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1、だまし討ちの妃

「おい! オトコオンナ! ぼくちんはなあ、ぼくちんは、おまえのこと大っ嫌いだからなあ! やーい、ブス! どブス!」

「うるせえ。ほざけくそやろう。足し算もできないくせにイバんなガキ」

「くっ、くそっ!?」


 自分のことをぼくちんと言う頭の湧いたクソガキの顔が、みるみるゆがんでいく。

 顔を真っ赤にしてわなわな震え、怒り怒髪天を衝くといった形相で、にらみつけてきた。


「クソじゃねーよっ。ふざけんな、ばーか! お前だってガキだし! おまえのほうが星一個以上ばーか!」


 星一個以上とか、バカの度合いの形容として、どっちがバカなんだって感じだけれど、このバカガキは完全に頭に血がのぼっている。

 血がのぼっていなくても、このアホは皮肉や悪口だってうまく言えたためしがない。

 じぶんから喧嘩を吹っ掛けてきたくせに、言い返されるとすぐに逆上して叫ぶ。

 なにあろう。

これ、めちゃくちゃ腹が立つ。


「星一個以上って、てめえ星見たことあんのかよ」


 だから、徹底的に。


「星一個以上って、てめえ、星の大きさ、測ったことあんのかよ」

「あるわけねーだろ、ばーか!」


 腕組みをし、ハスに構えて。


「じゃあ星一個以上って、どのくらいのバカなんだよ。てめえちゃんと説明できんだろうな」


 蛇のように、下からググッと首をもたげ。


「ほら、してみろよ。どのくらいバカなのか、ちゃんと説明してみろよ。星一個以上って、どのくらいの大きさのことですかあ。ホラホラホラホラホラ」


 完膚なきまでに。


「ウッ……ウウッ!」

「アアン? 何か言いましたあ? ゼンゼンきっこえっませーん!」


 ヤロウの心を叩き潰してやらねば気が済まない。

 耳に手を当てて、ニヤリと小馬鹿にせせら笑ってやると、ヤツはじわっと涙目になった。

 そこにすかさず、とどめの一撃。


「っていうか、あたしをブスって言ったけど、てめーだって、国一番のブ男だから。なに? ぼくちんって、キモチワルイ。あたしもアンタなんか大っ嫌い」


 すると、顔を思いきりくしゃくしゃにして、ヤツはと言えば、ものも言わず、とつぜんダダッと駆け出した。

 ワレ、敵ヲ完封セリ。

 若干胸のすく思いをしつつ、あのやろー、無様に泣けばよかったのに、と大半悔しく思いながら、舌打ち交じりに、尻尾を巻いて逃げるヤツの背中を見送ったのは、今となってはいい思い出。

 このとき、あたしとヤツはそろって五歳。

 当時のあたしは、ガキの中にこの人あり、と恐れられたほど、ちょっとばかり口が立つ女の子で、ヤツはと言えば五歳児の間違った虚栄心か、おふざけ心か、自分のことを『ぼくちん』なんて言ってしまう、今となってはイタイだけの天真爛漫さで目立ったガキだった。

 あたしたちは陰と陽、いや、渋柿と柿渋くらいかけ離れた性質で、当然仲が悪かった。

 顔を合わせれば決闘だ、戦争だって因縁をつけられたし、このいたいけな女の子に決闘やらなんやら、腕っぷしの勝負を持ちかけて、力ずくで相手を屈服させようっていう魂胆が気に入らない。だから女子連中で徒党を組んで、コテンパンにのしてやったら、今度は男子を集めて大人数で挑んできて、呆然となった。こいつはここまで見下げたヤロウか、と、女のあたしがほとほと情けなくすらなる思いだった。

 武技の素養もないレディたちに、ガキとはいえ将来騎士になろうかという少年たちが挑みかかってこようとする。

 男子の本懐はどこ行った。

 おまえたちのそのこぶしは、女に振り上げるためにあるというのか!

 あたしの心は義憤に燃えた。

 だから大人に言いつけた。

 そしたら男の風上にも置けぬ不届き者どもは、そろってむち打ちのペナルティをくらい、ざまーみさらせと思った。

 あいつらの所業、今思い返しても腹が立つ。

 そういったいきさつもあって、もはやあたしはあの男やその取り巻きをバッサリと見限り、犬のウンコ以上に避け、顔も合わせないようにしたし、あっちはあっちで、あたしを人類史上最悪のチクリ魔とののしり、よっぽど暇なのかバカなのか、行く先々で姑息な地雷を仕掛けては、こっちが怒りだすのを待ち、おおやけに戦いの火ぶたが切って落とされることを期待していたようだったけれど、ことごとく無視して鼻で笑ってやっていたら、そのうちちょっかいを出してこなくなった。

 それから時は経ち、心の底から不本意ながら、あたしとこの男はありえない場所で再び顔を合わせることになる。

 思い出は思い出のまま頭の隅に沈めておけるから、むしゃくしゃはしても目障りにはならないが、あたしは今まさに目の前の人間を本気で海の中に沈めたい。

 目障りなダニ以外の何ものでもないこの男とは、できれば一生口をききたくはなかった。

 けれど、まさか、こんなことになろうとは。


呈杜宇(ていとう)、前へ」


 緑の襟に白い絹服という礼装を着た背の高い侍従長が、腰をかがめてあたしをいざなう。

 広間には大勢の人間がいて、前のほうを王族が固め、その次位にあたしの親族が並んでいる。

 壇上にあるシュミの悪いヒスイの玉座から一直線に伸びた光線が、まるで人垣を割ったとでもいうように、ここには一筋の道ができている。

 その道の先に立つのは、たった二人の人間だ。

 頭の先からつま先まで真っキンキンの、歩く延べ棒と化した皇帝陛下と、すべての元凶、彼の皇妃。

 そして、その二人のもとへ、あたしの先を歩くのは、幼き日、こいつの葬式には絶対に出るものか、と固く念じたあの男。それは今でも変わらない信条ではあるのだけれど、状況は大きく変わってしまった。

 あたしの歩みが春の雲よりも遅かったからか、さっきからしきりに侍従長が、「お早く、なるべくお早く」と、小声で催促してくる。

 できるかぎり、その瞬間が来ないように、時間を引き延ばしてしまえという魂胆だったのだけれど、親族席から首を伸ばしたわが父が、憤怒の形相でにらんでくる。

 今まさに、あたしの腕をひっつかみ、ズルズル引きずってでも皇帝夫婦の前に引っ立ててやるという気概に満ちている。

 状況が許せば、だけれど。

 あたしはたっぷりと時間をかけて歩いた。けれど、どんなに引き延ばしてみても、やはり終わりはきてしまった。

 列席した貴族たちは、どんなにじらされたか、侍従長がどれだけ冷や汗をかいたか、そりゃもちろん承知だけれど、こっちは死刑宣告を受けにいくのだ。

これは無きに等しい、ささやかな抵抗だったのだから、我慢してほしい。

 あたしが隣に居並んだとき、ヤツは横目で見て舌打ちしてきた。

 だからあたしもヤツをにらみつけ―――あたかも、まさにこの瞬間、皇帝陛下と皇妃の前で、勢いよくひざを折ったためにそうなったのだと見せかけながら、音高く舌打ちを返した。

 幼年から叩きこまれた作法通り、顔の前で水平に肘を曲げ、手のひらを合わせる。すると、銀糸で花模様を縫われた白絹の袖が、下げた頭のすだれになった。


「遅い。もっと速く歩け。タコかキサマは」


 同じように最上の礼の姿勢を取った隣の男が、さっそくボソッと因縁をつけてくる。

 うるせー。黙ってろ、ナマコ野郎。

 水面下であたしたちがどんな熾烈な合戦をしているか知らずに、皇帝陛下はもそもそと何か喋り、進行役の大貴族のダレソレかが、ウェッホンウェッホンやけに咳ばらいを多くしながら、長ったらしい何かを朗読したり、聖職者のお偉いさんが宝物をちょい見せにやってきたりしながら、式典は進んでいった。

 そしてとうとう、このときがきた。

 急にヤツの文句がピタリと止んだと思ったら、皇帝から名を呼ばれ、すみやかに立ち上がったのだ。


「呈杜宇」


 あたしも、名前を呼ばれてしぶしぶ立ち上がった。

 すると目の前にはにこやかにほほ笑んでいる皇妃がいて、両手では余るほどの大きな紅玉を持っている。

 隣の男は皇帝から柄に宝石がジャラジャラついた剣を受け取り、あたしは押し付けられるようにして特大サイズの紅玉を持たされた。


「皇太子殿下、おめでとうございます」


 振り返ると、列席した貴族みんなが膝を折り、あたしたち四人に向かって、最上級の礼儀を見せる。

 声を揃えて祝辞を述べる臣下を、皇帝夫婦は満足げに眺めている。

 しかし皇太子ドノはといえば、つまらなそうに剣の宝石をいじくっていた。

 するとそのとき、第二波が。


「皇太子妃殿下、一日も早く御子様を!」


 ふざけんなっ!

 すんでのところで、このタマで砲丸投げするところだった。


     〇


「許せない。絶対に許せない。呪ってやる……」


 だまし討ちにも等しい婚礼の儀式が終わると、同じ敷地内にある皇太子宮に連行され、歴代の皇太子妃が使っていたという忌まわしき部屋に隔離された。

 これからあたし付きになるという侍女たちの自己紹介が、あれよあれよという間に始まり、着替えさせられ、てんてこ舞いに世話を焼かれた。

 とりあえず一人になりたいので、すみませんがちょっと出てっててください、と引きこもったところで、すべてを破壊して回りたい破壊神の衝動に駆られた。


「なんであたしがこんな目に遭わなきゃならんのだーっ!」


 皇太子妃!

 よりにもよって、皇太子妃!

 相手は憎いアンチキショウ!

 もはや死んでも死にきれないっ!


「くおおお~っ! 騙されたーっ」


 寝台に置かれた綿枕をひっつかみ、バシバシと床をたたく。

 埃が舞って、むせた。

 このとんでもない事態は、一通の手紙から始まったのだ。

 二週間ほど前、あたしは皇妃小耀(しょうよう)さまから招待を受けた。

 息子とはアレだけれど、小耀さまとは昔から親しくさせていただいている。というか、なんだかあたしは小さいころから、彼女に一方的に気に入られていた。

 そんな小耀さまから、珍しいお菓子が入ったので、食べにいらっしゃいと誘われて、行かないわけがなかった。皇紀の誘いを断れるわけがないというのもあるけれど、この方はよくお菓子をご馳走してくれるのだ。小耀さまといったら珍しいお菓子、と刷り込みができているくらいで、のこのこと出向いたのが運の尽き。

 まだ見せたいものがたくさんあるから、と王宮に足止めされたあたしは、間抜けにも次は何食べさせてくれるのかしらん、と日替わりで登場する珍しいお菓子や料理に恍惚となっていた。しかし、皇妃たちのあこぎな計略は、すでに始まっていたのである!

つい三日前のことだ。

あてがわれた客室で、日がな一日、小耀さまとおしゃべりしては食っちゃ寝の生活を送っていたところへ、とつぜん両親がやってきて、お前は皇太子妃となる運命なのだ、だのなんだののたまった。

 稲妻に打たれたみたいに固まっているあたしを見て、小耀さまはウフフ、と楽しそうに笑っていて、両親はあたしにむかって万歳三唱した。

 次にはどこに隠れていたのか、ウチの侍女たちが部屋にどっとなだれ込んできて、


「おじょーさま、お悦びあそばせ、お悦びあそばせ~!」


 と、歓喜にむせびながらたくさんの長櫃を運んできた。

 あたしのお気に入りの、旅行用衣装入れである。

 愕然とした。

 皇太子妃? ふざけんな。断固抗議をいたす!

 しかし、あたしの抵抗なんぞぶんぶん飛び回る蚊の羽音にも同じ。

 パン、パン! と軽妙に叩き潰されておしまいだった。


「だってわたくし、前からお嫁さんはあなたがいいと思ってたんだもの。あなたに断る理由はあって?」


 断る理由はあるかって、個人的には大いにある。

 けれど、相手は皇太后に次ぐ、国で二番目にエライ女性。その人が権力をたてに迫ってきた以上、つまみあげられたら「ハイ、喜んで!」と、むしろ自分から胃袋に飛び込んでゆかねばならない。

 めちゃくちゃ嫌でも。胃液でドロドロに溶かされ、ゆくゆくは残りカスになって排出される運命にあるとわかっていても。

 しかし、もうごたくはいい。

そもそもあたしゃ、あの皇太子が、毛虫よりも嫌いだから、嫌なのだ! もはや生理的に無理のレベル。

「お嫁に来いよ」という皇妃からのアプローチは、たしかに前からあった。

 記憶しているところでは、あたしがいちばんやんちゃだった時代、七、八歳のころから、すでに誘いをかけられていた。

 あたしはハッキリものをいう子供だったから、「死んでも嫌です」と、そのことごとくを一蹴してきたはずだった。

 それでも変わらず、顔を合わせば皇妃は嫁に来いと言ってきたけれど、そう言われてぴしゃりと断るこのやりとりが、もう日常というか、ある意味挨拶、いや、往年のネタのようになってきていて、気にも留めなくなっていたところ、ハメられた。

 まさかこんな計略を用いようとは、思いもしなかった。

 ネタだと思っていたのは、あたしだけだったのですか? 皇妃よ!

 かくして、企画、立案、プロデュース・皇妃、演出、助手・両親の茶番劇に、まんまとひっかかったあたしは、泣きに泣き、隙ができたところで逃亡を図ったけれど、敵もさるもの、あえなく召しとられてしまった。

 それから悪夢の婚礼まで一直線だった。

 もうほんとう、みんな呪われてしまえばいい。

 食い意地のおかげで策略にはまり、晴れて皇太子妃の烙印を押されてしまった哀れなアタシ。

 だれが好き好んであんなサイテー野郎のもとへ嫁ぎたがるか。

 なんであたしなんだ。

 もっと他に、適任者がいるはずじゃないか。

うちは家格もそこそこだよ!


「あら、なあにぃ? 泣き伏してるの?」


 噂をすれば、なんとやら。

 扉の前には、すっかり礼服を脱いで、淡い紫色の衣に身を包んだ、美淑女がいた。

 年のわりには白髪なんぞ一本も生えていないつややかな黒髪を、金銀の花飾りで飾り、少女のように微笑んでいる。優し気な美人と言った顔立ちなのだけど、桃色の唇と珍しい青い目が、女でも見とれてしまうほどきれいなのだ。

 皇妃、小耀。

このたびの婚約とともに立太子した、皇太子のママである。


「バカ言わないでください。悔しくて、枕を……」

「あら、引きちぎっちゃっているじゃない」


 床に散らばった真綿と、びりびりになった青い布きれをみた皇妃が、侍女を呼んで片づけさせた。

 私がさっき下がらせた侍女たちは、仕事熱心にも、ずっと廊下に控えていたらしい。

 うぐぐ。

 あたしの実家の侍女たちは、下がらせたらお役御免とばかりに自ら進んで休憩に入るというのに、さすがは皇族の高級女官。

 輿入れのさいに生家からお付きの者を数人連れていらっしゃれば? という皇妃の言葉を、父がかたくなに固辞していた理由がわかった。

 ウチの者を宮廷に上がらせたらかえって失礼になる、と言っていたけれど、侍女としての格の違いだったのね。

 皇妃の指示に従っててきぱきと動き回る侍女たちをぼーっと眺めていると、一人と目が合い、するとサッと顔ごとそらされた。

 ぬっ?

 きょろきょろと、他の侍女の顔を見つめてみるけれど、みんな一様にサッと目を逸らす。

 なんだか、避けられているよーな……。


「今日はご苦労様ね、杜宇(とう)ちゃん」


 小耀さまにいざなわれて、長椅子に隣あって座った。

 侍女たちが、一瞬動きを止め、驚いたように振り返る。

 皇妃が他人をこんなに近くに呼び寄せるなんて、めったにないことだから戸惑っているのかもしれない。

 この部屋の侍女は、若い皇太子妃のために雇われた、新しい侍女なのだろう。みんなけっこう若いし、きれいどころが集まっている印象だ。ちょくちょく宮廷に来ているあたしでも、初めて見る人ばかりだった。


「こんなだまし討ちみたいなことをして、ごめんなさいね」


 皇妃がすまなそうに眉を寄せた。


「ホントですよ。全員呪われてください」


 あたしの不届きな発言に、侍女の一人が置物を取り落とした。そちらを見ると、慌てて顔をそらされてしまった。


「相変わらず、物騒なことを言うのねえ。そんなことばかり言っていると、誤解を招いて城を追われてしまうわよ」

「こうなった以上、いっそ本望です」

「やーねえ、ヘンテコなことばかり言って!」


 あたしの悪態には慣れっこの小耀さまは、ケラケラおかしそうに笑っているけれど、侍女たちはそうではなかった。怖い顔をしてにらんでくる人もいる。

 この人たちの前では、ちょっと調子を改めた方がいいのかなあ。じゃないと、そのうち後ろからぶすりと闇討ちをされそうだ。


「というか、小耀さま。本当に、真面目に、こんなことをするなんて思いませんでした。ひどいんじゃないですか。めちゃくちゃひどいですよね。あたしはお菓子食べにここに来ただけなんですよ」


 侍女が一斉に振り返ってこちらを見る。

 やばっ。闇討ち確定?


「そんなことを言われても、わたくしだってじゅうぶん待ったのよ? 待ちすぎて二人とも十六になってしまった。皇太后さまははやく孫を立太子なさいと仰るし、板挟みになったわたくしの気持ちにもなって、杜宇ちゃん。わたくし、けっこうつらかった……」


「いや、知らんがな」

「知らんがなって、ひどいわ杜宇ちゃん! まるで他人事! これからは二人三脚であのババ……」


 あのババア?

 小耀さまが、咳払いする。


「皇太后さまに立ちむかっ……」


 皇太后に立ち向かう?

 小耀さまが、とても大きな咳払いをする。


「……いえ、これから、三人で力を合わせて奥向きのことを取り仕切ることになるというのに、まるで気持ちがこもってないのね!」


 いやいやいや!

 あんた、ただ気心知れたあたしを、手持ちの駒としてズブズブの嫁姑問題に引きずり込みたかっただけだろう!


「気持ちなんてこもりようがないですよ! 何度も言いますが、あたしはお菓子食べに来ただけなんですからね! 力を合わせるなら仲良く皇太后さまと二人でやってくださいよ!」

「そんな。ひどいわ、杜宇ちゃん! あなた、力になるって、いつも言ってくれたじゃない。わたくしの悩みごとを聞いては、わかるわ~って、ウンウン頷いてくれたじゃない!」

「そりゃ打ち明け話だったからですよ! なにも現実に我が身を賭して嫁姑の防波堤になる気概なんか、サラサラなかったですよ!」

「でも、そんなことがなくっても、わたくしは杜宇ちゃんがよかったんだもの! 前から言ってるじゃない。息子の嫁に来なさいって。ぜんぜんいうこと聞いてくれない杜宇ちゃんだって悪いのよっ」

「だからって、まさかこんな手段に打って出るとは思いもしなかって言ってるんですよ! むちゃくちゃですぜ、アンタ!」

「だってえ、だってえ……呈家の御両親やご長老まで、もろ手を挙げてよろこんでくださったのよ」

「ウチのジジイも!?」


 長老とは、隠居した祖父のことだ。七十歳を超えているので内外からそう呼ばれているが、隠居した身のくせに俗世のことにしゃしゃり出る。

 ジジイも今度の皇太子はバカ太子と見限り、一緒にののしっていた同志だったのに、くそっ、ジジイめ……ついにモウロクしたか!


「そうよ。見て、杜宇ちゃん。呈長老ったら、あなたを軟禁するまでの段取りを、詳細に書いてお手紙でご指示くださって……ノリノリだったんだから」


 懐から、ジジイからの手紙、否、計画書だという代物を取り出し、渡してくれた。

 手紙を開くと、たしかにジジイの筆跡で、ここ一か月のあたしの予定、どうやって興味を引くか、宮廷に渡ってから婚礼までの手はず、事前に知らせてしまうと暴れ出すので、できるだけギリギリにネタばらしするがよろし(当日の朝では段取りを把握するには無理がある頭なので回避すること)、といった注記まで、事細かく書かれてあった。


「呈長老のこの手紙がなければ、わたくしたち、きっと計画を成功に導くことはできなかったわ……」


 あんの、ジジイ~~~~!!!!

 ビリビリと、悪魔の計画書を破く。

 ハラハラと真っ白い紙が床に散った。


「百歩譲って! ウチの野心家どもの黒い腹の中はしょうがないとしましょう! でも、あたしが皇太子と仲が悪いのはみんな承知ですよね。とくに小耀さまは、いやというほど!」


 声を張り上げたせいで、侍女たちの視線をまた集めてしまった。

 しかし、かまうものか。

 小耀さまは、神妙そうにうなずいた。


「それはもちろん知っているわ。でも、そんなの関係ないの。息子だって承知の上のことなのよ」

「はあ!?」


 あの腐れ外道が、このあたしとの結婚を承諾済みだって!?


「天変地異の前触れですか!?」

「いやあね、杜宇ちゃんたら。あの子のほうはとうに覚悟、いえ、前々からそうなることには納得していたのよ。だって再三母親が呈家との婚姻を望むのだし、考えてみれば当たり前よねえ」

「そ、そんな……」


 ヤツはあたしよりも早く、この地獄の艱難を受け入れる気持ちを固めていたというのか?

 な、なんという器のデカさよ。

 いうなればムカデとゴキブリがおなじ壺の中に入ろうというもの。

 取り乱した自分が少々なさけな……


「まあ、あの子にとっては妃の座なんて関係ないのよね。ただのお飾り。交換条件に、『最初の妻は母上の希望に沿いますが、あとは自分で好きにやらせてもらいます』だなんて、いっちょまえの口をきくのよ。男の子って、いきなり大人びたことを言うのだから、困ってしまうわ」


 ……なぬっ?


「それでね、聞いて、杜宇ちゃん。あの子ったら、『これが決まったら、もう私の事情には口を出さないでくださいね』とか、『第二夫人以降は自分で選びますから、お構いなく』とか、言うのよ! 母親に向かって、なんて口をきくのと叱ったら、『呈家の息女と話しているときの母上の口ぶりはずいぶんくだけているようだから、うらやましくて』とか、平気でうそぶくのよ! わたくし、悔しくて悔しくて……そのことが記載された契約書を渡されて、署名捺印を迫られたのだけれど、腹いせに、破ってやったわ!」


 フンッ! と得意げに胸をそらしているけれど、小耀さま、一度自分の周囲を見渡してみましょう。

 若くきれいな侍女たちの目が、よこしまな野望で光っています。


「交換条件に、署名捺印かあ……」


 ナルホド。新米皇太子のヤツもよく考えたもんだ。

 母親が求める呈家の娘との結婚を承諾することを貸しにして、引き換えに妃、愛人作り放題の権利を得ようと画策するとは。

 しかし、その発言こそが、アイツがとことんまで女の敵であることのゆるぎない証拠。

 そりゃあこのご時世、どんな男にも正妻の他に愛人はいてもおかしくないけれど、フツー、母親の前で、


『ぼくちんハーレムを造るけど、これで文句言わせないぞ!』


 なんて、啖呵を切るもの?

 ないわ~。どこまでもくそ野郎だわ~。

 ますます嫌いだわ~。


「生意気な子でしょう? だからね、わたくしだって決めたのよ。あの子がいくら美人で性格のいい女性を連れてきたって、わたくしのお眼鏡にかなわなきゃ、ゼッタイに後宮には入れてあげないって。なぜって、いくらあの子が駄々をこねたって、後宮を取り仕切るのは結局わたくしたち、正妻の務めなのですからね」

「あの、今、さりげなくまだ見ぬ女とあたしを対比してます?」


 小耀さまがつと目を逸らす。

 美人で性格のいい……。

 小耀さまから見ても、あたしって真反対の人間なんですね。

 こら、そこの侍女! 隠れてガッツポーズをしない!

 まだ勝機はわからんぞ! ぬかるんじゃないっ。


「というか、あたしって飾りなんですね……」


 それがわかって、ちょっとだけ力が抜けた。

 そういうことだったら、まだなんとかなりそうな気がする。

 身内公認の仮面夫婦ってやつだ。

 夫(仮)は外で愛人といちゃラブし放題、一方の妻(仮)は、友達のような関係の姑と、毎日珍しいお菓子を輸入し、食べ放題……。

 じゅるっ。


「飾りだなんていわないで。あなたは名実ともにわたくしたちの家族になったの。もう立派な戦力なのよ!」

「小耀さまにとっては、対皇太后戦にかけての一つの布石なわけですね……」


 小耀さまが、小さく咳払いする。


「まあ、なんというか、これからよろしくってことよ、杜宇ちゃん」

「しょうがないですね」


 もう後戻りできない状況になってしまった。

 はなはだ不本意な現実だけれど、こうなっては全力で珍菓を食らう道をひた走るしかあるまい。食らうっ、食らうっ、食らうって生きる!

 小耀さまが、あたしの腕を握り締め、じっと見つめてきた。

 だからあたしも見つめ返す。


「でもね、ものは相談なのだけど……」


 美しい青い瞳が、きらっと光る。


「あなたたちの子どもの顔が見られるなんていうことは……」

「皇太后に寝返りますよ」


 みるみる青ざめてゆく小耀さまに向けた笑顔の向こうで、しっかと見た。

 新米皇太子妃付きの侍女たちが一斉に、胸に手を当て、天を振り仰ぎニヤけていたのを。


お読みくださって、ありがとうございました。

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