現れたヤカタ
それから若君は握りしめた刀ごと藤原君の身体を高々と持ち上げた。
藤原君は血の固まりを吐き出し、串刺しにされた状態でズルズルと滑り落ち、ツバのところで止まってぐったりと動かなくなった。
†
「若君……」
あたしは立ち上がり、外に向かって歩きだした。
まだ間に合うかもしれない……まだ藤原君は死んでないかもしれない……まだ若君を止められるかもしれない……まだそんなことを考えていた。
「若君……お願い……」
散らばったベンチをよけながら、涙でにじむ視界によろけながら、あたしはとにかく二人のところに歩く。
「……殺さないで……」
若君がグイッと力を込め、刀をねじった。
†
「グァァァ……」
藤原君の口から血のあぶくとうめき声が漏れだした。そしてその胸から血が吹き出した。
まるでスプリンクラーのように血しぶきが広がり、ドボドボとした血の流れが若君の全身を包み込んだ。
そして若君を包む炎がゆっくりと消えていった。
「若君……」
あたしはやっと扉までたどり着いた。若君の全身から黒い煙がプスプスと立ちのぼっていた。若君がこちらを向いた。皮膚が焦げて真っ黒だった。ただその目だけが異様に白く見える。
「さつき、なにも言うな」
若君は藤原君の身体を地面に投げ出した。
「うぅぅ……がぁぁっ!」
藤原君は身体を曲げ、苦しそうに激しく身体をよじった。
そうしている間にも血が流れ、地面に広がっていった。
†
「貴様は血を流しすぎた」
若君は藤原君を見下ろし、判決を下すようにそう言った。
「ハハッ……確かにね……こりゃ流しすぎだぜ」
藤原君は手首から先のない血塗れの右手を若君に向けてそう言った。
「おまえの血ではない。ワシの民の血だ。貴様の命で償ってもらう。だがその前に、おまえのヤカタのところに案内してもらおう」
「やだね」
藤原君は薄い唇を広げ、牙をむきだしてにんまりと笑った。その凄絶な笑みを見ると、彼が死を覚悟しているのが分かる。
「では、死ぬがよい。もう蘇りはないぞ」
若君が日本刀を振りあげた。
そして次の瞬間……
†
若君の身体がいきなり真横に吹っ飛んだ。
若君は身体をくの字に曲げ、その姿勢のままスライドするように空中を飛んでいった。
何が起きたのか、まったくなにも見えなかった。
ただものすごい風にとばされたように、一瞬で若君の姿が視界から消えた。
と、藤原君の前に白い人影がふわりと降り立った。そして横たわる藤原君のところにたたずむようにしゃがみこんだ。
その人影は頭からつま先まで、真っ白い布をマントのように巻き付けていた。
不思議とその姿はとても清らかで、なにか神聖な感じさえした。
まるで天使か神様のような感じだった。
「いったい、なにやつじゃ?」
若君は少し離れたところで、刀を地面に突き刺して立ち上がった。足下がなかりふらついている。
†
白いマント姿の人はしゃがんだまま若君の方に首を巡らせた。でもそれだけ。なにも言葉を発しない。
その顔は巻きつけた布で隠れて見えない。
「そうか……きさまがヤカタか……」
若君はふらふらになりながらも日本刀を構えた。
それから静かに息を吸い込む。
フッと世界が一瞬凍り付く。そして若君の目が鋭さを取り戻し、揺れていた刀がぴたりと止まった。
これまで感じたことのない、圧倒的な殺気が若君の体の中に充満してゆく。
そして若君の姿が消えた。
今度はまったく見えなかった。
そして次の瞬間……若君は藤原君のところに突然出現し、その大きな刀を真横に凪いだ。
刀が轟風を巻き上げ、空間そのものを激しく切り裂く。
が、そこは無人だった……ふたりの姿は忽然と消えていた。
†
「やるではないか……」
若君はゆっくりと振り返り、それから空を見上げた。
あたしも若君の視線を追った。
教会の屋根に、藤原君を抱えた白いマント姿の人影が、ガーゴイルの群れにまぎれてしゃがんでいた。
二人の背後には満月が青白く輝いている。
「こいっ!」
若君が叫ぶ。
「降りてきて勝負せい!」
だが教会の屋根の上、白い人影はなにも言わない。布からわずかにのぞく隙間から、一対の目が若君を冷徹に見下ろしている。
一陣の風が吹き、マントの裾をバタバタとなびかせた。それが夜空にふわりと広がり、次の瞬間二人の姿が忽然と消えた。
まるで最初からそこにいなかったように……
†
その動きはあまりに素早く、あたしにもまるで見えなかった。
今のあたしにはその意味が分かる。
あのマントの人は、藤原君よりもずっと強い。
ひょっとしたら若君よりも……
お読みいただきありがとうございます!
ここで第十章は終わりです。
次章では若君の過去が明らかになります。
楽しんでいただけていることを願いつつ!




