2、ティンバラ、ティンバラ
虎覧は、かつて四つの国を併呑し、今は属国を二つほど従えている、結構大きな帝国である。
逝去した先代皇帝は、血なまぐさいのが好きな野望の人で、病に臥せってもなお世界統一の野心をメラメラ燃やしていたらしい。
一方現皇帝は、戦時中は破竹の勢いだった虎覧軍の中で、唯一勝率ゼロを誇る死神部隊の指揮官であり、息子のあまりの能力のなさに怒り狂った先代から、叩き切られそうになったという伝説を持つ、常勝ならぬ常敗の将である。
先代はこの息子を後継者にしたことを最期まで悔やんだというが、息子のほうもよっぽど戦がトラウマだったとみえて、先代が没してからこのかた、この国は一度も戦争をしていない。
もう三十年ほど経つのだろうか。
戦しかしてこなかった先代は、息子の代でも戦が始まり、死神は苦労して分捕った国を早々にぶっつぶし、勢力図を残念な形に塗り替えると思っていたのかもしれない。
けれど、先代の予想は大きく外れた。
現皇帝は父親と違い、チャンバラではなく舶来宗教にのめり込んでいる。
〇
「大地神、ションコネランもご照覧たもれ~。この若者二人は、今日の良き日に、夫婦の誓いをなすものであ~る~」
ティンバラティンバラ。
小耀さまと部屋にいたところ、背の高い侍従長に呼び出され、二人で地下の小部屋に来てみたらこれである。
石造りのらせん階段を下りた先にある部屋には、襟の立った妙な青色の着物を着た皇帝と、礼装ではなくすっかり日常着に着かえている新米皇太子、それにキノコのヘタみたいな黄色い帽子をかぶった男たちが四人いた。色は黒かったけれど、皇帝と同じように、襟の立った着物を着ている。
この人たちどこかで見たことあるなーと思っていたら、さっきの婚儀のとき、僧侶にまじって宝物を披露しに来た男たちだった。
困惑して、小耀さまと部屋の前で固まっていると、キノコ帽子の一人がおもむろに金属のついた棒を取り出し、それをティンバラティンバラ、音高く鳴らした。
「コレヨリ、コウテイヘイカタッテノネガイデ、シュクフクノギヲハジメマース」
カタコトの、色素の薄い髪や肌色をした外国人風の男が、目の前にやってきて、がっちりとあたしの腕をつかみ、向こうにたたずむマッチョなキノコ帽子の男のもとへと、引っ張った。
なにがなんだかわからないうちに、マッチョの足許にひざまずかされ、後から新米皇太子もあたしの隣にひざまずき、こうべを垂れた。
後ろにいる皇帝たちを背中越しに伺うと、小耀さまが顔を険しくして皇帝に詰め寄り、皇帝は必死になにか弁解しているようだった。
コソコソと二人の様子を見ていると、
「シュウチュウシテクダサーイ」
と、カタコトキノコ帽子に見とがめられ、ティンバラティンバラ、やかましく金属が打ち合う音が鳴った。
そして、謎の儀式が始まった。
まったく意味が分からなかった。
キノコ帽子たちはあたしたちをひざまずかせたまま、天神が、山神か、海神が、なんてやたらカミカミのたまうし、明らかに宗教的な何かだよな、コレと思ったけれど、虎覧には国教というものはないし、王家も何かを熱心に信仰しているなんて話は聞かない。
隣の男をチラチラ見てみたけれど、とくに不愉快そうな、怪訝な顔をしているわけでもない。
四人の男たちは突然声を張り上げて歌いだすし、ティンバラで音頭を取るからよけいうるさいしで、もうほんとう、なんだこれ、と思っていたところ、とつぜん隣の男から話しかけられた。
「おまえの舅のマイブーム」
同じようにひざまずいていたはずなのに、ヤツは立てた右足に、いつの間にか右ひじを付き、けだるそうに頬杖をついていた。
「ここ最近、これに凝ってる。あと少しだから、我慢しろ」
何のことはなさそうに、話しかけてくる。
ふ、ふうん。普通に会話、できるんじゃない。
「って、っていうか、こここれはあれですか。しんっ新興宗教ってやつですか」
「お前、どうしてどもってるんだ」
眉を寄せて、こちらを見てくる。
うえあーっ。見るな! こっちを見るな!
よくよく考えてみたら、この男とはまともに会話をするどころか、顔を合わすことさえろくにしてこなかったのだ。
文句ならたくさん出てくるけれど、いざ話すとなった時に、どう話していいかわからな……って、あれ? もしかして、普通に会話ができないのは、あたしのほう?
「この人らは、海を渡ってきた宣教師らしい。北のほうでは有名な宗教なんだそうだ。たまにこの信仰を持っている人が、やってくる」
「そ、そう……」
あたしは顔を見ることもせずに、黙り込んだ。あんたなんかと会話する気はサラサラないのよ、ごめんあそばせ、という強気を見せようと、目の前にある宣教師のふくらはぎばかりをまっすぐ見つめていたら、ヤツの視線があたしから外れたのが、なんとなく、気配でわかった。
それから宣教師たちは朗々と何かの詩を読み、あたしたちの名前を呼びあげ、結婚の誓いの証人に嬉々として皇帝が立候補し、新婚の二人に愛のティンバラを! と、法具だか楽器だかわからない謎の鳴り物を贈呈されてしまったときには、さすがにどうしようかと思った。
「ゴケッコンオメデトゴザイマース」
ティンバラ、ティンバラ。
ようやく妙な宗教儀式から解放され、立ち上がると、ご機嫌な様子の皇帝陛下から感想を聞かれた。
って、感想も何も。
「このティンバラ、もらっても困るんですけど」
再びティンバラに付き合わされてはかなわないので、はっきりそう告げると、そばにやってきたあのコシャクな男がブッと吹き出した。笑いをこらえるように片手で口をふさぎ、ティンバラを胸に抱え込んだので、そいつがやかましく音を立てた。
うるせえぞ、取扱いに注意しろ。ティンバラ―。
「お前さ、どうして皇帝にそんな口がきけるの?」
おかしそうに目を細めながら、ティンバラを持ちなおす。
「いらないものをいらないって言って、なにが悪い」
隣の男をにらみつけると、男はその視線を真正面から受け止めた。
ぐっ。
負けねえかんな!
「ふ、二人とも、にらみ合わないでくれないか。せっかくの結婚の祝いなんだ。もう少し仲良く……。それに、そのティンバラは、なかなか譲ってもらえない貴重なものなのだよ。おまえたちのは、新婚仕様の、二つで一つのティンバラなんだ」
なんだよ、新婚仕様のティンバラって。
ますますいらんがな。
「では父上、私のもお譲りします。私より父上のほうが、この物の真価をおわかりになっているようです」
つまり自分には無用の長物だと、暗に宣言しているわけだな?
皇帝陛下、あたしはあなたの息子ほど、ティンバラをバカにしてはいませんよ。ただ、自分には必要ないと言っただけですからね。
「い、いいのかい? もらっても……」
うそおっ。
皇帝陛下、遠慮を見せつつも徐々に両手が前に行進していますけど!
そこまで欲しいの、この物体!
皇帝陛下は、息子から妙な法具を受け取ると、チラッとあたしを確認する。
「ど、どうぞ……」
深々とこうべを垂れて差し出すと、皇帝陛下はなんとも嬉しそうな声を上げた。
「や、やった。すごいぞ。婚礼のティンバラ、欲しかったんだ! これでコレクションも、完成に近づく……」
コレクション!?
まさか、ティンバラルームにティンバラをたくさんコレクション中!?
皇帝とは仮の姿、その実態はティンバラコレクター?
ほくほくとした皇帝とは対照的に、小耀さまは呆れたようにため息をつき、とても不機嫌そうな顔をしていた。
皇妃殿下は夫のシュミに不満が溜まっているらしい……。
「そうだ、陀尹。おまえは宣教師たちの儀式はどう感じたかい? 私は、縦になってしゃがんだり立ったりしながら歌っていた演出が斬新で、楽しかったと思うんだ。式典を執り行う聖職者たちにもあれを見習わせようか。おまえは何か気になったところはあった?」
「そうですね……」
息子が考え込むように顎をさする。
う、うそでしょ?
ティンバラ宣教師を見習って、国葬なんかを担う聖職者たちに、人間ウェーブみたいな動きをさせながら祈りの言葉を唱えさせる未來が近々やって来るかもしれないの!?
もはやこの人、ティンバラを国教に採択しそうな勢いじゃないか。
そんなことをしたら、聖職者がのきなみ怒るよ。
勃発! ティンバラの乱。なんちゃって。
「気になったことと言えば一つ。呈家の息女が熱心に宣教師の股間を見つめていたのが印象的でした」
は?
皇帝陛下がぽかんと口を開け、小耀さまが手で口を覆った。
「あ、今はもう違うんでしたね。呈家の息女じゃなくて、ぼくの第一夫人が。いやー、ウッカリ」
てへへ、といたずらっぽく笑ったけれど、あたしをかすめていったその瞳は、決して笑っていなかった。
こやつ……。
「……それじゃああたしが」
皇帝陛下がごくっと唾をのみこんで、一歩下がる。
あたしはのけぞった皇帝に手を伸ばし、
「とんだ変態みたいじゃねーかっ!」
ぶんどったティンバラをみぞおちめがけて突き出した。
「ティンバラああー!!」
皇帝の悲鳴もむなしく、ティンバラは一突きでバラバラになり、ガシャンガシャンと、金属部分が音を立てて石畳に落ちた。
ティンバラ、脆し。
お読みくださって、ありがとうございました。