いかないでくれ……
若君は小道の脇にある大きな石に、右腕をかけてぐったりと倒れていた。
その大きな体にしとしとと霧雨がかかっている。
†
「どうしたんですか?」
どうやら緊急事態のようだ。
あたしは若君に駆け寄ると、目の前にしゃがみ、濡れた前髪をかき上げて顔色を見てみた。
……が、さっぱり分からなかった。
なにしろ若君は普段から顔色がまっ白い。具合がいいのか悪いのかもわからない。
ただ、少し閉じられたまつげが震え、唇も震えていた。
まるで捨てられた子犬のように、全身が小さく震えていた。
「若君、しっかりしてください」
「……った……が……らん……の……くれ」
若君はうめくように答えた。でもその声は途切れ途切れで、ほとんど聞き取れない。
あたしはあせった。なんだか若君がこのまま死んでしまいそうに見えた。
そう思うとなぜだかやたら悲しく思えてきて、あたしまでが泣きたくなってきた。
†
「若君、なんて言ったんです?」
そういってから、若君の口元に耳を寄せる。
苦しげな吐息までもが震えている。
「……った……が……らん……くれ」
やっぱり聞きとれない! すごく弱ってる! どうしよう?
「待ってて、すぐ母さんを連れてくる!」
そういって走り出そうとした途端、あたしの手をハシッと若君がつかんだ。
だがその手はすぐに力を失って地面にフワリと落ちた。
「若君……」
若君はゆっくりと首を横に振った。
『いかないでくれ』
たぶんそういう意味。最後だからあたしにそばにいて欲しいんだ……
あたしはうなずいた。
……グゥゥ……
†
若君はすがるようなまなざしで、必死にあたしを見つめている。
こんなときになんだけど、苦しんでいる顔も妙にかっこよかった。
「大丈夫、どこにも行きませんよ。あたしはちゃんとここにいます」
若君を守ってあげなくちゃ!
今はあたしだけが頼りなんだから。
「……が……らん」
若君はまた苦しそうに言葉を搾り出す。
でもあたしにはさっぱり聞き取れない。
……グゥゥ……
†
グゥゥ……? なんだろうさっきから。
ここであたしはなんか妙だと気付いた。
冷静になって、若君の前にしゃがみこむ。
「あの、もう一度言ってください」
若君は辛そうにうなずき、全身の力を振り絞り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ハラが……へった……チが……たらん……ノませてくれ……たのむ……」
そしてお腹の辺りから、またあの音。
まるで子犬が催促でもするような、あの音。
……グゥゥ……
が再び聞こえてきたのだった。




