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ALICE in UNDERLAND  作者: ツギ
4/7

-からっぽの卵-


 Empty Humpty DumptY

 ‐からっぽの卵‐


「さぁアリス、行こうか」

「…………どこに、」


 突然抱き上げられて、僕はもう縋る事も暴れる事も出来ない。

 そんな僕を見て、チェシャはにぃっと笑いながら、しっかりと抱き抱えた。


 この手は人殺しの手。

 僕を護ろうとして人を殺した手。


「“何処か”に、だよ」


 アリスがずっとここに居たいなら別だけどね。


 そう言って笑うチェシャ。


 ここに居たい筈がない。

 足下には赤の騎士の死体。僕は彼の腕の中。

 逃げたいのに……逃げるための靴≪あし≫はもう、ない。


「とりあえず、森を出ようか」


 返事をするのも億劫で、小さく頷いた。

 それでも意思を伝えるには充分だったらしく、チェシャは僕を抱えたまま歩き出した。

 決して太くはないのに力強い彼の腕の中で、僕は騎士を見た。


 ――ごめんなさい。


 貴方が死んでも僕は生きていたい。




「ちょっとここで待っていて」


 切り株の上に、丁寧な仕草で下ろされた。

 チェシャはそのまま森に消えていく。ひらひらと目隠しの布を尻尾の様に翻し、軽やかな鈴の音だけを残して。

 残された僕は、肺の中の空気全てを吐ききる様に息を吐いた。


「……ここは、『鏡の国のアリス』なのかな」


 『鏡の国のアリス』――『不思議の国のアリス』の続編で、前作から半年後の話だ。

 仔猫と遊んでいたアリスが、鏡を通り抜けて“鏡の向こう側の世界”に行ってしまうのだ。その世界ではチェスの駒や花が話をしたり、実在しない生き物が存在したりする。

 さっきのチェス盤の平地は、アリスがチェスのゲームに使ったものじゃないかと思う。兵≪ポーン≫から女王≪プロモーション≫を目指すアリスには、様々な障害があった。


 その一つが赤の騎士。


「あと一マスで女王になるアリスを阻む、赤の騎士」


 そして窮地のアリスを救う白の騎士。……さっきのチェシャ。

 ……何かが引っ掛かる。少しだけずれた時計みたいな、微かな違和感。

 僕は唇を噛んだ。理由の分からない不安に苛々する。


「……何かが、違うんだ」


 僕の知っている事の中で、絶対的な――何かが。




「ただいま、アリス」

「…………おかえり」


 スゲェ違和感。

 ……思わず口が悪くなる程、異様な格好だった。


 帰ってきたチェシャは、大きな袋を担いでいた。

 その袋が真っ白だったら、気にはしなかった。(サンタも持ってるし)

 だがチェシャが持っていたのは薄汚れたぼろぼろのずだ袋。しかもかなりでかい。

 着崩してはいるものの、それなりにちゃんとした格好をしているチェシャが持つと……なんと言うか。


「うん?……ああ、これ?アリスにお土産」

「いや、あの……え、何、それ」


 チェシャはたいして気にもせずに、その袋を落とした。

 いそいそと袋の口を開けているのを見ると、嫌でも脱力してしまう。子供か君は。


 目当てのものが見付かったのか、満足そうに頷くと、持っているそれを差し出す。

 つい受け取ってしまい、どうすればいいのかとチェシャを見返すが、彼は袋を漁っていた。

 仕方がないので、温かいそれの中身を出してみる。


「…………これは」

「プラムケーキだよ。嫌いかい?」


 袋の中を見ながら言うチェシャ。

 ケーキと言っても、ドライフルーツの入ったパウンドケーキに近いものだ。クリスマスの頃には、僕も食べた事が……あるのだろうか。


「……嫌いじゃない、けど」


 確かにお腹は空いている。最後に口にしたのは紅茶で、それもおそらく結構前の話だ。

 それでも、


「……いい、いらない」

「疲れている時は甘いものがいいんだよ」


 酷い顔をしている。

 そう言ってチェシャは、僕の眉間を撫でた。

 その動作にロゼを思い出し、肩がびくりと跳ねる。

 チェシャは困った様に言った。


「ええと、自分で食べるのと僕が無理矢理食べさせるのとお互いオススメしないけど口移し、どれがいい?」

「自分で食べるよ食べりゃあいいんだろッ!?」


 そんな気色悪い事されるくらいなら、吐いてでも自分で食べた方がマシだ。

 行儀悪くプラムケーキに齧り付く僕に、チェシャは安心したように頷いた。(嫌なら言うな)


 一口二口は食べ進める事が出来たものの、頭の端には赤の騎士の死体が映る。だんだん咀嚼するスピードが遅くなり……止まった。

 無理矢理ケーキを飲み込む。気を抜けば戻しそうになり、泣きたくなった。


「もう無理?」


 目だけで頷く。

 チェシャは僕の頭を撫でると、残りのケーキを自分の口に入れていく。それ僕の食べかけ……もう、いい。(諦めって大切だと思う)


「お茶いる?」


 無言で頷いて、水筒を傾けた。

 一瞬苦しかったけど、少しつっかえが取れた気がする。


 と、足に痛みが走った。


「なッ、に、してるの……!?」

「消毒だけど」


 この男。

 袋から取り出したのだろう消毒液を……信じられない事に、足にそのままぶっ掛けやがった。

 沁みる傷口が熱い。


「頬の傷はもう瘡蓋になってるなぁ……剥ぐか」

「やめてよッ」


 ぼそり、と。

 恐ろしい事を呟くチェシャ。

 声が本気≪マジ≫だった……!


「でもね、アリス。君の顔に痕が残ったら」

「瘡蓋剥いだら残る。絶対」

「そうかな?」


 小首を傾げて言うチェシャ。今までとは別の意味で怖い。


「ま、いいや。じゃあアリス、行こうか」

「何処に」


 言ってからしまった、と思った。

 どうせ彼は“何処か”にとしか言わないだろう。

 だが、チェシャは僕の予想を裏切って言う。


「ハンプティ・ダンプティの所」

「…………卵の?」

「まあ、卵みたいな奴だけど」


 『鏡の国のアリス』に出てくるハンプティ・ダンプティは、手足の生えた人面卵である。……リアルに怖ッ。

 現実に居たら、あれはホラーだと思う。


 びくびくと怯える僕を、チェシャは軽々と抱き上げた。




 見渡す限り広がる、長い塀の上。

 卵は居なかった。


「…………」

「あれ?おかしいなぁ……」


 ほっとしている僕を余所に、チェシャは首を傾げている。


「んー……何処かに落ちて潰れてるのかな?ちょっと向こう側を見てくる」

「いや、無理に探さなくても」

「アリスはここで待っててね」


 僕の台詞を綺麗に無視して、チェシャは行ってしまった。

 僕は逃げずにそこに居た。

 裸足で居る以上、消毒したばかりの傷が瘡蓋になるまでは大人しくしていた方がいいと思ったからだ。


「いいやアリス。お前は今すぐにでも逃げるべきだ」


 子供の様に高い声が聞こえた。

 僕は辺りを見回す。しかし誰も居ない。


「何処を見ているアリス、お前の耳は飾りか、声の聞こえる方向も分からないのか」


 捲し立てる声。

 僕は高い塀を見上げた。

 さっきまで誰も居なかった筈なのに、今は幼児が座っている。


「……そんな所に居ると危ないよ」

「危険の無い場所などこの世界に一つでさえあるものか、お前の頭はからっぽだ」

「断定!?」


 心配したのに、すごい勢いで毒が返ってきた。

 声は高いが、口調は幼児らしくないな。


 塀が高い為よく見えないが、身長に比べて頭が大きい。

 太陽に輝く銀髪。零れ落ちそうな程大きくて丸い、ベビースターブルーの瞳。真っ白な肌に白いポンチョ。

 とても愛らしい男(女?)の子。


「どうやって登ったの?」

「其れに答える義理も理由も意味も無い」


 ……口を開けば毒しか吐かない。しかも年不相応な無表情。

 黙って笑っていたら、きっと人形の様に可愛いのに。


「愚かなアリス、舞台で踊っている事にも気付かず踊り続けるアリス、お前に逃げ場等無い、舞台の上にしか逃げないお前には」

「は、」


 表情を変えずに幼児は言う。


「お前に光は無い、お前に救いは無い、お前に帰る場所は無い、お前に“お前”は無い」

「……何が言いたいの」


幼児は言った。


「事実を」


 まさしく事実を言う様に、幼児は言った。


「自己紹介がまだだった、知る者はこう呼ぶ、気狂いハンプティ・ダンプティ」

「気狂、い」

「気狂いの言葉を信じるな、気狂いの言葉は嘘だ、気狂いの言葉は狂っている、知る者は言う、気狂い卵」


 無表情のまま言葉を紡ぐハンプティ・ダンプティ。


 ……そうか、彼は狂っているのか。きっと、この狂った世界で一番狂っているのだろう。

 だから呪いの言葉を吐き続ける事が出来るのだろう。……僕の希望を打ち砕く言葉を。


「聞けアリス」

「聞きたくない」

「なら聴けアリス、お前は知っている筈だ、“悪いのは全て黒い仔猫”だと」


 それは『鏡の国のアリス』の真実。アリスを困らせた赤の女王は黒い仔猫。

 ……ハンプティ・ダンプティは確か仔猫の母親だった気がする。

 でも、この世界は『鏡の国のアリス』ではないだろう。チェシャ猫は居るし、彼は狂っている。

 僕は、僕を惑わせようとするハンプティ・ダンプティを睨んだ。


「アリスは真実に辿り着いている、ただその真実が掛け違っているだけ、アリスは矛盾に気が付いている、ただその矛盾がずれているだけ」


 矛盾。

 ずっと感じている違和感。

 知っているのか……彼は。


「ハンプ、」

「アリスに何を吹き込んでいる、気狂い卵」


 後ろから抱きすくめられて、肩が跳ねた。

 肩越しに振り返れば、にやにやと笑っているチェシャ。


「事実だろう猫、猫、猫ねぇ、ああ確かにお前は猫だな」

「似合うだろう?」

「全くだ」


 彼の言葉には含みがある。その理由を……僕は知らなくちゃいけない気がする。


「ハン、」

「“悪いのは全て黒い仔猫”」


 僕の言葉を遮って、気狂いの彼は言った。


「ではアリス、御機嫌よう」




 ぐしゃり。



 彼が塀の向こうに消えた後、何かの潰れる音がした。




 ハンプティ・ダンプティ、塀の上。

 ハンプティ・ダンプティ、落っこちた。


 からっぽの白い卵。

 割っても温めても、決して何も生まれない。






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