好き放題エッセイ1
みなさん、こんにちは。海蔵樹法です。
みなさんは、「脳」についてご存知でしょうか?
そうです、頭の中に入っている、アレです。
脳って、我々が生きているうちに、約3割程度しか使えないで一生を終えてしまうんですって。あ、ご存知だったらすみません。
脳の大部分の機能って、未だに解明されていないそうですよ。そりゃそうですよね。機能していない部分を確かめようがない。
でも、遥か昔にはフルに脳が使われていたって話があるんですね。
でね、考えたんですよ。脳が実は、こんな能力を秘めているんじゃないかってイフな話が色々あるけど、本当かなぁって。
◎ケース1:テレパシー
これはよくある話だと思うんです。実は脳には通信機能があって、気の遠くなるような大昔、まだ言葉という概念が存在しなかった時代、使われていた。でも言葉が発達してきて、次第にその機能を使うことがなくなり、遂には使用されなくなってしまった。でも不思議じゃないですか?言葉を「発する」っていう労力を割かずに意思疎通ができるんですよ?
これが仮に事実だとして、何故「効率性」よりも「労力」を取ったのか。これに関してはごくたまに思い出しては凄く気になってます。
「文字」はわかるんですよ。音声を発しようがテレパシーをしようが、人間の記憶が曖昧であることには変わりないから、後世に残すために文字を作った。合点がいきますよね?
◎ケース2:凄まじい分析能力
これも結構ある話ですよね。というか、科学的に突き詰めていったのならこの結果に行き着く気がします。脳が情報を受け取って、それを処理するために神経に電気信号が走る。単純な一工程がこれなら、使う範囲を、電気回路の量と通り道のパターンを増やせば、自然と性能は増す。つまり脳の使っていない部分を使うなら、普通に考えてこうなることが予想されます。が、これは夢がないのでそこそこにして飛ばします。次。
◎ケース3:千里眼
これは私は怪しい気がするんですよね。だってそれって、カメラの役割を果たす目が良くないと意味がないんですから。もし脳の性能アップで視力がよくなるなら、そもそも眼科はみんな廃業ですね。メガネ屋はおしゃれに突出するしかないし、失業率大幅アップ間違いなしです。仮に脳で像を捉えているとしましょう。疑問湧きませんか?「何故目を持って生まれてきたの?」って。
ただねぇ、これねぇ、この疑問打ち砕いちゃう生物一杯いて困っちゃうんですよ。例えばホタテ。あいつらの目って、物凄い高性能って話があるんですけど、殆どその性能を発揮されてないんですよ。人間の目より性能が良いのに、残念ながら脳があじゃぱーな感じらしいので。
人間工学の偉い人とかが言ってたような言ってなかったような、やっぱり言ってたような気がしますが、「人間には無駄なパーツが一つもない」って言うんですね。でもね、例えばね、虫垂炎の原因でお馴染みの盲腸。あれ、いらんくないっすか?
大分本題から脱線しましたので強制的に戻しますが、要は私は千里眼否定派ってことでした。
◎ケース4:テレポート
さぁ、いよいよ怪しさ満点の内容に突入です。人が消えて、次の瞬間に違う場所に現れる。有り得ない!でも有って欲しい!!
念じるだけで、あんなとこにもこんなとこにも。好きなあの子の部屋の中や、銀行の金庫の中だって、行きたい放題です。
良いですねぇ。実に良い。ただ世紀末始まりますよね、これ。
警察組織はもはや無意味。警察もテレポート使えても、結局テレポートで逃げ回れる。あちこちテレポートを慌ててしてるうちに、壁の中にうっかりテレポートしてそのまま御用、とかね。あと人の体の中とかテレポートできたら……やだなぁ。
で、実はこの話題に関しては最もらしい考えを一つ用意してるんですよ。
何故、テレポートができないのか?
そ・れ・は~…………個人が確立されてしまっているから。と、私は思います。先ほどのテレパシーにつながる話ですが、人が自分として「認識」している限り、人一人は「一個」の生命体ですよね。ということは、細かい単位での意思の疎通は無理です。
だから、例えば、「あの子が好きだ!よしテレポートだバビュン→あんた誰よ知らねぇしうぜぇわ」となると、どうです?テレポート、したくなくなってきませんか?
テレパシーもそうですよね。もし「念じる」だけで意思が伝わってしまったら、「あいつ良いとこあるんだけど、イマイチ顔がタスマニアデビルっぽくて好きになれんわビビッ→ああん何だコラやんのか?」となりますね。どうです?テレパシー、いらなくなってきませんか?
そんな訳で海蔵は、きっと人類の遠い遠い祖先たちも、くだらん失敗を繰り返して今に至っている気がしました。次。
◎ケース5:ヒーリング
何故これが消えてしまったのか。これだけはわかりませんね、えぇ。
だってあれですよ?
「く、今のは効いたな…」
「大丈夫ですか勇者様!ホ○ミ!」これが現実に出来ちゃう!
他には、子供が転んだ時だって、
「うわーんお母さん、痛いよー!」
「あらあら大変。痛いの痛いの、飛んでけー♪」
「おわぁぁあ!?治ったぁぁあ!?」ってな具合に子供もビビリます。
怪我を治すのって「手当て」って言いますよね?あれって、痛いところに手を無意識に当ててしまうからだけでは無い様な気がします。きっと遥昔は本当に手を当てるだけで傷が治ることがあった、だから「手当て」である。そう信じたいですね。
◎ケース6:予知
これはね、あったら便利な反面詰まらない。予知能力を持つ少女の話を書いてる私がこんなこと言うなんてって感じですが、それはそれ、これはこれです。
でも仮に予知能力があったら何に使います?テストの答案?次に売り時買い時の株?取引先の行動?多分、それもあるでしょうが、大部分の人が「自分がいつ死ぬか」を見てしまう気がしてならないですね。
それが5年10年先ならまだ良い。しかし、すぐ次の瞬間だったら?それか一週間後とか、微妙に期間が空いていたら?生きていく気力、湧かなくなりませんかね?
だから多分、予知なんてできない方が良いんですよ。先を知ることが良い事ばかりじゃありませんからねぇ……。
とまぁ、こんな感じで列挙してみましたが、脳に関する個人的かつ偏見に基づいた分析は以上です。
で、なぜこんな話を書いてしまったか。それは、気が向いたからです。
こんな感じで思いつくままに文章を走らせることで思いつくこともありますし、何より気が紛れます。「なら文章で掲載するんじゃなくて、ブログでも何でもやりゃあいい」とお思いでしょうが、日記とかブログとか、なんか苦手なんですよね。
だから、こういう形で気になって思いついたことを文章にしました。文章構成の練習にもなりますしね。
それではではでは、ご機嫌よう。
お読みいただいた方、本当にごめんなさい。
そしてお付き合いありがとうございました。