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親バカ

掲載日:2026/05/15

「虹色アメリカンスポンうつぼって知ってる?」


 寝室から戻ってきた渦は開口一番そう聞いてきた。


 私はちょうどベランダで洗濯物を取り込んで戻ってきたところで、「え、なに?」と聞き取れず聞き返した。


「虹色、アメリカン、スポン、うつぼ」と渦は滑舌を気にするようにゆっくりと言うと、私が反応を示すのを待たず冷蔵庫を開け、炭酸のペットボトルを取り出した。「さっきお風呂で日向が言ってたんだ」


「聞いたことはないわね」


「そっか」


 渦はグラスにウィスキーを注ぎ、そこに炭酸も注いでペットボトルを冷蔵庫に戻すと席についた。


「その」と私は渦の正面の席に座った。「虹色アメリカン・・・・」


「スポンうつぼ」


「そう、そのうつぼを日向は見たことあるって言ってたの?」


「アキバの近くの水族館でね」


「アキバの近くの水族館?」


「そう」


「でも、アキバの近くになんて水族館はないけど」


「でもひなが言うにはそうらしいんだよ」と渦は言うとグラスを口に運んだ。「虹色アメリカンスポンうつぼはそこにしかいなくて、そこで毎日毎日渦を作って暮らしてるんだって」


「渦を?」


「色んな形や大きさの渦を寝る間も惜しんでね」


「変わったうつぼね」


「見た目は名前の通り七色で、一度触れるとその毒にやられて死んじゃうけど、何度

も触ればその毒にも慣れて大丈夫らしい」


 渦がそう言うと私はつい笑ってしまったが、彼もすぐにつられるように笑った。


「それじゃまるであなたみたいじゃない」


「ほんとにね」


「あなたみたいなうつぼが毎日せっせと色んな渦を作り続けてる」



「そう」


「面白いこと考えるわね、あの子」と私はまだ笑い続けながら言った。


「ぼくも聞いたときはビックリしたよ」と渦もまた口元に笑みを浮かべながら言った。 「実際にぼくがどんな仕事をしてるかなんて、まだロクに理解もしてないはずなのにさ」


「でもあの子いつも私たちの会話を聞いてはいるから、そういうところからなんとなくはわかってるんじゃない」


「それにしたって見事すぎるだろ、四歳の子が想像するには」


「偶々よ、偶々。気にし過ぎだって」


 渦は伸びすぎた前髪を気にするように頭を横に振り、整ったところで煙草をくわえた。吸うときは換気扇の下でって言ってるのに、酔っ払うといつもこうだ。シラフのときの几帳面さが嘘みたい。


 とはいえこうなったら言ったところで仕方がないので、私は何も言わず席を立って冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出してグラスに注いだ。すると渦は「ぼくのもお願い」と空になったグラスを突き出してきたので、受け取ってウィスキーと炭酸を注いでテーブル越しに渡す。


「前々から気にはなってたんだよ」と渦は受け取ったグラスを口に運ぶと言った。「勘

が良すぎるっていうか、四歳児にしては日向って頭が回り過ぎるってさ」


「べつにいいじゃない、それならそれで。勘が鈍かったり頭の回転が遅いよりは」


「もちろん悪いとは思ってないけど」


「けど、なによ?」


 私がそう言うと、渦は煙草をくわえてうつむいた。腕を組んで、ちょっと小首を傾げていかにも何か考えてますって感じのポージングで。頭ん中じゃもう言うことなんて決まってるくせに、あえてこうやって間を置くところがいかにも渦らしい。結婚する前はそんなやり口もなんとなく格好良くも見えちゃいたが、今となっては時間の無駄というか、こんな茶番に平日の真夜中に付き合ってる自分が時々馬鹿馬鹿しく思えてしまう。


「ギフテッドなんじゃないかと思うんだ」と煙草の煙を天井にゆっくりと吹きかけ、溜めるに溜めてから渦は私を真っ直ぐに見据えると言った。


「ギフテッド?」


「まずはテストを受けてみないとちゃんとしたことはわからないけど」と渦は言うと肯いた。「でも、たぶんそうだと思って間違いないと思う」


「それは、その」と私はその真面目腐った夫の顔を前に言葉に詰まりながらも言った。

「 日向がなんかの病気だって言ってるわけ?」


「IQがずば抜けて高い人のこと」と渦は語気を強めてそう言った。「日本じゃあまり知られてはいないけど海外じゃ親なら誰もが知ってるし、国も認定さえ受ければ色々と支援してくれる」


「へぇー、そうなんだ」


「なんだ、へぇーって。他人事じゃないんだぞ」


「いやいや、べつにまだ日向がそうと決まったわけじゃないんだから」

「だからって他人事でいていいわけじゃないだろ」と渦は苛立った様子で煙草を灰皿に押し付けると、手を伸ばしてポテトチップスの袋を手に取って乱暴に縦に引き裂いで中に手を突っ込んだ。「まだ今は可能性でしかないとしても、親から見ればその可能性が明らかに高いっていうのに」


「でも可能性は可能性でしかないわけで、わかってもいないことを親の勝手で決めつけちゃうのもどうかと思うけど」


 そう私が言うと、渦は明らかに不満そうな顔になってポテトチップスをバリバリバリバリと貪りだす。油ぎった指を舐めてから寝間着のハーフパンツで拭き、ハイボールのグラスを口に運ぶ。その姿がなんとまぁ、品のないことか。そんな姿じゃいくらギフテッドだなんだと大儀そうなことを語られても、聞いてるこちらはうわの空というか、真剣に聞こうにも夫の一挙手一投足が目についちゃって。ほんとは一緒に呑んじ馬鹿にもしたいところだが、そんな焼け石に水みたいなことをしても意味はないし、 こんな真夜中にシラフの私がそんな馬鹿げたことをする気にもならず、「君みたいな子どもに無関心な親がいるからいつまで経ってもこの国も変わらないんだ」だなんだと渦は語りだすも、こっちは「あぁ~、早く寝てくんねえかな」と思いつつ、黙って夫の話に耳を傾けるフリをするより他ない。


 こうして今夜も能書きばかり垂れる親ばかの相手をする私だった。

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