マザキ君、現る
「よう。なにやってんだ? こんなとこで」
突然、背後から声が聞こえた。
今度は男の人の声。少ししわがれたような声だった。
またもや心臓に冷水が流れ込み、あたしたちは恐怖に縛られた。
二人でゆっくりと振り返る。
が、玄関の扉は閉じたまま。そこには誰もいなかった。
†
「だめだぜ、こんなとこ、うろついてちゃ」
今度は上から声がして、あたしたちは声の方を見上げた。
家の二階部分。ベランダの手すりをつかんで、あたしたちを見下ろしている男がいた。
「お兄ちゃん!」
ナナちゃんがうれしそうな声を上げた。
そこにいたのは、たしかにマザキ君だった。カマキリを思わせるヒョロリと長い体型。でも貧弱な感じではない。なにかものすごく固い針金で作られたような雰囲気。
今は詰め襟の学生服姿で、いつものように右手でナイフをジャキジャキとまわしている。
「菜々子さっさと帰ってこい」
「うん!」
†
走りだそうとしたナナちゃんの手をあたしはとっさにつかんだ。
ナナちゃんが不思議そうにあたしを見上げた。
彼女にしてみれば『お兄ちゃんが帰ってきたから、問題はすべて片づいた。なのにどうして止めるの?』というところなのだろう。
「マザキ君、だよね?」
あたしは彼を見上げてそう聞いた。
「なんだよ、おまえら?」
マザキ君は手すりにもたれ掛かり、あたしたちを見下ろしている。
「なんだ、マーガレットか。それと、おまえも同じクラスだったな、たしか……内羽だっけ?」
†
「そうだよ。ねぇ、マザキ君。ちょっと話したいことがあるの、降りてきてよ」
そう言ったのはあたし。
だって彼も吸血鬼になってるかもしれないからだ。
だがマザキ君の学生服のつめ襟はきつく閉められてて首元は見えないし、この距離だと口に牙があるのかもわからなかった。ただ昼の光の中に出てきているし、話し方も普通なのは確かだった。
それでも、今、家の中に戻るのは危険だ。
「俺はおまえたちに用はない。菜々子、さっさと家に入れ」
ナナちゃんはあたしを見上げ、それからベランダの兄を見上げた。
そしてあたしの方にぺこりと頭を下げると、つないだ手をふりほどいて、家に向かってかけだした。
「待って、ナナちゃん!」
が、ナナちゃんは止まらなかった。途中でクルリと振り返り、
「ありがとう、お姉ちゃんたち! もうお兄ちゃんがいるから大丈夫!」
そう言い残して、再び家の中へと戻ってしまった。
†
あたしたちは雨の中、二人取り残されてしまった。
これでいいのかな?
このままにしていいのかな?
いいはずがなかった。でも、どうにもならなかった。
それともこれは逃げてるだけなのかな?
自分に言い訳してるだけなのかな?
たぶんマーちゃんも同じことを考えてたはず。
だから二人で雨の中に立ち尽くしてた。
立ち尽くし、家の中に戻る菜々子ちゃんの背中を黙って眺めてしまった。
†
「おまえら、勝手にひとの家に入ってんじゃねぇぞ」
マザキ君が警告するように上からそう言って、クルリと背を向けた。
「待って! マザキ君!」
マーちゃんが呼び止めた。
マザキ君はガラス戸に手をかけて一瞬止まった。
「……お願いだからナナちゃんを守ってあげて! マザキ君しか頼れないの!」
するとマザキ君はもう一度手すりまで戻ってきて、あたしたちを見下ろしながらこう言った。
「大丈夫さ。おまえたちが心配することはなんもねぇよ。だからさっさと帰れ。二度とここには来んな」




