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斑狂ひ

作者: 天洋

 産まれたばかりの赤子は、母親ばかりか村中を驚かせました。

 男の赤子の首には目立つ丸い痣があり、まるで誰かが親指で墨を付けたかのようでした。

 脱げば体には斑の模様がいくつもあり、痣のないのは手と顔だけでした。特に背中にたくさん斑痣はあり、南蛮からやってきた豹のような具合でした。

 村人たちははじめは気味悪がりましたが、赤子がまじめな少年に成長するのをみて、そのうちみな慣れていきました。

 男の赤子の家は貧乏な農家で、十二歳になってから上方へのぼり大店のうめ津屋という回旋問屋で丁稚として働くようになりました。

 まだら、とあだ名を付けられ、女中頭に尻を叩かれながら必死に朝から晩まで働きました。夜は煎餅布団に倒れ込み、夢も見ないで眠る毎日です。

 ただ、はじめてまだらをみる客が気味悪がると言うことで、まだらはだいたい店の奥の方で、人目につかず仕事をしていました。

 

 まだらが十六歳になった頃、妙な視線を感じるようになってきました。

 視線はまだらが諸肌脱いで庭掃除や井戸掃除をしている時に強く、ねっとりとまとわりついてきます。

 まだらはなんとなくその目線はうめ津屋の女将ではないかと思いはじめてきました。

 まだらが何となく視線を感じるとき、いつも斑目の着物の袖がちらりとのぞいていたからでした。女将は年増でやせ気味の女で、いつも南蛮の珍しい動物の柄物を身につけていることから、巷では洒落者で通っていました。

 女将は他の丁稚や女中がいるときはすました顔でピシピシ指示をとばすのですが、まだらが一人で仕事をしていると決まってそっと遠くから眺めているのでした。

 女将の目線は日に日にねっとりと重くなり、ついにある日まだらは女将の座敷に呼び出されました。

「あんた、なんか下手でも打ったんかい」

 女中頭が顔をしかめて言いました。

 まだらには女将に呼び出される失敗を犯した覚えはありません。もし失敗なら番頭や主人が叱るはず。

 不思議に思いつつ女将の待つ座敷にいきました。

 夕暮れ時の縁側から部屋にはいると、昔浮世絵でみた大獅子の皮が床に敷いてあります。たいそう見事な毛並みのそれは、皮を剥がれてもなお襲いかかるように、太い両手足を広げているのでした。

 

 まだらがおずおずと座敷に入ると、女将が一人で座っていました。傍らには硝子の器に入った血の色をした赤い飲み物が置かれています。噂には南蛮から持ち込んだ酒とのことです。

「そこにお座りよ」

 女将の粘っこい声が言いました。

 まだらは半纏の裾を握りしめながら、恐縮して女将の前にぺたりと座り込みました。女将の蛇のような目が、少年の首筋をなめるように見つめます。

「ほな、その半纏をちょっとお脱ぎや」

 女将の視線はさらに重くなり、まだらは震えました。

 おずおずと半纏を脱ぐと、女将はかすかに首をかしげました。

「袷も。それから背中を見せてえな。早う」

 女将は膝を浮かせるようにして、まだらに言いつけました。にやにや笑いからのぞくお歯黒が不気味に見えます。

 まだらは小さく応えて、袷を脱ぎました。

 女将はほう、とため息をもらした後、傍らの赤い酒をぐいっと飲み干します。女将はついに立ち上がって、まだらのまわりをゆっくりと回りました。その間、肌を舐めるような視線がまだらを悩ませました。

「もうええわ。お仕事にお戻りや」

 女将に言われ、まだらは座敷から転がりでるように仕事場へと戻りました。

 

 それから数日後、まだらはまた女将の座敷に呼ばれました。それを伝えにきた手代は訳知り顔でつんと澄ましており、まだらはまた不安を抱えながら夕暮れに女将の座敷にゆくのでした。

 声をかけて障子を引くと、女将がそこに座っていました。年増にしては少し派手すぎる蛇柄の帯を締め、にやにやと笑っています。その傍らにはあいかわらず赤い酒が入った硝子の器が置かれています。

「肌をおみせ」 

 女将に言われて、まだらは以前のように半纏と袷を脱いで上半身を晒しました。

 女将はまだらの背後に立ち、ふいに冷たい手で肩に触れました。

 まだらは思わずビクリと震えました。

「あんた、これは生まれつきかい?」

 女将が、まだらの斑痣のことを言っているのはわかりました。

 まだらは声も息も漏らさず、ただ顎を引いて頷くだけでした。

「見事やなぁ・・・」

 女将がうっとりとした声を漏らします。

 まだらの斑痣は子供の頃から変わらず、背中をきれいに覆っていました。普段の仕事でついた筋肉の盛り上がりも加わり、いわれてみれば確かに見事な模様になっていました。

 女将の指が斑痣をひとつひとつ撫でていきます。満足げに撫でては、もう片方の手に持った赤い酒をちびちびとすすります。

「もうええわ」

 しばらく撫でまわした後、女将がふいにそう言い、まだらはあわてて袷と半纏を着ました。

 冬でもないのに障子を締め切って女将と使用人が二人っきりでいるのは変に思われます。まだらは躓きそうになりながらやはり転ぶようにして座敷を後にしました。

 

 それからというもの、まだらは時々女将に呼び出されては、障子を締め切って女将のねっとりとした視線に撫でられるのでした。逢瀬はだいたい夕暮れ時で、まだらの仕事の合間を縫って呼び出されるのでした。女将は時にはまだらの肩に頬を寄せることもありました。

 それに気づかないうめ津屋の主人ではありません。主人はひどい悋気持ちというわけではありませんでしたが、女中からこの噂を聞きつけては面白くありません。

 主人はすぐにまだらを呼び出して、問いただしました。

「女将とたびたび座敷におるそうやな」

 まだらはなにも言えず、頭を畳にすり付けるようにして伏せていることしか出来ませんでした。

「答えんか!」

 主人は拳を降りあげ、そう怒鳴りました。

「あんた、ちょいとお待ちくださいな!」

 甲高い声が主人の拳が降りおろされるのを止め、主人は開け放たれた障子の向こうに女将の顔を見た。

 女将は目をつり上げて主人の腕にしがみつき、囁きました。

「それに傷を付けるおつもりか。お手を納めてくださいな」

 その一言に、一瞬ぽかんとした主人でしたが、ふと合点がいったようでした。

「もうええわ、仕事に戻れ」

 主人に言われたまだらは、逃げ出すように仕事場に戻りました。


 それから数日後、まだらはまた座敷に呼ばれました。呼び出したのは女将ではなく主人で、それを伝えにきたのはうめ津屋いち体格のよい番頭です。番頭は古参の者で口は堅く、主人に誰よりも忠実だという噂でした。番頭はいかめしい顔でまだらを睨み付けます。それに逃げ出すわけにも行かず、まだらはひどく不安な気持ちで座敷にゆくのでした。

 日当たりのよい縁側から屋敷に入ると、そこにいたのは主人だけでなく女将もいっしょでした。二人ともにやにやとしており、なぜかうれしそうにまだらを手招きします。

「よう来た。そこに座れ」

 主人はまだらにいいつけて、女将と二人、あらためてまだらをじいと見つめて、さきほどの番頭を呼びました。

 その番頭に主人は小声で耳打ちすると、番頭は音もなく座敷から出てゆき、戻ってきた時には盆にはまんじゅうと水を入れた茶碗をのせていました。

「まだら、こないだは誤解してすまんかった。おわびのまんじゅうや。それ食え」

 主人が妙に優しく勧められ、まだらは恐る恐るまんじゅうをいただきました。まんじゅうはたいそう甘く、天にも昇る気分です。

 のどが渇いたまだらは、水も一杯ぐいっと飲み干しました。しばらくすると目の前がぐるぐるとまわります。そのうちまだらは崩れ落ちるように畳へ身を伏せました。

 まだらが寝転がるのを確認してから、女将がそろそろとまだらに近付き、名残惜しそうに斑痣を撫でました。数度撫でてから満足したような笑みを浮かべると、番頭を呼びつけます。番頭はまだらを軽々と担ぎ上げ、屋敷の奥に運んでいきました。

 その夜、うめ津屋の屋敷の裏口から数人の職人が出入りしました。屋敷には珍しく一晩中明かりがともされ、生臭い臭いがあたりを覆いました。屋敷を出た職人は、決まって気味が悪そうにしながら、もらった小判を大事に抱えて家路につくのでした。

 

 しばらくたった後、まだらの田舎の両親に切り餅ひとつと小銭が届けられ、二人は腰を抜かさんばかりに驚きました。預かっていた息子を病死させてしまい、すまないとの知らせです。

 葬儀はこちらですませるからということで、両親は悲しいながらも上方で葬儀まであげてもらったことでありがたくも思いました。隣村にある一番近い寺に送ってもらった切り餅を使って墓をたててもらい、田舎での弔いをすませました。

 同じ頃上方では、うめ津屋の女将がたいそう珍しい屏風を仕立てたというのが噂になりました。

 屏風は飴色の下地に斑の模様が印象的なみごとな意匠だとのことです。ほんとうに珍しく美しい斑だと言うことで、巷では南蛮のなんの動物かと噂になりましたが、誰にもわかるものはいませんでした。

 女将は毎晩その屏風を毎日うっとりと眺めては、赤い酒を嗜んでいるとのことでした。

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