<眩き休息>
陰満文月は彼のことを、武笠悟志のことをわかっちゃいない。てんで判っちゃいない。
悟志はナリは小さくても、文月のことを想う気持ちは人一倍なのだ。
あんな断り方では、諦めるはずないのだ。
いつものように、相手を二度と立ち上がれないようにするくらいの強烈な一撃を見舞っておくべきだったのだ。
だというのに。
変な情けをかけるをかけるから悪いのだ。
文月は知るまい。悟志が実は同じ中学出身だと言うことも、その想いが三年越しのものだということも、来るべき告白の日のためにさまざまな準備をしてきたことも。
その中に、情報収集も含まれることも。
曰く、外見と同じく氷のような性格をしているだとか。
曰く、古風な考え方の持ち主であるとか。
曰く、どんな相手に告白されても、ただの一言でばっさりと切り捨てるとか。
悟志は、良くも悪くも純真である。
その意味では、文月の人を見る目は間違っちゃいない。むしろいいほうである。
ただ、着眼点が悪い。悟志は純真であると同時に前向きである。ポジティブな奴である。文月の側にどんな理由があったにせよ、彼にとって「きっつい一言でばっさりと切り捨てられなかった」ことは非常に大きな意味を持つ。
すなわち、文月にとって自分は、他の男と違う存在だ、と、そう受け取ったのだ。
変な情けをかけるから悪いのだ。
黄金週間も目の前に迫る四月下旬の昼休み、軽い足取りで悟志は一年一組を出る。その手には弁当箱。いつも一緒に昼食をとっている男子生徒の一人が、どこへ行くのかと悟志に言う。
彼は振り返り、鼻の下をすこし伸ばした満面の笑みで、
「昼食に文月さんを誘ってくる!」
男子生徒だけではなく、文月を知る教室中の生徒が口をあんぐり開けて彼を見つめた。
悟志はそんな視線も気にせず、いってくる、と手を振って教室を出る。廊下を歩く生徒たちは一年三組へと向かう彼の異様なテンションに訝しげな視線を向けるが、もちろんそんなのも気にしていない。
可哀想なくらいのポジティブで小さな背中はひとまず見送ることにして、窓の向こうへと目を転じる。
目下に広がるグラウンドには、桜緑学園野球部が今年の夏こそ甲子園、と気合を入れて昼連をしており、端っこでは元気の有り余る男子生徒がサッカーをしており、グラウンド周囲の雑木林ではお弁当を広げ談笑する女子生徒の固まりがあちこちに点々としていて、
それをぼんやりと屋上から見つめる、木下椋と陰満文月の姿があった。
高月市の金のかけ方はすごい。県立で中高一貫は珍しいと想うし、左を向けば学校の西隣に水口総合病院という馬鹿でかい病院がある。おまけに少し歩いたところにある公園も噴水があったり無駄に広かったりする。
異常だ。
コンビニの袋から紙パックのアップルティーを取り出し、飲みながら文月は思う。
最近はやたら男からのアプローチが多い。昨日の豆っこいのもそうだし、今日は陸上部期待のエースとやらから昼食のお誘いが来た。
丁重にお引取り願った。
高校に入ってから翔太も椋も自分の過去を話さないので、外見のイメージそのままが他人に広まっているのだが……。どうしてこう、男と言うのは単細胞なのか。中学を卒業してそんなに経たないのに、環境が変わるだけで自分も変わった気がして、高校デビューでもしようというのか。救えない。
本来ならば告白されるのは光栄に思うべきことなのだろうが、なかなかそう簡単にはいかなかった。
一気飲みしたせいか、アップルティーがすぐになくなってしまったことを後悔しつつ、おにぎりをコンビニ袋から取り出したとき、椋が金網の向こうのグラウンドをぼんやり見たまま微動だにしないことに気づいた。
「どうしたの? 椋」
彼女は振り返り、
「……え?」
「なんかずっとぼんやりしちゃってさ。昨日のコと一緒に帰ったときになんかあった?」
椋はふるふると首を横に振る。
「なにもなかったよ。いつもの通り。そうだな、今日は喫茶フルールのデラックスパフェがいいな」
違和感。
親友と呼べる存在だからこそ、見過ごせない何か。
「……無理には聞かないけど。辛いことがあったら吐き出す方が楽よ。というか、そうしてくれないと私が気持ち悪い」
「……あのね、その」
椋はそれでもまだ口をもごもごさせてちらちら文月を見たり、視線をそらしたり落ち着きがなかった。どうしようもないので金網に背中を預け、彼女の言葉を待つ。
これだけ言っても言わないのなら、それだけ重大なことなのだろう。
腕時計を見ながら待つこと三分と十秒、ようやく椋は文月をまっすぐに見つけて、こう言った。
「文月はさ、緋水さんのこと、どう思う?」
心を読まれたかと思った。
不意打ちをくらったかと思った。
「――え」
一瞬動揺したが、椋にエスパーな力があるはずないと思い、一撃を食らった頭を奮い起こして先ほどの椋の一言を咀嚼する。
しかし、たったこの一言で動揺するとは、余程自分は緋水杏子に関心を抱いているのか。
「…どうしたの?」
椋が首を傾げて問いかけるのを「なんでもない」とすり抜ける。
面倒なことになったのは判る。椋の嫉妬癖が始まったのだ。
椋は文月よりも勉学に優れていて、内気で大人しそうな雰囲気から実は隠れファンとやらが結構多い。男子相手の話術にも長けているらしく、文月にこっぴどく振られた男子を聖母のように優しく包み込む気遣いをするせいか、文月から椋へころっと心変わりして熱烈なアタックをした男子もよくいるくらいだ。
が、そんな彼女の悪い癖が自分より「出来る人」のことを素直に受け入れられず、果ては嫉妬してしまうということである。
あくまで短期間的なものなのだが、本人にそれと自覚がなく、二人でいると絶えず愚痴を聞かされる身である文月にとっては、困った癖なのだ。
故に文月は、その「短期間」をさらに短くするために様々な努力をする。例えば対象人物のことは嫌いではない、という意思表示をしたり、対象人物のよい部分を彼女に語ってみたり。
告白されたときと同じ。椋からのこの質問に答えるかで、今後が決まる。
どう答えるか。
そんなことを考える意味もないくらい、答えは決まっていた。
「嫌いよ私。ああいう完璧人間、気持ち悪くて反吐が出るほど嫌い」