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龍の望み、翡翠の夢

白銀の狼と暁の国

こちらのページには挿絵が入ります。挿絵が不要の方は、表示機能をオフにしてください。

 むかしむかしあるところに、朱紅(ジュホン)というたいそう栄えた国がありました。朱紅国の国境(くにざかい)には大きな河があり、その向こうには深く険しい森があります。その森を切り開けば、より国が豊かになるだろう。そう考えた王様は、兵を率いて森の主である狼たちを殺しました。するとどうでしょう、四季折々の変化が美しかった朱紅国は、一年中酷い雪に覆われるようになってしまったのです。


 困った王様は国中におふれを出しました。どうすればこの雪が止むのでしょうか。頭を悩ませる王様の元に、ひとりの占い師がやってきて言いました。この大雪は殺された狼たちの祟りだと。狼たちの怒りを鎮めるためには、王様の娘のうち誰かひとりを狼に差し出すよりほかないと言うのです。


 王様はますます困ってしまいました。狼に嫁ぎたい娘などどこにいるというのでしょう。狼の機嫌を損ねれば、たちまち食い殺されてしまうかもしれません。すると、お妃様が言いました。四の姫はとても辛抱強い方。きっとうまくやってくれることでしょう。それを聞いた王様は、四の姫を狼に嫁がせることにしました。四の姫は既に亡くなった側室のひとり娘。お妃様はこの機会に、要らない娘を捨ててしまおうと思ったのでした。


********


 群れの仲間をなくした老いた狼は、かすかに漂う嗅ぎ慣れない臭いに気がつきました。巣を出てみますと、森と朱紅国を繋ぐおんぼろ橋のたもとに、見慣れぬ娘がただひとり立ち尽くしていました。もうすっかり冬の最中だというのに、粗末な身なりをしています。狼は人間なんて大嫌いでした。それでも目の前で小さく震える娘が哀れで、仕方なく狼は娘を森の中へ入れてやりました。


 娘が連れてこられたのは、木々の根っこが深く入り組んだ不思議な場所です。娘をそこに座らせると、狼はひとつひとつ尋ねました。娘の名はなんというのか。どうしてここに来たのか。帰るあてはあるのか。娘は悲しそうな顔でひとつひとつ答えました。名前は晨曦(チェンシー)ということ。王国に降り続ける雪を止ませるためにお嫁にきたこと。これでも王の娘だということ。城に戻ることはできないということ。誰も娘の帰りを望んでいないこと。なんでもするから側に置いて欲しい。そんなことを娘は泣きもせずに、小さな声で話しました。


 真実の木の根っこは嘘を見破る力を持っています。もしも娘の話が嘘であれば、たちまち娘の細い首をへし折っていたことでしょう。けれど根っこは、ただ娘の頭を撫でるようにゆらゆらと揺れるばかりです。狼は小さくため息をつきました。自分が放り出せば、娘はこの雪の中で野垂れ死ぬしかないのです。狼は娘を森に置いてやることにしました。ひとりぼっちで過ごす狼も、本当は少しだけ寂しかったのです。


********


 姫という生まれにも関わらず、娘は働き者でした。狼が獲ってきた兎やら羊やらを、小さな手で一生懸命に捌きます。娘が煮炊きしたものを、ふたりでわけあって食べるのです。狼が狩りに出ている間は、縄を編み、籠を作り、森の中に落ちている木の実をせっせと拾い集めました。そうして夜になると、狼の灰色の毛皮にくるまってともに眠りました。いつしか狼はそんな娘のことを好ましいと思うようになりました。やがてあたたかい春が来る頃、娘はころころとした可愛らしい赤子をたくさん産みました。娘が狼の嫁になったおかげでしょうか。再び、季節は巡るようになっていたのです。我が子を抱き嬉しそうに頬を染める娘。狼はそんな娘を、嘘を見破る根っこのもとへ連れて行こうとはもう思いませんでした。


 その代わりに狼は、娘と産まれたばかりの子どもたちを、森の奥にある池に連れて行きました。たとえ冬がきても凍ることのない池は、春の日差しのなかで水底が見えるほど透き通っています。鏡のように美しい池の話は、娘も耳にしたことがありました。椎の実や樫の実を池に投げ入れれば、願いが叶う。そんなおとぎ話です。娘の話を聞いて、可笑しそうに狼が喉を鳴らしました。どんぐりごときで願いが叶うわけなかろうて。己のいっとう大事なものを差し出して、ようやく願いが叶うのだ。狼が笑えば、真っ赤に裂けた口から天鵞絨(びろうど)のような長い舌と、鋭い牙が覗きました。


 子どもたちはすくすくと大きくなりました。もうお乳以外のものも食べられます。さすが狼の子どもといったところでしょうか。獣とひとの姿を揺れ動く子どもたちを見て、狼は毛のない子どもらもとても愛らしいものだと満足そうに尾を揺らしました。


********


 その年のある冬の夜のことでした。風邪を引いたのでしょう。子どもたちがけんけんと妙な咳を始めました。咳だけではありません。高い熱が続くせいで、夜もぐっすり眠れないのです。狼は子どもたちのために精のつくものを探しに出かけていて、もう何日も戻って来ていません。


 娘は悩んだ末に、子どもたちに薬を飲ませることにしました。季節が巡るようになったお礼とでも言うのでしょうか、朱紅国の兵士が持ってきたらしい薬を、娘はおんぼろ橋のたもとで見つけていたのです。


 苦い粉薬を子どもたちは嫌がりましたが、何とか娘は飲ませ終えました。薬が効いたのでしょうか、子どもたちは静かに寝息を立てています。久しぶりに娘もゆっくりと休みました。こんこんと眠っていると、突然娘は強く頬を叩かれました。驚いて目を覚ますと、そこには琥珀の瞳をぎらつかせた狼がいました。そして、ぐったりとして口から泡を吐く子どもたちの姿があったのです。


 娘が飲ませた薬は、「狼毒(ロウドク)」と呼ばれるものでした。薄めたものをごくごく少量飲めば、素晴らしい薬になります。痛み止めに痰切り、確かに風邪にもよく効いたことでしょう。けれどそのまま飲めば、それは文字通り毒になるのです。城では殺鼠剤にも使われる狼毒を一体誰が娘に渡したのでしょうか。真っ青になった娘を問い詰めることなく、狼はどこかへ走り去りました。嘘を見破る根っこの元へ連れていってもらえたならば、娘がわざと子どもたちに薬を飲ませたわけではないことを知ってもらえたでしょう。けれど、狼はそれさえせずに出ていってしまったのです。ぽろりと涙がこぼれました。森に来て、娘が初めて流した涙でした。娘はしばらく考え込んだ後、小さくうなずいて立ち上がりました。ぐったりとした子どもたちを一度だけ強く抱きしめると、ひとり森の奥に向かって歩き始めたのです。


********


 まだ夜が明けきらない内に狼が戻ってきました。口には毒消しに使われる薬草が咥えられています。狼はこれを探すために飛び出して行ったのです。巣に戻ってきた狼は、首を傾げました。あれほど苦しそうにしていた子どもたちは嘘のようにすやすやと眠っています。狼ははたと気がつくと、森の奥に向かって走り始めました。森の奥には願いが叶う池があります。その池には、それは見事な逆さ虹が浮かんでいました。誰かが池に身を投げて、願いを叶えた証です。池にはこの森に咲かないはずの待雪草がこんもりと浮かんでいました。雪花という別名通り、真っ白で美しい、清らかな花でした。狼は真冬の池に飛び込むと、大声で泣きました。待雪草に塗れて泣くうちに、狼の毛皮は少しずつ白く変わっていきました。


 岸に上がった狼が一声吠えると、おんぼろ橋が一瞬で氷の立派な橋に変わりました。もう一声吠えると雪から狼たちが生まれ、次々に橋を渡っていきます。目指すは朱紅国の王都です。雪狼たちよりも早く、白銀(しろがね)の狼は天を駆け、ひとっ飛びで王城に着きました。がたがたと震える王様とお妃様を、狼はお城と一緒に氷漬けにしてしまいました。狼はあの毒を誰が寄越したのかちゃんと知っていたのでした。栄華を誇った朱紅国は、あっという間に真っ白な雪に覆われていきます。しんしんと雪の降る音だけが聞こえる静かな夜の出来事でした。


 夜明けの時間。氷の城を持つ色のない国は、朝日を浴びて紅に染まりました。白銀色をした狼も、赤く赤く染まっていきます。それは、まるで晨曦(チェンシー)が帰ってきたかのようでした。娘の名前は赤い朝。つまり暁を意味していたのですから。狼は娘とひとつになったようなその景色の中で、大きく一度だけ吠えると森へと帰っていきました。


 かつて北の地には、朱紅国と呼ばれた国がありました。今は一年中雪に閉ざされたその場所には、たくさんの待雪草が咲いているといいます。そして朝日が昇る頃になると、狼たちが遠吠えを始めるのだそうです。それはまるで歌うようでもあり、祈りを捧げるようでもあるのでした。



挿絵(By みてみん)(イラストはさお様作)

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