2-4 魔王軍の刺客
上空から白い羽根と黒い羽根が交互に舞い落ちてくる。
「ごめんなさいね、お二人さん。私も仕事だから、許してほしいわ」
(天使、いや悪魔か?)
優雅な声と共に、無彩色の翼を持つ女性がゆっくりと降り立った。
大きく開いたスリットや、大胆に露出した胸が、どこか淫美で退廃的な雰囲気を纏っている。
「あなたは、まさか!」
「初めまして、偽物の聖女さん。境界の元天使ルシフェリアよ」
(本物の聖女って、もしかしてこいつのことか)
「私たちに、何の用ですか」
聖女が書物を慌てて懐に隠すと、杖を構えた。
「用というか、ただの仕事」
ルシフェリアが優雅に微笑む。
「魔王様から、浮気者の英雄と蝿を始末するようにって」
「私、蝿じゃありません。あと英雄様は浮気なんて絶対にしませんからっ!」
(すまない。浮気は否定できない)
「どうでもいいけど。借りるわね」
ルシフェリアが人差し指で円を描くと、聖女が懐にしまった書物が宙に浮いた。
「教会の禁書。完全復活の術式ね。へぇ、なるほど——死者を無理やり生き返らせるなんて、どちらが悪の所業か分からないわね」
「それは——!」
「教会がそんなことをして良いのかしら。こいつだって、どう見ても望んでなかったでしょ」
(ホントだよ。死体人権憲章に反してるよな)
「勝手に教会や王国の理想を押し付けて、挙げ句の果てには私たちと対立させる。"あいつら"って、いつもそうよね……」
ルシフェリアが、忌々しげに空を見ていた。
「じゃあ、早速消えてもらうわ。あなたたちはいずれ境界を侵してしまうだろうし」
「愛してもらって、何になるのかしら——どうせ、そんなの依存心に過ぎない」
「それとも、単に貴方たちの欲望のため?」
黒い羽根の周りに、小さな紫の光が走った。それがルシフェリアを包みこむように拡大していく。
「愛があれば、何だって清められますっ! それこそ、運命や不幸な過去だって!」
「未来だって、清められるんですっ!」
聖女が杖の先端から、聖域を展開する。
障壁がドーム上に広がっていき、ルシフェリアと俺たちとを隔てた。
(戦闘突入かよ。武器も防具もないのに、いきなりボス戦だろ、これ)
「愛はいつか破滅を招くわ、必ずね——貴女その執着、既に背徳の兆し」
「いつまで処女ごっこが続けられるのかしら」
二人が対峙する。
「楽に送ってあげる。せめてもの慈悲として」
先に仕掛けたのは、ルシフェリアだった。
人差し指の先端から、激しい光を放つと、それを一気に収縮させる。
次の瞬間——
「くっ! 向こうのほうが強いです……」
無数の光が弓矢のように、聖域に降り注いだ。明らかに聖女が劣勢で、ところどころ防ぎきれていない。
「神よ、この地にご加護を——祝福へと祈りを捧げます」
何度も障壁の再構成を繰り返す。
「人間にしてはやるじゃない。でもね、私はそれより上位の元天使——」
今度は、黒い羽に向かって光が集まっていく——渦巻いた光が無数の剣の束になると、俺たちを切り裂くように襲いかかってきた。
「だ、駄目。こんなのもう防ぎきれないよ……」
納屋の一室を覆っていた障壁は、聖女と俺を包む程度に小さくなってしまっている。
(能力を感知。聖女の再生陣よりも、ルシフェリアの魔力破壊の方が優位で、物質と物体の境界に干渉するような力を使っているようだが……)
「聖女、俺を置いて逃げろ!」
「できません! 守るべき英雄様を置いて逃げ出すくらいなら、ここで死ぬ方がマシです!」
「死んでる方が楽だけど。いやそうじゃなくて!」
「ふふっ、それに——私が死ねば、英雄様とずっと一緒ですよ?」
どこかで聞いたような言葉。
——また永遠を期待して、自分を犠牲にしようとする、クソ重い女。
「英雄として命令する! 俺を盾にして、さっさと逃げろ!」
「嫌ですっ! ここで英雄様を失ったら、私はもう立ち直れませんから!」
(なんでお前らは、いつもそんなに強情なんだよ!)
「何それ、お仲間ごっこ? そういうの好きじゃないし、二人とも消えてもらうわね」
「甘い同情心は身を滅ぼす——簡単なことさえ知らない、二人への贈り物」
ルシフェリアが追撃の準備を始める。
何かのコードを詠唱すると、彼女の周囲を螺旋状に光が覆っていく。
(あれは、この世界の物質に干渉するのか?)
「聖女! あれを喰らったら、この一帯が消滅するぞ!」
「お前の手に負えるもんじゃない! 俺を置いて、さっさと逃げろって!」
「……嫌です。私だけが残されるなんて、もう嫌ですから」
聖女が柔らかく微笑むと、呪文のようなものを詠唱し始める。
「私が守ってみせます。英雄様のこと——」
「や、やめろ! なんで自殺みたいな真似——」
ルシフェリアの周りを電光が巡る——刹那。周囲の空気にさえも、衝撃の予感が伝播する。
(周辺の物質によるエネルギーを集合させて、放出させようとしているのか?)
「聖女。お前の術式も場に依存する能力だな——障壁が弱くなったんじゃなくて、先回りされて、あいつにエネルギーを利用されているぞ!」
「すっごーい、さすが英雄様。私の能力を見抜いちゃうなんて」
「死んでるとはいえ、侮れないわね」
ルシフェリアが余裕の表情を見せながら。
(なんか無いのかよ。英雄としての力とか)
「もう再生が追いつきません。このままだと、彼女の攻撃の前に破られてしまいます」
「英雄様。一つお願いがあります——」
「な、何だよ。そんな最期みたいな物言いはやめてくれよ」
聖女の覚悟を決めたような様子に、俺は少し動揺する。
「白銀のナイフで、私の左手の小指の血を流してください——この地に、私の血で術式を描きます」
「お前それ、無事で済むのか?」
「さあ、早く! もう時間がありません——」
聖女が棺桶に向かって、ナイフを投げた。
——彼女は命を捧げるつもりのようだった。
(死んだやつを、生きてるやつが守るってのが?)
「自己犠牲って、ほんとクソ。安心なさい、すぐ楽にしてあげるから」
「リミナル・セイント——」
ルシフェリアに力が収束していく。まるで、この場が境界を失って、崩れていくような感覚だった。
「私がこの地を護ります。英雄様は棺桶から出てはいけません」
「なんで逃げねぇんだよ、もう」
聖女が祈りを続けている。
(このまま棺桶にいたって、どうにもならねえよ)
棺桶の中で、骨になった手を握りしめる。
本物のこいつなら、こういうピンチをカッコよく切り抜けてきたんだろう。
「いよいよ終わりなのかな。俺もこの面倒な女も、全部消えちまうんだな——」
もちろん生きることへの執着はない。
——しかし、この世界を二度と見られないのは、ちょっとだけ惜しい気がしていたのだった。
(目の前で奮闘してる、面倒な聖女。こいつは俺とは違って、この世界で今を生きてるんだろ)
聖女がナイフを手に取る。震える手で、自分の指に刃を当てた。
「英雄様……私が貴方を守ります。例え命を失っても、貴方だけは——」
血が一滴、地面に落ちた。
周囲に光が満ちて、二人を包みこむ。
(自分の血を流してまで、思い通りにしようなんて、そんなの懲り懲りなんだよ)
——彼女の包丁が、腹に突き刺さる瞬間。
『もう誰にも渡さない』という言葉。
血濡れの指輪に込めた、歪んだ愛。
(俺は束縛されることが、何よりも嫌いなんだ)
(だから、この女の自己犠牲も——)
「やめろ!」
俺は棺桶から飛び出した。
骨だけの身体で、聖女の前に立つ。
「英雄様!?」
「英雄だってなら、少しは良いところを見せないとな」
ルシフェリアの収束した光が、俺の身体を直撃する。
「馬鹿ね。骨なんかで防げるわけ——」
バキバキと音を立てて、俺の骨が砕けていく。
肋骨が、背骨が、頭蓋骨が粉々に。
「やめて! 英雄様、私を置いていかないで!
でも——
「なに……これ?」
ルシフェリアの攻撃が、突然停止した。
砕けた骨の破片の間から、青白い光が漏れ出していく。
(もう終わりだな。さよなら、この世界)
「ああ、英雄様の魂が……消えないで、お願い……」
俺は英雄になんてなれない。ただの浮気性な高校生の魂。
——英雄の器に迷いこんだ、ただのクソ野郎だ。
「何よ、この魂。世界の境界に収まっていない」
ルシフェリアが後ずさる。
砕けた骨の破片が、青い光に引き寄せられて浮かびあがった。
そして、ゆっくりと元の形へと再構成されていく——
「英雄様……英雄様ーっ!」
聖女が泣きながら、俺の名を叫んだ。
「どうやら死ねないみたいだ。当たり前だよな、俺は骨なんだから」
——魂が物質を掴み、新たな身体を形作っていた。不完全で、歪だけど、それでも俺だった。
「教会の再生の術式かしら。いや、あいつら程度じゃ、ここまではできないわ」
ルシフェリアが動揺していた。消滅させたはずの英雄の身体は、何事も無かったかのように再構成されていく。
「やっぱり貴方、この世界の存在じゃないわね」
「どんな忌々しい術を使ってるのよ——」
ルシフェリアが、完全復活した俺の姿を見ると、一歩後ずさった。
「華麗に復活ってわけだ。無駄な争いはやめようぜ」
復活した俺にも原理は分かっていない。
ただルシフェリアの攻撃が、俺の魂には通用しなかった、というのは間違いなさそうだ。
「どういうことなのよ。王国にそんな秘術が?」
「知らねえよ。俺はただの動く骸骨だ」
全身の骨をゴキゴキと鳴らす。
「俺だって何にも分かんねぇよ。勝手に呼び出したのはこいつらだからな」
聖女を骨の指でさす。
「ああ、英雄様。やっぱり貴方は本物の英雄様です」
聖女が目を腫らしながら、まるで神に祈るかのように、俺に祈りを捧げていた。
「やめろっての。召されちまうかもしれないだろ」
聖女が、大丈夫ですっ、と笑っていた。
「あなた、想像以上にこの世界に縛られてるのね——撤退よ。魔王様の話と違うし。貴方の魂を回収しろって命令だったけど、私の手には負えないわ」
「魂の回収って、魔王が?」
「魔王様は貴方にご執心よ。英雄の魂を手にして、世界の境界を変更するつもりかと思ってたんだけど——」
ルシフェリアが近づいてきて、品定めをするように俺を見た。
「それ以上、近づいてはなりません。英雄様は神の祝福を受けているのです」
聖女が杖を向けると、ルシフェリアが怪訝そうな顔をしながら去っていく。
「貴女だけなら簡単に消せるんだけど、魔王軍は命令以外の行動が禁止だから」
「じゃあね、英雄様——」
両翼を勢いよく羽ばたかせると、ルシフェリアが遥か上空まで一気に飛び上がった。
大きく穴の空いた天井から、月の光と共に白と黒の羽がひらひらと室内を舞うように落ちてくる。
「助かったな、聖女。って、なんで手根骨を握ってんだよ!」
「私と英雄様の絆の証です。いずれは結ばれるために、共に苦難を乗り越えた——」
「俺は束縛と面倒ごとが大嫌いなんだよ!」
聖女が力強く、俺の手根骨を握りしめた。
バキッという、変な音がしたような気もしたが、とりあえず骨の方は何ともなさそうだった。
(まったく。面倒なことになっちまったな)




