第4話 ラスアタ
再び視界が歪んだ。
今度は落下によるものだ。
ディノッゾは腕の中にいる気を失った少女を、無意識のうちに強く抱きしめた。そして、その少女を抱く腕と胸の間に槍を挟み込むように固定し、右手で柄を握りしめる。手首には咄嗟に槍の革紐を固く巻き付けていた。こうして、男と少女、そして一本の槍は、落下する一つの塊となった。
正確には恐怖から槍ごと少女を抱きしめており、槍を握る力は、血が出んばかりに強かった。
そう、固まっていたのだ。
眼下の崖下で繰り広げられる死闘は、決着の瞬間が見えてきた。
巨体の至る所から血を流し、魔法の岩杭に縫い付けられて完全に動きを封じられたグリーンドラゴン。もはや虫の息だ。
対する【ヴァルハラ・ブレイド】は満身創痍ながらも勝利を確信し、武器を杖代わりにしながらも、その口元には下卑た笑みを浮かべていた。もはや戦いにおける必死さはない。
「ラストアタックは俺がいただくぜ!」
「何を言う、俺に決まってんだろ!」
仲間内で手柄を醜く競い合っている。
自分は、そんな奴らが英雄となる瞬間の、背景に映り込むシミになって死ぬのか。
「くそっ・・・終わりかよ・・・!」
ディノッゾが使える魔法は、御者のための風系統の生活魔法。戦闘には全く役に立たない、ささやかな魔法ばかりだ。その中で、唯一この状況を打開できる可能性を秘めているとしたら。
ディノッゾは、残る全ての魔力――いや、生命力そのものを振り絞る。槍の穂先は真下に向けられており、己の身体の盾とするように構え・・いや、しがみつく形で落下している。つまり、穂先が落下する彼らの最下点となる。落下する恐怖と戦い、槍にしがみつきながら必死に紡いだ魔法の詠唱が、奇跡的に完了したのが、まさにその時だった。
ズブリ!と肉を抉る鈍い感触が、槍を握るディノッゾの腕に伝わった。落下する彼らの最下点にあった槍の穂先が、偶然にも剥き出しになっていたドラゴンの逆鱗に、寸分の狂いもなく突き刺さったのだ。
槍が突き刺さり、なおも落下速度の慣性がディノッゾの体をドラゴンへと叩きつけようとする、絶望的なコンマ1秒。
その、ドラゴンとディノッゾのブーツとの間に生まれた、ありえないほどわずかな隙間に、彼の最後の魔法が滑り込んだ。
「エアクッション!」
至近距離で炸裂した風の塊は、もはやクッションではなかった。
槍が突き刺さった点をアンカーとし、ドラゴンの巨体を巨大な足場にするように、圧縮された風が爆発的な力でディノッゾの身体だけを押し上げる。
ボヨヨ~ン!
奇妙な擬音と共に、ディノッゾの身体は空へと射出された。
「グギャアアァァァァッ!?」
ドラゴンの断末魔が、谷底に木霊する。
その咆哮が完全に止み、谷に一瞬の静寂が訪れた直後。ヴァルハラ・ブレイドの面々が放った渾身の最後となるはずの一撃が、一斉にドラゴンの巨体へと叩き込まれた。ずぶり、ずぶり、と肉を抉る生々しい音だけが響く。ドラゴンは、もはや何の抵抗も示さなかった。
跳ね上がったディノッゾの体。その手首に固く結ばれた槍は、ドラゴンの肉をぶちり、と引き裂き、彼らと共に宙を舞う。
だが、奇跡はまだ終わらなかった。
エアクッションの勢いで斜め上へと放り出された二人の軌道上に、崖から大きく張り出した大木の枝があったのだ。
宙を飛んでいた槍の穂先が、その太い枝にガキン!と音を立てて突き刺さり、革紐が限界まで張り詰める。
ブチブチと音を立てて裂けていく革紐と、ミシミシと折れかける枝が、振り子のように揺れる二人の落下速度を劇的に殺していく。
そして、ついに枝が限界を迎え、バキリと折れた。
勢いをほとんど失ったディノッゾと少女の体は、わずか数メートル下の川へと落下する。
ぽちゃん!
冷たい水面に叩きつけられた衝撃。骨の芯まで凍えるような水の冷たさが、しかし、彼の意識を闇に落ちる寸前で繋ぎ止めた。
川の流れに押し流されながら、ディノッゾは見た。そして、聞いた。
完全に沈黙したドラゴンが、ゆっくりと巨体を傾かせ、その衝撃で崖が崩れ、瓦礫の中に半身を埋めていく様を。
崖の上から、ヴァルハラ・ブレイドの歓喜の声が、遅れて耳に届いた。
「やったぞ! 倒した! 俺たちがドラゴンを討伐したんだ!」
「見たか! これが俺たちヴァルハラ・ブレイドの力だ!グハハハハハハ!」
ああ・・・やっぱり、奴らが・・・
それが、英雄たちの凱歌を聞きながら、ディノッゾが最後に認識した思考だった。安堵と、悔しさと、もうどうでもいいという諦めがごちゃ混ぜになったまま、彼の意識は、今度こそ完全に、深い闇の中へと沈んでいった。




