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<夕暮れの開幕>

 今でこそ陰満文月はクールで、緋水杏子とは別の意味でお嬢様と呼ばれてもなんら遜色はないのだが、当時は病弱で内気で、ピンクの下地に白水玉模様がついたパジャマの似合う少女だった。


 昔のことに興味はない、と彼女は幼少時代を頑なに自分から話すことを避けるが、興味はないのではなくて恥ずかしいのが本音に違いない。


 実際、文月の代わりに周囲にいる人が彼女のことを話すときは実力行使をしてでも止める。 しかし奴らの口は驚くほど軽く、呆れるほどペラペラ喋るせいで、いつの間にか広がっているのにはさすがに頭を抱えたくなる。

 

 男だったら幼馴染の結城翔太が。


 女だったら小学校以来の親友の木下椋が。


 そして話を聞かされた奴らから、『信じられない』という顔で見られるのだ。


 お決まりのパターンだった。


 小学校のクラス替えの度に、中学校のクラス替えの度にあったものだが、ついに高校に入ってからその習慣はなくなった。 翔太は受験の際、親といざこざがあったらしく受験前とは随分性格が変わってしまったし、椋は見知らぬ人に積極的に話しかけられるほど活気のある人間ではなかったからである。


 小学校、中学校はまだ学区内が小さいから良かったのだ。

 こんな中高一貫の学園に、入学という形で編入されてきても、疎外感を感じるのも無理はない。


 だがかくして、文月は高校生になってようやくパジャマの似合う少女、という過去のイメージを払拭し、外見のイメージ通りの『お嬢様』、ならぬ『女王様』となった。



 なんの運命の巡り合わせか知らないが、翔太や椋と同じクラスになってしまったのはしょうはないとして、一番気にかかったのはクラスメートから普通に「お嬢様」と呼ばれている緋水杏子の存在だった。

 彼女はいつも、文月の席から右に二つ、後ろに二つ離れた席で時には一人で静かに本を読み、時には周りを人に囲まれて談笑していた。

 

 普通の女性、に見えた。


 ただ、普通ではない。

 非の打ち所がないのだ。物腰にしても、学力、運動の出来具合にしても。


 文月には、それが薄気味悪く感じた。


 人間というのは、多かれ少なかれ、必ずどこかに欠点があるものなのだ。翔太はああ見えて実は球技が致命的に下手だし、椋は大人しそうに見えて結構嫉妬深い。自分自身にしても、二人に「悪魔の歌声」「破壊音」などと罵られるほど音痴で、カラオケ恐怖症なのだ。

 聞くところによると、緋水杏子は絶対音感まで持ち合わせていて、一度聴いた曲をピアノで再現できるまでの腕の持ち主だとか何とか。


 なんか、悔しい。


 非の打ち所のない人間なんて、いないはずなのに。


 気味が悪かった。


 悪かったけれど、あまりにも自分の反応がマイノリティなものらしかったので、「ああ、そういう人もいるのだなぁ」と割り切るしかなかった。


 学区が広いだけあって、高校にはいろんな人がいるもんだ。

 

 高校生活が始まって、二回目の金曜日のことである。



「付き合ってください!」

 

 突然目の前に立たれて、あろうことか周りが思わず反応するほど大きな声で告白された。

 さらに隣には椋がいて、場所が桜緑学園高等部の正門で、時刻的に下校する生徒もピークだった。

 

 その全員の目が、自分と、目の前にいる奴に集中していた。


 手で目頭を押さえて天を仰ぐ。嫌な予感はしていたのだ。朝の占いで自分の運勢が今日最悪であることを知ったときから。嫌いな教師に何回も指されるわ、宿題は忘れるわ、学食のあんぱんは売り切れてるわ、掃除当番じゃないのに掃除を手伝わされるわ。


 で、最後がこれか。


 文月は「見せもんじゃないわよ」と周囲を目つきのみで威嚇する。足を止め、興味津々に見ていた生徒はそれだけで恐れおののいて小走りで去っていく。こういう出来事の一つ一つが彼女の「女王様」率を高めていくのだが、まるで本人は気づいていないのである。


 ひとしきり周りを睨みつけたあと、文月はそのまま機嫌の悪い女王様の目で目の間の奴を頭のてっぺんからつま先まで値踏みする。

 

 身長が自分より低い(−5点)、童顔(−8点)、気が弱そう(−7点)、空気呼んだ場所で告白しない(−10点)。

 前向きに考えてこんな場所で告白する勇気を認めた(+5点)としても、100点からの減点方式で75点。

 

 75点。


 最悪だ。


 最悪、とは言い過ぎかもしれないが、今まで告白してきた男子の中ではワースト5に入るくらいのひどさだ。


 文月は女性で、高一にしては身長が高いと言われがちで、自分もそれを自覚しているのでそこまで身長にはこだわっていないのが、それにしても低すぎだった。


 だって、身長が自分の胸のところまでしかないなんて。


 普通は逆だろうに。

 

 だから、結果として、こう言おうとした。


『――私、豆みたいな男に興味ないの』


 経験上、短時間で終わらせるには断りの一言が重要だ。大抵の男はこれで諦めてくれるし、ぐだぐだと後に引きずることもない。それでも諦めない女々しい男は男としての価値はないし、容赦もしない。幸いにして、ド変態に会ったことはないからこの方式で通している。


 だから、この言葉を突きつけようとした。


「私――」

 

 一応礼儀として、彼の顔を見る。

 

 同じ高校生とは思えない顔にある瞳には、迷いや恐れはない。

 良くも悪くも、純真だった。


 ――ふいに、幼い自分の影が重なる。恋愛においての挫折を知らない、真っ白だった頃の自分が。


 間違いない。

 彼は、目の前にいる自分へ、真剣に恋をしている。


 初恋なのだ。


 出そうと思っていた言葉が、出ない。


 心が揺らぐ。


「……悪いわね」

 

 彼をすり抜け、逃げるように校門を出ようとする。


「あなたとは、付き合えないの。ごめんなさい」


 判る。背中越しにも、彼が自分をじっと見つめているのが。


 その視線が、なぜか痛かった。


 あとのことは椋に任せておけば問題ない。食事のおごり一回分と引き換えに自分が振った男をなだめるのが彼女の役割だから。


 夕日がまぶしい。刑事ドラマの世界みたいだ。なんら悪いことをしていないのに、取調べを受け終わった人の気分。


 間違ったことはしていないはずなのに、いつもと同じ行動をしたはずなのに、文月は罪悪感を募らせ、家路を歩き続ける。

 


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