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<友情成立・揺るがぬ絆>

 文月の病室は四人部屋で、その時はちょうど文月以外誰も部屋にいない時間だった。

 

 午後三時過ぎ。


 窓の外に広がる芝生を無表情に見つめながら文月はただ時を過ぎるのを待っていた。

 今日の天気は晴れ。明日の天気予報は雨。朝と昼と夜。病院のあちこちに埋められた木は季節ごとに様々な彩りを見せる。


「……夏、か」


 夏はあまり好きではない。暑がりということも一つの理由ではあるが、もう一つは夏の幻ともいえる不必要な明るさに問題があった。

 夏の日差しはただでさえ白い病室をさらに白く映し出す。無味乾燥に。文月の嫌いな色は白だ。白は病室を思い出すから。他の季節ならまだ耐えられる。春は桃色に、秋は紅く、冬は…、雪は白いから苦手だが、その分病室を暗く演出してくれるから夏ほど嫌いではない。

 夏の日差しを見ると、夏休みでにぎわう外界の子供たちと、病室のベッドで過ごす惨めな自分の隔たりを感じるのだ。


 この時期に入院したことを考慮すると、退院できるのは初夏が過ぎて本格的な夏に入る少し前。他の子達はプールで遊ぶ季節だ。無論、体の弱い自分はプールになど入ったことはない。それどころか、ドッジボールだって鬼ごっこだってしたことない。

 激しい運動は駄目って言われているから。


 気分が沈む。時間が過ぎるのを待つのにぼうっと考え事をするのはよくない。

 ロビーに行って、テレビでも見よう。

 

 そう思って文月がベッドから降りたのと、木下椋が病室の扉を開けたのはほぼ同時だった。


「あ」

「…えっ」

 

 嬉しそうに顔をほころばせる椋とは対照的に、この状況が理解できずに体を強張らせてベッドから降りてスリッパを履く体制のまま動きを止めてしまう文月。


「よかった、大きい病院って初めてだから文月のところに行けなかったらどうしようかって思ったんだ」

「……どうして、ここに」

「? お見舞いだよ? 別におかしくないでしょ?」


 一瞬頭が混乱したが、すぐに理解する。昔できた友達も一応最初はお見舞いに来てくれたのだ。それが一日おき、三日おき、一週間おき――そして最後は来なくなる。

 最初の一段階目だ。……少しくるのが遅いけれど。そう思って文月は心の平静を取り戻し、ベッドに戻って上半身だけ起こした体勢になる。

 

「この椅子借りるね」


 椋は近くの丸椅子に腰を下ろし、床にランドセルを置いた。学校帰りらしい。


「ごめんね、ホントはもっと早くお見舞いに来たかったんだけど、ちょっといろいろあって」

「気にしてないわ。入院するのも、一人でいるのももう慣れてるしね」

「…そうなんだ」


 会話が止まる。病院と教室では世界が違うのだから当たり前の話なのかもしれない。それに自分自身がすでに教室での自分と違うのだ、椋が戸惑わないわけがない。


 窓に目を向ける。

 ――結局のところ自分は、何も変わらないのか。せっかく学校で椋と友達になれたのに、自分の不甲斐無さのせいでまた一人ぼっちに逆戻りしようとしているのか。

 そんなの嫌だ。

 けれど。


「――文月さ、今までも何度か入院してたんだってね」

 

 気まずい静寂を壊した椋を思わず見ると、ぎこちない笑みを浮かべる顔があった。


「ちーちゃんから聞いたんだ。去年同じクラスだったって言うし。ごめんね、別に何かしようと思って訊いたわけじゃないんだよ。ただあまりにも長く学校休んでて、少し気になったから」

 

 恥ずかしさと気まずさを打ち消すためか両手を振り回して必死に弁明する椋に、小さく頷いた。今更興味本位で調べられてもどうというわけでもないし、椋が嘘をついたことなど一回もなかったから。


「入院ってさ、大変だよね。一人で寂しくない?」

「あなたは本当に、ストレートに一番痛いところをついてくるわね」

「え? あ、ご、ごめん」


 明るさが空回りしている椋に苦笑する。そして静かに目を閉じて、今の彼女の質問を胸で反芻する。反芻するたびに胸の奥底が突っつかれて、なんだかくすぐったい。そして回想する。夕日を見ながら帰る家路でも、真っ白な白いベッドに横たわっていたときも、誰かと誰かの笑い声を聞いていたときも、公園で遊ぶ誰かを遠く見つめていたときも、瑠璃と話していたときでさえも、頑なに考えなかった思いを今文月は取り出してくる。

 お見舞いに来た誰も彼も、自分を元気付けてはくれたが、ただそれだけだった。心配もされなければ、「大丈夫?」の一言もない。寂しいなどと聞かれた経験などもってのほかだ。 


 けれど、彼女は言った。

 だからきっと彼女になら、言える。


「……寂しかった」


 言ってしまえばただそれだけの言葉。

 この言葉を、何でもっと早く、誰かに言わなかったのだろう。


「へぇー」

「……何よ」

「文月がそんなに素直に寂しいなんて口に出すとは思わなかった」

「失礼なこと言わないでよね」

  

 まじまじと顔を覗き込む椋を真正面から睨み返す。


「だって文月のイメージって、そりゃ最初は漫画に出てくる清楚なお嬢様的かと思ったけど、ちょこっと付き合うとわがままお嬢様だって判ったからさ。なんかこう、一人でなんでもできちゃう! 孤高の狼結構! みたいな」


 なんかいろいろと違う。


「わがままお嬢様で悪かったわね」

「悪くないって。なんか我が道を突き進むって感じで、私には羨ましく見えたけど」

「どうだか」

「本当だって! 文月がどう思ってるか知らないけど、私は文月のこと好きだもん」


 耳まで赤くなった。


「な、な、何を」

「何恥ずかしがってるのよ。あ、さては男の子から『文月さん、好きです』って言われたことないな?」


 もちろんあるわけない。男子の友達だって結城翔太くらいだ。


「まあ私もないけどねー。でも告白されたところでどうということもないけど」


 椋は顎に人差し指を当てて天井を仰ぎ見る。文月も一緒になって自分に好きな人ができたら、自分が告白されたらのときを考えてみたのだが、どうにもはっきりとイメージが湧かなかった。だから、


「好きな人とか彼氏とか、きっと遠い未来の話よ、きっと」

「確かにねぇ」


 二人の笑い声が病室内に響く。やがて尻すぼまりに笑い声は消えていき、椋は立ち上がった。


「窓、開けようか? 暑くない?」

「気にしなくて平気よ、この病院、何もなくてつまらないけど生きていくには申し分ないわ」


 椋はくるりと一回転して病室内を見渡して、率直な感想を述べた。

  

「……ホント、何もないね」

「でしょ。一日中ベッドで過ごしてなきゃ行けないから、外から得られる情報もこの窓から見る景色だけ」

「テレビとかは借りられないの?」

「借りられるけど…、あんまり好きじゃないのよね」


 ニュースを見て自分より不幸な人がいると知るのもいいだろう、バラエティを見てひと時の笑いを得るのもいいだろう。情報番組を見て今の日本のことを知るのもいいだろう。けれどテレビを見終わって残るのは、どこか空しい気持ちだけなのだ。


「じゃあさ、良かったら学校の図書館で本を借りてこようか?」

「……え」

「あれ? 読書とか嫌いなタイプだった?」


 違う。むしろ自分は読書家タイプだと思う。


「……でも、私読むスピード早いから」

「任せてよ、毎日だって来てあげる」

「……本当に?」

「大丈夫、安心して」


 そう言って笑う椋の顔には、嘘偽りの陰は一筋も見られなかった。椋は窓に手をつけられるところまで歩き、眼前に広がる中庭を見つめながら、「こんな窓を世界の全てと見限るのは良くないよ。世界はもっと広いんだからさ」と呟いた。

 今は嘘偽りがなくても、いつかは自分のところに来るのが面倒くさくなって、最後には来なくなってしまうのではないか、という不安はある。けれどここで断ったら、自分はただの馬鹿者であることは間違いない。


「じゃあ、お願いしてもいいかしら」

「がってん承知!」


 拳を胸に叩きつけ、頼もしさをアピールする椋に、文月は思わず噴出してしまう。

 心から笑ったことなんて、どのくらい振りだろうか。

 それだけ自分にとって、椋という存在が新鮮だったのかもしれない。


 陰満文月はきっと、木下椋のことが好きだった。

 

 

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