若君との語らい
「キャアアア!」
瞬間、あたしは今度こそ思いっきり悲鳴を上げた。
理性のスイッチがふっ飛んでしまった。
だって死体にいきなり怒鳴られたら、普通そうなるでしょう。
悲鳴の一つや二つあげるでしょう。
†
でも実際に悲鳴を上げたのはあたしだけ。
「あら」
母さんはちょっと口元を隠してそう言っただけ。
いつもと変わらないおっとりした態度。
父さんはまたすごかった。
「ふ、ふぇぁ」
父さんは意味不明な声をもらし、どういうわけか背中をスッと延ばして棒アイスのように固まり、そのまま横にドサリと崩れ落ちてしまった。
あたしは人が気を失うのをはじめて見たのだが、それはなかなか衝撃的な光景だった。
†
それはそうと、思いっきり悲鳴を上げたことで、あたしは妙に気が落ち着いた。
なんだか考える余裕まで出てきた。
そう、最初から驚くようなことではなかったのだ。
これはつまり『眠っていた人が起きただけ』なのだ。
なんで棺桶で眠っているのかは別として。
†
「いったい、ワシをいつまで待たせるつもりじゃ!」
その青年は棺の中から上半身だけむっくりと起き上がった。
かなり上背がある。体つきは細かったけれど、かなり鍛えられている感じ。後ろでひとつにまとめた髪は、馬の尻尾みたいにつやつやして長かった。
「……まったく、また眠ってしまうところだったぞ」
それから青年はゆっくりと棺から立ち上がり、ドンと日本刀を立てた。
そして台の上からあたしと母さんをジッと見下ろした。
†
「ひょっとして、あなたが若君様ですの?」
母さんがその青年をその見上げながら尋ねた。
「うむ。いかにもそうじゃ。ワシが若君じゃ」
その青年は自信たっぷりにそう宣言し、にんまりとした笑顔を浮かべた。
(普通、いい大人は自分の事を『若君』とは呼ばないと思うんだけどな)
とは思ったが、もちろん口にする度胸はなかった。
†
「いやぁ、今回はよく眠ったわ」
その『若君』は台の上からひょいと飛び降りた。
それから首をググッと曲げて伸ばし、肩をグルグルと回した。それでも足りないらしく、背中を伸ばし、とにかくありとあらゆる筋肉を伸ばした。
どれだけ寝ていたか知らないが、ずいぶんとコッテいたらしい。
「それにしても、ずいぶんと主君を待たせてくれたものよ」
「すみません」あたしと母さんはつい謝ってしまった。
この青年にはなんかそういう迫力というか、高飛車な態度が実に自然に身についていた。
じっと見られていると、なんだか小さくなってしまいそうになる。
「まぁよい。今回は許す」
「ありがとうございます」
あたしと母さんはホッとため息を漏らし、あらためて間近に若君を見上げた。
意志の強そうな大きな瞳、すっきりとした鼻の線、顎はがっしりとしてたくましい。その顔にはりりしさと美しさが絶妙のバランスで共存していた。
とても同じ人間とは思えないような、まるで別の存在のような完璧さがあった。
「ところで、おぬしたちは無論、内羽の者であろうな?」
†
それにしても、若君の言葉遣いはずいぶん妙だった。まるっきり時代劇の人だった。それに態度も殿様風が板についている。
まだ若そうなのに時代劇マニアなのだろうか?
侍の格好して。日本刀まで持ったりして。
とはいえ、そんな格好をしている割に、実はあまり違和感を覚えなかった。
話し方はもちろん、着物の着方にしても、その態度、物腰までが実に自然だった。
まったく芝居をしているという感じがなく『生まれたときからこうですよ』という自然さがあった。
†
そんな雰囲気が母さんにも伝染したのだろう。
母さんもなんだか時代劇のように若君に答えた。
「はい。内羽の者にございます。わたくしは清兵衛の妻『かえで』、こちらは娘の『さつき』にございます」
「そうか。ではさっそく、屋敷まで案内してもらおうかの」
「はい。かしこまりました。では、さつき、まいりましょうか」と母さん。
「は、はい。おかあさま」と思わずあたし。
なんだかあたしまで時代劇言葉がうつってしまった。
†
「ところで……」
若君はそういって、刀の先を地面に向けた。
もちろん刀は鞘に収まっている。
その鞘で指していたのは、床にのびている父さんだった。
「……こやつが内羽の当主か?」
刀の先で父さんのわき腹を突っつく。
が、父さんはピクリともしなかった。
完璧に気を失っていたからだ。
「その……」母さんは小さな顎に指をあててしばらく考えた。
「……たぶん、そうではないかと」
「まったく、だらしのないやつだな、内羽の男はいつもこうじゃ」
そう言いつつ、若君は帯に刀を差して、父さんの横にかがみんだ。
そして、ぐんにゃりした手を肩に回し、そのままひょいと肩の上にかつぎ上げる。
それも軽々と。まるで洗濯物でも取り込むように。
「では行こうかの」
かなりの重さのはずだが、若君は涼しい顔でそう言った。
†
それからあたしたちは赤蔵を出て、来た道を家へと引き返した。
道案内の母さんが先頭、父さんを担いだ若君が続き、あたしが一番後ろだった。
ちなみに父さんは気を失ったまま、若君の背中で両手をプラプラと揺らしていた。
「ここはまったく変わっておらんなぁ」
若君は竹林に入ると、嬉しそうな声でそう言った。
途中で細い枝を折り、子供みたいにそれを手にした。
「竹の手入れもなかなかに見事じゃ。褒めてつかわすぞ」
若君は急にくるりとあたしを振りかえり、ニッと笑ってそう言った。
その笑顔のまたステキなこと!
「は、はい。ありがとうございます」
とは返事したけど、竹の手入れをしてるのはあたしじゃなかった。
いつもじいちゃんが一人で、黙々とやっていたのだ。
手伝ったことすら一度もない。
つい、嘘をついてしまった。
これはきっと乙女心のせいよ、許しておじいちゃん。
†
「それに……」
若君はずり落ちてきた父さんの体を担ぎ直しながら言った。
「……内羽の当主が代々頼りないのも、ちっとも変わっておらん」
若君はハッハッハッと高らかに笑った。
母さんとあたしもなんとなくホホホと一緒に笑ってしまった。
なんとも不思議と楽しい気分だった。こんなにもかっこいい人が笑顔を向け、楽しそうに話しかけてくれる。たったそれだけのことが妙に嬉しくなってしまうのだ。
それぐらい、若君の美貌は破壊力抜群だった。
†
「まぁもっとも……」
若君はそう言葉をつなげた。
「……ワシが用があるのは、おぬしたちのほうじゃがな」
そしてまたハッハッハッと笑った。