第34話 レンダーノ王家からの訪問者
「統領、じつはですね」
「なに?」
なんとか落ち着いたイェッセさんが、ようやく出るようになった声を一段落とした。
「このあと、宿に行かれると思いますが」
「うん」
「ザカリー統領を訪問したいという方がおりまして」
「ん?」
俺はこのミラジェス王国には知り合いは居ないし、居るとしたらカートお爺ちゃんとエリお婆ちゃんにセリヤさんぐらいのものだけど、まさかお爺ちゃんたちが来たりはしないよね。
「それって、誰?」
「あー、その、統領でしたら、私がミラジェス王国の王家の仕事を受けているのはご存知かと」
イェッセさんが更に声を低くした。この声は伝えたい相手にだけ言葉を伝えるファータの技法だ。俺の前世で言うところの、忍びの忍声に近いのかな。
いまの場合、俺とエステルちゃんには伝わっている。あと、ケリュさんとカリちゃんとクロウちゃんには、人では無いから聞こえているか。
「うん、そう聞いてる」
「その関係でして」
「ファータの人では無くて?」
「それが、王家の筋でして。すみません。いえ、こちらからはもちろん、何も情報は上げておらぬのですが」
ミラプエルトへの入港時に、入港検査官には俺たちがミラジェス王国に入ったことが知られているけど、それが報告として上げられ、そういう話になってイェッセさんに伝わるのはあまりにも早過ぎる。
「どうした訳で?」
「それがどうも、フォルサイス王家からのようで」
「あー」
俺は思わず声を出して、同じく驚いた表情のエステルちゃんと顔を見合わせた。
これは、互いの外交部署とかの役所経由でやり取りされたものでは無いよな。
俺が向うの王宮を訪ねてセオさんやグロリアーナ王妃と会ったのが3月の確か5日で、今回の旅に出発したのが15日、そして今日が18日だ。その間、12日には王宮内務部長官のブランドンさんがうちの王都屋敷に来ている。
俺の今回の商業国連合行きは特に王宮外交部に届出ている訳では無いので、つまり、セルティア王国のフォルサイス王家からミラジェス王国のレンダーノ王家に直接伝わった情報だ。
それも距離と伝達速度を考えると、フォルサイス王家が発信したのは俺が王宮を訪ねて直ぐあとのことだよな。
そして誰からかと考えると……。ふくよかでにこやかな、あの国母と呼ばれる人の笑顔を俺は思い浮かべた。
イェッセさんたちが俺の到着を確認しようとしていたのは、そういう理由もあったのだね。
これは探索業務を受託しているファータの探索者の立場上、致し方無い。一族が不利になったり危険に陥ることでは無い限り、俺がそれを否定したら一族の生業自体を統領が否定することになる。
それに今回の旅はまさに公務と言えば公務で、秘匿するようなものでは無いし。
イェッセさんたちの段取りとしては、俺と事前に接触してこの情報を伝えたあと、俺たちが宿屋に入ったのを確認してレンダーノ王家に報告し、あとはその宿を、つまり統領たる俺と一族のお姫さまのエステルちゃんを念のため陰護衛することなのだそうだ。
レンダーノ王家側はイェッセさんの報告を受けたら、どうやら直接に宿屋を訪ねて来るらしい。王宮に呼びつけるとかじゃ無いんですかね。そうなら俺は行かないけど。
「いえ、さすがにそれは。レンダーノ王家はフォルサイス王家と比較しても、わりと砕けた気風ですし」
「そうなんだね」
その辺のところは、昨年の王宮行事で遠目に王太子のバルトロメオくんとかを見ただけなので、俺には何ともだけど。
ちなみに誰が来るのかは、イェッセさんもまだ分からないそうだ。
「では、私たちはこれで」と、イェッセさんたちは風のように消えた。
本日泊まる宿の名前は聞いていたので、俺はそれを伝えて置きました。
「(なになにー? どうしたのー?)」とライナさんが念話で聞いて来た。それでざっと概略を彼女に念話で話し、ジェルさんとオネルさんにも伝えて貰う。
リーアさんは側に控えていたし、イェッセさんが去り際に何か彼女と話していたので、事態は把握している筈だ。
一方で、依然として何も分からなくてキョトンとしているのは、商業国連合の人たちだね。
「あのぉー、ザカリーさま」
「ああ、すみませんヒセラさん、みなさん。ちょっと、そろそろ宿に向かった方が良いようなことが発生しまして。詳しくは宿に着いてからで」
「そ、そうですか」
セントロ市場を出て馬車に乗り込むと、再び街の中を走ってそれほど時間も掛からずに兄弟支店長が予約してくれていた宿屋に到着した。
この世界の宿屋は、旅商人や冒険者などが利用するそれこそ素泊まりの旅籠といった程度のものから、裕福な平民から貴族関係者が宿泊する高級ホテルと呼んで良いものまで様々だ。
アンヘロ&ディマス兄弟が俺たちのために用意したのは、そのホテルの中でもどちらかと言うと街中のリゾートホテルといった趣きの施設だった。
ちょっと見、どこかの貴族の別邸かと思える雰囲気で、わりとこじんまりとした門構えから馬車を乗り入れると、2階建てほどの低層の建物がある。
もちろん建物は白漆喰の壁に赤い瓦屋根。建物の周囲には南国っぽい樹木の緑や花々が色とりどりで、建物と相まって華やかさを演出している。
その馬車寄せで馬車から降りると、このホテルの支配人という人が幾人かのスタッフを従えて迎えてくれた。
「ご到着をお待ちしておりました、ザカリー・グリフィン長官閣下、奥方様、そしてご一行様」
支配人がどう聞かされていたのかは分からないけど、エステルちゃんは奥方様と言われて少し頬を赤らめる。
これが何年か以前だったら、そんな風に言われると舞い上がって挙動不審になるところだけど、近年はすっかり貴族らしい女性といった風で落ち着いたものです。
「直ぐにお部屋にご案内いたしますが、まずはあちらでご休憩ください」と、外見から想像したよりも遥かに奥行きの広いロビーの中をラウンジまで案内された。
ロビー内にも花や緑があちらこちらに飾られ、俺たちには異国を感じさせる前世で言えば南欧か地中海風といった装飾品で彩られている。
ラウンジのソファーに座ると直ぐに女性スタッフが紅茶をサーブしてくれ、その紅茶も何かの果実か花の香りがする。
「フレーバーティーね。良い香りだわ。これは苺かしら」
「はい、奥様。おっしゃられる通り、苺の紅茶でございます。それに少しばかりバニラを加えて、甘く風味付けをしております」
「そうなのね。とっても美味しいわ」
「お気に入られたのでしたら、当商会からお屋敷の方へお届けして置きますよ、エステル様」
「ならば、当方からは別のフレーバーのものを」
「いやいや、ディマス。それならばうちでまとめて」
「何をアンヘロ、ここは平等に」
はいはい兄弟支店長は言い合いをしていないで、その辺はマスキアラン商会とカベーロ商会とで適当に分けてくださいな。
「それでザカリー様、先ほどはどういったことで?」
「ああ、ロドリゴさん。さっきカフェで顔を見せたのは、エステルちゃんの里の分家の者でしてね」
「ははぁ、やはりそうでしたか」
皆にその苺の紅茶が行き渡りホテルスタッフが離れたところで、ロドリゴさんがそう聞いて来た。
どうやらイェッセさんたちがファータの者だと、そう察しはしていたようだ。
ファータの一族がどういう仕事をしているのかもしっかり承知しているらしいけど、先ほどの彼らのいろいろと不審な動きは、まあ触れないで置いてください。
「それでですね。どうやらこちらの王家に、僕らが当地を立ち寄ることが伝わったみたいでして」
「それは。私どもからは報せてはおりませんが……」
「いえ、それがどうも、フォルサイス王家から伝わったみたいでしてね」
俺は今月の初めに王太子や王妃さんたちと会ったこと、そこでセバリオ行きの話をしたことなどを話した。
具体的な旅程はそのときにはまだ分かっていなかったけれど、おそらくは途中でミラプエルトに立ち寄るだろうと彼らが想定したらしいと付け加える。
「なるほど」
「それでですね。どうやらこのあと、レンダーノ王家から誰かが僕を訪ねて来るらしいのですよ」
「ははぁ、そうなりましたか」
それを聞いて大きく慌てないロドリゴさんは、さすが都市国家セバリオの副首長で外国要人との面談経験も豊富というところですかね。
そんなに直ぐには来ないだろうということで、取りあえずは各自が宿泊する2階の客室に案内された。
俺とエステルちゃんは続き部屋のある、それは豪華な客室。部屋の内装もこの世界風のシティリゾートホテルと言えばそんな感じで、でも豪華過ぎやしませんか。
それ以外のメンバーにもそれぞれ1部屋ずつが用意され、その一画はうちの一行で貸し切り状態だ。兄弟支店長、頑張り過ぎですよ。
俺とエステルちゃんの部屋にはカリちゃんも来ていて、3人とクロウちゃんでちょっと一服だ。
「ケリュさんは大丈夫かな?」
「はい。さっき覗いて来ましたけど、ベッドで早速居眠りしてました」
「ならいいか」
カリちゃんもいちおう気にしてくれたようだ。あれでも神様だからね。
王家の誰かが来た時には、クロウちゃんに一緒に居て貰うよう頼んで置く。カァ。
「ザックさま、お着替えはどうします?」
「うーん、このままでいいんじゃない? だいたい、いきなり来る訳だし、来ること自体、こっちは知らない体だし」
「そうですね。それじゃ、わたしたちもそれでいいかしら。ね、カリちゃん」
「旅先でドレスとか着るの、いやですよぉ」
カリちゃんが持っているマジックバックには旅行中の着替えも入っているのだが、どんな衣装を持って来ているのかを俺は知らない。
俺の準礼装とか、エステルちゃんたちのパーティドレスとかも入っているですかね。
「でも、ジェル姉さんたちは、念のため制服に着替えるって」
「あらあら、申し訳ないわ」
「騎士の務めだって言ってましたよ」
たぶんジェルさんがそう主張して、ライナさんは「えー、なんでー」とか言って、オネルさんに窘められたんだろうな。
間もなくしてドアがノックされ、そのお姉さん騎士3人が入って来た。
カリちゃんが言っていたように、旅用の私服から独立小隊の平時制服(春夏バージョン)に着替えている。
まだ3月なのだがミラプエルトは初夏のような気候で、少し暑さもあるけど過ごし易い。
オネルさんの持つマジックバックにも、リーアさんの分を含めて4人分の女性の着替えの衣装が山ほど入っているんだろうね。
「リーアさんは?」と聞くと、「イェッセさんと繋ぎを取るため、先に出て行きました」とオネルさんが教えてくれた。
程なくして再びドアがノックされ、そのリーアさんがするするっと部屋に入って来た。
「先触れの騎士が来ました」
「ならば、わたしが相手をしよう」
ジェルさんがそう言ってリーアさんと部屋を出て行く。
そしてそれ程間を置かずに、ジェルさんが戻って来た。
「間もなく来られるとのことで、承ったと伝えました」
「誰が来るの?」
「それが、先触れに来た騎士も、レンダーノ王家の者と言うばかりで」
「ふーん」
「ロドリゴ殿とヒセラさん、マレナさんは既にロビーにて待機していますので、ザカリーさまもそろそろ」
「んじゃ、僕らも行きますか」
「ケリュさまは?」
「あー、お昼寝。クロウちゃんに頼んどいた」
じつはきっと、人間の王家なんぞには別に会いたくないから、午睡をしている風で休んでるのでは無いかな。それはクロウちゃんも同様だ。
さて、どんな人が来るのですかねと、俺たちは2階の客室フロアからロビーへと向かった。
俺は子爵家の職務上の役職は持っているけど爵位持ちでは無いので、釣り合いからすると王家に連なるような準男爵ぐらいの人だろうか。
どうこう言うても子爵って、中の下クラスの貴族だからね。
エステルちゃんと並び、カリちゃんとお姉さん騎士3人を引き連れて階段を降り、奥行きの広いロビーラウンジ空間をロドリゴさんたちが佇む場所へと進む。
どうやら、このホテルの支配人や幹部クラスのスタッフも一緒に居るようだ。
そこに着いてホテルの玄関の方に目をやると、ひとりのホテルスタッフが玄関外から少し慌てながら入って来て「ご到着になられました」と声を上げる。
ロビー内には他の宿泊客もちらほら居たのだが、その声に何ごとかと足を止めた。
そして騎士姿の幾名かが先導でロビー内に入り、続いて数人の人たちが入って来る。
えーと、先頭の女性は知ってますよ。
あの人って、ミラジェス王国の宮宰のルチア・レンダーノさんですよね。
それからその横に並んで姿勢良く歩いて来るのって、この国の王太子のバルトロメオ・レンダーノくんじゃないですか。
去年にあっちの王宮行事で見た時よりもだいぶ背が伸びましたよねって、そうじゃなくて、なんであなたたちが来るですか。
ホテルのロビー内は、突然の王太子と宮宰の登場に大きく騒めいたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




