守護者
それは吸血鬼がさえずる奇妙な舌打ち……
そして吉永さんの雰囲気ががらりと変わった。まるで猫から虎に変わるみたいに、藤原君の手からパッと離れ、四つん這いになって頭を低く落とし、あたしとマーちゃんを睨みつけた。
……チチチ……チチチ……
あたしたちは思わずあとずさる。ベッドの上の吉永さんはまるで獣だった。
獣だけが発する殺意みたいなものがまともに吹き付ける。
「やめて、吉永さん……」
あたしは彼女の名を呼んだ。
「……おねがいだから、やめて、ねぇ、吉永さん、聞こえてるんでしょ?」
吉永さんがベッドからスルリと降りてくる。床に降り、腰をかがめ、そのままジリジリと近づいてくる。
†
「おい! 静香、こっちだよ」
藤原君が短く呼んだ。その声に吉永さんが藤原君を振り返る。
「飲むならこっちを飲めよ。同性の血はまずいんだぜ」
藤原君は彼女に右手を差しだすと、左手でナイフを抜き出し、スッパリと脈のあたりを切った。
白い腕にみるみる血が盛り上がり、あふれ出す。
吉永さんはパッとベッドの上に戻ると、藤原君の手に顔を埋めるようにして血を飲みだした。
「……これも『守護者』の役目だからな……」
「守護者?」
それは初めて聞く言葉だ。つい反射的に聞き返す。
†
「ん? おまえでも知らないことがあるんだな。伝説によればだな、守護者ってのは、ヤカタに最初に血を吸われた者のことなんだ。守護者はちょっと特別でな、太陽の光も致命傷にはならないし、人としての意識も保っていられる、それから吸血鬼並の身体能力と、おそらく再生能力、不死の能力もあるらしい。全てヤカタを守るための能力なのさ」
そうか……だから藤原君は昼間も出歩けたんだ。
でも、まてよ? ということは、若君にも守護者がいるってことなのかな? 不死だとすれば、今も生きているってことなのかな? どうして若君はそのことを話してくれなかったんだろ?
†
「俺はこいつの守護者。だから俺はこいつを守る。もちろん契約の印も消させない。この町の連中全てを吸血鬼に変えて、俺は俺の王国を作る」
藤原君は吉永さんから手を引き抜いた。手は血だらけだった。
それを自分の舌でなめとると、それだけで傷口がきれいに直っていた。
「無駄話はもういいだろ? 今度は俺にも血が必要だ。補充しないとなんねぇからな」
藤原君が立ち上がる。
いつのまにかその背後にぽっかりと満月が浮かんでいた。
ついに夜が始まったのだ。
「あきらめろな。もうなにをしても無駄だ」
†
(終わり?)
(あきらめる?)
藤原君が近づいてくる……牙をむきだして……その手をあたしの肩に伸ばしてくる。
(本当にこれで終わり?)
(あたしは失敗したの?……結局なにもできなかったの?)
(なにもできないまま、血を吸われて死んでしまうの?)
『――まったく呆れた家臣じゃ――』
不意に若君の言葉が脳裏によみがえる。
そうだ。まだ若君がいる。
生きてさえいれば、まだ何とか出来るかもしれない。
若君なら何とかしてくれるかもしれない。
†
思いっきり他力本願だけど……まだ希望はある。
逃げるんだっ!
あたしはパッと銃を向けた。藤原君ではなく吉永さんに。
もちろん撃つつもりはない。ただ藤原君が隙を見せると思ったのだ。
「ごめん! 吉永さん!」
「てめぇっ!」
思ったとおり藤原君は吉永さんをかばって彼女の前に移動した。
でもそれを見届けるまでもなく、あたしはクルリと振り返り、マーちゃんの手をつかみ、病室を出て廊下に飛び出した。




