第26話 ヘルクヴィスト子爵領へ
王都のフォルス大門を出て暫く行き、王国の南北を貫く街道に出ると北方向に曲がり、その街道をまた暫く走ってから別の街道と交差する地点で西方向へと進路を取る。
南北の街道をこのまま北へと向かえば、俺たちがいつも通っているようにやがてグリフィニアへと至るが、西方向への街道に入るのは始めてだ。
この道はこの先もいくつかの分岐点があるそうだが、王都中央圏や公爵領を抜けるとヘルクヴィスト子爵領へと入り、南北にやや細長い領内を更に西へと進むと、ティアマ海の港がある領都のヘルクハムンに到着出来る。
王都中央圏と三公爵領を含む王都圏全体は、キースリング辺境伯領を除くどの貴族領よりも広いとは言ってもそれほど広大という訳では無いので、王都から見ると隣の貴族領地に行くというぐらいのものだよな。
街道は点在する小振りの森や田園地帯の間に伸びていて、時折は王家の直轄地である村や町を通り過ぎ、この王都中央圏を抜けるとフェリさんの故郷で宰相のお膝元であるフォレスト公爵領に入る。
でも今回は、その領都には立ち入らない予定だ。
三公爵領のどの領都もその街に入るのにチェックが厳しいそうだし、ただの休憩で名前と身分を明らかにして入るのはいろいろと面倒臭いからね。
なので今日のお昼は、アデーレさんに用意して貰ったサンドイッチなどを街道沿いのどこかの休憩場所でいただくことにしている。
馬車の中はケリュさんも居て、まあ賑やかですな。
今回乗っているのは俺とエステルちゃんにカリちゃんとケリュさん、そしてリーアさんとクロウちゃんだ。
尤もクロウちゃんは馬車に飽きると窓から外に出て空を飛んだり、御者台のユディちゃんのところに遊びに行ったり、また馬車内に戻ったりを繰り返している。
あとリーアさんは、こういう面子の中に混ざるのはだいぶ慣れましたかね。
「クロウ殿は自由で良いな。我も馬にすれば良かったか」
「ケリュさまは、もう飽きちゃったですか」
「まだ飽きてはおらんが、今日は天気が良いからな。なんなら自分で走りたいぐらいだ」
「こんな王都の周辺の、それも往来の多い街道にエルクなんか居ませんよ」
「エルク? ですか?」
「ああ、リーア姉さんは見たことが無かったですよね」
「見たことがあるのは、ザックさまとわたしとカリちゃんだけでしょ。あ、ソフィちゃんも見たかしら」
「ケリュさまがソフィちゃんを気絶させる前にですよね」
「ソフィさまを気絶させたんですか?」
「あのときはだな」
アラストル大森林でケリュさんが黄金のエルク姿で居たという、俺たちが初めて会った時のことだよね。
ソフィちゃんはいろいろ吃驚して気絶しちゃったのだけど、どうやらケリュさんが少しばかり神力を用いたらしい。
「じつはこの御方、コソコソ森に隠れてたからなんだよ、リーアさん」
「何を言うか、ザック。コソコソ隠れてなどはおらんわ」
「えー、そうですか? 会ったことをシルフェ様にバラすのかどうかとか、しつこく聞いていたじゃないですか」
「おまえは、普段は直ぐに何でも忘れた振りをするくせに、そういうのはしっかり憶えているな」
「何でも忘れた振りとかなんてしませんよ。忘れた方がいいものだけ」
「はい、ふたりとも煩いですよ。旅が始まったばかりなんですからね」
エステルちゃんに怒られました。
途中で小休止、昼食休憩、また小休止と幾度か休みを挟み、王都屋敷を出立してから11時間ほどをかけてヘルクヴィスト子爵領の領都ヘルクハムンへと到着した。
ヘルクハムンの街は、グリフィニアやキースリング辺境伯領の領都エールデシュタットほどしっかりとした都市城壁を巡らせている訳では無いが、それでも街の出入りはかなりきちんとチェックしているようだ。
これは領都であると同時に、外国船も入港する港湾都市でもあるからだろうな。
この街で取引される物資は主に王都圏へと運ばれ、王国の輸出入の主要な窓口となっている。
また、うちの港町のアプサラと同じように漁港も併設されているので、王都で消費される海産物はほとんどここから送られて来る。
「そうすると、賑やかな市場がありそうですね」
「そうだね。トビーくんあたりが居たら、まずはそこに行きたがるだろうなぁ」
「でも、今回は行く暇はありませんよね」
「市場での美味しいご飯は無理ですかぁ」
「王都では、新鮮な海の幸が食べられんからな」
「宿のお食事に期待しましょうね、カリちゃん。ケリュさまも」
「はーい」「おう」
明日は早朝に乗船して直ぐに出航ということだから、まあ市場とかに行く余裕はありませんね。
今朝は朝の7時半頃に屋敷を出て11時間の馬車の旅。もう夕方から夜になろうとしている時刻だし明日は船の上なのだから、今夜は宿でゆっくり寝て備えたい。
ヘルクハムンの街へ入る際には応答するジェルさんが正直に俺の名前を出して、グリフィン子爵家の者の一行であることを警備の兵士に伝えた。
どう見ても貴族が乗る馬車で来ているし、騎乗の警護が5名も従っているからね。
「ご滞在の日数は、いかがになりましょうか?」
「当家の調査外交局長官であるザカリー・グリフィンさまは、明朝に商業国連合の船に乗船される。従って1泊だけだ。なお、この馬車と馬は、同じく明朝に我らのうち同行しない者が王都へと牽いて帰る」
こういう応答はいつもジェル隊長の役割だが、若い女性ながら騎士としての威厳と、更には超一級の剣士である無言の迫力が自然と相手に伝わるんだよね。
「はっ。承知いたしました。あの、当地にザカリー・グリフィン閣下がご来訪される旨は、当家にお伝えいただいているのでしょうか? あ、いえ、念のためにお聞きするのですが」
「いま申した通り、このヘルクハムンには船に乗るために立ち寄っただけだ。乗船も早朝となる故、誠に申し訳無いがヘルクヴィスト子爵家にはお知らせしていない」
「あの、当職から子爵家に報告しても」
「それは構わぬが、ご挨拶には伺えぬので、ヘルクヴィスト子爵家には不礼の謝意をお伝えいただきたいと、主よりも申し付かっている」
「承知いたしました」
どうやら、この都市門の警備を担う責任者らしき上位の兵士が出て来たようで、ジェルさんとのそんなやり取りが聞こえて来た。
ヘルクヴィスト子爵家を表敬訪問するとかになったら、明日に午餐か晩餐に招かれるなどで確実に1日は潰れちゃうからね。それに面倒臭いし。
ただ、ここの子爵家の次男は、俺が1年生のときに学院生会の副会長をしていたあのエルランドさんだ。
当時は何かとお世話になったこともあって、折角なら会いたい気持ちもある。でもまあ、またの機会にしましょう。
もう夜の帳が下りてしまったが、それでも港湾都市らしい活気が感じられる街に入り、指定された宿に到着した。
その宿の名前を聞いてブルーノさんが「なかなかの高級宿でやすよ」と言っていたが、なるほど高級ホテルという感じだね。
馬車寄せに停車して俺たちは馬車を降りる。そして、玄関付近に居た宿のスタッフらしき人にオネルさんが話し掛けると、その人は建物の中に急ぎ、直ぐに立派な身なりの男性が何人かのスタッフを連れて出て来た。
「ようこそおいでくださいました、ザカリー・グリフィン長官閣下。ささ、どうぞ中にお入りください。ご到着をお待ちの方々もいらっしゃいますので」
その男性はこの宿の支配人だそうで、馬車や馬の世話はすべて宿の方でやってくれるそうだ。
スタッフを従えて来たのは俺たちの旅の荷物を馬車から降ろすためだが、オネルさんが無いと言ったらとても驚いていた。
「魔導具のバッグにすべて入れてありますので」
「も、もしや、マジックバッグですか?」
「そう思っていただいて結構ですが、くれぐれもご内密にお願いします」
「これは……。さすが、グリフィン子爵家でございますね」
オネルさんと支配人とのそんなやり取りが聞こえたが、うちへの変な噂が増えるのはまあ仕方が無いよな。今回はダミーの荷物とかは用意して来ていないしね。
建物の中に案内されて入るとそこは広いロビーフロアで、落ち着いた雰囲気のラウンジが併設されている。
うちの王都屋敷と似た構造で、それをもっと広く豪華にした感じだね。さすがは高級ホテルだ。
「なかなか良い宿ですね」
「ありがとうございます。私共には、王国内ばかりでなく国外からのお客様にも多くご利用いただいておりまして、特に商業国連合の皆様とは懇意にさせていただいております」
なるほどね。商業国連合のおそらくお偉いさん方が利用する定宿という訳ですな。
「これをご縁に、長官閣下に是非ともご利用いただけますと光栄です」
「ええ、その機会には是非に」
俺たちって、遠方に行く際はアルさんに乗せて貰ったりするので、こういう宿ってあまり利用しないのですよね。
支配人と話しながらラウンジの方に目をやると、ヒセラさんとマレナさんのふたりが立ち上がってこちらに手を振っていた。
そのふたりの隣には、大柄の初老の男性がひとり微笑んで立っている。ああ、あの人はセバリオの副首長でカベーロ商会の会長でもあるロドリゴ・カベーロさんだ。
「ご到着、お疲れさまでした」
「わりと早かったですね」
「お久し振りです、ザカリー長官、エステル様、皆様方。クロウちゃんもご一緒ですね」
「こちらこそお久し振りです。それで、ロドリゴさんがわざわざ?」
「ええ、今回は私がお迎えに上がりました」
「明日乗っていただくアヌンシアシオン号は、カベーロ商会の船なんですよ」
「セバリオの船でも一二を争う、速くて強い船です」
「ははは。これは過分のご評価で」
なるほど、そうなのですね。セバリオで一二を争う速くて強い船か。これは楽しみだ。
ロドリゴさんにはセバリオに行くうちのメンバーを紹介する。
ケリュさんと会うのは初めてですよね。あと、リーアさんもちゃんと紹介していなかったかな。
「この人は昨年にお会いいただいているシルフェ様の旦那さんでして、つまり僕とエステルちゃんの義理の兄になります」
「我はケリュと申す。いまザックに紹介いただいた通り、このふたりの義兄だが、同時にジェルさんたちと同じくザックの騎士だ。そうご認識いただきたい」
そうそう、ライナさんとオネルさんが騎士に昇ったのも、あらためてこの3人にご紹介しておかないとですね。
「ライナさんとオネルさんも騎士を叙任されたのですか。おめでとうございます」
「お美しい騎士がお三方揃われた訳ですね」
「我も騎士で、4騎士なのだがな」
「シルフェ様の旦那様とご紹介いただきましたが、と言うことはただの騎士様ではなく……」
「あー、ロドリゴさん。本人が言う通りで、そのようにご納得ください」
「これは。はい、承知いたしました。それでリーアさんはエステル様の侍女殿と、そういうことですな、ザカリー様」
「ええ。ヒセラさんとマレナさんはリーアさんのことをご存知だと思いますが、本来はうちの調査部員でかつエステルちゃんと同郷なので……。セバリオの方々には知られても良いのですが、つまりエルフにはそのように」
「ああ、無用なトラブルや勘ぐりを避けるためにですね」
さすがロドリゴさんはファータやエルフの精霊族のことは良くご存知らしく、俺のそんな曖昧な物言いで納得してくれた。
エステルちゃんがファータの総帥の孫娘で、シルフェ様はファータの一族にとって極めて特別な存在であること。
そのシルフェ様の旦那さんがケリュさんで、またリーアさんはファータの一族でうちの調査部員だから、つまりファータの探索者であるということだ。
精霊族の異なる一族同士は基本的に仲が悪いので、ロドリゴさんの言うように鼻っから生じそうな無用なトラブルや勘ぐりを回避するためですな。
ただ、精霊族の人間というのは人族よりも人外関係にかなり敏感なので、オイリ学院長やイラリ先生みたいにエルフであってもケリュさんやカリちゃんを眼の前にしたら、いったいどんな反応をするのか分かりません。
「そこはザック。シルフェは自分が真性の精霊であることを隠しはせんが、我なら普通の人間に同化するなんぞ容易いことだぞ」
「そうですよ。わたしやお婆ちゃんはアル師匠と違って、人化の技術は遥かに優れてますから、もう身体の隅々まで見た目や感触はほぼ人族です」
うちの者だけの時に少しその懸念を話したら、ケリュさんとカリちゃんが自信たっぷりにそんなことを言っていた。
ほんとかなぁ。ケリュさんの場合はその神力で出来るのかも知れないけど、言動がいささか心配だ。
あと、カリちゃんの身体の隅々までは知らないけど、確かにクバウナさんは大昔に人間社会で暮らしていたこともあるそうだから、人化魔法についてはそうなのかもね。それで、見た目はともかくとして、感触ってなに。
「隅々まで確認しますか? ザックさま」
「あー、取りあえずいいです」
「ですって、エステルさま」
「うふふ。カリちゃんとわたしの体型って、わりと良く似てるわよね」
「えへへ。人化の見本はエステルさまですから」
そうですか。前にもそんなことを言っていたよな。
それはともかく時間を戻して、ヒセラさんマレナさんにロドリゴさんも加わって宿のレストランで皆で美味しい魚料理をいただき、明日は朝が早いということで今夜は解散となった。
そうして、それぞれに割当てられた部屋に引揚げようとレストランを出ると、先ほどの支配人が俺のところに急ぎ足でやって来る。
「長官閣下。閣下にお会いしたいと、ヘルクヴィスト子爵家の者が先触れで来ております」
「え? ヘルクヴィスト子爵家の?」
「ご次男のエルランド・ヘルクヴィスト様がお越しになるそうで。いかが返事をいたしましょうか」
エルランドさんのところまで、俺が来ている報告がもう届いたんだ。これは会わない訳には行きませんよね。
そう思って支配人に言おうとしたら、向うからその当人のエルランドさんの懐かしい顔が近づいて来ていた。
「やあ、ザカリー君。来るなら来ると言って欲しいな。水臭いじゃないか」
これは少しお相手をしないといけないなと、俺は隣でキョトンとした表情のエステルちゃんの顔を見たのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




