3、ショヤノギトコイリ
新米皇太子について申し述べる。
新米皇太子、斗難陀尹は、斗難隠と劫家の末娘、小耀との間に生まれた、待望の男子である。
幼少のころより武芸に優れ(と仮定され)、七歩歩くうちに新たな詩形態を発見し(ただの破綻)、弁舌優れ(舌先三寸)、才知と人徳をその身に有している(んだったらよかったね)と、評される、嘘八百の……コホン、イメージだけは立派な皇子様である。
〇
あたしと新米皇太子は、最悪なことに、年齢だけでなく、誕生月日が同じである。
そのよしみといっちゃなんだが、小耀さまはあたしたち家族に親近感を抱いたようで、生まれたばかりの息子の遊び相手にあたしの家ばかりが指名され、避暑地への小旅行といった家族イベントにまで同行を許されるほど、わが呈家は重用された。
母にしてみたら、たまたま皇子と同じ日に娘を生んだってだけの話だったのだけれど、いつの間にか小耀さまと仲良しのママ友になり、皇子の乳母まで打診され、それはお乳が出なかったので断ったらしいけれど、とにかく我が家はあたしのおかげで棚ぼた的に、皇族との良好な関係を築いてきた。
しかし、あたしとしては、この世でもっとも呪われし日に生まれてきてしまったわけである。
小さいころからお互いの家を行ったり来たりしていた関係だったけれど、まあ、あたしは、この身分のバカ高い幼馴染が大嫌いだった。
性悪説の見本ここにあり、というような性格の悪さは、このころから折り紙付きで、人の嫌がること、むかつくこと、場をしらけさせること、すべてをした。そしてなおかつアホだった。
あたしの幼児期は、このしょっちゅう遊びに来るアホ太子に、根こそぎとられっぱなしだった。
母とか、父とか、親戚のいとこたちとか、好きなお食べ物とか、飲み物とか、きれいなブローチとか、とにかくなんでもだ。
あたしの所有物や、そうなるはずだったもの、大好きなもの、ほしいもの、ぜんぶ持っていかれた。
母に抱っこしてもらったり、褒めてもらいたい時、あたしを押しのけて母の視界に入るのは、いつもコイツだった。
いとこが来て、おままごとなどをして遊ぼうと思っても、コイツが人の話も聞かず先陣を切って騎士ごっこをはじめるので、やりたくもない遊びの配役を勝手に割り当てられるはめになった。
乳母が取り分けてくれたあたしの好きな料理やお菓子。あたしが手を伸ばすより先にコイツが手を伸ばしてかすめとった。
父からもらって、大事にしていた色鉛筆を見たいと言うので見せてあげたら、断りもなく使い、あげくバキバキと芯を折って、その日のうちにすべて短くした。
これが欲しいと祖父にねだったものを、先に買い占めて見せびらかされた時は、本気でクマを一撃必殺する本を読んだ。
五歳になっても自分の名前が書けないので、バカにしてやったら足を引っかけて転ばされた。
足し算ができないのをからかったら、泣いて殴りかかってきた。
あたしもやられっぱなしではないので、多少あこぎで暴力的な手段を使い、立ち向かった。
からかったりバカにしたりしたのは確かに悪いことだったけれど、当時はそんなこと考えなかった。
この怨み、いかではらさでおくべきか……。
あたしの幼年期は、皇子に対する復讐心と対抗意識をメラメラ燃やすにつきた。
けれど、それはもはや昔の話。十年もあれば、あたしだって成長する。
だから、過去を振り返ってあれは悪かった、ちょっとやりすぎたかな、と反省するのだし、なにより大人になって落ち着きが出てきたと思う。
皇子を見たら喧嘩スイッチが入るんじゃなく、
「今通り過ぎたのはさわやかな風」
なんて、ヤツの肢体を風景に透過できるくらいには。
あたしが透過能力に磨きをかけている一方で、皇子はといえば、数多くの女と浮名を流した。
少年が一番美しいのは十四歳、と西方の偉人は熱く語ったらしいけど、まさに今から二、三年ほど前に、やつは世間でいうところの『美貌』をメキメキと伸ばし、若い身空で世の女をたぶらかすことに喜びを見出しはじめたらしい。以来、ヤツは恋の噂に事欠かない。
みんな見かけに騙されているのだ。
髪は烏の濡れ羽色、だあ?
黒々しすぎて、腹の中だけじゃ余る分が、毛髪に回ってきただけじゃないか。
青い瞳がとってもステキ、だあ?
青い澄んだ瞳なら、母親の小耀さまのがよっぽどきれいよ。瞳の奥を一度じっくり覗いてみんしゃい。ずるがしこくて狡猾な本性が垣間見えるにきまってる。
肌が白くてきめ細やか、だって?
そりゃ、陽の下で鍛練に励むことがめったにないからなまっちろいんだ。
真摯な面差しにキュンとなるって?
バカ言うんじゃない。それこそにじみ出てるだろ、その形相に性格の悪さが! 目を凝らせ。敵は面の皮一枚の裏側で、ケケケケケッと笑っている!
皇帝の息子という、史上最強にして最高のカタガキ。
加えて、〝ゆくゆくは国家財産思いのまま〟という、スキル『玉の輿』を持っているから、実物より十割増しくらいよく見えるだけだ。
つまり、ヤツは見かけ十、中身ゼロの生物。
世の女性がキャーキャー言うのはそこである。
しかし、あたしは騙されない。
ヤツの肩書とスキル『玉の輿』に惑わされた友人たちに、いいかげん目を覚ませ! と喝を入れたことがあったけど、
「きさまこそ無礼な態度を改めろ!」
と、みるみるうちに囲まれて、渾身のヒップアタックをくらったことがあった。おしくらまんじゅう。
とにかく、皇太子はサイテーである。
幼少からヤツの悪行を見てきたあたしだから、わかる。
この嫌悪感は、もはや最高形態、『生理的に無理』レベルまで進化を遂げてしまっている。まだこの先があるとすれば、なんだというのだろう。
あたしの人生の展望としては、このさき皇太子と関わる可能性など、一原子ほども思い描いていなかった。
時が来たら縁談を受け、ウチは子供があたしだけだから、次男坊あたりを婿にもらって、夫婦で力を合わせて領地経営。子宝にも恵まれて、名前はそうだな~、あたしや未来の旦那様から一字ずつとって……あ、お世話になった方々から一字拝借するか、名付け親になってもらうのもいいかな。やっぱり最初は女の子、あ、でも男の子もいいな。大きくなったらぼくが母上を守ってあげるネ、なんて言われちゃったりなんかして。いやだ、もう! ウチの子、可愛いったらないわあ。うへ、うへへ……。
妄想。……もとい、心躍る家族計画。
それをたしかに打ち立てたはずだったのに、今回の悪夢のおかげで、希望が一気にへし折れた。
ゴガアアン! と、そりゃあものすごい音を立てて真っ二つに折れ、落下しましたとも。あたしの幸せな家族団らん之図。
あろうことか、今日この日、あたしは斗難家の一員になった。
斗難家ってどこかって?
見かけ詐欺の皇太子のおうちです。
究極形態、進化しそう。
あっ、じんましんがっ。
〇
婚儀やらティンバラやらなんやらあって、怒涛の一日だった。
まだ慣れない部屋なのに、寝台に横になったとたんいつの間にか眠ってしまって、目の前に燦然と輝くお菓子の山を、これから登山しにいくぞ~ってところで、目が覚めた。
「妃殿下、妃殿下……」
気が付けば、誰かがあたしの体を小さく揺すっている。
「ぎゃっ」
驚いて飛び起きると、暗がりの中に、赤い炎が浮かんでいた。そしてそのむこうには、なな、なんと、うっすらと生首が浮かんでいるではないか!
「ばっ、化け物っ」
であえ、であえーっ! ものども、であえーっ!
「……妃殿下。わたくし、皇太子殿下の乳母、迂幽彩でございます」
「えっ、そうなの?」
幽彩と名乗った声が、明かりをずらして自分の全体を見せるように照らしだす。
明るい橙色の光の中に、ぼんやりと浮かび上がる、細い首。その下に繋がる、胴体。ホッ。
幽霊じゃなかった。
「夜半に月も上りました。あまり大声をお出しにならぬよう。みっともない」
眉一つ動かさず、冷えた視線でぴしゃりと言い切る。
間違いない。
皇太子以外は有象無象の虫けらと思ってはばからないこの態度、正真正銘、迂幽彩だ。
みっともなくて悪かったですねえ。
人の睡眠を妨害するほうが悪いのだ。迂幽彩。
「こんな時間まで、いったい何をしているのかと思えば。まさか寝入っていようとは……」
呆れたように、迂幽彩が呟く。
右手に持っている燭台の炎が、ため息で大きく揺れる。
起き抜けにバカにされるなんて、たまったもんじゃない。
しかもこっちは、叩き起こされているのだ。
謝られこそすれ、非難される筋合いはどこにもないぞ!
「なんです、その目は。不満がおありですか。わたくしこそあなたに説きたい心得が山ほどございます。皇妃殿下のことです、その場しのぎの作法だけ教えて、ロクに手ほどきもなさらなかったのでしょう。ええ、わかっていますよ。あなたのその態度を見たら」
迂幽彩は、塗り固められたような表情で、いっきにまくし立ててきた。
ああ、始まった……。
あたしはがっくりとうなだれた。
迂幽彩は、皇太子の乳母である。
この世の誰より皇太子を愛し、この世の何よりも皇太子を優先し、この世にはびこる悪よりも皇太子に害なすものを憎むと豪語。そしてそれを実践している、ヤツの最強の盾である。
小さいころから皇太子と仲が悪かったあたしは、早々にこの過干渉な乳母から、『皇太子にあだなす敵』認定をされた。
だから言ってみりゃ、幼年期、あたしの最大の敵は二人いた。
皇太子とその乳母。この二人に打ち勝つために研鑽を積み、強くなったと言っても過言ではない。もっとも、あたしのガキ大将の最盛期は七、八歳のころだったけど。
「あなたは、まったくもってわたくしの殿下にふさわしくない。恥を知りなさい。陛下も皇妃殿下も、血迷ったことをなさった。わたくしに一言ご相談たまわれば、こんな不しあわせ、招くこともありませなんだ」
「あー。はい、はい」
わたくしの皇太子、ときた。
生母を差し置いてこの独占欲。
「先ほどからなんです、その、人の話を聞く気のない態度。あなたはまだ皇太子妃の位について一日と経っていないというのにそれですか。臣下の諫言には耳も貸さぬと。皇太子妃の態度は、皇太子の御尊厳を傷つけることにもつながるのですよ。おわかりでいらっしゃいますか」
迂幽彩が、ギロッとにらんできた。
この、迂幽彩のしつこいイヤミを、真正面から聞くのは久しぶりだったから、すっかり感覚を忘れてしまっていた。
なにせ、皇太子を無視し始めてから、いくばく、皇太子について回る彼女にも会っていなかったのだ。
ミョーに懐かしくもあり、いかんせん腹が立つのもあり……。
「というか、迂おばさん。あたし眠いんだけど。昼間、おばさんのところへ挨拶に行かなかったから腹いせに、わざわざあたしをこんな夜中にいびりにきたの? そりゃスミマセンね、そしてこんばんは。乳母殿のことをすっかり忘れていましたよ。今日は忙しかったからさ~。じゃ、おやすみ」
腹が立っても眠気には勝てない。
迂幽彩を無視して、もぞもぞと布団にもぐった。
あー、ぬくい。
「なっ……違います!」
もー。じゃ、なんだっていうんだ。
頭をガシガシかきながら、また背中を起こした。
「じゃ、あれか。ふつつかものですが、これからよろしく、って挨拶を聞きたかった? それならすぐにやっちゃおう。そしたらすぐに出てってね」
「そんな挨拶、聞きたくありません!」
寝台の上で姿勢を正すと、迂幽彩が珍しく気色ばんで、大声を上げた。
夜中に大声出すな、はしたないって言ったのは、自分のくせに。
「じゃあ、なにさ、なんなの。お金貸してほしいの? ごめん、突然の婚儀だったから、持ち物はあらかたまだウチなんだ」
「誰があなたに金を貸してほしいと頼みましたか!」
「特に親しくもない人が突然訪ねてくるときは、必ず金の無心をしてくるってウチのジジイが」
「たとえ路傍で果てようと、あなたの金は借りません!」
「じゃあ、肝試しでもしてたとか?」
「なぜわたくしが、夜の皇太子宮でオノレの度胸を試しに出かけねばならぬのです!」
「ハッ。まさか、あたしを殺しに!?」
「そのつもりなら起こしません!」
迂幽彩は、肩で荒く息をした。
そのつもりって、頭の中ではすでにシュミレーション済みということなのか。
迂幽彩の脳内では、あたし、一万回くらい死んでるかもしれない……。
ぞーっ。
「ともかく! あなたはこれから着替えねばなりません。わたくしは、大変不本意ですが、あなたの先導役としてこちらへ参ったのです」
「なんで?」
「なっ、なんで、ですって!?」
迂幽彩の体がわなわなと震えた。それに合わせて、炎も揺れ、影が躍った。
「あなたはこれから、初夜の儀を行うからです! あなた、皇太子妃になったのですよね!?」
皇太子妃ね。
なりましたとも。
それこそこちらも不本意ながら。
「ショヤノギってなに?」
というか、まだ変な催しものがあるのかよ。
げー。
やっと一日が終わったと思ったら、最後の最後で夜中に妙なものをぶち込んでくるなんて、迷惑千万。
迂幽彩の影が、ゆらゆら揺れる。なんだか影を見ていると、眠くなってくる。
「初夜の儀とは、お二人で床入りする儀式です」
「トコイリ?」
なんだそりゃ。
「人前であくびなどはしたない。布団にともに入って眠ることです」
「誰と?」
「皇太子殿下です」
「げっ。なにそれ絶対ヤダ。一人で寝りゃいーじゃん」
「ですから、そういう儀式なのですーっ」
迂幽彩が、イライラした様子で寝台脇の灯台に火を移した。
寝台のひとところだけ、明るい光に包まれる。
「ちゃっちゃと着替えますよ」
グイッと手を引っ張られ、布団の中から、引きずり出される。
「いや、ちょ、ちょちょ、ちょっと待って! おかしくない? その儀式。どうして一緒に寝るのが儀式になるの? 意味わかんないんだけど……って、わああっ、いきなり引っぺがさないで! さ、さむいっ」
「儀式とはそういうものです。寒いなら、さっさとこれに腕を通して」
「乱暴っ、手つき、乱暴だよっ。ぐえっ、襟、首ギチギチ……」
「失礼。ご自分でゆるめて」
「ぐおっ! 折れる! 紐、腰紐っ。腰から真っ二つに折れる!」
「さっきからうるさいですね。きついのならお痩せになれば?」
「な、なにおうっ」
「まあ、まずまずの出来ですね。よろしい。明かりも少ないですし」
「どういう意味だっ」
仕上げとばかりに腹をたたかれ、パン! と小気味よく音が鳴る。
「あら。いい音」
「うるへいっ」
迂幽彩に、無理やりに部屋から連れ出された。
しかしこのとき、あたしはまだ事の重大さに、気が付いてはいなかったのだ。
お読みくださって、ありがとうございました。