんでいるような遊びね。
「そうしたら、ボードゲームでもしようか」
「あ、コリュードですか? 懐かしいですね」
「なんですか、それ?」
昔、小さいときに、グリフィニアの屋敷で家族で良くやったボードゲームだね。
双六の原型みたいなもので「戦士」「騎士」とふたつの「兵士」という異なる強さの4つの駒をそれぞれが持って、サイコロを振って出た目で進路を進めるのだけど、他の人の駒と重なった場合は弱い方の駒が自軍陣地へと戻されるというものだ。
何人かが同時に参加出来るし、ふたりで組になって協力プレイも出来る。
小さい頃から俺はこのゲームに親しんでいて、屋敷に遊びに来たカロちゃんも参加したりしたよな。
その後はエステルちゃんが加わってヴァニー姉さんアビー姉ちゃんと、時には父さん母さんも参加して良く遊んだものだ。
ちなみに、俺が学院に入ってからはまったくやっていない。
でもボードのセットは何故か2セット、無限インベントリに入れて持っておるのですな。なので2組に分かれて遊べますぞ。
「ジェルさんたちもやる?」
「お、コリュードですな。やりますぞ」
「やるやるー」
「わたし、従士のとき以来ですよ」
お姉さん騎士3人は良く知っているみたいで、リーアさんは知らなかったようだけど、ルールは簡単なので直ぐに覚えるでしょう。
ケリュさんにも声を掛けると、「戦の専門家の我がやらんでどうする」だそうだ。
サイコロの目を操るとか、神様的なズルはダメですよ。
「おまえは、神を何だと思っておる」
「はいはい、念のためにです」
サイコロの出目のような偶然や運命をも操れるのが神様では、と言いたかったところだけど、乗組員の耳もあるので口には出しません。
それで、甲板での独り遊びじゃ寂しがるクロウちゃんも加わり、艦長食堂を借りてうちのみんなでわいわいとコリュード大会で盛り上がったのだった。
ちなみに、ふたりずつで組んだ4チームがふたつのボードに分かれて戦い、何回か対戦相手を入替えたのだが、結果いちばん強かったのはライナさんとカリちゃんの魔法姉妹チーム。
2番目がエステルちゃんとリーアさんのファータチームで、3位はジェルさんオネルさんの剣士チームとなり、ケリュさんと組んだ俺はですね……。
あー、クロウちゃんが魔法姉妹チームに加わったのは誤算でしたな。
「ぜんぜん荒れないじゃないですか、義兄上」
「ん? なんだザック」
「ほら、ミラプエルトを発つ前の晩に、少々荒れる予感がするって、そう言ったでしょ。だけどここまで、多少曇ることはあっても天気は良いし、波は穏やかだし。まあ、それに越したことは無いですけどね」
「ははん? 誰が天候や海が荒れると言った」
「え? そうじゃないの? じゃあ何が」
「ふむ。そろそろの海域だな。今夜辺り楽しみにしていろ」
そろそろの海域って、今日はミラプエルトの港を出て2日目。
アヌンシアシオン号はかなり沖に向かって進路を取っていて、間もなくティアマ海とメリディオ海が接続する海域に近づくと、今朝方にヴィクトル航海長から聞いている。
昨日は陽が落ちるまで続いた魔導加速員の風魔法による高速航行も、本日は行っていない。
つまり群島海域に近づいているということで、この海域での操船にはいつも気を遣うのだそうだ。
それで俺たちは今日はコリュード大会も行わず、間もなく遠目に島々が眺められるということで、甲板に出ているのだ。
しかし隋分と気温が上がって来たよな。
ミラプエルトでは初夏の陽気だったけど、現在は船が進むにつれて徐々に真夏のようになって来ている。
尤も、日陰や陽が落ちればかなり気温は下がって、寒暖差が大きいのだけどね。
カレンダー的に今日は3月20日で、まだヨムヘル様の担当の筈だけど、こちらの地域では既にアマラ様が活動しているのですかね。
そんな疑問をケリュさんに言ったら、「あのおふたりは別に、冬と夏とで交代で寝ておる訳では無いぞ。夏の女神、冬の男神と呼んでいるのは人間で、確かに担当は分けておられるが、とは言っても活動を止めてはおらんのだ。おまえ、自分の親のことぐらいはちゃんと理解しておけ」ですと。
そう言われてみれば、俺の前に姿を現すときには夏でも冬でも、ふたり揃ってでした。
と言うか、自分の親のことぐらいと言われてもですなぁ。ホストファミリーとかでは無いのかな。
「ねえねえ、ザカリーさま。わたしがおっきなバスタブ作るから、そこに水を入れて水浴びとかしちゃだめー?」
「え? 甲板で? それってダメでしょ」
「えー、クロウちゃんはしょっちゅう水浴びしてるじゃない。だったらわたしたちもさー」
暑さに参ったのか、単にヒマなのか、そんなことをライナさんが言い出す。
確かにクロウちゃんは、航海が始まってから時折は俺が水を出して水浴びをさせているけどさ。
海風に乗った塩が羽や身体に付着するのを嫌って、船上ではそうする約束を旅に出る前からしていたからね。
「ライナ、おまえ、乗組員の皆さんが働いているのに、何を言ってるんだ。それに甲板で水浴びって、着てる服はどうするんだ」
「それはジェルちゃん。ほら、ぱぱっとぜんぶ脱いじゃって」
「ライナ姉さん、ここで裸になるんですか?」
「だから、そうだっ。わたしたちが水浴びする周りを、ザカリーさまが結界とかで見えなくしてさー」
「わがままはダメよ、ライナさん。それに、ちゃんとシャワーがあるんですから」
「えー、だってエステルさま。こういうお天気が良くて暑い海の上だから、外で水浴びするのが、きっと気持ちいいんですって」
「それは、そうかもだけど」
このアヌンシアシオン号には水魔法の遣い手が乗組員として居るので、いつでも真水のお湯のシャワーが浴びられるんだよな。
でも確かにライナさんが言うように、この真夏のような太陽の下で大海原に囲まれて水浴びするのは気持ちが良いだろうな。
彼女が言うように仮設のプールみたいな物を甲板上に設置し、そこに水を張って水浴びを楽しむのは可能と言えば可能ではある。
でもクルージング豪華客船のプールとかじゃ無いんだから、乗組員の皆さんが汗を流し神経を集中させて働いているど真ん中で、そういうのもねぇ。
「ならば、ザック。そうだな、カリも」
「なんですか? ケリュさん」
「なになに?」
このやり取りを聞いていたケリュさんが俺とカリちゃんを呼んで、小声で話す。
それから、同じく甲板に出ていたロドリゴさんに声を掛けた。
「この船ならば、少々の雨など問題無いであろうな?」
「ええ、大嵐とかでも無ければ、普通に航行できますが、それが?」
「いや、ちょっと暑いのでな、少しばかり雨が降るのはどうかと思ってだな」
「ははあ??」
「ならばザック、カリ」
「へーい」「アイアイサー」
ケリュさんが空を見上げると、薄く淀んだ雲がアヌンシアシオン号の上空に突如現れた。高さはそれほど高く無い。
それでこちらを見て合図をしたので、俺はその雲から雨を落とす。豪雨のように強くも無く、それでも小雨よりは強めに、パラパラと落ちて来るぐらいで。
イメージは真夏のお天気雨といったところですかね。陽射しと雨の両方が船に降り注ぐという感じだ。
そこにカリちゃんが重力魔法を加えて、この船が進む速度にぴったり合うように、お天気雨を降らせる雲がアヌンシアシオン号の上空にだけ留まり続けた。
「ひゃー雨だわ、あめー。ケリュさま、やるわねー」と、ライナさんはこの雨がケリュさんと俺とカリちゃん3人の魔法に寄るものだと直ぐに理解して声を挙げた。
そして陽射しとお天気雨のシャワーを浴びながら、踊るように甲板上をくるくる動いている。
更には、エステルちゃんやオネルさんリーアさん、それから少し嫌がるジェルさん、躊躇していたヒセラさんとマレナさんの女性たちみんなの手を取って、雨の中を輪になって踊り始めた。
カリちゃんも重力魔法で雲の移動をコントロールしながら、その踊りの輪に加わる。
「まるで雨乞いをして、神様が雨を降らせたのに歓喜する踊りだよなぁ」
「カァカァ」
「まあ発案者が神様なんだけどね」
「カァ」
「神と神の子とドラゴンの子の恵みの雨、というところだな」
「また大袈裟な」
「カァカァ」
先にケリュさんから声を掛けられていたロドリゴさんは酷く驚いて、船と共に空を移動する雲を見上げながら雨のシャワーを浴びている。
船上を見回すと、グラシアナ船長やヴィクトル航海長以下の乗組員の皆さんも、ロドリゴさんと同じように雨を浴びたり、輪になって踊る女性たちに手拍子を送ったり口笛を吹いたりして、この突然の雨に驚き楽しんでいるようだった。
そんなミラプエルト出航から2日目の航海も陽が落ちて、夜間の航行となった。
航海長と彼の部下の航海士たちは交代で舵輪を握り、多くの甲板員たちも夜通し交代で見張りや不測の事態に備えて待機する。
船上は各所にカンテラの灯りが灯されているので暗くは無いが、とは言えようやく周囲が見えるといった程度だ。
「今夜は、いつもより見張り要員が多く出ている気がしますけど」
「それはザカリーさま。もう危険海域に入っていますからね」
夕食を終えて涼みに甲板に出た俺たちだが、見張りだけでなく待機している当番も多いのに気付いてグラシアナ船長に聞いてみると、そんな答えが返って来た。
「危険海域?」
「海賊ですよ。海賊の跋扈する海域に入りましたので」
「ははあ」
そう言えば、ティアマ海とメリディオ海の接続するこの群島海域には、海賊がときどき出没するって聞いた憶えがありますな。
「おっ、案の定、来おるようだぞ」
「なんか来ますねぇ」
ケリュさんとカリちゃんの声に、俺はすかさず探査を発動させる。だが、探査可能な範囲には未だ何も引っ掛からない。
「あれは、それほど大きくは無い船のようだな。しかし、数はそれなりにあるぞ」
クロウちゃんが飛んで見て来るかと聞いて来たけど、星明かりだけの夜間の海上なので飛び出すのを留めた。
「船長、あちらの方角から複数の船が接近して来るぞ。まだ遠いがな」
「え? あ、はい。見張りっ、右舷前方から船が来るわよっ。あと甲板員は念のため戦闘準備っ」
「船長、まだ何も見えませーん」
「たぶんきっと来るから、右舷側をしっかり見張って。左舷側も注意を怠っちゃダメよ」
昼間のお天気雨が俺たちの魔法に寄るものだと知ったのもあり、グラシアナ船長はケリュさんの言葉を素直に信じたようだ。
しかし、ケリュさんが言っていた「荒れる」というのは、天候や海が荒れるのでは無くてこのことだったようですなぁ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




