<ブルーな気分>
迷いも臆面もなくきっぱりと言ってのけた文月に、椋は面食らった顔をしていた。
「……珍しいね、文月がそんなきっぱり人のこと嫌い、なんて言うなんて」
「私だってね、嫌いなものくらいあるのよ」
「そうだよね、文月だって人間だもんね」
ころころと笑う椋に文月は眉根を寄せる。
「……アンタね、私を何だと思ってるのよ」
「陰満文月」
「怒るわよ」
「相変わらず冗談通じないなぁ」
そう無邪気に笑う椋に、緋水杏子への嫉妬心は欠片も見受けられない。つくづく思うが、彼女に嫉妬心などという負の感情があるのはなんか「いけない」ような気がする。
「ほら、文月って人と関わったり距離を取るのが多いほうだから、他人に対して感情を持つことあんまりないでしょ? だから珍しいなぁ、って思ってさ」
なかなか鋭いことを言う。長い付き合いだけあって自分のことをよく判っている。もしかしたら自分より椋の方が陰満文月と言う人間のことをよく判っているのではないのだろうか。
そう思ったとき、お互い様なのだと自覚する。自分は自分だからこそ、椋には椋だからこそ見えない部分というものが存在するのだ。一人で生きていたら発見できないであろう自分。
人付き合いに疎い自分でさえその大切さは判っているのだから、広い人間関係を持っている人はさぞ自分の事を顧みる機会をもてていいのだと思う。内心広い人間関係、と言うものに憧れていたりするのだが、面倒くさがりの性格が災いしてか、当分の間狭い人間関係は続きそうだった。
文月は青く、どこまでも続く広い空を見上げる。白い雲が海のほうに向かって伸びていた。
背中を預ける金網が、耳障りな音を立てる。
「……ま、久しぶりに他人に抱いた感情が嫌い、ってのもどうかと思うけどさ」
しかもまともに緋水美月と話したことさえないのだから、毛嫌いとか、食わず嫌いの部類に入る。
自己嫌悪に陥るつもりはないが、何とかしたほうがいいかもしれない。
「で、そのことを訊いてどうしたかったの?」
「特に何もないよ。そうだよねぇ、あんまり他人に興味のない文月に言ってもしょうがないよねぇ」
本気で自分の悪癖に気づいていないらしい。一度しっかりいってやるべきだろうか。
失礼な言葉を本人の目の前で吐きながら、椋は座って食べかけの女の子らしい弁当に箸をつけた。
「悪かったね、椋」
「? 何が?」
「なんでもないわ」
首を傾げながら昼食をとり続ける彼女に、笑顔で応対する。
自分と椋では、理由こそ違うけれど、「緋水杏子」が気に入らないという点で思いが共通した。
それだけで嬉しかった。
自分の反応はマイノリティだと思っていたので、同じ気持ちを持つ人がいて嬉しかった。
歪んだ思いなのかもしれないけれど。
友人っていいものだと、そう思った。
「――ところでさ」
椋は箸をくるくる回しながら、
「悟志くんね、全然諦めた様子じゃなかったよ」
「――悟志って誰?」
眉を寄せる。椋が男の名を言うなんて滅多にないし、文月が覚えている男の名も極端に少ない。覚えているとしたら父の名と翔太くらいか。
「ほら、昨日の告白してきた子」
彼女の言葉で、昨日の夕暮れが、純真な眼差しが、罪悪感がフラッシュバックした。
「……ああ、あの子ね」
「…もしかしてさ」
椋はジト目で文月を睨む。
「文月、悟志くんが同じ中学校出身だって、知らない?」
「――そうだったの?」
「そうだよ! 集会で受ける学校ごとに集まったりしたときに見なかった? 覚えてない? 悟志くん、小さくてプリチーだから結構女子にも可愛がられてたんだよ?」
こめかみに人差し指を当てて記憶をひっくり返してみたが、まぶたの裏に浮かぶ風景に豆っ子の姿を見つけることはなかった。
「――ないわ。というか、あんな豆っ子に人気があるなんて方が驚きよ。耳を疑うわ」
「でも真実だよ。私も結構可愛いと思うけどな。帰り話してみたけど本当に純真で外見通りのイメージって感じだったし。あんな人いまどき女子にもいないよ」
「……私にとっては、あの豆っ子を可愛いと思う人の目と感性を疑うわ」
「失礼ですね」
どうやら目の前の彼女は感性を傷つけられたことに怒るだけではなく、文月の感性も責めているようだった。
―なぜあんなに可愛いのに、豆っ子などといって何の興味も持たないのか―と。
「そんなに私の感性を疑って、豆っ子のことを可愛いと思うならいつもみたいにオトせばよかったじゃない」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。別に好きでオトしてるわけじゃないから。毎回毎回困るんだからね、私は文月みたいにばっさりできないんだから」
だが文月と同じペースで男を諦めさせるのだからすごい。一体どんな手を使っているのだか。
「それに言ったでしょ? 悟志くん、文月のことまだ諦めてないって。…、いや、諦めててもオトすつもりはなかったけど」
突っ込みを恐れてか、最後の一言に予防線を張ってから、どうするつもり? と椋は問いかけてくる。その質問の背後には、「昨日の時点でばっさりしなかったんだから、今更ひどい扱いをするなんて許さない」という視線が見て取れる。
文月はうざったそうに髪をかきあげ、
「……ま、なるようにしかならないわよ。さっきも言ったけど、私豆っ子に興味ないし」
と呟いた。
他人がどう思うかはどうでもいい。同調してくれる人がいるのはやっぱり嬉しい。
けれど、やはり大事なのは自分の気持ち。
緋水杏子は嫌いだし、豆っ子にも興味はない。
――ただし、面倒なことになるのは必死だが。
ため息をつく。
面倒ごと、や悩みの種、という言葉が嫌いな文月にとって、ここ数日は憂鬱なひと時になりそうだった。