またもや着替えと食事の準備?
「ただいまー」
家に帰って居間の扉を開けると、母さんとじいちゃん、芳子ばあちゃんが待っていた。
しかも、またもやみんな和服姿。
†
さらにどういうわけだか、今日は食卓に晩御飯がずらりと並んでいた。
いつもよりずいぶん早い。それこそボタンばあちゃんの夕食の時間だ。
だがそのボタン婆ちゃんの姿はない。
ということは昨夜の『若君』のための夕食だろうか?
でもその若君の姿もない。
「あら。おかえりなさい」と食事の支度をしながら母さん。
「ただいま。ね、昨日の人、まだいるの?」
「若君さんね、ええ、さっき起きたみたいよ。今、ボタンおばあちゃんとお話してらっしゃるわ」
「ふーん。そっか」
ちなみに新兵衛もいなかった。あいつはたぶん剣道教室。試合が近づいているらしくて、特訓と称して最近は毎日出かけている。
ちなみに父さんはまだ病院勤務の時間だ。
†
「とりあえず、あたし着替えてくるね」
そう言って二階の部屋に上がろうとすると、母さんに呼びとめられた。
「着替えなら、和室に用意してありますよ」
え? ちらっと和室を見ると、鴨居のところに昨日とは違う赤い色の着物が掛けてあった。
どうやら昨日の悪夢はまだ続いているらしい。
「またキモノ着るの? えぇーやだなぁ、めんどいし、なんかきつい」
すると芳子ばあちゃんから、いつものやんわりとした口調でたしなめられた。
「さつきちゃん、そんな言い方をしてはだめよ。大事なお客様をきちんとした格好でお迎えするのも礼儀の一つなのよ」
いつだって芳子ばあちゃんの正論には逆らえない。
「……ハイ。わかりました」
†
という成り行きで母さんと和室へ移動。
また母さんにキモノを着付けてもらった。
「これからはさつきも一人で着られるようにならないとね」
と、なにげなく母さん。でももちろん裏の意味がある。つまりこの生活はしばらく続くということだ。
(こうなると若君がいるのも考えものだなぁ。なんとか早くお引き取り願って……)
「ほら、さつき。そんな顔しないの。いつも笑顔でしょ、ね」
「はい……」
と言いつつも、心からの笑顔なんて浮かべられない。
†
着替えを終えて居間に戻ると。芳子ばあちゃんがあたしにご飯をよそってくれた。湯気を立てるお味噌汁に、取り皿と箸も用意してある。
「もう晩御飯食べるの?」
「そうよ。たくさん栄養つけないとね」
うーん。いつもと違う時間だとあまりお腹が空かない……はずなのだが、今日のメニューがまたあたしの好きなものばかりだった。ということでしっかり食欲も出てきた。
「じゃ、いただきます」
というわけであたしは晩御飯を食べ始めた。
でもじいちゃんとばあちゃんはまだ食べない。母さんもまだ食べてない。なんか変だなぁ、と思いつつも食欲のおもむくまま、ご飯をおかわりしてすぐにお腹いっぱいになった。
「ごちそうさまでした!」
「おいしかった?」と母さん。
「うん。ちょーおなかいっぱい」
あとはいつもの流れで、部屋に戻ろうと席を立った。
その時、おじいちゃんがまた妙な事を言い出した。
「これ、待ちなさい、さつき。若君様のところへ参るのじゃ。若君様が食事を待っておる」
†
はて? あたしは首をかしげた。
「それって、あたしにお手伝いさんをやれって、そういうこと?」
「ま、まぁ、そんなところじゃ。ほれ、さっさとせんか」とイライラしたように再びじいちゃん。
でもなぜかあたしと目を合わせない。なんか怪しい態度。
チラッと母さんを見るとにっこりと微笑んでいる。
芳子ばあちゃんを見ると、ばあちゃんはゆっくりとうなずいた。
たぶん内羽家の長女として、お酌の一つでもしなきゃならないのだろう。
盆や正月で親戚が集まると、たいていそういう感じになるのはいつものことだ。
今回もまた、妙に断れない空気だった。
「はい、わかりました……」
あたしはため息と一緒にそう言った。
とにかく大事なお客様ということなら、仕方ない。
†
だがあたしは重大な思い違いをしていた。
「――若君様が食事を待っておる――」
あたしはこの『食事』の意味をまったく理解していなかったのだ。




