若君のお目覚め
階段を下りると地下は完全な暗闇だった。
見えているのは父さんのライターの明かりと、ほのかに浮かび上がる父さんの背中の輪郭だけ。
それ以外は暗闇が濃密にたちこめ、目の前もまともに見えないくらいだった。
†
「ねぇ、父さん、大丈夫?」
「いいや、すごく怖いぞぉ」
隠れているはずの『小さな若君』に聞かせたいのだろう、父さんはわざとらしくそう言った。
「おや? こんなところにロウソクがあるぞ! なんだろう? よし、つけてみよう!」
父さんの馬鹿芝居が続く。
でも何か変な感じだ。
あたしは嫌な予感がした。
なにか罠があるような、だまされているような、そんな感じがする。
「ねぇ、父さん、ちょっと待ったほうが……」
あたしがそう言うより早く、父さんはいつものマイペースでロウソクに火を灯した。
そこに驚くべき光景が展開した!
†
まず一つ目のロウソクにポワッと火が灯った。
と、その火が左右二手に分かれ、小さなヒトダマのようにスルスルと空中を移動しはじめた。
「これ、仕掛け、だよね……」とあたし。
分かれた火は次のロウソクにたどり着き、そこでひときわ明るく輝くと、再び分岐して暗闇の中をゆらゆらと移動していった。
「……ああ。ずいぶんと凝ってるな」と父さん。
「でもとてもきれいねぇ」と母さん。拍手でもしそうな感じだった。
ロウソクに次々と火が灯っていき、再び火がふわふわと漂い、ゆっくりと明かりがつながってゆく。
最初は左右に、続いて部屋の奥へ向かってまっすぐ移動し、最後に左右から再び中央に向かって集まると、明かりは長方形の形につながった。
その大きさは三畳くらい。
そしてすべてのロウソクに火が灯り、部屋の中がフワリと明るくなった。
†
「なんだこれ?」
父さんは驚きに目を見開き、たった一言そうつぶやいた。
あたしはその光景を目の前にして、その不気味さに声も出せなかった。
†
ここはお墓の中だった。
よく分からないが、正確には霊廟というやつなのだろうか。
空間全体は土を削っただけの壁で囲まれ、その空間の中央に大きな長方形の石台があった。
その高さはあたしの膝くらい。
さらにその石台の上に、西洋風の棺がデンと置かれていた。
もちろんそんな物を見たのは初めてだったが、外国映画でよく出てくる黒い棺とほとんど同じだった。
とても大きな、真っ黒い、六角形を伸ばしたような西洋風の棺。
しかもその棺には不気味な彫刻が立体的に施されていた。
変な模様とか、苦しむ人の顔とか、悪魔みたいな姿の生き物が、棺いっぱいにびっしりと彫られていた。
†
だがなにより不気味だったのは……
その棺の蓋が半分ほどずらされて……
隙間からは棺の中がチラリと見え……
その棺の中に……
暗闇がよどむ棺の中に……
若い男の人の死体が横たわっていたことだった!
†
キャアアア!
これは心の悲鳴で、実際には悲鳴は上げなかった。
いや、あんまりびっくりして悲鳴も上げられなかったのだ。
†
「こ、これ、やっぱり死体か?」
さすがの父さんも声が震えていた。
てか、父さん医者でしょ! と言いたいところなのだが、さすがのあたしもビビッていた。
まったく余裕なし。
あたしは父さんの背中に隠れるようにして、もう一度じっくりと棺の中をみつめた。
†
まだ若い人。
少年というほど若くはなさそうだが、お父さんほどふけてもいない。
安らかな死に顔と言ったらいいのだろう。その口元には穏やかなほほえみが浮かんだままだった。
肌は異様なまでに白かったが、それ以外はまるで眠っているように見えた。
あたしはその姿に吸い寄せられた。ロウソクがほのかに瞬き、柔らかく影が踊る。
その光が優しく棺の中を、そこに眠る青年の顔を照らしている。
その顔は思わず息をのむほど美しかった。ただただ美しかった。
どうしても目が離せない。ものすごく引きつけられる感じがした。
人の顔を見てこんな気持ちになるのは初めてだった。
†
「いったい誰なんだろう?」
父さんがつぶやいた。
あたしたちはもう少しよく見てみようと、もう一歩棺に近づいた。
それからさらにもう一歩。
そして三人並んだところで、そーっと棺の中をのぞきこんだ。
†
理由は分からないが、その青年は侍の格好をしていた。
金と黒の刺繍が入った豪華な白いキモノ姿。
黒髪は長く、前髪は左右に分けられて顎のあたりまで落ちている。いかにも若侍といった髪型。
そしてその体の上には一振りの大きな太刀が抱かれていた。
†
「それにしても、ずいぶんとまぁ、色男だな」
父さんまでもが、ため息混じりに言った。
「本当……とてもきれいな人ね」
母さんもそう答えた。
そしてあたしは、ただただこの美しい人から目が離せなかった。
†
「それにしても、これはいったいどういうことなんだ?」と父さん。
それをあたしたちに聞かないでよ、と思いつつも、今は父さんが頼りだった。
なんといっても唯一の男の人だし、なんといっても内羽家の長男、跡取りなのだ。
父さんはキモノの袖を巻き込んで腕を組んだ。
「おばあちゃんたちなら知ってるんじゃない? いっかい戻ったほうがいいかも」
あたしはとにかくここから早く出たくてそう言った。
「そんなことを言ってるんじゃない。蓋が開きっぱなしじゃないか!」
こんな時にまた妙なことを言い出す。
蓋が開いてることがそんなに問題? ここに死体があるほうがよっぽど問題じゃないの?
だが父さんは違うらしい。
「それに、この人にはもうお迎えが来ちゃってるじゃないか」
ううっ……なんか疲れる人だ。この人の思考とはいちいち噛み合わない気がする。
†
そして父さんは蓋を戻そうと手を伸ばした。
まさにその瞬間だった。
死体の目がカッと開いた。
そのことに驚くヒマを与えず、さらにその口がカッと開いた!
「遅―いッ!」
死体の大音声が地下室の空気をビリビリと震わせた。
†
これが、若君のお目覚めだった……