マーちゃんと藤原君
藤原君の手が急に離れた。
目の前で、藤原君がよろよろと後退した。それから足をもつれさせて、ストンと地面にしゃがみ込んだ。黒い制服のジャケットからのぞいたワイシャツの腹に、みるみる赤いシミが広がった。
†
「なんだよ、これ?」
藤原君はお腹に手を当て、手のひらについた血のシミを呆然と眺めた。
「……なんだよ、それ?」
あたしも背後のマーちゃんを振り返った。
マーちゃんは両手で銃を構えていた。吸血鬼退治のあの銀色の大きな銃。
その銃全体から真っ白い煙がボワッと立ちのぼっていた。
†
「さっちゃんに手を出すな!」
マーちゃんの手は震えていた。でもその目はピタリと藤原君を睨みつけていた。
「おまえなんかっ……」
マーちゃんはもう一度、撃鉄を親指で引き上げた。
ガチリ、と金属がかみ合う音が響き、シリンダーが回って次の弾丸がセットされる。
「……おまえなんか、死んじゃえっ!」
マーちゃんはあたしを押し退けて一歩前に踏みだし、伸ばした手と銃をグイッと藤原君に向けた。
「……だ、だめだよ、マーちゃん!」
気づくとあたしはそう言っていた。
なにがだめなのか自分でもわからないまま、そう叫んでいた。
†
でもマーちゃんの耳にあたしの言葉は届いていなかった。
マーちゃんには藤原君しか、吸血鬼しか見えていなかった。
「……死んじゃえ、吸血鬼!」
マーちゃんはしゃがみ込んでいる藤原君を足下に見下ろし、その銃を藤原君の顔に向けた。
「……死ね……死ね……死んでっ!」
「だめだよっ、マーちゃん!」
再び、ドン! と銃声がはじけた。
†
パッ、と土煙があがった。
藤原君は瞬間で一メートルほどを移動し、やはり地面にしゃがみ込んでいた。
苦しそうに肩で息をしながらも、マーちゃんをにらみつけている。
マーちゃんは再び撃鉄を起こし、また藤原君に銃口を向けた。
それから一メートルをツカツカと歩き、藤原君を見下ろし、今度はその頭に銃を突きつけた。
「……やめて……マーちゃん……だめだよ」
「さっちゃん、こうしないとだめなんだよ。相手は吸血鬼なんだよ!」
「……それでもだめだよ……藤原君なんだよ、殺しちゃだめ……」
†
その言葉がマーちゃんの呪縛を解いた。マーちゃんは我に帰った。
あたしを振り向き、急に両目から涙をポロポロとこぼした。
「だって、こわいんだもん! 殺さないと、殺されちゃうんだよ!」
「わかってる! わかってるよ。だから、今は逃げよう。ね? マーちゃん」
「でも……でもさ……」
マーちゃんは藤原君を振り返った。
藤原君はお腹の傷口を押さえ、マーちゃんを睨みつけている。
マーちゃんはもう一度あたしを振り返り、それからコクンとうなずいた。
「わかった。行こう!」
それから校門の方に向かって二人で走り出した。
一度だけちらりと振り返ると、藤原君はまだしゃがんだままだった。
†
あたしたちはもつれる足を必死に動かし、何度も転びそうになりながら、とにかく校庭を全力で走った。
校門の鉄製のゲートはわずかに開いていた。ゲートを抜ければ学校の外だ。
と、その影から一人の男がゆらりと姿を現した。
しまった。まだ残ってたんだ。
そう思ったのは一瞬。その男の人は、警察官の制服を着ていた。
「おまわりさん! 助けてください!」
助かった! その安堵感で全身がとろけそうになる。
しかもその警官は剣道場の師範だった人。
たしか……たしか……北岡さん!
「北岡さん! 学校が襲われてるんです!」
と、あたしの手がグイと後ろに引かれ、急ブレーキのようにあたしの体もガクンと止まった。マーちゃんだった。マーちゃんはあたしの手を掴み、肩で大きく息をしている。
「待って、さっちゃん」
「どしたの?」
「あの人、サツコのお父さんでしょ?」
「そうだよ、警察の人だよ。助けてもらおうよ」
†
……チチチ……
北岡さんの口から妙な舌打ちが聞こえてきた。聞き覚えのあるあの音。頭からザッと血が落ちていく。
……チチチ……
北岡さんは無言のまま、一歩を踏みだし、ホルスターからピストルを抜き出した。
それを不思議そうに目の前にかざし、それから銃口をこっちに向けた。
考えるまでもない。
あたしたちはクルリと振り返ると、また学校に向かって校庭を走っていった。
背後でドンと銃声が響いたが、とにかくがむしゃらに走った。
†
校庭の真ん中ではまだ藤原君がしゃがんだままだった。
もちろん近づくつもりはない。でもどこへ逃げたらいいかわからない。
「どうしよう?」走りながらマーちゃん。
「……えっと……校舎はだめだし……」
と、正面に見えている校舎の窓が、内側からはじけ飛ぶように一斉に割れた。
パン! パン! パン! パン!
一階から四階までのすべての窓がほとんど同時に、爆発したみたいに、次々とガラスを吐き出した。
そして開いた口から、黒い影が次々と飛び出し、校庭の上に降り立った。
†
吸血鬼たちだった。
食事が終わったのだ。
彼らはその場に並んで立ち、あたしたちをじっと眺めている。
「どうしよう?」
「どうしようって、どうしよう?」
逃げ込める場所は……ぐるりと校庭を見渡す。
校舎はだめ、校庭には藤原君、背後には吸血鬼の警察官。
どこにも逃げ場なんて……いや、あった。
体育館!
「さっちゃん、体育館!」
マーちゃんも同じ結論だった。すぐに方向を変え、校庭を横切って、体育館に向かって走った。
幸い、体育館の扉はわずかに開いていた。
飛び込むようにしてその隙間に体を入れると、すぐに二人で扉を閉めた。




