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ALICE in UNDERLAND  作者: ツギ
3/7

-迷子の仔猫-


 Stray CaT and Alice

 ‐迷子の仔猫‐


「アリス、ちょっとこっちにおいで」

「え、うん……うわっ!?」


 突然舐められた顔に、僕は驚いて彼を睨んだ。

 何やってんのこの人!?

 彼はきょとん、と不思議そうに僕を見ている。目は隠れているが。


「どうしたんだい、アリス?」

「それはこっちの台詞だよ!!何で顔舐めるのさ!?」

「消毒だけど」


 当たり前と言いたげに言い切る彼。

 雑菌入るから。消毒になんないから。猫じゃないんだから。

 言いたい事はたくさんあるものの、仮にも年上(だと思う、多分)相手なので黙っておく僕。


「……てゆーか、実は見えてるでしょう。どうして目隠しなんかしてるんですか」

「企業秘密」


 抑揚のない声で言われた。どうやら触れちゃいけなかったらしい。

 企業とか言われちゃうとちょっと。希望溢れるお子様としては、何だか夢を壊された感がある。

 若干僕が引いていると、冗談だから、就職してないから、と返してくる。(それも大人としてどうかと)


「……そう言えば、僕は貴方の名前を知らない」

「チェシャ猫」

「は?」


 チェシャ猫。

 『不思議の国のアリス』に出てくる、にやにや笑いだけを残して消える事の出来る不思議な猫。


「だってアリス。君はアリスじゃないのにアリスだろう?なら、僕が違う名前で呼ばれてもいいじゃないか」

「そう言われてみれば……そう、かな」

「うん、そうだよ。だからチェシャ猫」


 口を笑みの形に歪ませる彼に、僕は曖昧になってしまった笑みを返す。


 ……さっき、本当は。

 まるで心を読まれたかと思った。


 初めて会った時、僕が最初に見たのは彼の口、だった。

 だって彼の髪は、尻尾の様に長い目隠しの布と同じ、黒。

 その所為で口元だけが浮いているみたいだと思った。……チェシャ猫の様に。


「チェシャ……猫……」

「そう。君がアリス、僕がチェシャ猫。お似合いじゃないか」


 確かに似合うだろう。けれどチェシャ猫は決していい意味を持ってはいない。

 “grin like a Cheshire cat”と言う英語の慣用句を、ルイス・キャロルが擬人(猫?)化したものだ。

 意味は『チェシャ―の猫の様ににやにや笑う』。チェシャ―の猫は……。


「……チェシャ」

「ふふ、何だいアリス?」

「……いや、やっぱりいい」


 不吉な考えは心の底に沈めてしまおう。




「ところでアリス。君はこれからどうするんだい?」

「え?」


 チェシャの言葉に、僕は言葉を失った。

 そう言えばロゼのところから逃げ出す事しか考えてなかった……。

 普通に考えれば、僕は家に帰るべきだろう。

 家には、きっと心配している家族が居る、かも、しれない。

 そうだ、もっと早く気付くべきだったのに……僕は、帰る場所も、僕自身も、どうして失ってしまったのかも……知らない。


「どうしたんだい?」

「……どうすればいいかが、分からない」

「どうしたいんだい?」

「……どうしたいのかが、分からない」


 ロゼは知っているだろうか。どうして僕の記憶がなくなってしまったのかを。

 最後にロゼは何て言ってたっけ……。

 私には分からない……そう言っていた気がする。

 それはどういう意味で?本当に知らないのか、僕の事は僕にしか分からないという意味なのか。それともロゼは嘘を……?


「アリス」

「な、なに?」


 考え込んでいたら、チェシャの事を忘れていた。

 悪気はなかったんだよ。……本当だよ!!


「アリスは何処かに行きたいのかい?」

「そりゃまあ……どこかしらには、行きたい、けど」

「なら答えは一つだよ、アリス」




「何処かに着くまで歩き続ければいいだけの話」




「チェシャ」

「何だい、アリス?」


 チェシャの言葉で決心が付いた。

 そうだよ、歩き続ければいい。例え先が見えなくたって、進めない訳じゃないんだから。

 本当の暗闇の中を走り抜ける事が出来た僕が、歩き続けられない筈がないだろう?


「暇なら僕とお散歩しよう。どこまで行くか分からないけどね」

「喜んで、可愛いアリス。暇じゃなくなるまで何処までも」


 チェシャは恭しく手を差し出した。

 僕は精一杯澄まして、その手を取った。


 手を繋いで(歩幅が違ってちょっと辛かったが)歩いていくと、まるでチェスの盤の様な平地に出た。

 色の薄い所に濃いところ。それらの正方形が、規則正しい交互に並んでいる。


「すごいね、チェシャ。もっと人が居れば、人間でチェスが出来そうだ」

「そうだね、アリス。その場合、アリスは白の女王≪クイーン≫かな?」

「ならチェシャは白の王≪キング≫?」

「赤の女王≪クイーン≫もいいかもね」


 ……え、思いっきり敵ですか。

 複雑な気持ちを抱えたままチェシャを見つめると、ん?首を傾げた。


「女王に追い付けるのは、女王だけだろう?アリスが女王だったら、僕も女王にならなくちゃ」

「赤の王≪キング≫になるのも一つの手かもしれないよ?動かなくても女王が狙いに行くから」

「それもいいかもね」


 そう言って僕達は笑い合った。

 しばらくして、僕はチェシャの手を離すと、色の薄い所だけを踏んで移動してみる。

 一つ跳びだったり、そのまま斜めに行ったり、チェスのルールとしてはめちゃくちゃだけど、結構楽しい。

 そのまま勢いに任せて、小川を跳び越える。

 振り返れば、チェシャは遠くに居た。


「……僕、そこまではしゃいでた?」


 ちょっと反省。ここで大人しくチェシャを待つとしよう。

 小さな川は、きらきら光りながら緩やかに流れている。

 そうっと覗き込めば、揺れている僕の顔が見えた。

 右の頬の、瘡蓋になりかけている擦り傷が目立つ。


「……転んだ時のか」


 あの時は必死だった。

 この痛みがなければ、自分自身も見失っていたかもしれない。

 怪我に気付いたら、あちこちが痛くなってきた。

 特に……“何か”に絡みつかれた左脚が。

 僕は左脚を見て……愕然とした。


「何だよ、これぇ……ッ」


 濁った色の黒い蛇。

 そう錯覚してしまいそうな程に気色の悪い痣がそこにあった。

 こんなにはっきり痕が付く程、きつく巻かれてはいなかった筈なのに……。

 僕は靴と靴下を脱いで、裾を捲り上げた脚を川に浸した。


「つめた……」


 冷たく澄んだ水が脚を撫でていくたびに、汚れた何かが流れていく様な気がする。

 それに安堵し、僕は小さく息を吐いた。そして思い切って右脚も浸してみる。

 冷たい水の中でぷらぷらと脚を振ってみたら、時々撥ねた水が手を濡らした。


ふ、と目の前に影が落ちた。


「チェシャ」


 追い付いたんだ。僕は彼を見ようと顔を上げて――凍りついた。

 そこに居たのは、赤い甲冑を纏った騎士≪ナイト≫。

 騎士はその鋭いランスの切っ先を僕に向けて、


 僕は後ろに倒れ込んだ。

 騎士のランスは僕の前を貫いていた。


「ひッ、いぃ、ッ!?」


 僕は寝そべったまま悲鳴を上げた。

 なっ、なんで、こんな?駄目だ、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。

 兜で表情の見えない騎士は、ただただ目を見開く事しか出来ない僕を、何の感慨もないように見ている。

 そして、その手に持った武器を僕に向け、て、


「うわ、うあぁあああああああ!!!」


 僕は叫びながら逃げ出した。


「ああああああああああああああああああああああああ!!!」


 走る。走る。

 叫び続ける。

 薄暗い鬱蒼とした森の中で、ただ闇雲に。


 ぱきり、小枝を踏んだ。剥き出しの脚が痛い。そう言えば、靴も靴下も小川に置いてきてしまった。

 とうとう息が切れて、僕は近くの樹に寄り掛かった。

 吐く息が荒い。酸欠によって、一瞬目の前が真っ暗になった。


「ッ……はぁッ、は……ッ」


 チェシャはどうしているのだろう。

 気付いてないのだろうか、それとももう赤の騎士に……。

 首を振って不吉な想像を追いやる。チェス盤の平地と逆方向に逃げてきた自分を罵りたくなった。


「……も……無理……ッ」


 限界だ。疲労も、心も。

 あの部屋で目覚めてから、僕はずっと逃げ続けていたのだから。

 ずるずるとしゃがみ込む。少し休もう。また逃げる為に……。


 がちゃり。


 僕の前に、より一層濃い影が落ちた。

 顔を、上げられない。

 僕の視界に映るのは、重い音を立てる赤い具足だけ。


 がちゃり。


 首も、腕も足も、動かない。

 手の指さえも動かない僕の前で、騎士の重苦しい音を立てる。

 それはきっと、ランスを構える音だろう。狙いを付けて、そして騎士は僕、を、




 ちりん。




 ごぎり。




 鈍い音がして、重いランスが転がって。


 赤い騎士が目の前に崩れ落ちた。

 兜の下の目と、目が合った気がする。


 そんなことがある筈ないのに。

 そんなことがあっていい筈ないのに。


 こ ち ら に せ を む け て い る か ら だ と め が あ う な ん て 。


 ちりん。


「アリス、見ぃつけた」


 耳に心地いいバリトンの声。

 あの時、何よりも安心出来たあの声が。

 とて、も。


「やっぱりアリスに追い付けなかった。僕は女王にはなれないね」


 お願い。

 僕の目の前で、人を、殺して。

 楽しそうに言わないで。

 僕から光≪スクイ≫を奪わないで。


 顔を上げられない僕に、チェシャは続ける。


「なら僕は騎士になろうかな。白の女王だけを護る、白の騎士に」


 白の王≪チェックメイト≫なんか知らないよ。

 そう言ってチェシャはその場に跪き、僕の足を手に取った。


「ああ可愛いアリス、こんなに傷だらけにして」


 嬉しそうに。


 チェシャは爪先に口付け。

 傷を、痕を癒すかの様に唇を這わせる。

 ぞくり、と。肌が粟立った。


 何処かで誰かの囁く声が聞こえる。

 心の底に押し込めたものこそが真実なのだと。




「ねぇアリス。君が望むなら何処までも着いていくよ」


 可愛い仔猫がにゃあと鳴き。

 迷子の仔猫がにゃあと泣く。


 チェシャ猫の様に口だけ浮いたその男は、

 チェシャ―の猫の様ににやにやと笑った。






 実は最後の部分を少々変えています。

 語感はあちらの方が良かったのですが、某童謡の著作権に引っ掛かるので……引用の範囲がわからないので、安全策を取りました。

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