壱-2:少女確保、機械都市からの脱出
1-2
ナナイの腕の中で少女は再び薄く目を開き、ナナイを見た。
「お前が・・・、アヌンナキ、・・・だな?」
「さ・・び・・・」
少女の口は何かを言いかけ、そのままゆっくりと瞳を閉じた。
少女を包んでいた光がフッと消えた。
「・・ッ!」
「!?」
急に姿勢を崩したナナイにニャアマは「どうした!ナナイ!」と叫んだ。
[いや・・、問題無い]
ナナイの腕に一気に少女の容姿に相応の重さがのしかかり背中が引っ張られ、姿勢が崩れたのだった。
周囲はすっかり元の抜けるような青空に戻っている。
ナナイはしゃがみ込み、立膝をついた。
少女の両脚をその膝の上に乗せると、その分自由になった片手でポケットからリング状の黒いテープのようなものを取り出し、ぴっと引っ張って赤い破断線で千切った。そしてそれを少女の鎖骨の中央に貼った。その札には赤文字で何やら呪文のような物が書かれている。
「・・・これ、本当に効くんだろうな」
ナナイはニャアマの方へ手を挙げて確保完了の合図を送った後、無線でギイに話しかけた。
「隊長、あんたは生きてるな?こちらナナイ、」
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その頃、ギイとドゥガルはナナイ達の居る《《爆心地》》へマギサイクルを飛ばしていた。
[隊長、あんたは生きてるよな?こちらナナイ、呪符で姫君のエーテルを封印して確保した。ニャアマも無事だ]
「あんたはって何だよ、俺は死んでた方が良いってか」無線を聞いていたドゥガルが額に血管を浮き出させて言った。
ギイはふふと苦笑している。
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ナナイは少女を背負って立ち上がり、停めてある自分のマギサイクルの方へ歩きだした。
[こちらギイ、了解。ナナイくん、ニャアマくん、姫君を連れて『箱舟』へ帰還して下さい。すぐ敵が押し寄せてくる筈だ、こちらも可能な限り早く合流して援護する。気を抜かないように]
「了解」
ナナイは少女をおぶったまま停めておいたマギサイクルにまたがった。
「ニャアマ、『箱舟』へ戻るぞ」
「ええ」
ナナイと少女を乗せたマギサイクル、ニャアマのマギサイクルが共に起動し、“ヴォン”という音をあげて機関の回転数が上がった。
「む・・・ナナイ!」
ガラッとナナイの足下の瓦礫が動く音にニャアマが気付き叫んだ。
「ゴレムだ!」
(人型戦車!?)
ナナイはアクセルを一気に絞った。
瓦礫の山が盛り上がるようにして崩れ、粉塵の中から賀釈骸の鈍色の太い腕がぬっと飛び出し、急上昇したナナイのマギサイクルの直ぐ後を追って、ぐっと空に伸びた。
そしてナナイと少女を掴み損ねたその鋼鉄の指の一本がマギサイクルの後部を弾いた。
「ぐっ」
“バコッ”という音と共に強い衝撃が走った。ナナイの乗ったマギサイクルはコントロールを失い、回転運動が加わった。
ナナイは危機感に伴う過剰な脳内物質の分泌により時間の流れが失速したように感じた。
投げ出された少女の銀髪の毛先が水に沈むようにゆっくりと視界の中で乱れた。
瞬きをしたナナイの網膜に、雲ひとつ無い青い空に抱かれ穏やかに眠っているかのような銀髪の少女の顔がゆっくりと写り込んだ。
(しまった、女が墜ちる)
ナナイは空中で回転するマギサイクルのボディを蹴って、投げ出された少女の方へ一直線に跳んだ。
そして少女の白く細い手を掴むとぐっと身体を手繰り寄せ、空中で抱え込んだ。
二人は一気に地球の重力に吸い寄せられ、時間の流れは本来のスピードをとりもどした。
“ドッ”
「ぐぅァッ・・・!」
ナナイは抱きかかえた少女と共に仰向けの状態で地面に叩きつけられた。
直後、大きく跳躍していた賀釈骸と半壊したマギサイクルが地面に墜落し、“ズズーン”と周囲に瓦礫を撒き散らした。
賀釈骸は着地の姿勢から直立の姿勢に移行を完了し、関節から“ゴシュー”っと蒸気が上がった。
(※賀釈骸はナナイ達を掴もうと瓦礫の中から垂直に飛び上がりその腕を伸ばしていた)
折れてねえか・・。
ナナイは仰向けのまま痛みで押さえていた肩に手を当てていた自分に気付いた。直ぐにその目に気を宿し、痛みを意識から吹き飛ばすと、左肩を押さえていた右手を剥ぎ取って胸の上で眠るように丸まった少女の背中にずらし抱きかかえた。そして左腕の肘を地面についた。
(よし、動く、立つ)
そのまま肘で地面をすり潰すように押して上半身を起こした。
そして目に飛び込んできた光景に戦慄した。
ナナイに背を向けた賀釈骸が瓦礫に埋まっていた巨大なガトリングガンを引っ掴んで振り返り銃口をこちらに向けていたのだ。
(くそ)
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「ば、化け物め、回収はやめだ、殺してやる!」
賀釈骸のパイロットは歯をギリっと噛んだ。
ノイズがちらつく操縦席のモニター画面は、瓦礫に突っ込まれた自機の鋼鉄の腕が、ガトリングガンを掴みあげ、そのままその銃口を、自機の足下から背後のナナイの方へと向け、フォーカスを合わせる迄の過程を映し出した。
“ピピピ”という音と共に銃の照準を表すポインターは、モニター内で暴れ回るように高速で上下左右に跳ね返えり、賀釈骸が振り返る頃には、上半身を起こしたナナイが抱える銀髪の少女の頭部上でビタっと停止していた。
“ピー”という音と共に、モニター画面の右下に【自动跟踪】の漢字が表示された。
パイロットの脳味噌が沸騰する。
「死ねぇ!!」
“ズドォン”
突如モニターはノイズで割れ、爆発音が響いた。
それはパイロットの「死ねぇ!!」という絶叫の直前にモニター視野内に飛んできた《《こぶし大の黒い塊》》が炸裂した音だった。
高速回転しながら巨大な薬莢をばら撒くガトリングガンの凄まじい連射性の末の“ヴーーーーッ!”という発砲音の軌跡は、その《《こぶし大の黒い塊》》が爆発した衝撃により、狙っていた筈のナナイと少女を大きく逸れ、周囲のビルの壁を地上階から最上階迄、猟奇的に削り取った。
ニャアマの口元が二つ目の手榴弾のピンを引き抜きぬいた。
片足の吹き飛んだ賀釈骸が瓦礫に倒れ掛かりながら上半身を捻りニャアマの方へ銃口を向けた。
そこへ投げ入れられた手榴弾が“ボン、ボン”とボディの上で跳ねる。
「ナナイ!無事か!!」
ニャアマがナナイに走り寄った。
その後方で手榴弾は炸裂し、賀釈骸は“ギギイィ”という鉄板が擦れるような音を響かせて沈黙した。
「おい、ナナイ!」
ナナイは「平気だ。・・借りができたな」と言った後、腕の中の少女を見た。
「・・こいつ、まだ寝てるぜ」
『アヌンナキの姫君』はナナイの胸の上で猫のように丸まっている。
ニャアマがふふっと吹き出した。
「こうして見るとただの子供にしか見えないわね」
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時同じくして殺蠱のドームでのこと。
暗闇の空間の中、遠くで回転灯が灯り、赤い光を振り回し始めた。
突如遠くで鳴り出した“ビー、ビー、ビー”という音に呼応するように、周辺からも同じ音や赤い光が息を吹き返し始めた。その残響の伸びは、それを耳にする者に、この場所が金属で出来た巨大な空間であることを告げる。
その響きの中、50m程先でパノラマいっぱいの横一閃の白い光が現れた。
闇を切り裂くその光の切れ目は、巨大な獣の断末魔のような音をあげながら上下に広がり“ドゴォーン”という音と共に止まった。
横に長い帯のような闇の切れ目からは青い空の白い光が差し込み、ここが天井迄3mも無い横に広い空間であることが分かる。
“バシュ、バシュバシュ”
突如その空間を殺蠱のマギサイクル部隊が、ほぼ横一列に手前から奥に火花を散らしながら高速で滑走して飛び去っていく。
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ナナイは少女を抱えてぎゅっと立ち上がった。
ニャアマはそんなナナイに、歩けるか、と聞き、ナナイは、問題無い、と少女を背負ってマギサイクルを見遣った。
死んだパイロットの血が滴る賀釈骸の隣で、ナナイのマギサイクルはバラバラになっている。ナナイは一瞬イラっと目を細めた。
「こんな時の為の二人一組だ、私の機で戻ろう」
見兼ねたニャアマがそんなことを言った時のことだった。
「!?」
不意にナナイの足元の小石が跳ね、遅れて銃声が響いた。
瓦礫や建物の陰から、ナナイの後方からも銃を構えた兵士が現れた。
隊のリーダーらしき男の口元がニヤリと笑い拡声器を掲げた。
「動くな、多くの銃口がお前達を狙っているぞ。大人しく投降しろ」
兵士が後から後から湧き出てくる。
数秒を数える間にナナイ達の周囲は殺蠱の兵士や、“ギュイーン”という音と共に現れた数体の賀釈骸に囲まれた。
ニャアマがナナイの耳元で囁いた。
(ナナイ、ここは一旦大人しく従って時間を稼ごう)
(ああ、そろそろギイ達か、他の部隊の奴が来る筈だ。或いは『山の民』が来る可能性も捨てきれねえけどな)
「何を耳打ちしている。次に妙なマネをしたら容赦無く撃つ。武器を捨てろ」
「ああ、分かった」
ナナイは腰の剣を抜いて捨て、ニャアマはアサルトライフルと剣を捨てた。
兵士が「手を頭の後ろにつけてうつ伏せになれ」と叫びながら銃を構えた包囲の輪を縮める。
「手を頭の後ろに付けろだと?おい、お前らの大事な姫様が地面に落ちちまうぞ」
「・・ひめ?・・・」
隊長の反応にナナイだけでなくニャアマも何か引っかかったような顔をした。
(情報共有が為されていないのか、呼び方がこっちと違うのか)
「一旦下ろすぞ」
「・・妙な真似をするなよ。おい女、そのままうつ伏せになれ!」
(ナナイ・・!)
(ああ、分かってる。来たな)
兵士達が更に輪を縮めたその時のことだった。
“ビスッビスッ”という音と共に兵士の何人かが声をあげて倒れた。
その場にいた全員が銃声のした太陽の方へ身体を向けた。
《《マギサイクルに乗った黒い筋肉の塊のような男が銃を乱射しながら上空から斜めに急降下して来た。》》
ドゥガルの後ろにはギイのマギサイクルの機影もある。
「ガーっはっはっはァー!!」
「て、敵襲ーーッ!!」
その場にいた兵士がドゥガル達に一斉に発砲する。
二人のマギサイクルは大きくうねり動きながらナナイと、ニャアマのいる地面へ加速して墜落していく。
ナナイは少女を抱きあげて腕を伸ばしているドゥガルの方へ投げた。
ドゥガルとギイは地面に衝突する直前迄にマギサイクルを斜めに倒し、“ッズドォン”という衝撃波と共にギュルリと機体を独楽のように回した。
そのまま地面のスレスレの高さを槍のように飛び、砂煙りと敵の包囲を鋭く突き破った。
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ギイの片腕に抱えられるようマギサイクルと繋がっていたニャアマは上半身を横にズラすギイに促され、シートの後部に滑り込み取っ手を掴んだ。
「ドゥガル君、このまま一気に『箱舟』迄帰還しますよ」
「おう!」
『アヌンナキの姫君』を肩に抱えたドゥガルが歯を出してニッと笑った。
焼ききれそうなマギサイクルの機関の音へ、ボディに砂小石があたる“バチッ、ベチッ”という音を被らせながら二機のマギサイクルは上昇していった。
ドゥガルのシートの後部で後方を伺っていたナナイが呟いた。
「おい、追っ手だ」
流れていくゴテゴテした建物群の向こうにバラバラとした機影がある。
「疾い」ニャアマはナナイの視線の先を捉え、目を険しく細めた。
50機前後の殺蠱のマギサイクルは徐々に距離を詰めてくる。
「おい、肉ダルマ。武器を借りるぞ」
「ああん!?」
“バシャッ”という音と共にドゥガルのマギサイクルのボディーの側面が開き、扇形に幾つかの銃がずらっと広がった。
断続的にナナイ達へ距離を詰めてくる敵機の幾つかが“タタタ”というニャアマの銃声と共にぐらついた。そして隊列からこぼれ落ちた内の一台が街の巨大な漢字看板にぶつかって火を噴いた。
建物に組まれていた竹の足場と共に破片を撒き散らしながら看板は重量感たっぷりに落ちて地上で爆ぜた。
敵の隊の内の数機がその破片に巻き込まれ、抜けた者の更に幾つかがナナイの射撃で火を噴いた。
マギサイクルのシートの後部に逆向きに座り、照準を変えながらアサルトライフルを鳴らすナナイの背後からドゥガルの声が叫んだ。
「おい、ガキ!仲間だ」
ナナイの銃を操作する目がにわかに反応する。
[ドゥガル君、ナナイ君、10時の方向から仲間の機影だ]
「ああ、隊長、見えてるぜ!・・ぐ!?」
突如ナナイの視界に飛沫が飛んだ。
(紅。血飛沫?肉ダルマか・・!)
「おい、被弾したのか」
「うるせェ!脇腹を掠っただけだ、女もお前も落とさねえから安心しろ」
『アヌンナキの姫君』の身体は機体が揺れる度にドゥガルの肩の上でユラユラと揺れた。
[砂漠の戦士、第八機馬隊、援護する]
聞きなれない声の通信が入った。
ナナイは一瞬右斜め後ろ、ギイの言う10時の方向を確認した。
複数の『砂漠の民』のマギサイクルがギイの隊に合流するところだった。
(15〜6機ってとこか)
隊はそのままナナイ達の後方にいる敵部隊へ発砲しながら突進して戦闘を展開した。
敵機、味方機共に被弾し街の中へ散りながら集団は真っ直ぐ街の中心から離れていく。
(数の分が悪過ぎる、箱舟まで《《もつ》》か?)
「!」
《《銃弾の一発がギイの機体の中央を貫いた。》》
縦積式集合民家の目の前を疾走するドゥガル機、失速しながら斜めに下降するギイ機、そして殺蠱と『砂漠の民』のマギサイクルの通過に伴う衝撃波は、外の様子を伺っていた住民を室内の奥へ吹き飛ばし、窓ガラスは“バァン!”と割れ飛んだ。
(隊長、ニャアマ)
地面に下降していくギイの目がやけにハッキリとナナイには見えた
《行け、その少女を連れて行くんだ、ナナイ》
ギイは周囲に目配せし「ニャアマ、こっちへ」と言って右腕をハンドルから外し上体を後方に反らせると、ニャアマの腕の下を抱きかかえた、ニャアマが小さく「やばい」と呟いていた。ギイは「大丈夫だ」と歯を噛みながら墜落するマギサイクルの左側に倒れこむようにして、ある露店の日除け用の張った布へ飛び込んだ。
火を噴いたマギサイクルは大勢の住人が行き交う一角に斜めに墜落していたが、ギイ達が飛び降りると同時に追撃を受けて空中で爆発し砕け散った。
「隊長!!ニャアマ!!」
「大丈夫だ、生きてる。前見てろ」
思わず後方に首を向けていたドゥガルは歯を食いしばって正面を睨んだ。
「本当なんだろうな、畜生」
ギイ機の爆煙を抜けてきた敵機のパイロットの頭をナナイの銃弾が貫通する。
(箱舟は)
「箱舟は未だか」
「間も無くだ!殺蠱の外周壁が見えてきた、《《上に飛ぶ》》ぞ」
(上?ああ、そうか)
ナナイはタンデムバーを掴んで衝撃に備えた。
“ズオッ”
空気の圧が変わり音像が移動する形が聞こえた。
「・・!」
直後ドゥガル機はほぼ地面に対して垂直になった。
シート後部に後ろ向きに座っていたナナイは、機体後部のタンデムバーに掴まっていた左手を軸にして地面に叩き出されるように正面方向に回転し、ブーツの裏を背後の何かの障害物に一瞬ぶつけた。
《《垂直の機体に左腕一本でしがみつく状態》》になったナナイは振り回されながらも首を回し、自分の直ぐ背後に巨大な壁があり、そこを機体が上昇している状態にあることを確認した。
ナナイは首を上に向ける。
(よし、ドゥガルは女をしっかり掴んでるな)
ナナイは壁面に沿って上昇してくるマギサイクルの気配を足元に感じ、右手の銃口を突き放った。
(味方か)
味方の3機が後方の敵機に銃口を向けながら壁面上を上昇してくる。
壁に衝突したのか、攻撃で散ったのか、或いはその両方か、遥か下方で爆発が起きている。
その爆煙の中から追尾してくる敵機に対しナナイは反応して上昇しながら銃弾を叩き込んだ。
命中した敵機がコントロールを失い失速した。
その背後から更に別の敵機が上昇してくる。
ナナイは弾を撃ち切ったアサルトライフルを宙へ投げ捨て、タンデムバーを掴んでいる左腕を力んで曲げ、上昇を続けるドゥガル機に自分の身体を近付けると、もう一方の右腕を思いっきり上方に突き放った。
ナナイの視界の中で自分の右手のシルエットが太陽の逆光になっている。
その手でドゥガル機の側面の黒い塊を掴むと、予備のライフルを思いっきり“ジャキン”と引き抜いた。
次の瞬間再び“ボッ”という空気の圧の変化を感じた。
(壁を抜けた)
「ガキ、抜けたぞ!」
ドゥガル機は殺蠱の外周壁の高さを超えた。
「おい、落ちてねえよな?機首を下げるぜ」
ナナイは身体を反り勢いを付けた後、逆上がりの要領で跳ね上げたブーツの裏をシート後部へ付けた。
そして山なりの軌道で地上に対して一瞬並行になった機体上でナナイはシートに座りなおした、そして遥か下でそれまで何も無かった空間が一瞬光ったのを見た。
黄色い広大な砂地に見えていた空間がペリペリと細かく剥がれ、ナナイ達の母船『箱舟』が姿を現わした。
《《空中浮遊都市》》殺蠱は砂漠の上空にその巨大な身体を浮かべている。