NO.10
幸いにして方向感覚が人より少しばかり優れている秋月は一人でも宿舎に帰ることができた。想定外だったのは精々自分がナンパされたことくらいで、その男どもはキレていた秋月の剣幕で逃げ去っていった。
「アルスタさん!」
「あら、一人なの?」
「何なんですかあの人は!」
宿舎前に立っていたアルスタへ秋月は今までのことを怒鳴り散らす。
長々と怒りをまき散らす秋月に不満一つ漏らさず丁寧に話を聞き遂げたアルスタはシギロームの配慮が足らないことを妻として謝罪した。
「ごめんなさいね、あの人研究のことになると頭がいっぱいになっちゃうから」
慌てたのは秋月だ。両手をぶんぶん振って謝罪を否定する。
「そんな! アルスタさんが謝ることじゃないですよ!」
「それにしても、文月ちゃんだっけ? あの子にシギロームを満足させる知識があるなんて以外ね」
「ああ見えても二十二歳ですよ、意外かもしれないですけど」
「ええ!?」
驚くアルスタに秋月も同調する。
「確かに見た目からじゃ分かりませんよね。僕も最初聞いたときはびっくりしました」
「本当よ! あんなに可愛い子なのに!」
そこで秋月はある仮説を思い付いた。あのわがままっぷりは、とても大人に見えない。実は子供が背伸びしてるだけなんじゃないのかな、と。
いや、しかしあの豊富な知識は子供の代物ではないし……秋月は悩むがある折衷案が浮かび上がった。
確かに天城自身は二十二歳だが、肉体があんな可憐な女の子になってしまって混乱しているのではないのだろうか。それで、自分が自信を持っている学問に縋り付いている……のかもしれない。あるいは精神が肉体年齢の低下によって幼稚化している?
「どうかしたの?」
秋月が黙り込んだのをいぶかしがったアルスタが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「え、ああ! これからどうしよかなって考えてたんです」
「そうね。今日は夕方には帰るとか言ってたけれど、あの調子じゃ三日は帰って来ないかもしれないわ」
「ええー」
よくも三日も小難しい話ができるもんだ。秋月はげんなりした。
「そうなると、文月ちゃんが心配だわ。あの子も学問が好きそうだったけれど三日もシギロームに付き合わされたら倒れちゃうわ」
姿を変える前の天城を知っていたらその心配はより深刻になっただろう。天城は研究のためなら死ぬまで命を燃やしてでも突き進もうとする悪癖があった。何回か大学で倒れた天城の姿が目撃され、その度に後輩が献身的な看病を迫られていたりした過去もあった。それで一切の反省なしなのだからたちが悪い。
「よし! じゃ、今から文月ちゃんを連れ戻しにいきましょう!」
アルスタは足早に家に戻ると、簡単に身支度を整え宿舎前でぼっと立ってた秋月の元に戻って来た。
「さ、行くわよ!」
「は、はい!」
その頃、天城はシギロームの研究室に招かれていた。部屋は五人ほどが同時に作業可能なように設計され造られた経緯があるので本来二人程度難なく収容できるはずなのだが、空間魔法スキル保持者が今の大学にはシギロームしかいないのでシギローム専用部屋と化していた。壁際に設置された棚には得体のしれない物質がぎゅうぎゅうに詰められ、巻物や書籍がそこら中に小山を形成している。
「さて! では話の続きといこう!」
「ええ!」
二人が二人だけの世界に入り込もうとしていたそのとき、扉が一気に開け放たれる。
「待ちなさいシギローム!」
「誰だ!」
シギロームの研究室に入り込んできたのはまぎれもなく、簡素な白のワンピースにエプロンを掛けたアルスタだった。両手を腰につけた彼女は威風堂々といった風情である。
「文月ちゃんを! 渡してもらうわよ!」
「君は何をしているんだい」
シギロームの態度は冷たかった。
「帰ってくれないか。今日は特別なんだ」
「駄目よ! その子はあなたのものじゃないわ!」
口の端に笑いを浮かべたシギロームは誤解があるのだと思った。
「勘違いしてるようだが彼女は自分の意思で僕について来たんだ。僕は強制なんてしてないよ」
目配せされた天城は大きくうなづく。
「もー! 分からない人ね!」
一瞬天城に視線を移した隙をアルスタは見逃さない。すかさずシギロームの胸元に突っこむ。
「一体どうしたんだい」
「私の目を見て」
「これでいいのかな」
シギロームがアルスタとじっくり見つめ合う間に秋月がささっと入って来て天城の説得に入る。
「僕と一緒に帰ろう」
秋月はひざまずき、両手を天城の肩に乗っけて帰宅を促す。いざとなればちっこい天城くらい持ち運んでしまおうと思っている。
「何を言う。私は嫌だぞ」
「ねえ、僕らは狙われているんだよ?」
「命が惜しくて研究が続けられるか」
いきがる天城に心の中で毒づく秋月。死んだら研究できなくなるのに馬鹿なんじゃないの。
「僕は僕の知らない間に天城に死んでほしくないんだ」
出会っていくばくも経ってないが、秋月が真に頼れる人となるとこの世界で天城しかいない。おかしな行動を取るし、口調がちょっと変だし、頼るには可憐すぎる見た目ではあるけれどそれでもこの世界で一番時を共にしたのは天城なのだ。
「怖くてたまらないんだ」
特に親しい人間でなくても、その人間が死ぬかもしれないと知れば平静でいられなくなる。ましてや付き合って長くはないとはいえ、そこそこ仲の良くなった天城に危ない行動をされると秋月は心配で精神がかき乱されてしまう自分を感じた。
「二人だからって死ぬときは死ぬだろう」
こんなにお願いしても聞き入れない天城に秋月は狂気的な感情を抱く。いい加減にしないと、閉じ込めてでも守ってやるぞ。
「死なない」
秋月の狂気が漏れ出たのか、威圧された天城はぴくんと肩を揺らした。
「何故そんな自信がある」
心を奮い立て冷静さを保とうとしている天城だったが、秋月が手の上に乗せた物を見てはそれも吹き飛んでしまった。
「これ……」
その手に合ったのはどこからどう見ても拳銃だった。天城は詳しくはないがそれが回転式弾倉を備えたいわゆる、リボルバータイプの拳銃ということはかろうじて理解した。
「どこでそれを」
聞くまでもないことに気づき、その出所に合点がいく。
「例の創造スキルか」
「うん、自慢じゃないけど僕はこいつで二十メートル離れたりんごを撃ちぬける」
天城にそのすごさは理解できなかったが、人が自慢じゃないと前置きする場合それがたいてい自慢だということくらいは理解している。
「僕は天城を守れる」
拳銃を手に、秋月は決断を迫ってきた。
「これが最後のお願いだから。頼むよ」
秋月の目に映る微かな狂気の光をうっかり覗き見てしまった天城は抵抗は危険と悟る。ここで意地を張るべきか悩んだ。
だが狂気を宿したその目に同時に懇願の涙も浮いていることに、天城の判断は決まった。
「助教授、申し訳ないです。今日は帰らせていただきます」
「あ……そうか」
「どうかされましたか」
天城が気を取られている間に、何が起きたのか。
さっきまでの態度はどこにやら、しおれた表情のシギロームが満面の笑みのアルスタに抱きかかえられていた。