第9話 夜の森と二人のささやかな準備
夜の気配が森に満ちてくる。ディノッゾは、足元に手頃な窪地を見つけると、ようやく足を止めた。
「リリア、今夜はここで休むぞ」
これ以上、暗い森を進むのは危険だった。そして何より、二人とも限界だった。
ディノッゾは、窪地の周りの枝葉をかき集め、即席の寝床を必死に整えた。眠気で頭が朦朧としながらも、獣の目から隠れるために、その寝床をさらにカモフラージュする。
夜の森は急激に冷え込み、魔物の気配も濃くなる。火を起こすのは危険だ。そして、今の疲労困憊の二人では、どちらかが寝ずの番をするのも無理だった。
「リリア、こっちに来い。寒いだろう」
ディノッゾは、窪みの中に身を横たえると、リリアを手招きした。
「こうしていれば、少しは温かい」
彼はリリアを後ろから抱きかかえるようにして、窪みに身を寄せた。十四歳の少女の華奢な体が、三十六の男の腕の中にすっぽりと収まる。それは親子にも、年の離れた兄妹にも見える、ただ生きるための、切実な温もりの共有だった。
リリアは最初は少し戸惑ったように体を硬くしていたが、ディノッゾの大きく頼りがいのある身体から、自分の背中に伝わる温もりに張り詰めていた心の糸がゆっくりと解けていくのを感じた。1分も経たないうちに、安堵したように静かな寝息を立て始めた。
腕の中に伝わる小さな寝息と体温を感じながら、ディノッゾもまたこの長い一日の疲労がどっと押し寄せるのを感じ、安らぎを感じながら深い眠りの中へと落ちていった。
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ひんやりとした朝の空気が肌を刺し、ディノッゾの意識が浮上した。森の木々の隙間から、夜の闇を追い払うように、柔らかな朝日が差し込んでいる。
多少なりとも睡眠を取ったおかげで、多少なりとも頭が働くようになっていた。彼はまず、自分の腰に巻いた鞄の中身を改め、現状確認を始めた。だが、激しい落下と水没で、無事なものはほとんどない。
「・・・水筒は潰れて使い物にならねえな」
彼は無残にひしゃげ、切れ目が無残に走る革製の水筒を手に取り・・・ため息をついた。辛うじて水を掬うコップ代わりにはなるだろうか。武器はオーガを貫いたあの槍と、お互いが護身用に持っていた小さなナイフだけだ。
そして、食料は湿気た干し肉がほんの数切れ。何より、飲み水がない。
「水がなければ、数日、いや1日も持たない・・・川に戻るか・・・」
つい思考が口から漏れた。
その言葉に、目を覚ましたリлияがおずおずと顔を上げる。ディノッゾの顔に浮かんだ焦りの色を見て、彼女は口を開いた。
「あの・・・ディノッゾさん。水でしたら大丈夫ですよ」
「ん?」
「私、生活魔法が使えますから」
リリアが小さな声でそう告げると、ディノッゾは驚いて彼女の顔を見た。
「生活魔法? リリアが?」
「はい。メイド見習いの頃、業務の合間に先輩たちに教えてもらっていたんです。お掃除とか、お洗濯とか、お水汲みとか・・・」
リリアは少し恥ずかしそうにそう付け加えた。なるほど、とディノッゾは納得する。
ディノッゾの潰れた水筒をコップ代わりにリリアへ差し出すと、その小さな手のひらの上で、空間が陽炎のようにわずかに揺らめいた。
次の瞬間、何もないはずの場所から清らかな水が湧き出し、とくとくと注がれていく。
(正直、どうしたものかと思っていた。助かったぜ、リリア)
内心で彼は少女に深く感謝した。これで、最大の懸念だった水の問題は解決した。
しかし、彼はリリアの口元に水筒の残骸に注がれた水を差し出した。
「先に飲むんだ」
リリアは頷くと一気に飲み干すと、再び水を満たしディノッゾに渡すと、周りからはキモいとしか思えないような笑顔で受け取ると、一気に飲み干し、おかわりをする。お互い喉がからからで、ぷは~となっていた。
喉が潤うも、まだ肌寒いのでもう少しそのまま休むことに。
ディノッゾは、改めて腕の中でまだ眠たげにしている少女を見つめる。リリア、という名前。十四歳。まだあどけなさが残るその姿に、ディノッゾは「この子だけは必ず守らなければならない」という、強い責任感を、改めて胸に刻んだ。
静寂と、冷気と、そしてすぐそこにある死の気配に満ちた森の中で、二人は互いの体温だけを頼りに、かの日、初めて穏やかな夜を明かしたのだった。




