NO.13
部屋に篭もる天城たち。つい数瞬前から響き始めた爆音が戦争が近づいてきているのを室内の全員に感じさせる。
断続的に聞こえてくる爆音は王国側の優勢を示すのか、それとも魔族軍の侵攻が迫っているのか。
誰もが無言で魔族軍の敗走を願う中、しばらくすると爆音は途絶える。
何が起きているのだろう。不透明な状況に全員がやきもきしていると、シギロームが帰って来た。
「よかった……」
瞳を潤ませてアルスタがシギロームに飛びついた。シギロームも優しげな表情を浮かべてアルスタを抱擁する。
滅多にないシギロームの柔らかい態度を受けて体の芯が痺れるのを感じたアルスタは激しく体をすり寄せる。
他の者たちもシギロームの無事を知って安堵すると共に、彼が持ってきた情報が事態を良くしてくれないかと期待する。
「外はどういった具合です」
「ふむ。どうやら王国軍は負けたようだよ」
天城の質問に、アルスタの頭を撫でながらシギロームは事もなげにそう言い放った。
途端に場の空気が悪くなっていく。
「そんな……もう終わりよ」
頭をテーブルに突っ伏しシルカが泣き出す。イヴォルスグニは目を見開いてぴたりとも動かない。アルスタも背筋に冷たいものが走り、動きが硬直した。
秋月は恐怖で体が震えてきた。震えを抑えようと体に力を込めるとかえって震えがひどくなる。自分の体が言うことを聞かない。それも相乗効果となり秋月の頭は真っ白に染まっていく。
天城は隣に座る秋月を見て安心させてやらねばと思い、自分の中から溢れ出てくる恐怖を沈み込ませ彼女の肩に手を置いた。すがるべきものを発見した秋月は天城の手を両手で胸に抱き寄せて力いっぱいに握りしめる。
それはお互いを落ち着かせる行為となった。秋月は天城の手の温もりで、天城は手を強く握られた痛みで。
「これからどうすべきでしょう」
痛みで目に涙を湛えながら天城はシギロームに質問を飛ばす。
「僕たちは待つしかないだろう。幸い王国軍は負けたと言っても全滅した訳じゃないし、これから続々と援軍がやってくる」
シギロームの言う通り初戦で王国は敗退したが、敗走した近衛も三分の一が健在でさらに未だ千二百の正規兵を抱えている。もう数日すれば後方から三千は援軍もやってくる。傭兵を雇えば戦力は一万を超えることも可能だ。
「いざとなれば国王様もおられる」
現国王フラム七世は、この世界で最強に近いスキルの保持者である。剣聖とも呼ばれ彼の一振りは大地を抉り、巨岩を切り裂き、衝撃波を飛ばす。六人いる王たちの中でも近接戦闘は一、二を争う実力者だ。
「でも、国王陛下はご病気だって言うじゃない」
泣き啜りながらシルカが呟く。
フラム七世は卓越した力だけでなく、内政もそこそこにこなせる統治者だったが臣民の人気の元は何より親しみやすいところにあった。数日に一度は顔を臣民に見せて直接下々の様子をうかがう。そんな親しみやすくもどこか高貴で近寄りがたい空気を放つ国王に、下層民から上層の平民層まで広い支持が寄せられていたのだ。
しかしその国王が数週間前からほとんど姿を見せなくなった。姿を出すのも必要あってのことで、以前までの親しみ深い交流はなくなってしまった。様々な噂が流れた中で今有力な説がご病気に臥せっておられる故、姿を現せないのだ。立っているのもやっとな状況で無理をして平静を保っている、というものだった。
「国王陛下が病気なんぞにくたばる訳がねえ。心配するな、いざとなれば勇者様もいる」
「そうよ! 勇者様ならきっと何とかして下さるわ!」
悲観的に泣き続けるシルカをイヴォルスグニやアルスタがそばによって慰めだす。
「でも……」
もう日が頂点に達し、下り始めた時分。シルカはいい加減泣き疲れたのかテーブルに突っ伏し睡眠を取り出し、周囲の者たちもシルカに振り回され動く気も起きない。
早朝から始まった一連の騒動は、一人の男子学生によって終止符を告げられた。
「イヴォルスグニさんいますかー!」
「あの小僧か」
せわしなく戸を叩く男子学生は情報をどこからか集めてくることで宿舎内のちょっとした有名人だった。
「よう、どうした」
天城はその男子学生が朝女子学生たちに情報を渡していたあの男だと気付いた。随分急いでいたらしく、肩を激しく揺らしている。
「やったよ……」
「何が」
「魔族軍さ。勇者がやっつけちまった」
室内の空気が固まる。
「それは事実かい」
「はい! もうすぐここの前の道を通るそうですよ! みんなにも伝えなきゃ!」
いち早く立ち直ったシギロームに返答すると男子学生は宿舎に向けて足をよろめかせながら駆けて行ってしまった。
「どうやら窮地は脱したようだね」
シギロームの顔にも安堵が浮かんでいる。
「はっはっはっは! 聞いたかシルカ!」
眠っていたシルカの背をどんどんと叩くイヴォルスグニ。
「なあに?」
「勇者様が魔族軍を木端微塵にしてやったそうだ! 勝ったんだよ!」
眠りから覚めたばかりのぼんやりとした頭にイヴォルスグニの豪快な笑い声と共に吉報が響く。言葉の中身を確かめるようにシルカは首をかしげ問う。
「それは、本当?」
「ああ! なあ!」
「うん、お母さん! もう安全よ」
解放感溢れる明るい表情で笑うイヴォルスグニと、戦争に巻き込まれる緊張感から強張っていた顔を和らげ脱力したアルスタの笑み。
さらにシルカが室内を見回すと、シギロームも天城も秋月もどことなく雰囲気が明るい。
シルカは、本当に戦いが終わったのを実感した。
「良かった……ほんっとうに、良かった」
さっきまで泣いて泣いて泣いていたのに、また涙が出てくる。
「もう、また泣いてるの?」
娘の呆れたような物言いに、しとやかに笑みをにじませてシルカは答える。
「だって、嬉しいんだもの」
和やかな空気に場が包まれる。秋月は勇者は途中で死ねば良かったと思うくらい嫌っているが、今回は認めてやらなくもないかなと微妙な笑顔を浮かべていた。天城は何にせよ、戦火にこの家族が巻き込まれなくてよかったと胸をなでおろした。
「もうすぐ勇者様がここの前を通るそうだぞ! 見に行こう!」
家の前を宿舎から勇者を見ようと出てきた学生たちが、がやがやと歩いている。宿舎から逃げ出した者はあまり多くないようだ。数十人あまりの学生が宿舎の前に出て勇者が現れるのを待った。
「ワシらも行こう!」
イヴォルスグニを筆頭にユリスの家族たちも宿舎前に向かいだす。
「どうした? 早く行かんと見れないぞ!」
逡巡していた天城と秋月は顔を見合わせるとうなづき、やれやれとイヴォルスグニの声に従った。
「来たぞ!」
興奮でざわつく学生たちを遮蔽物として利用しながら二人は勇者たちを見た。今回は質素な二頭立て馬車での帰還だ。随伴も控えめに二台の馬車だけ。幌のない馬車なので勇者たちの姿がよく見える。勇者も含め誰しもが衣装を煤けさせているが、特にひどいのが日本刀を持った少女で衣服に何らかの体液がべっとりと染みついている。疲れ切った顔だが、彼らの表情も晴れ晴れとしている。敵を倒した達成感でもあるのだろうか。
天城は見る気はないので小さな体格を生かして完全に隠れていたが、秋月は洗脳された奈々子が心配でちょっと顔を学生たちの間からのぞかせた。
「あ」
奈々子と目が合った。何たる失態! 驚きすぎて咄嗟に動けなくなってしまった。
奈々子は疲れていた。さっきまで魔族とかいう集団と戦わなきゃならなかったのだ。スキルリーダーとして、敵に対峙したのには背筋がぞっとした。明確な殺意が自分に向けられるのは何て怖いのだろう。だが帰還する道々には喜ぶ民衆の姿があった。それを見ると、自分の苦労は無駄じゃなかったと心が軽くなった。民衆たちの歓声に応え笑顔を返す。ありがとう、私もその表情が見れて救われるわ、と。
そして、民衆の中の一人の少女に目が止まった。身長の割に幼い顔つきを強張らせてこっちを見ている。奈々子は彼女を見た瞬間、急に頭の痛みを覚え猛烈に悲しくなった。何故このような気持ちになるのか分からない。どうして彼女を見ていると、自分が捕えられた奴隷かのように思えてくるのだろう。
秋月は見てしまった。奈々子が笑顔を歪ませ、瞳から涙をこぼしたのを。助けて。口が確かにそう動いたのを。
同情はしていても、天城の意見を言い訳に不安を抱えながら何もせずにいた自分が何とも醜く思える。
自己嫌悪にさいなまれ、思わず下を向いていた間に馬車を去っていく。
この瞬間、先の見通しが立たず漠然とした虚無感にさいなまれていた秋月に目標が生まれた。
「助けてあげないと」
天城は秋月の調子がいつもと違うことに気付いていた。お昼に見た勇者たちの姿を見て以降からだ。勇者によって平和が維持されたことで喜びに沸き立つ周囲を尻目に、いつになく口数が少なくなっていた。夕食の席では興奮したイヴォルスグニと仲良く会話をしていたし、ふさぎ込んでいるというわけではなさそうだが……。
普段は日が変わる頃までシギロームの部屋にお邪魔している天城は、今日は早めに失礼し秋月の様子をうかがうことにした。
「何をしているんだ君は」
部屋では懐中電灯片手に荷造りをしている秋月がいた。オリーブ色のメッセンジャーバッグからは拳銃やらナイフやら物騒な品が見えている。服装も怪しい。濃い緑で統一された迷彩色の服。腰に撒いているウエストポーチには小ぶりの鉈。ヘルメットも被っているし、従軍でもするのかという物々しさ。
「僕もう我慢できないよ。ちょっと王宮に潜入して奈々子たちを助けてくる」
天城には無謀に過ぎる事だと思われた。
「気持ちは分かるが……」
止めようと近付く天城を手で制す秋月。
「うん、僕だって賭けだって思うよ。でももうここでじっとなんてしてられないよ! 見たでしょう!? 浩平にいいように操られてさ! 可哀想と思うでしょ!」
「当たり前だ」
「なら、止めないで」
天城の見るところ、秋月は自分の気持ちに入れ込み過ぎて冷静な判断力が欠けているように見えた。
「そういう訳にはいかない。むざむざ死にに行く人間を見逃せない」
「止めても無駄だよ」
「いい加減にしろ」
自分を無視して拳銃に弾込めし出す秋月にいくらか怒気を込めて注意する。
「天城を縛ってでも僕は行く」
回転式拳銃の振り出し弾倉を元に戻す金属のこすれ合う音。いつでも射撃可能な状態になった拳銃を持った秋月が鋭い視線で天城を睨む。刺激するのはまずい。
「一体どうしたんだ? 何故突然こんなことを言い出すんだ」
口調を弱め理由を尋ねだす天城の言葉に秋月はかみつく。突然ってなんだよ。まるで僕が無計画で無思慮みたいじゃないか!
「ずっと悩んでたんだよ! 天城は研究で楽しくて仕方ないのかもしれないけどさ! 僕は、僕は……」
「とにかく私と一緒に考えよう。助けに行くにせよ行かないにせよ、私が洗脳を解く方が楽だろう」
肩を震わせ床を見つめる秋月の肩に腕を回そうとして失敗した天城が秋月の背中に引っ付く。
「……言っとくけど。考えは変えないからね」
何とも間抜けな天城に少し心に余裕ができた秋月は話くらいなら聞いてもいいかと譲歩した。
結局、天城の説得は秋月の耳に届かなかった。
「ごめんね。でも、痛くはしないから」
縄を持って迫る秋月。
「待て! 私にそんなことをしていいと思っているのか!」
それで縛るつもりかと愕然とする天城。そんな羞恥プレイはごめんだ。
「大丈夫。朝には気付いてもらえるよ」
じりじりと後退する天城ににじりよってくる秋月。やがて壁に背中が当たり、退路はなくなった。
「だ、誰か! むぐう……」
「じゃあね」
口にも縄を噛まされ、完全に身動きの取れなくなった天城を置いて秋月は部屋を出た。その表情は使命感に満ちて高揚していた。どう見ても秋月は自分に酔っている。
急いで止めに入らなくてはならないと天城は思う。そのためには縛られた縄を何とかしなくてはならない。取るべき手は一つしかなかった。縄に接するように青白い輝きが広がっていく。接触したあらゆる物質を分解してしまう魔法陣が展開され、縄はあっという間にちぎれてしまった。
「待て!」
宿舎を既に出た秋月の背中にタックルする天城。しかし天城の体躯ではびくともしない。
「あれ? どうして?」
タックルは効果がなかったが、しっかり縛ったはずの天城の存在に秋月は困惑する。いや、それよりも後ろからユリスの家族が増援としてやってきたら手間だ。早く天城を引っぺがして逃げないと。天城の両腕が秋月によって引きはがされる。
天城は秋月の意思に気付き慌てる。
「もういい! 私も行く!」
天城の叫び声に怪訝な顔をする秋月。
「死ぬかも知れないんだよ」
「秋月。君に言われたくないな」
天城がジト目で不満を漏らす。
確かに天城の言う通りだ。
「えへへ」
秋月はこんなときなのに何故だかおかしくて笑ってしまう。
「ふふっ」
天城も釣られて笑いがこみあげてくる。もうどうにでもなれ、だ。
「では、行くか」
「うん!」