NO.05
天城が目を覚ますと、自分がベッドに寝かしつけられていることに気付いた。いつの間にか周囲は薄暗くなり、ベッド脇に置かれたランタンがほのかに部屋を照らしている。
「良かった……」
チェリルが天城のすっかり小さくなった手を握りしめてベッドのそばに置かれた椅子に腰かけている。彼女の目から涙が零れ落ちるのを見て、天城はさてどうしてこうなったのかと考えを思いめぐらした。
「目を覚ましたのね」
「一時はどうなるかと思ったよ」
秋月と奈々子も、天城の意識が戻ったことに安堵した。
「何が起きた?」
「そのことだけど、私から話すわ。まず、あなたが浩平に何をされたか覚えているかしら?」
天城の無事を喜び和らいでいた奈々子の表情が、仮面のように濃淡を失う。
「……ああ、私は殺されかけた」
浩平が向けた殺意を思い出すと手足が僅かに震えてきた。
チェリルに握られた手から伝わる人の温もりがひどくありがたく感じられた。
「浩平はあなたが気を失った後、逃げたわ。今も見つかってない」
「そうか。私はどれほどの時間寝ていた?」
奈々子は首を少し傾げ人差し指を顎に当て考えてみる。
「ううん、時計はないけど六時間位は経っているはずよ」
「これから私はどうなる? 帰還の道はあるのだろうか」
「それは……」
奈々子はチェリルの方を見る。天城の手を握ったまま床に視線を固定しているチェリルは気付いた様子はない。
「チェリル、と言ったな」
天城が握られた右手を揺らしながら話しかけるとようやく顔を上げた。
「は、はい」
チェリルの表情からは生気を感じ取れなかった。唇は真っ青で、瞼はさんざん泣いたのか晴れている。
「天城さん。チェリル様は王族のお一人です。どうか口調を改めていただけませんか」
「それはすまない。それではチェリル殿下にお聞かせ願いたい。私が帰還する方法はあるでしょうか」
「……い」
チェリルはとっさに口から出かけた手段をつぐんだ。この手段こそが惨禍を生んだ浩平を呼んだ原因だったからだ。だがこれ以外はないと覚悟を決め話すことにする。
「一週間時間を頂ければ、帰還能力を持った方を召喚できます」
「しかしその召喚された者はどうなるのでしょう。その者を犠牲にするのならば私はその手段で帰還することはない」
天城も人を犠牲にしてまでさっさと帰還する気はない。そんな手を使うなら何年かかるか知らないが自力で帰還する術を探したい。
「大丈夫です。本人も帰還できるようにします。この世界に来ることを望む方を召喚します」
それなら大きな問題はなさそうと考えた天城はチェリルの案を飲むことにした。
「ふむ、それなら問題はなさそうだね。秋月とかいったか、君はどうなんだ」
「えっと、何が?」
「彼女の提案に依存はあるか」
「ううん。ないよ」
秋月にしてみたらチェリルに文句なぞ言えようもない。
「召喚されてなかったら、僕は死んでたから」
「は?」
「え?」
「何よ、どういうこと?」
みんなの視線が集まる中、たははと笑い頭の後ろに手を回しながら説明する。
「実は僕、召喚される直前に電車に体を引き裂かれてたんだ。だから、僕は召喚されたことに感謝してる。命を救ってくれてありがとう」
ここはふざけちゃいけないと思った秋月は真面目な顔でチェリルに感謝を告げた。
「そんなつもりじゃ……」
消え入りそうな声で自分の行動が善行と秋月に捉えられていることを否定するチェリル。浩平に騙されてとはいうものの、元凶の浩平を呼んだのは自分自身なのだ。今の心境ならむしろ罵倒された方が気持ちが楽だった。
「分かってる。でも、僕の命を救ってくれた命の恩人には変わりないもん」
「私も異世界に行く望みは達せられたことだし、帰ることができるなら取り立てて言うことはないな。志井さん、何か聞きたいことは?」
内心浩平にいいように扱われてきた積もり積もった恨みを全部チェリルにぶちまけたい奈々子だったが、理性がかろうじてそれは筋が違う、彼女も浩平に狂わされていただけだと自制する。
「無いわ」
奈々子にはこれが精一杯の大人の態度だった。
「あ、聞きそびれてたけど元の体には戻れないのかな?」
ちょっと分かりにくい言い回しだったかなと思い言い直す。
「あ、つまり男の体に戻れるのなら戻りたいんだけど」
「えっ」
秋月の発言の突拍子のなさに奈々子はこれはこの子が場の雰囲気を和まそうと一生懸命考えた一流のジョークなのかと考えてみる。
「え?」
逆に秋月は奈々子が驚いていることに疑問を覚えた。
「何言ってるのあんた。まるで男から女になったとでも言いたい訳?」
こんなときにくだらないことを言うなと少しとがった口調で奈々子は秋月を注意する。
「うん、そうだよ。君は違うの?」
「そんな訳ないでしょ!?」
奈々子は馬鹿にしてるのかと怒る。
「ほう、違うのか」
「あなたもなの!?」
あんなに可愛らしいのに元男だなんてと衝撃を受ける奈々子。
「うむ。もし男のままなら、浩平とかいったか、あんな奴一ひねりだったのだがなあ」
「どういうことよ!?」
残念そうにつぶやく天城を無視してチェリルに詰め寄る。
「わ、分かりません」
「え、じゃあ元には戻れないの?」
「さあ」
「そっかあ」
返答に窮するチェリルを見て、はああ~と大きなため息を吐く秋月。
「帰還すれば戻るだろう」
「僕、帰還したら上半身と下半身が真っ二つなんだよね」
「それで生きてたの? 想像もしたくないわ」
三人が会話に入ったのを好機と見たユリスは主を静かな場所で休ませるべきと考える。
「体調が優れないようですわ。お休みになりましょう」
チェリルもこれ幸いとユリスの意見に乗った。召喚してしまった三人に責められないことと同じ位、いつその口火が下ろされるのかを恐れていたチェリルは一人になって考える時間が欲しかった。
「ごめんなさい」
謝罪の言葉をぼそりと呟き、ユリスに肩を支えられながら逃げるように出ていく。
「お大事に」
「良く休むといい」
何の悪気もない天城と秋月の優しさからの一言がチェリルの背中に刺さった。
「……私も失礼するわ」
「そうか」
「またね」
奈々子もまた、一人になった。
「異世界か」
「信じられないよねえ」
二人だけになった部屋で感慨深げに呟く天城と秋月。それぞれ胸中に様々な思いを宿している。
「全くだ。今も実感が湧かない」
腕に手を這わせてみたり、顔をぺちぺち叩いてみたり、腰の辺りまで届く長い黒髪を撫でつけてみたり。自分の体をあちこち触ってみるが、天城はこれが自分だと今一つ納得できない。何だか他人になったように思えてしまう。
秋月は自分を棚に上げておいて、目の前の美少女の愛くるしい動作に悶えていた。
「長年の夢だった」
うつ伏せになって両足をばたばたさせている天城が秋月の方を見て口を開く。
「え?」
「話していなかったかな。私は異世界の存在を確かめようと実験をしていたのだよ」
ごろりと体を仰向けにし、手足を大の字に広げながら天城は話し続ける。
「そういえば、ちらっと魔法陣が失敗したとか聞いたような」
いちいち心が萌え狂うのに苦悩する秋月。
「その通り。だが、結果として無事に来れたんだ。私の長年の夢は叶った」
ころんと回転しあざらしみたいな体勢になってにぱっと笑いかける天城の攻撃をくらい秋月は理性をあらかた喪失した。
「異世界が夢だったの?」
「君の世界は違うようだが、私の世界には魔法があってね。各種多様な魔法があったんだが、異世界については実在が疑われていて全く研究がなされていなかったのだよ」
「じゃあ、もし元の世界に戻れば学術的偉業、みたいな?」
「そうだ」
どや顔をしながらうつ伏せの体勢で足を頭の方に曲げて、くるぶしの辺りを手で掴む天城。もう何をしているか意味不明だが秋月は鼻が熱くなってくるのを感じている。
「すごいなあ」
「ふふ、異世界か。どんな場所なのだろうな。今から外出しては駄目かな」
体をばねのようにしならせぴょんと跳ねてベッドの上に立ち上がり目を好奇心に輝かせる天城。
今なら触れる! と秋月は神速で動く。
「駄目に決まってるでしょ! 今日はゆっくり休まないと」
年上は天城なのだが天城の両肩に手を乗せ、お姉さん振る秋月。その頬は桃色に染まり、にまあっと表情が緩んでいる。
「む、そうだな」
秋月の理性がぷっつんした。もうどうにでもなれと食指が危ない方向に動き出す。
「お食事をお持ちいたしました!」
秋月が犯罪者になる寸前、侍従の一人がカートに食事を乗せて室内に入って来た。侍従の視線で我に返った秋月はあたふたと空中に手を動かす。
侍従の眉が僅かにひそめられたのに慌てた秋月は食事を褒めてごまかそうと画策し、黄色い声を上げた。
「うわあ、おいしそう!」
「君、ここで雇われているのか?」
「左様でございます」
「料理について説明してくれないか」
天城に促された侍従はすらすらと話し始めた。
「かしこまりました。こちらが鳥胸肉のアングレーゼ。こちらが三種の野菜のアングレーゼ。そして新鮮な牛乳を用いたスープでございます」
「ずいぶんと、こってりしているな」
「油をふんだんに利用した贅沢な一品でございます」
アングレーゼと名付けられた料理は天城の見る限りどうやら油で素揚げにしただけの代物のようだ。果たして口に合うのか、少々不安になってくる。
二人が見ている間に侍従は部屋の中央にあるテーブルに食事を配膳した。
「せっかく用意されたのだ。頂こう」
シーツを体に巻きつけた天城はベッドから降りてテーブルを挟んで対面式に置かれたソファに座る。
「じゃあ僕も食べようっと」
秋月としては天城の隣に座りたかったが侍従がせっかく準備してくれたのを無下にするのもためらわれたのでやむなく天城の対面のソファに腰を埋める。
「味付けはこの塩とモルトビネガーをお使い下さい」
「ありがとう。では、いただきます」
「いただきまーす」
肉を食した秋月はこの肉が油で揚げた以外の調理を一切していないことに泣いた。おまけに裏面が真っ黒に焦げているのにも泣かされた。
天城は黒いアスパラ(?)を口に入れたが、黒いのはこの世界の独自の種……ではなくただ焦がしてただけということに口に広がる苦味で実感した。
「この料理、誰が作ったんですか?」
秋月の質問に侍従は
「専属のシェフでございます」
と答える。
この世界の料理は飽食国家日本に生まれた二人の口に合わなかった。
結局、付け合せのパンで舌を騙しつつ半分も胃に収めたところで限界がきた。
「ううむ、食事はさすがに日本が数段勝っていたな」
侍従が食事を下げた後、天城は残念そうに唸る。
「日本はグルメ国家だって聞いたことあるしそこはしょうがないんじゃない?」
秋月は自分の桃色の髪をいじりながら天城の麗しい黒髪を羨ましそうに眺める。自分の頭皮からこんなけばけばしい色の髪の毛が生えているのを秋月は快く思っていなかった。どうせなら天城のようなさらさら黒髪ヘアーならまだ嬉しかったのに、と思ってしまう。
「お茶をお持ちいたしました」
そこに侍従がトレイにお茶を持って戻って来た。
油たっぷりの食事で不快だった口の中をお茶がさっぱりさせる。侍従によると、このお茶を飲むと虫歯予防にもなるらしい。
お茶を飲み終わり侍従も帰ってしまうと、やることがなくなってしまった。
「暇だね。トランプでもあったらいいのに」
ソファでだらりと横たわっている秋月の呟きを耳にして天城は秋月の能力について思い出した。
「そう言えば、君の能力は創造らしいぞ。もしかすると、トランプ位創り出せたりしてな」
「ええー、まっさかあ」
「ははは、冗談だ」
「えへへ、だよねえ」
笑いながらできたらいいなとトランプについて想像してみる。赤のハートにダイヤ、黒のスペードにクローバー。数字は一から十三まであって十一からは……詳細にトランプの情報を心の中で口に出し、何か手ごたえを感じたので出て来いと念じてみた。
「うわ!」
「もう何でもありだな」
寝っ転がっていた秋月の真上にトランプが現れ散らばった。
「すごいすごい!」
魔法のない世界からやってきた秋月の興奮は天城よりひときわ大きい。頭に思い浮かんだ物をはしゃいでどんどん創造していく。その中にはチョコレート菓子や漫画のような片手で収まる物から冷蔵庫などの大型家電、果てはライフル銃まであった。
「あはははっ! すっごーい!」
「やめないか!」
天城が止めた頃には部屋がすっかり汚部屋と化していた。特に秋月の周辺は物資の小山が形成されていて足の踏み場もない。
「こんなに物を散らかしてどうするつもりだ」
呆れたという表情をしている天城だが、自分も片付けの苦手な人間だと都合よく忘れているようだ。
「ごめんねえ、でもすごくない? こんなことできたら働かなくても贅沢できるよ」
秋月は自分が創造した物を両手に持って目をきらきらと光らせながらアピールする。興奮はしばらく冷めないだろうと観念した天城は大人しく秋月の無邪気な自慢話に耳を傾けた。