第25話 聖騎士の天秤と御者の壁わ
荷馬車は、ディノッゾが手綱を握ってからというもの、まるで高級馬車のような快適さで街道を進んでいく。
荷台で揺られながら、セスティーナは、目の前の男の、広く、そして頼もしい背中を見つめていた。
(ドラゴン討伐に行く馬車の御者をしていたら、ドラゴンに襲われた……)
先ほどの彼の言葉が、頭の中で何度も反芻される。
彼女が喉から手が出るほど欲していた、隣国のドラゴン騒動に関する最重要情報。それが、こんなにもあっさりと、ただの雑談レベルで明かされた。
その事実に、セスティーナは改めて唖然とするしかなかった。
(この男……ディノッゾは、間違いなくあの事件の中心にいる。Sランクパーティーがどうなったのか、そしてドラゴンがどうなったのか……その答えを知る、唯一の手がかり。とぼけているが、それに確かな腕の御者ではあるが、御者は隠れ蓑。おそらくS級以上の実力者。かの冒険者はあまり良い話は聞かない。ならばドラゴン討伐の本命のは彼だったのでは!?)
彼女の背筋を、聖騎士としての使命感が走った。
彼の力は人外の域に達している。このような存在を、決して敵に回してはならない。それどころか、皇国の人材として、何としても引き入れなければ。
(そのためならば……)
セスティーナは、ぎゅっと拳を握りしめた。
(皇帝陛下のため、皇国のため……この身を捧げてでも、彼を繋ぎ止めねば)
それは、聖騎士としての、冷徹な計算に基づいた決断だった。
だが、すぐに彼女の脳裏を、一つの不安がよぎる。
(……とはいえ、男性経験のない自分に、それが出来るか?)
セスティーナは、自分自身を過大評価することはしない。だが、『美貌の聖騎士』として国民に愛されている自覚はあった。これまでの人生で、言い寄ってくる男たちは皆、自分の気を引こうと必死で、正直うっとおしいとさえ思っていた。
彼女にとって、美貌は、時に任務の邪魔にさえなる厄介なものだった。
だが、目の前の男は、どうだ。
ディノッゾは、先ほどからただひたすらに、馬の様子と道行きに集中している。こちらを振り返り、下心のある視線を向ける気配は、微塵もない。
(……なんと、私に興味がないように見えることか)
その事実は、セスティーナの心に、これまで感じたことのない、小さな火を灯した。
それは、任務を達成するための新たな挑戦であり、そして、一人の女としての、かすかなプライドだったのかもしれない。
その頃、ディノッゾは。
(……しかし、すげえ美人だな)
彼は、手綱を握りながら、荷台に座るセスティーナの気配を、意識の片隅で感じていた。
(男として、一度はあんな女を抱いてみたいもんだが……)
だが、その考えは、すぐに自嘲の笑みと共に消え去った。
(……相手は、確か、皇国の国民的な人気者のはずだ。ただの御者の俺がどうこうできる相手じゃねえ。下手に手を出しゃ、不敬罪で首が飛ぶのが関の山だ)
彼は、その大きすぎる身分の差に、あっさりと気後れし、興味を断ち切った。
今の彼にとって、目の前の美しい聖騎士は、ただの「面倒だが、逆らえない偉い人」でしかなかった。
二人の間に流れる、致命的なまでの認識のズレ。
そのズレが、やがて彼らの運命を大きく動かしていくことを、まだ誰も知らなかった。
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やがて、一行の目の前に、小高い塀と言うか壁が見えてきた。
壁がはっきりと見えた時、リリアが「あっ」と声を上げた。
だだっ広い草原の先に、石造りの頑丈な城壁に囲まれた、大きな街が広がっていた。神聖オルトリア皇国の国境都市、セオドニックだ。
ディノッゾとリリアにとって、それは、地獄のようなサバイバル生活の終わりを告げる、希望の光景だった。
セスティーナは、安堵の表情を浮かべる二人を見て、静かに背筋を伸ばした。
(ようこそ、セオドニックへ。そして、ようこそ、私の常識が通用しない、面倒な世界へ)
彼女の本当の任務は、ここから始まる。
一行は、街の者たちの好奇と畏怖の視線が集まる中、ゆっくりとセオドニックの城門をくぐっていった。




