File.1-7『悪意ある牙(ファング)』
とあるオフィスの一角で、一人の白衣の男性が座っている。白髪もなく顔にもシワがないことからまだ二十か三十くらいの年齢に思えるが顎周りに生える無精ひげがそう感じさせない。
彼は右手で自分の机にある紙コップに入れられたコーヒーを口へ運びながら、左手に持つクリップボードに挟まれた書類をメガネをかけた細目で見つめている。
「いやぁ・・・・・・イカズチ君がしくじるとはねぇ。流石は倉武のMTナンバーといったところかな」
彼の持つ書類には宮本雫のもとに居るあのロボットことMT01に関するデータが記述されている。内容は実際に接触する前のもの、そして接触した後に得られたものの両方である。
彼は書類の内容を見てまるで漫画を読むかのように笑みをこぼす。
「随分と楽しそうに眺めてますね、《部長》?」
そんな彼に呆れた口調で歩み寄ってくる女性。それは倉武技術興業に盗みに入った強盗を叩きのめしたあの女性だった。
「おー、伊室君。おかえりぃ!」
そんな彼女を満遍の笑顔で迎える「部長」と呼ばれた彼。彼はこの女性の直属の上司であり、彼女が働く職場の責任者である。
彼こと部長は女性の方を見て怪訝そうに首を傾げる。
「あれ?伊室君、チェイン君とフォルン君は一緒じゃないのかい?」
部長にそう言われて女性はどっと疲れた表情になる。
「部長、仕事で組むことが多いからってあたしとあいつらをセットにしないでください。あと、あいつらなら先日にコソ泥どもから押収した潜入用道具の解析結果を情報室の連中から訊きに行ってるところです」
「なるほどなるほど、仕事熱心で結構結構♪」
そう言ってコーヒーを口に運ぶ部長。女性の方はそんな部長の左手にある書類へ目が入る。
「ところで部長、01の件はどうなりましたか?」
「うん、イカズチくんに頑張ってもらったけど取り逃がしちゃった」
「取り逃がしたって・・・・・・」
崩さぬ笑顔で語る部長に女性は「何言ってんだこいつ」的な呆れた表情になった。
「そう、捕まえられこそしなかったけど・・・・・・01に関しては色々と面白い報告があってね。それを読んで思わず顔に出ちゃったわけさ」
「・・・・・・で、その面白い報告ってのは何なんです、部長?」
「知りたい?」
「必要なら知っておかないと。でなきゃ、私ら使いっぱしりは苦労するんで」
仏頂面で上司に対して皮肉るように言う女性。そんな彼女に部長は笑顔を崩さぬまま口を開く。
「01に搭載されてるAIね・・・・・・イカズチ君と明確な意思を持って「会話」してみせたそうだよ」
「・・・・・・っ!!」
途端に女性の表情が厳しくなる。そんな彼女の変化を満足そうに眺めつつ、部長は話を続ける。
「イカヅチ君曰く「かなり人格が整形された喋り方だった」とか・・・・・・すなわち、今01に搭載されているAIは稼働時間がそれなりに経過しているものか、それとも・・・・・・」
「・・・・・・《ヒューマニックスライド》の可能性があると?」
女性の問いに部長は大きく頷いた。対する女性は思う所があるのか拳を握り締める。部長は両手にあるコーヒーとクリップボードを机に置き、両手を握り合わせて女性の方を向く。
「おや、イラついてるねぇ伊室君。まぁ、気持ちはわからなくもないけど」
「あれは理論上止まり・・・・・・いえ、卓上の空論も同然のイカれた存在です。まだ手を出してる馬鹿がいたんですか?」
「さぁね、あくまでその可能性もあるってだけだし。理論上はもう可能な技術レベルにまで到達してるらしいけどね。まぁ、面白いのはこの部分だけじゃないんだ」
「・・・・・・まだ何か?」
女性は怪訝そうな顔になる。部長は握った手を解くと右人差し指をクリップボードの方へ指す。
「イカズチ君にはこれとは別件の仕事もお願いしてたよね」
「はぁ・・・・・・倉武の役員にちょっかい出してる奴から役員の家族を守る護衛任務のことですか?」
「そうそう、それそれ!」
部長は細めていた目をわずかに見開きながら続ける。
「01ね、その事件と関わっちゃったみたい。しかも犯人の思惑を潰す側で」
「ハァアッ!?」
女性の驚いた声がオフィス内に木霊した
*
翌日、僕とその隣に佇む仔猫は、僕らの目の前で考え込んでいる雫さんの様子を眺めている。
「う~ん・・・・・・」
唸る彼女の姿に僕と仔猫はお互いを見る。恐らく、僕と子猫は同じことを考えている。僕達がそう考える理由は一つ、雫さんが今にらめっこしているノートだ。そこにはいろんな固有名称が無蔵雨に書きなぐられているのだ。
つまり、あのノートに書かれている単語一つ一つが僕達に付けられる名前の候補というわけだ。
『僕達、どんな名前になるんだろう・・・・・・』
「ニャー・・・・・・」
期待と不安が募る中、僕達は雫さんの背中を眺めていた。
駄目だ、どんな名前が候補に上がっているのか気になってしょうがない。僕は湧いてくる好奇心に逆らえず、彼女がノートを広げる勉強机まで身を運んだ。
そして、恐る恐るノートの中を覗く。
【マイケル】【スティーブン】
何処の外国人?
【青武者丸】【猫之助】
時代劇やそれをモチーフにしたアニメに出てきそうな名前だな。
【ブルースブレードマン】【ニャニャンニャン】
もはや安直すぎてコメントできない。
『・・・・・・・・・・・・』
正直、見ないほうが良かったと思いながら絶句した。彼女のネームセンスが色々と痛かった。これが僕達の名前になると思うと、なんだかゾッとする。
「ねぇ、君はどれがいいと思う?」
『え、ええっとぉ・・・・・・』
不味い、話題を振られてしまった。正直、こんなの返答のしようがないじゃないか。対する雫さんは僕の答えを待つように綺麗な瞳をキラキラと輝かせながらこちらを見ている。やめてくれ、そんな期待に満ちた目で僕を見ないでくれ。
改めて僕は彼女のノートに目を向ける。駄目だ、とてもじゃないが自分の名前としては使いたくない名詞ばかりだ。
「もしかして、気に入ってもらえなかった・・・・・?」
雫さんは今度は悲しそうな表情になった。やめて、今度は罪悪感で自己嫌悪に陥りそう。
『だ、大丈夫!雫さんならそのうち誰も考えつかないようなセンスのある名前を考えつくよ!!』
「・・・・・・本当にそう思ってる?」
と、今度はジト目で言ってくる。ごめんなさい、勢いでその場を取り繕おうとしました。言い返せずに固まってる僕の姿を見て雫さんもそれを察したらしく、大きくため息をついて椅子の背もたれに体を預ける。
「案外、難しいね。名前を考えるって」
『そうみたいだね』
「・・・・・・君の名前でしょ、君も真面目に考えてよ」
『はい・・・・・・』
そう言われて僕も彼女と同じくうなだれた。名前を考える、本当に難しいですね。
実際、僕も考えてみるけどいい名前なんてそう易々と浮かばない。
「・・・・・・・・・・・・」
『・・・・・・・・・・・・』
「ニャー」
時間だけが無情に過ぎ去り、小動物が毛づくろいを始める。
「・・・・・・雫ぅ!ごめん、ちょっとお昼ご飯の用意を手伝ってぇ!」
「あ、はーい!!」
一階の方で雫さんの母親の呼ぶ声が聞こえた。雫さんはそれに返事を返すと椅子から立ち上がって扉の方へと向かう。
「ママに呼ばれちゃったから名前考えるのはちょっと休憩で」
『ああ、わかったよ』
僕達のいる部屋から出ていく雫さんの背中を見送り、僕は再び彼女の書きなぐったノートを見やる。失礼な物言いだが、流石に付けられたくないと感じるセンスの名前ばかりだ。ページをめくっても同じだった、こんな名前をつけられたら恐らく周りから笑われる。
『僕達、ある意味で大ピンチかも知れない・・・・・・』
「ニャー・・・・・・」
僕達は揃ってうなだれた。
その時だった、その場に異変が起こったのは。
「きゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
『っ!?』
突如、一回から雫さんの悲鳴が聞こえた。僕の神経に緊張感が走る。何だ、何が起こったというんだ。
《警告、索敵圏内に戦闘モード状態と思わしきPGG反応を確認》
《対象の反応数:三機》
『PGG・・・・・・僕と同じ小型のロボットが!?』
しかも戦闘状態で、一体なぜこんなところにそんなものが。しかし今は考えている暇などない。僕は急いで机から飛び降りると閉まっている扉の方へ向かい、扉についているレバー式の取っ手に飛びついて開こうとする。
『っ・・・・・・開かないっ・・・・・・!』
しかし僕の体重ではとってはビクともせず、レバー式のとっては一向に下がらない。このままでは雫さんのもとに向かうどころかこの部屋を出ることもできない。
「ニャー!」
そんな僕を助けるように仔猫も取っ手に飛びかかる。今度は仔猫の体重も相まってレバーは下がり、僅かな隙間を作る形で扉は開いた。
『上出来だ!!』
「ニャッ!!」
僕達がレバーから飛び降りると、子猫は身を低くかがめて僕の方を凝視してくる。
『お前・・・・・・』
背中に乗れ、僕には不思議とそいつがそう言っているように感じた。そうか、こいつも雫さんのことを助けようとしているのだ。
『行こう、相棒っ!!』
「ニャー!!」
僕は仔猫の背中に跨り、その直後にそいつは僕を乗せて扉の隙間から駆け出す。
段差が僕の背丈の倍以上もある階段を滑るように駆け下り、雫さんのもとへと急ぐ。場所は恐らくPGGの反応があるところだ。
『あっちだ!!』
「ニャッ!!」
僕が指さした方角へ仔猫は走る。
辿り着いた先は厨房、そこには雫さんと彼女の母親と思われる女性がいた。二人共身を寄せ合って何かに怯えている。
二人の視線の先を眺めれば目に入ったそいつら、僕と同じ鋼でできた小さな体を持つ人型が三機いた。
校舎内で交戦したブラストルとは全く異なる灰色の機体、装備している武器はサバイバルナイフの様な形状の剣だ。
『ブラストルとは違う・・・・・・こいつらは?』
《対象のPGGを解析、データ照合...》
《該当データ有り:件数1》
《倉武技術興業製PGG『PGM006・ワッチドッグ』》
《施設警備用に設計された特別法人向けセールスモデルです》
《あらゆる地形環境において汎用的に活動できる柔軟性が特徴です》
《対象の機体は仕様にない“銃刀法に抵触する装備”があることから違法改造されている可能性があります》
『倉武技術興業・・・・・・ブラストルと同じ出処っ!?』
その疑問に答えるようにナビが解析し、その情報を僕の視界に表示する。それよりも・・・・・・。
『“銃刀法に抵触”で“違法改造”ってことは・・・・・・人間を殺傷可能って事か!?』
僕が驚いている間にも目の前のロボットことワッチドッグ三機は雫さんと母親ににじり寄ってくる。
『っ・・・・・相棒!!』
「ニャアッ!!」
僕の掛け声に呼応して、仔猫は僕を乗せた状態で雫さん達とワッチドッグ達との間へ割って入る。
「あ、君は・・・・・・!!」
『雫さん、大丈夫!?』
自分の背中にいる雫さん達に声をかける。
「こ、今度は何!?また訳のわからない人形が!!」
「ま、ママ!大丈夫、このロボットは・・・・・・!」
母親の方は錯乱しているが今はそれどころではない。目の前のワッチドック達は手に持った刃物を構えてこちらに向かってくる気だ。
『雫さん、お母さんを連れてこの場から逃げて!』
「に、逃げるったって何処に!?」
『何処って「フニャアッ!!」・・・・・・!!』
こちらが会話する暇も与えず一番前にいた機体が飛びかかってきたのを、仔猫が僕を乗せたまま横に飛んで避ける。
『そっちがその気ならっ!!』
《メインAIの判断により対象を【enemy(敵)】と認定》
《ナビゲーションを通常モードから戦闘モードへ移行、敵対する反応の排除を第一目標に設定》
こちらも戦闘モードに切り替え、武器である陽電子カッターを構えようと左肩の装甲に手を伸ばす。
だが、そこからカッターの握りは出てこなかった。
『!?どうして・・・・・・!?』
《陽電子カッター:スロットに武器なし》
ナビからはそこにカッターが収められていないと出てくる。そこで僕はブラストルとの戦いの結末を思い出す。
『あの時に落としてきたままか!?じゃあ他の武装は・・・・・・!!』
《機体状態を表示...》
《現在、使用可能な武装をリストアップ...》
《警告、現在使用可能な武装はありません》
『丸腰なの!?』
なんてことだ、こんな時に限って武器がないなんて!
しかも僕のピンチはそれだけではなかった。
《背部ダッシュブースターに重大な損傷、使用不能》
《各部ダメージレベルイエロー、装甲耐久力約65%》
『武器はない上に・・・・・・あいつとの戦闘のダメージが残ったままか・・・・・・!』
極めて不味い、こんなボロボロの身体かつ武器がない状態で武器を持つ相手に挑むのは自殺行為だ。それも相手の頭数が自分より多いとなれば尚更である。
そうこう言っているうちにいつの間にか回り込んでいた別の奴が別方向から襲い掛かってくる。
『うわっ!?』
「ニャアッ!?」
突然の攻撃に相棒から僕は転げ落ち、相棒も驚いて距離を取ってしまう。
更に倒れた僕に向かって最初に飛びかかってきた奴が刃を振り下ろしてきた。
『ちぃっ!!』
身を転がして刃を避け、なんとか起き上がる。直後、そいつから続けざまに斬撃をお見舞いされた。
『わわっタンマタンマ!?』
ちょっと待つように叫ぶが、無論そんな事を聞いてくれる相手ではない。情け容赦のない攻撃が襲いかかってくる。
「きゃあああああぁぁぁぁぁっ!!」
再び聞こえる悲鳴に、僕は思わずそちらの方を向く。
僕がワッチドッグ二機相手に逃げ惑っている間に、残りの一機がその場から動けずにいた雫さんたちにゆっくりと近づいているのが見えた。
一緒に来た仔猫は威嚇して追い払おうとしているものの全く効果がない。いつまでもこうしてはいられないぞ。
『何か・・・・・・何か武器はないのか!?』
僕は厨房内を見渡し、武器になりそうな物がないか探す。
そんな時、開けた食器乾燥機内にかけられたそれが目に入った。
『あれだ!!』
僕が口にすると同時に振るわれる斬撃。それを跳躍してかわすと同時にそれに飛びついて引き抜いた。
雫さん達に向かっていた一機が襲いかからんと飛びかかる。僕はそれを持ったまま、雫さん達をを庇うように割り込む。そしてワッチドッグが振り降ろそうとしていた刃を手に持ったそれで受け止めた。
受け止めると同時に甲高い金属音が響く。僕はそのまま相手の刃をそれで振り払い、そのまま振り回して当身から薙払い、そして突きのコンボを放つ。
僕の放った突きの一撃で相手の身体は大きく後ろへ飛ぶ。
『身体が小さければ、こんなものだって立派な武器になる、か』
それは本来、武器ではない。何処にでも売っているものだが、武器として扱うには十分な殺傷能力があった。人間の手に収まるサイズかつ金属でできたそれは小さいロボットの僕にとっては非常に頑丈な「槍」も同然だった。
そして、それはこいつらと戦うのに十分な武器となり得た。
『さぁ、ここからが本番だ!!』
僕は灰色の襲撃者三機を相手に、手に持つそれこと「ステンレスフォーク」を槍の如く構えた。