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2-3 魔王の影と聖女の夜

 その日の夜。宿屋の納屋に用意された俺の部屋(棺桶置き場)に聖女が忍びこんできた。

「英雄様……起きてますか?」

「永眠前に涅槃してる」

「嘘です。返事してるじゃないですか」

 聖女が棺桶の横に座りこんだ。


「私、間違ってるんでしょうか。貴方を復活させたことも、愛を信じることも——」

 急にしおらしくなったが、どういう風の吹き回しなんだ。

「信じてる方がまだ、裏切るよりかいいんじゃないか」

「さすが英雄様です。死後も篤い信仰心を持っているなんて」

 骨身が程よく乾燥しそうな爽やかな夜風が、聖女の銀の髪を優しく揺らしていた。


「私より、もっと完璧な聖女がいるって噂があります——幼い頃から、懸命に信徒の道を歩んできたつもりなのですが」

「そんなこと気にしてんのか」

「気にしますよ。別に比べてはいませんけど、そう言われちゃうと、やっぱり無視はできませんから」

(完璧、か。あいつも出会った時はそんな感じだったよな)


 元彼女のことを思い出す。

 聖女というより、まるで天使のようだった——俺だって、彼女の完璧に憧れていた一人。


「私には英雄様しかいないのです。貴方を正しい道に導くことが、私の存在意義——神の与えた試練でもあり、貴方への愛なのです」

 重い。重すぎる。

 重い愛なんて、もう骨の俺には背負えない——


「だから、お願いです。ほんの少しでいいから、私に英雄様の勇気をください」

 聖女の手が、棺桶の蓋をそっと撫でた。

(ん、何事だ?)

 なんか良い雰囲気になってしまった、その時——窓の外に強烈な覇気を感じた。

 黒い影が、こちらを覗きこんでいる。

「まるでカップルを世界から抹消しようとするような、非リアの殺気!」

(聖女が色っぽい表情で棺桶を撫でてるんだが)

 ど、どうしろと。覇気だけでやられそうなのだが。


『また浮気かしら。相変わらず懲りないわね——』

 背骨が戦慄した。強烈な既視感。

(何故だ。どうしてこの距離で声が?)


「せ、聖女。棺桶から離れろ」

「嫌です。今夜は臭いの対策もバッチリですから」

(そういうことじゃねぇ!)

「今夜はこの藁の上で寝ます。英雄様が何と言っても聞きませんからねっ?」

 聖女が、棺桶の横に藁を敷き始めた。


 ——黒い影の覇気が、さらに強まっていく。

(あんなのを食らったら、死体の俺でさえ消滅しかねない!)

「もう、やめとけ! 大変な夜になるぞ!」

「も、もう。そんなことしませんよ」

「聖女は貞淑な存在ですっ。英雄様とそんなことなんて——」

「なに顔を赤らめてんだ! このままだと大きな過ちを犯すぞ!」

「今すぐに、戦闘準備だ!」

「ふふっ、今日の英雄様は積極的ですね」

 月明かりに照らされながら、聖女が棺桶をゆっくりと撫でる。骨だというのに、彼女のちょっと艶かしい姿に、思わず、何かが反応してしまった。

(もう無いけどな、何にも! ここにあった過去の英雄は空洞だぜ!)


 殺気によって、外の木が何本かへし折れた。

「魔王だろ! 英雄の感知スキルでなんとなく分かった!」

『これはただの分身よ。魔力で作った影を送りこんでいるの』

「なんで俺に語りかけてくるんだよ!」

『当たり前でしょ。私の狙いは貴方の回収だし』

(それって、魔王城に楽にいけるんじゃね?)

 ナイスアイデア。冒険の手間が省ける。

 トロイの木馬のように、隙を見て魔王を叩くのは有りだろう。


『裏切りなんてさせないわ。厳重に管理してあげる』

「嫌だよ。魔王軍ってブラックなんだろ?」

「——って、なんで俺の内面を読み取ってんだよ!」

『そんなの簡単だわ。全部書かれてるし』

(どこにだよ。俺には読み取れないけど)

「読心術を使われてるとは。さすが魔王——」


『読まなくても、何でもお見通しだけどね。あなたのこと、全部分かってるから』

 背骨が戦慄する。

 この感覚、英雄の身体というよりも、現世で染みついたものと似ている。

「——まさか、やっぱりお前」

『ふふっ、再会はもう少し先になりそうだけど。私の部下があなたたちを殺しにいったから、頑張って生き延びてちょうだいね』

「殺すって、もう死んでるぞ」

『知ってる。後で皆、まとめてぶっ刺すから』

 頭蓋骨の中で恐ろしい声が響いていた。


「どうしろってんだ。聖女も魔王もだけど」

 棺桶の中で、俺は少し体勢を直す。

 がごんという音に驚いたのか、聖女が前髪を軽く直すと、目を細めながら棺桶を優しく撫でていた。

『ホントイラつくわね、その女。今すぐぶっ刺そうかしら』

(こういう時には、黙っておくのが吉)


『そろそろ彼女が着く頃かしら。魔王城でまた会いましょうね』

 魔王の影がすっと消えてしまった。

(とりあえず脅威は去ったみたいだな。よーし、こっちに勤しむとするか)

「今夜は私だけの英雄様ですっ」

 静かな夜。聖女のゆっくりとした呼吸の音だけが聞こえてくる。

「英雄様。今も素敵ですが、完璧なお姿はどれほど素晴らしいのでしょうか。いえ、こんなことを思ってはいけませんよね」

「ごめんなさい、忘れてください」

 そう言いながら、聖女が懐から書物を取り出した。


「完全復活の術式です。英雄様と私の将来計画の第一歩。骨だけじゃなくて、ちゃんとした肉体にします」

「やる気満々じゃねえか」

「私たちはすでに聖骸の復活という、禁忌を冒しておりますから——あとの一つや二つくらい、愛があれば赦されますっ」

 聖女が柔らかく微笑んだ後に、書物の装丁をゆっくりとめくった。


 開いたページには、人体図と複雑な術式が無数に描かれている。

(教会の禁書のようだな。肉体の復活よりも先に、霊魂への媒介術に成功したのか)

 しかし、降りてきたのは俺の魂。

 どんな偶然が招いたのか、はたまた運命的な出来事なのか。

 ——話を聞いていると、ただ失敗しただけのようだが。


「そのページって——」

「英雄様。どうされましたか?」

 開いたページに描かれていたのは、俺がすでに失ってしまった尊厳。英雄時代には、どれほどの"聖剣"を下半身に携えていたのだろうか。

「あの、私。ゴブリンやオークはもちろん、男の方とも、そういう経験がありません」

(何だと。ガチのムードなのか、これは)

「比較する基準がおかしいんだけど」

「初めては英雄様と決めております。そして生涯、何があったとしても添い遂げる覚悟です!」

 聖女が何かに祈りを捧げていた。

(理想の英雄ってか。俺も理想の彼女を夢見てたんだよな)

 と、その時——

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