記憶にある遺跡
久しぶりの休暇をとった。
長期休暇は何年ぶりだろうか。
15年ほど前に、京都に3泊4日で以来だ。
今回は生まれ故郷の北海道を目指した。
飛行機が苦手でフェリーで18年連れ添った愛車と一緒だ。
目指す先は、北海道の東にある町だ。
既に地図から消えて久しい。
若い駅員に聞いた。
「昔、この辺りに、西別という町があったのですがご存じですか。」
駅員は、首を傾げながら、私の身なりを、足の先から、品定めをするかのように、見た。
若いくせに、失礼な奴だった。
「知らないですね。きっとおたくの記憶違いじゃないですか。」
「いいや、絶対に間違いないのですが、西別という町はあったはずですが。」
まるで、タイムトラベラーをみるかのように、その駅員は言った。
「場所はどの辺りですか?」
「それすら覚えてないんだ。生まれた町なんですが。」
「古い地図には載っているかも。しれませんねえ。それじゃ、町役場の資料室で見てきたらどうでしょうか。
その通りを、右に行って、10分ほどで町役場につくので、行ってみるといいですよ。」
私は、駅員の指さす出入り口の方に向けて、その間から見える信号を確認した。
「あの信号ですか?」
駅員は、無愛想にうなずいた。
顔を戻すと、すでに駅員は立ち去り、その後ろ姿が遠ざかる。
まあ、平日に人気の少ないところへ、おかしなサラリーマン風の男が、いることに不信感を抱いたのかもしれない。
田舎は、人情に溢れて、親切この上ないという幻想は、初端から崩された。
私は、少し寂しい気分になり、足取りも重くなるのを感じた。
時間は、9時を少し回ったところである。
空を見ると、すがすがしく、少しばかり、太陽の光が痛い。
東京の空とは大違いである。
東京の光は、上空を細かい埃が舞っているせいか、光がきつくないが、どんなに晴れていても、すがすがしさは、感じない。
だが、どうだろう、このさわやかさは、この過ごしやすさは。
信号を、右に曲がると、また多くのシャッターの閉まった商店街が続いていて、その先にひときわ立派に、そびえ立つように、町役場が建っていた。
なんて町だ、こんなにどの店もシャッターが閉まっているのに、立派な町役場を建てるなんて。
その分、何かできただろうに。
いつれ誰も住まないようなゴーストタウンになることが容易にイメージできる。
いつからだろうか、こんなに、地方が疲弊して見えるようになったのは。
1980年代は十分に世の中が潤い、こんなにもシャッターが閉められているのは見たことがなかった。
それなりに、夢をもった生活ができていた。
地方の少ない、収入でも十分に生活できたし、新たな町が次から次へと出来ていった時代である。北海道は、内地と違って大昔から住んでいる人は、殆どいない、十分に世代を重ねていない分、町を作っても、どうしても利便性や利益に応じて合併せざるをえない。
まてよ、ここに住んでいる人たちの仕事って何だろう。
商店街は、殆ど閉まり、歩道を歩く人々は、いない。
通りにあいているのは、理容店や美容室、そして
町役場の中に入っていくと、豪華なエントランスがあり、
その中で街中の人たちがそこで働いているかと思われるほど、働く人でごった返ししていた。
町役場が、この町の一番の産業のようだ。
受付に向かうと、私と同い年くらいの男性と、
その半分ほどの年齢と思われる女性が対応していた。
そこには、帽子とつなぎに長靴といった、いかにも農家風の男性と談笑しながらの対応だ。
私が、そこに向かうと、三人は突然、話をやめ、いぶかしげな顔で、こちらを見た。
どうやら、あまり役場に見知らぬ人が来ないようだ。
若い女性の方が、おそるおそる目を向けた。
筋肉質のかっちりしたからだに、分厚いめがねをかけ、身長は十分私より10センチほど高いだろうと思われた。
なにを食べればこんなに大きくなるんだろうと、平均的な日本人より遙かにゲルマン的な外見を見上げながら思った。
「なにかご用ですか。」
外見通り、先ほどの陽気な様子とは打って変わって、威圧的である。
「昔、この辺りに西別という町があったはずなんですが、それを探しているのです。駅員から、ここの資料室に何かあるんじゃないかって言われて、来たんですが。」
威嚇的な表情が少し和らいだのが解った。
経験上で日本の田舎の女性は、意固地で容易に自分の考えを変えようとしない人が多い気がする。
この女性もその類と、向こうが警戒するより、こちらが警戒したいところだ。
「西別、川ならあるんですが、でも、何か聞いたことがあるような気がします。あったとしてもこの町ではないですよ。資料室に行けば、何か見つかるかもしれませんが。」
そう受付の女性がいうと、町役場のとても綺麗な三つ折りの案内図をだした。
折りを開くと、そこに平面の設計図のような役場の地図が現れ、資料室を指さした。
二階の奥の大きな部屋だった。
「ここに、受付がありますので、ここで聞いてください。」
この町が、合併先と思っていたのだが、どうやら見当違いのようだ。
なんと自分の生まれた町がわからない。
二階の資料室は、暗く昔行った足利市で見た倉を思い出した。
受付には、若い女性が一人居た。
「資料室の閲覧には、住所と氏名と証明できる免許証か健康保険証を見せていただきます。」
くらい部屋で、ぽっかりと浮かぶような笑顔で、その娘が言った。
さっきの女とは正反対だ。
私は、リュックサックをおろすと、財布を取り出し、免許証を渡し、目の前にあった来室者に記入した。
最後に、来室者があったのは、一週間前だ。
女性が、免許証と来室者を見比べながら確認している。
最後に、大きく頷くと、これまでに無いような、笑みを浮かべた。
「どうぞ、ご自由にお使いください。左側が閲覧室になっています。」
スポットライトのように、この暗く湿った印象のある部屋の中で、そこだけが浮かび上がっている。
資料室は、そんなに大きくは無かったが棚で10列ほどだ。
棚と棚の隙間が狭く、光が届かないのが、印象を暗くしている。
棚に陳列している書物の殆どは、地元の町長とか村長や有力者の実績を本にしたものだ。
「寄贈」の印鑑がそこいらに押されている。
私は、まず40年ほど前の地図を、引っ張り出すと、北海道の東を丹念になぞり始めた。
それにしても今では考えられないくらいに多くの地名があり、夢を持って移り住んだ、人々の名残が至る所に見いだせた。
現在の地図と見比べながら、見ていくと、確かに、地図に西別という文字が現れた。
現在では、別海となっていた。
地形だけでは、どうしても昔を思い起こすことは出来なかった。
情景と目の前の地図か一致しないのだ。
西別という町が、名前を変えて、現在に蘇る。
そういえば、西別という駅があったのだが、現在の地図上では、もうそこには、線路は描かれていない。
ああ、駅がなくなったんだ。
さらに、町の名士が書いた、本をいくつか紐解くと、どうやら、駅がなくなると同時に、近くのまちまちがその名士の奮闘のおかげで合併したことを書いていた。
この町から、別海までは、おおよそ車で50キロほど離れた一本道の国道を下ればよかった。
地図を前にして、私は、昔、祖父に連れて行かれた森を探した。
朝出て、昼には森の真ん中にたどり着くには、森の中を三時間は歩いたと仮定して、バスで一時間は走ったことだろう。
バスの速度は40キロとし、西別の町から、40キロ前後で、親指と、人差し指で、地図の上で円を描いた。
40年前の地図と、現在の地図では、昔はそれらしい場所が沢山あったのだが、開発が進み、昔、原生林の森だったところは、その木々は切り倒され、農地に変わっていた。
よく、キャベツに虫が付いて、食べられていくように、以上に、すべて食べ尽くされたあとというように、森は無くなっていた。
そんな中で、原生林の森として、残された、国立保護区が指に引っかかった。
まずは、西別に行き、その後、この保護区へと行ってみようと思った。
もう昔のように、どこまでも続く広大な森林ではなくせいぜい、地図上では、10キロ四方ほどの森だった。
日本の開発は、この20世紀で、日本中の森を刈尽くした。今の緑は、殆どが、植林樹だそうだ。
隣の中国が、今、ものすごい勢いで、発展しているが、果たして、その開発は、地球に良心的なものであってほしいが、伝わってくる話は、日本を越えた開発力のようだ。
そこに、もうけるためには、良心のかけらもない。
まるで、未開民族が突然、大金持ちになったような、利己的で、粗野で、知性が感じられない。
まあ、相対的にはそんな気がする。
人間は地球上の木をすべて切り倒す勢いだ。
昔、中国の女性と一年ほどつきあったことがる。
「らーさん」という上海の女性である。
身長は高く華奢で、彫りの深い美しい女性であった。
当時の、私はまだまだ子供で、人を本当に好きになるということがどんなことなのかを知らずにいた。
今でもそうかもしれない。
彼女とは本当にプラトニックな関係であった。
その彼女は、本当に知的で、かわいらしかった。
もうすでに、年月を経て、名前すら忘れてしまった。
西別への道は、すれ違う、車もなくその50キロ近い距離も、一時間もかからずに到着した。
目標としたのは、乳業会社の工場である。
昔は、お城に見えた工場も小さい頃の、思い出すらなかった。
巨大に見えた工場も、想像していたよりも、ずっと小さかった。
国道を、左に折れ、工場の敷地に車を止めた。
排気量の大きな車で、ため息をつくような止まり方だ。
今まで、この車で、遠出するときは、決まって二つあるターボの一つが壊れていたのだが、今回は、どうやら大丈夫のようだ。ほっとすると共に、これまでに修理した代金を頭で計算した。それにしてもお金のかかる車だ。車のキーを抜きながら、そう思った。
国道から、工場までの距離は50メートルほどで、昔は白と青い塗装が綺麗に映えていたのが、今はだいぶくたびれて、白かった壁は、遠目にも汚れて見えた。
40年以上も前だ。
自分の中では、世界遺産に匹敵するほど、感動的だ。
遠い記憶をゆっくりとたどりながら。40年の歴史の変遷を想像した。
確か、工場の横に、工場につとめる、人々の集落があったはずだ。
歩く度に砂利の音が、聞こえ、履いている革靴を後悔した。
なんで、こんなに長旅なのにいい靴を履いてきたんだろう。
車に戻れば、運動靴があったのだが、トランクルームの奥底だ。
まあ、車に戻ったら、はこうと思っていると、坂に出た。
記憶の通りだ。
そこから下を見下ろすと。確かに、小さな川があり、その川の向こうへ行くための、小さな木製の今にも壊れそうな橋があった。
その風景だけは変わっていなかった。
川の向こうは、昔、集合住宅が建っていたが、一戸建ての住宅が連なって建っていた。
心の奥底で、大きな和太鼓が打ち慣らされるように揺さぶられる。
工場からの坂道は、当時本当に長く高く感じていたが、比較的短く、あっと言う間に橋の上まで来ていた。
その小さな川の先には、ちょっとした池があったはずであったが、すでに無くなっていた。
緑が水面を覆い、真夏の北海道のさわやかな暑さの中で、陽の光が、煌めく。
もうここには私を知っている人は誰もいない。
こんなに故郷を、求めているのは、転勤が多かった子供時代に、きっと大事なものをどこかに置き忘れてきたからだ。
水の流れが、心地の良い、まるで音楽のように、聞こえる。
傍からから見ると、どうということも無いような、普通の光景だ。多分、地元の人間でないものが、こんなところで感慨に耽っているのは、後にも先にも私一人だろう。
いやなことは、こういうときにリフレインしてくる。
会社の、雇われ社長の気の短い、声が聞こえてくる。
自分が能力的に一番だと思っていて、収入にやたらとうるさいが、決して業績にはつながらない。
戦略がないのだ。目先の業績を追うあまり、結果が伴わず、局地線の業績で大騒ぎになる。
まあ、所詮人間は、総じてこんなものだ。
「だろー。だろー。」それが口癖である。
まだこれだけ距離が離れたのに、耳に焼き付いて離れない。
頭を軽く振って、川面から目を、その小さな川辺の上へと目をやった。
昔ながらの軒が連なっているとともに、新しいいくつかの住宅が、混じっていた。新しい家に混じって、古い家が点在しているといった方が良いみたいだ。
ひなびていると、思うとともに、そこに本当に人が住んでいるのかすら怪しくなっている。
住んでいるといっても、せいぜい、5、60人ぐらいだろう。
その住宅街に足を踏み入れた。
何かばつの悪い、犯罪者になった気分である。
一人の、老婆が家の前の小さな畑仕事をしていた。
顔をこちらへ向けると、胡散臭そうな、今にも警察へ通報しそうな勢いで、こちらを睨みつけた。
私は、どうすることも出来ず、愛想笑いを浮かべながら、会釈をし、そのまま通り過ぎた。
痛いほど、その老婆の視線が突き刺さる。
もしかすると知り合いかもしれない。
本当は、その凝視する視線を、そのまま見返して、「お久しぶりです。」と声をかけたかった。
しかし、余りに警戒が強すぎて、声などかけられる余裕は無かった。
こんな田舎に、それも何の観光的な要素もない、この集落に、忍び込むように、歩いていく中年男を、怪しく思わない方が、おかしいのかもしれない。
自然と、足が速くなり、もっと記憶を呼び起こしたいという願望をかき消した。
だいぶ歩いて、振り返ると、その老婆は道路まで出て、こちらを睨みつけている。
ああっ、疲れる。
その老婆のいた通りを、住宅街の内側に折れて、しばらく歩くと、懐かしい昔、住んでいた風景が現れた。
もうだいぶ古くなり、あちこちが痛んでいるようだが、まだそこに人は住んでいるようである。
もう二度と戻ってくることのないと思っていた古い家が、未だに、残っていることは、自分の中の世界遺産に匹敵する。
犬小屋だった庭先には崩れかけた納屋があり、その先の林だったところが、大きな畑へと変わっていた。
表札はかかっていたが、覚えているはずもなかった。
この隣に、少しばかりの庭があり、昔はチューリップが一面に咲いていた。
そして、おたふくにかかった時なんかは、遊びたくて、パジャマのまま、窓を飛び越え、この庭を通り抜けたのを覚えている。
私が逃げ出すのを、私の両親や、近所の大人たちが、大騒ぎで、追っかけてきた。
結局、暴れる私は、大人たちに、まるで獣でも捕らえたかのように、連れ戻された。
原始的な脳に支配された、本当の獣に限りなく近い、子供だった。
もうその庭にはチューリップが咲き誇る様子は無かった。
まだ、間取りは覚えていた。
いまでいう、3LDK+室内の納屋ほどで、リビングにキッチンキッチン横にこの納屋があり、そこに石炭をため込んでいた。よく親にしかられては、閉じこめられそうになった。
寝たふりをしてプレゼントを待ったクリスマスの夜。
その時には、既にサンタはいないって知っていた。
ほんとういやな子だった。
昔の、我が家に見入っている姿は、本当に異様であったろうと思う。
誰かに肩をたたかれて、びっくりして振り返った。
警官が二人、こちらを警戒するように立っていた。
「すいません、職務質問です。」
一人は、白髪頭で、顔中に皺だらけの、定年間近に見えた。
もう一人は私と同年ぐらいに見える男性の警官だ。
「通報があったものですから。このあたりは最近物騒になって、空き巣ねらいが頻発していましてね。何か身分証明書ものはありますか?」
私は、どうやら空き巣に間違えられたようだ。
サイドバッグに手をやると、その中をゴソゴソとさせて財布を捜した。警官はその中を一緒に、のぞき込んだ。
決していい気分ではない。
私は、一時停止で裏に印鑑を押された免許証と今にも放り出されそうな会社の社員証をだした。
二人の警官は、それぞれ一枚ずつ手に取ると、その証書と私を見比べた。
「ここへは何しに来たんですか。」
身分証がはっきりして、言葉使いも少しは和らいだ。
私は、ここが自分の生まれた家であること、そして40年振りに旅行の途中でよってみたことを話した。
どうやら誤解は解けたようである。
警官は、私から少し離れると、肩からかけた、マイクに向かって、もごもごと何かを伝えた。
「すいませんでした。怪しい人がいるとのことだったので。」
昔、浪人の頃、やっとの思いで買った自転車に乗っていたときに、警官に呼び止められて、さんざん職務質問をされたことがあった。
何も無いってわかっているくせに、根ほり葉ほりで、本気で怒りだしたことがあった。
当時と違い、少しは大人になったようだ。
まあ通報者は、あの老婆だろうな。と心の中で思うと、去っていく警官の後ろ姿を、見送った。
仕事とはいえ、本当にいやな後ろ姿だ。ああして一生を終えていくんだろうな。
まあ、その警官に限らず、自分もそして、周りにいるだれもがその一瞬一瞬を惰性で生きている。
本来、私は究極の怠け者だ。
後かたづけを上手くできた記憶が無いほどである。
それでも、仕事をしなければ食べていけなく、それで怠け者であるための防衛本能として、死ぬ気で働くのだ。
それは、殆ど体力の続く限り働くため、途中で体力が続かなくなる。それが転職回数を多くしている原因だ。
結果を残せば残すほど、辞めるときの経営者の怒りは相当なものだ。
「おまえには全て自由にさせてきたのに、何が不満なんだ。」
まだ耳に残るある会社の社長の言葉だ。
もし、大学を卒業して、就職した会社にずっといたとしたら、ポジションはどうなっていただろう。
32歳で主任、36歳で課長、そして、今の会社で、一年目は平で、2年目主任、5年目課長代理、6年目課長。と最後の会社で、サラリーマン人生の縮図みたいになってしまっている。
副社長からは、「おまえはこれで打ち止めだ。」と課長に昇進した際に言われ、そういわれるまま納得してしまっている。
「祖父によく似ている」親からよく言われたセリフだ。
祖父は九州で生まれ、京都の大学を出て、長年教職についていた。
頑固で、プライドが高くよく士族の家に生まれたことを口にしていた。
そのプライド高く、それが周りともめる原因だ。
よく、その血を継ぐ私とはよくぶつかったものだ。
その血統は会社生活で活かされてくる。負の血統だ。
確かこの裏に犬小屋があって、パールというアメリカンコッカスパニエルを飼っていた。
そこは、草が生え既にそこに犬小屋があったことすらわからないくらいになっていた。
時は容赦なく過ぎ去っていく。
一体、何を目標に何を求めて生きているのだろう。
そもそもこの地に何しに来たんだろうか。
大学時代の友達に言われた言葉がリフレインする。
「自分探しはいい加減やめたら。」
確かに、自分探しは若者の専売特許だ。いい中年が、やっていいことではなさそうだ。
いつまでたっても生活が落ち着かなくなってしまう。
微かに残る記憶生家の記憶。
この裏に町へと続く小さな径があったはずだ。
その集落を包み込むように、針葉樹の林と森が広がっていた。
夕方になると、夕日が森の稜線をくっきりと浮き立たせ、その美しさは決して忘れることの出来ない景色であった。
町に出るには、国道を使うより、集落同士をつなぐ森の径を抜けて行くのが一番近かった。森の小道は細く、くねくねとしていて、木々の葉で光は遮られ、時折、ぽっかりとあいた空間に、木漏れ日が差し込むといった、一寸、幻想的な道であった。
春になると森中を鈴蘭が咲き乱れて、私の住んでいるところに、その匂いが包み込む。
今でも、鈴蘭の匂いを嗅ぐと、この地の風景が思い起こされる。
車に戻ると、今の光景を振り返ってみた。
今後の人生の中で、もうここには来ないだろう。
時は怒涛の如く過ぎ去っていく。
いつまでもそのままでいる訳にはいかない。
もう少し、人生の意味を明らかにしなければならない。
今日は、少し離れた大きな町の旅館をとっている。
明日は、北海道の真ん中の町に行こうと思っている。
次に引っ越した町だ。
車のギヤを一速に入れると、夕日の中を走りだした。