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第28話 船上の剣術訓練

 出航したアヌンシアシオン号は徐々に港から離れ、やがて左舷方向に陸地がやっと見えるぐらいの距離で南南西の方向へと進路を取った。

 春の青天の下、ティアマ海はとても穏やかで、船の揺れも想像していた程では無い。

 俺たちは遠ざかるセルティア王国と広がる海原のそんな風景を、甲板の上でずっと眺めていた。


「あの陸から、いまはどのぐらい離れてるのかしらねー。ねえ、ザカリーさまはわかる?」

「えーと、そうですなぁ……。ちょっとクロウちゃんに聞いてみます」


 ということで、ライナさんからの質問なんだけど、クロウちゃん。

 その彼は、メインマストの檣楼に止まっていて静かだから、半ば居眠りでもしているんじゃないかな。

 そこで四方を監視している乗組員さんの邪魔にならないようにしてくださいよ。


 カァ。ああ、起きてるですか。カァカァ。

 前世の地球だと、海岸の波打ち際に立つ人間の目の高さから見て、それが1.5メートルだとすると、水平線は4.37キロメートル先なのですか。ふんふん。


 目の高さで見える距離が違うので、船の喫水線から甲板の上に立つ人の目までが仮に15メートルだとすると、3倍強の14.8キロメートルぐらいは見えるのね。

 計算式? あ、それはいいです。地球の半径が計算の基の数値になるのですな。


 それで、この世界のこの星は前世の地球より若干大きい筈だけど、取りあえずは15キロぐらいと考えておけば良いと。

 ただし、いま見える陸地は水平線ほどには離れていないので、10キロメートル程度だとすると、この世界の長さの単位では3万5千ポードぐらいと言っておけばいいのか。


「クロウちゃんからの答えが来ました。3万5千ポードぐらいだと言っております」

「ふーん」


「あはっ、ザカリーさまは凄いのね。って言うか、あそこに居るカラスさん、じゃなくてクロウちゃんにそんなことが解るのかー。離れていて、どうやって話をしたのかしら。うん、ほぼ正解ですよ。海での言い方だと35海ポード」


 いつの間にか俺の後ろにグラシアナ船長が来ていた。

 なるほど、35海ポードですか。前世の世界の海里みたいなものだな。

 彼女によると、暫くは陸地からこのぐらいの距離で航行するそうだ。


 ミラジェス王国の王都ミラプエルトまではこういった沿海航行で行くのだが、そこから商業国連合までの航路はティアマ海から南のメリディオ海に入る。

 その間は、岩礁や小さな島嶼が数多く散らばっているということで、沿海から離れてもっと沖を行くのだと教えてくれた。


 それにしても、グラシアナ船長が近づいて来ていたのは分かっていたけど、船上という慣れない場所でかつクロウちゃんと通信していたのもあって、迂闊にも後ろを取られちゃったですなぁ。


「クロウちゃんはザカリーさまの分身みたいなものなのよー」

「ザカリーさまの場合、未だにわれらにも分からんことがあるのだが、そんなものだと思っていてほしい」

「そうなのですねぇ」



 前々世の世界での経験や知識からすると、今日のティアマ海は穏やかだ。かなり揺れるだろうなと想像していた船の上もまだそれほどでもない。

 その分、風も強くないので、速度もそれほど出ていないのだろう。

 うちの者たちは船酔いなどにまだ見舞われてはいないが、船の旅は始まったばかりだし、今後どうなるかは分からないよな。


 そんな船の甲板で、当たり前なのだろうけど自由自在に動き回るグラシアナ船長以下の乗組員たちは、まあさすがです。

 これは俺たちも船上での訓練をするとか、良いのでは無いですかね。


 そのことをジェルさんたちに提案すると、賛成ということになった。

 グラシアナ船長に許可を貰うことも含めて意見を聞くと、甲板上で乗組員の仕事に支障が無ければ良いとのこと。

 どうやら、いざという時に戦闘も行う甲板員たちも、定期的に船上での戦闘訓練を行っているのだとか。


「エステルさまにも、ちゃんと許可をいただくように」とジェルさんに言われたので、船首近くで進行方向の海を見ている彼女に念話でそのことを伝えた。


「(おう、それは良いな)」

「(ヒマになっちゃいますから、いいですね)」

「(お昼をいただいてからにしましょうね)」

「(はいです)」


 一緒に海を見ていたケリュさんとカリちゃんも賛成ですね。

 それではエステルちゃんに言われたように、お昼をいただいてからにしましょう。




「船上戦闘訓練ですか。なるほど、それはザカリーさまたちらしいですね」

「ヒセラ、わたしたちも参加しましょうよ」

「そうさせて貰いましょう、マレナ」


「ほほう。これは見物みものですな。私どもは見学させていただきますか」

「訓練というと剣術かしら。揺れる船の上でどんな訓練をされるのか、興味が沸くわ」

「そうですね。手が空いている者たちも見学してよろしいですか?」


 昼食は、船尾楼にある幹部とお客様用の食堂でいただいた。海軍艦艇などでの所謂、艦長食堂か高級士官食堂だよね。

 カベーロ商会や都市国家セバリオが招待しているお客様が乗船している場合には、昼食と夕食は船長が主催して食事を供するという形式を取るそうだ。朝食は一定の時間内であれば自由にいただけるとのこと。


 それでこの昼食の席には、会長のロドリゴさん、船長のグラシアナさん、航海長のヴィクトルさんが共にしている。もちろん、ヒセラさんとマレナさんもだ。


 料理はコース式で、オリーブオイルとバルサミコのシンプルなサラダに赤身魚のマリネ、白身魚とじゃがいもや野菜の入ったボリュームたっぷりのオムレツ、といった感じだ。

 前世の大航海時代では、英国の船などは魚介類をほとんど食べなかったそうだけど、勿体ないよね。この世界、特に商業国連合の船ではそんなことは無いらしい。


「赤身魚はボニートで、白身の方はバカラオですね」

「ほほう。これは美味いな」「カァ」

「お口に合いましたら、なによりですよ」


 ケリュさんも満足げで、ここまでは余計なことを言わずに普通にしてくれているので、まずは安心だ。

 ちなみにボニートというのは鰹のことで、バカラオは鱈ですな。

 王都ではあまり食せないけど、グリフィニアではわりと食べ慣れている。ワインも少量ながら供されて、ほど良く心地良い。


「それから、我は檣楼などにも昇ってみたいのだが、良いかな? 船長」

「ケリュさん」

「クロウ殿はもう昇っておるのだから、我も良いだろ。それにザック、おまえも高いところが好きじゃないか」


「そうねー。ケリュさまより前に、ザカリーさまが言い出さなかったのが不思議だわー」

「ほんとですね。船が出港したら、直ぐにザカリーさまが言い出すって、わたしもそう思っていました。そう思いませんでした? エステルさま」

「うふふ。わたしもオネルさんと同じで、ちょっと不思議だったのよね」

「目を離すと、ザックさまは直ぐに高いところに行きますからね」


 あー、俺って馬と鹿は直ぐに高いところに昇りたがる的な人物像ですか。

 ほらみろって顔をしているケリュさんだって、別の姿は鹿のエルクじゃないですか。

 こんなやり取りを聞いて、ロドリゴさんたちがちょっと当惑していますよ。


「うちの者が、こんなことを言っておるのでありますが、船長」

「はは、普通は絶対に許可しないのですけど……。そうねぇ。まずは、ザカリーさまたちの訓練を見学させていただいてからにしましょうかしら」


「ホントウは自分が昇りたいくせに、うちの者がとか他人ひとのせいにしたわよー」

「これはぜったい、ケリュさまとふたりでぴょんぴょん跳びそうですよ」

「ケリュさま、それからザカリーさまも、船旅の初日ですから自重というものをお願いしますぞ」


「おう、我は大丈夫だぞ、ジェルさん」

「あー、なんで僕も含まれるのかなぁ」


 今回の旅のメンバーだと、ジェルさんたちお姉さん騎士3人以外はファータのリーアさんを含め、全員ぴょんぴょん跳べますけどね。あ、ライナさんも重力可変の手袋を装着すれば跳べるか。




 昼食を終え、各自衣服と装備を整えて甲板に集まった。

 手に持つのは、屋敷での訓練と同じように木剣だ。この木剣はオネルさんの持つマジックバックに全員分を入れて来たものだ。

 ヒセラさんとマレナさんは、船で常備している訓練用の木剣を借りている。


「それでは初めに、少しストレッチをしましょう。船の上での身体をほぐすためにもね」

「はーい」「おう」


 この前世でも今世でもやっている、皆が言うところのザカリー式ストレッチは、うちの屋敷ではお馴染みのものだ。

 学院生時代だと総合武術部はもちろん、剣術学の講義でもやるようになっている。

 そういう点では、俺が元の世界から持込んだ誰でも出来る数少ないもののひとつだよな。

 ヒセラさんとマレナさんも前にグリフィニアでやったことがあるよね。


 ジェルさんの号令でケリュさんも含め訓練を行う全員が、そのザカリー式ストレッチで準備運動を行っているのを、ロドリゴさんやグラシアナ船長、ヴィクトル航海長、それから手の空いている乗組員たちも興味深そうに眺めている。


「よしっ。では、素振りだ。言うまでもないが、足元には充分に注意せよ。では、始めっ」


 ジェルさんから素振り開始の号令が掛かる。

 船上に行き渡るその「始め」の声で一気に静謐な時間と空間が甲板上を包み、海を渡る風の中を木剣が振られる音だけが響く。

 少し風が強くなって来ましたかね。張られた帆がその風を受けて、これまでよりも膨らんでいた。


 風浪によって船も揺れだして来た。

 それによってもちろん甲板もこれまでより傾き揺れるが、この程度で動揺して素振りを中断する者はうちにはおりませんよ。

 足腰もしっかりしているし、身体の軸をぶれさせることも無い。


 って、ケリュさんとカリちゃんは、ちょっとばかりインチキとかしてませんよね。重力魔法でほんの僅かに身体を浮かせるとかさ。

 まあ、重力魔法で浮きながら、甲板上で足を踏ん張っているように見せかけて素振りを行うなどは、なかなかの技なのだけどね。


「ようし、止め」と、ジェルさんから止めの声が掛かった。


「ザカリーさま、次はどうしますか? いつものように打ち込みに移りますか?」

「そうだなぁ。初めての環境で打ち手と受け手に分かれるより、互角の打ち込み稽古にしようか」

「なるほど。それもそうですな」


 こういう揺れる船の上であり、ふたりで組んでも互いに初めての環境なので、同じ条件で打合った方が良いだろうというのが俺の考えだ。

 10人が参加している剣術訓練で5組に分かれて同時に打合っても、このアヌンシアシオン号の広い甲板なら充分な広さがあるだろう。


「ならば、ただいまザカリーさまのおっしゃった通りで行う。それぞれに組になれ」


 では俺は誰と組みましょうかね。


「互角稽古であれば、ザックの相手はエステルか我ぐらいしかおらんだろ。ならば、我と組め」

「あー、そうでありますかね」


 エステルちゃんの方を見ると、どうやらカリちゃんと組むようで、ジェルさんはヒセラさんとでオネルさんはマレナさん、ライナさんはリーアさんと既に組を作っていた。

 ケリュさんは俺の相手はという言い方をしたけど、逆に互角稽古でケリュさんの相手を出来るのは俺だけだろうということを、どうも言いたかったらしい。



「よし、始めっ」


 ジェルさんの声に、俺はケリュさんに集中する。

 この御方がある程度本気を出せば、どうにか打合うことは出来ても余裕を持って相対するなんて訳にはいかない。

 それにこの神様、訓練であっても本当に殺すぐらいのつもりで来ますからなぁ。


「ケリュさんの特別な力は無しですよ。もちろん魔法も無しです」

「わかっておる。行くぞ」


 ケリュさんの神力と俺の魔法力がかち合うと、木剣でも光が飛び散っちゃいますからね。

 さすがに大勢の乗組員たちが見学しているこの船上で、それは拙いです。


 初めは互いに間合いを見極めながら、踏み込んで打つ、見切る、透かす、躱す、距離を取ってまた測るといった攻防が続く。

 やたらに木剣同士を打合わせるということがほとんど無いので、一見すれば地味な攻防だが、俺とケリュさんの間には張り詰めた時間と空間が出来上がる。


「(そろそろ動くぞ)」という、ケリュさんからの念話が聞こえた。


 動くって? と思う間もなく、いちど距離を空けたケリュさんは、それまでとは数段速い足捌きで動き出す。

 そして、俺を誘うように間合いに入っては攻撃したあと直ぐに離れて移動、また接近して攻撃という、高速で動きながら戦いの空間を広く使ってのヒットアンドウェイに転じた。

 そう来るなら、こちらだって動いて先手を取ってやりますよ。


 俺たちの攻防は、甲板上で打合う他の組の間を縫い、更にはマストを支えて張られているシュラウドと呼ばれる縄梯子状のロープを駆け上がり、中空の帆桁ヤードへと跳んでそこでの木剣の駆け引きとなり……。



「止め、止め、止めっ」という、ジェルさんの戦場声ならぬ船上の声が海まで響き渡った。


「それから、ザカリーさまとケリュさまは、直ぐに降りて来るように」


 俺とケリュさんは帆桁ヤードの上で木剣を下ろし、はっとして互いの顔を見る。

 そして直ちに甲板へと飛び降り、ジェルさんとエステルちゃんが並んで立つ前へと急ぎ、そこでふたりして正座した。


 あー、船旅初日にして久し振りのお説教ですね。

 クロウちゃんは檣楼から降りて来ないのかな。カァカァ。とばっちりを食うと嫌なので、そこから見てるですか、そうですか、そうですね。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。

引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。

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