第6話 岸辺の悪夢と、染み付いた型
どれほどの時間が経っただろうか・・・濁流に流されながらも少女は、必死にディノッゾの体と、彼に繋がった槍にしがみついていた。
溺れないよう仰向けにし、羽交い締めする形だった。
少女の小さな手は、川の冷水に晒され指先が痺れ、感覚が失われかけていた。
それでも彼女は、ディノッゾの体を離すまいと、爪が割れるほどに槍を握り締めていた。
水面に頭を出すたび、肺を切り裂くような空気を一口吸っては、再び濁流に呑まれる――その繰り返し。
「離せば二人とも終わる」ただその恐怖だけが、彼女を支えていた。
そしてディノッゾはというと、意識の闇を漂っていた。
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不意にごつりと、体に鈍い衝撃が走った。二人の体が泥と砂にまみれた岸辺へと乗り上げたのだ。
「げほっ、ごほっ!」
冷たい土の感触と肺から水を吐き出す苦しさで、ディノッゾは意識を取り戻した。隣では、少女が同じように激しく咳き込みながら、必死に呼吸を整えている。
激しい川の流れから逃れられたことに、一瞬だけ、二人の間に微かな安堵が芽生えた。
だが、その安堵は、獣の唸り声によって無慈悲に引き裂かれた。
ガサリ!と草むらが大きく揺れる。
直後、森の暗がりからぬっと姿を現したのは、二つの巨大な影だった。三メートルはあろうかという、醜悪な肌と棍棒を持つオーガだ。彼らは、川べりに打ち上げられたディノッゾたちの生臭い血の匂いを嗅ぎつけ、新たな獲物を見つけたかのように、よだれを垂らしながらゆっくりと近づいてくる。
ディノッゾの脳裏に、純粋な恐怖が這い上がった。
崖の上から見たドラゴンの脅威とは違う。すぐそこで唸り声を上げ、自分たちの肉を貪ろうとしているこの巨大な魔物の姿は、彼の生存本能を直接揺さぶった。全身の震えが止まらない。
膝がガクガクと笑う。
「く、来るな!」
掠れた声で叫び、かろうじて手放さずにいた槍を、震える腕で前に突き出した。それは、武器を構えるというよりは、ただ恐怖から身を守ろうとする、ひどく頼りない抵抗に見えた。
恐怖は極限に達し、生ぬるい液体が体を伝う感覚と共に、ディノッゾも、隣の少女も、その場で失禁してしまった。この世の終わりを告げるかのような、絶対的な屈辱。
オーガはその頼りない槍先を嘲笑うかのように、一歩、また一歩と距離を詰める。
その巨体が今にも二人の上にのしかかろうとした、その時――。
ディノッゾの脳裏に、一年前の光景が雷のようにフラッシュバックした。
『いいか、ディノッゾさん。あんたは御者だ。いざって時にゃあ、馬車の荷台の閂だろうが、そこらの棒切れだろうが武器になる物はなくはない。基本は同じだ。腰を落として、重心をぶらさず、最短距離で相手の急所を突く!』
ジェスロが、彼の弟子やパーティーメンバーに棒術を教えている「ついで」に、半ば無理やり叩き込まれた基本の型。槍にも応用できるからと、旅の間、何度も反復させられた動き。
恐怖は消えない。だが、ディノッゾの体は、その筋肉は、あの時叩き込まれた型を覚えていた。
彼の腕から放たれた槍は、もはや恐怖に震えるだけの棒ではなかった。腰の回転、腕の振り、体重の乗せ方、その全てが一つになり、一直線にオーガの胸を貫いた。
肉を裂き、骨を砕く鈍い音が響く。オーガの巨体にぽっかりと風穴が空き、魔物は呻き声一つ上げることなく、前のめりに倒れ伏した。
「え?」
呆然とするディノッゾと少女の前でもう一体のオーガが、仲間の死に気づき、怒りの咆哮を上げて襲いかかってきた。
しかし、その動きはなぜかディノッゾの目には驚くほどゆっくりに見えた。「これが走馬灯というやつか?」ポツリと呟く。
彼の右手は、意識とは無関係に、倒れたオーガの胸から槍を引き抜くと、今度ははっきりと型をなぞるように、流れるような動作で次の敵へと突き出されていた。




