9-2 英雄との邂逅
「それでは——儀式を開始します」
リリスの声が、荒野に響く。
風が鎮まり、時間が止まったように感じる。
「境界観測、拡張。対象:聖剣、およびその“伝説”」
足元の交霊陣が、激しく光り始める。
「私は祈りますっ!」
「神よ。いま一度、この物語に主の導きを——」
聖女が祭壇の前に跪き、聖具を握りしめた。短く祈りを捧げた後、自らの指先を、小さく切る。
「信徒の苦難に神のご加護を。この血と肉体を贄として、彼らを救い賜え——」
滲んだ血が、聖剣の根元にぽたりと落ちる。
赤い水滴の飛沫が、祈りと共に光の回路へと吸いこまれていった。
「境界補強、開始。冥界側との波長同期」
ルシフェリアが手をかざす。
外側の陣が、白と黒の光を溢れさせ、大地を包むように広がった。
「対象を指定します——“先代英雄の魂”」
リリスの詠唱が、さらに深くなる。
聖剣の表面に、細かな回路のような光が走り始めた。
(これが聖剣の力かよ。ただのボロい剣じゃなかったんだな、お前)
柄頭から剣身へ。剣身から空へ。空から、天の彼方へ。
「“物語”を逆走して、“セレス”の魂に到達します」
「セレス——!」
リリスが名前を呼んだ、次の瞬間。
空間が瞬時に遮断された。
「——っ!?」
意識が閉じる。
大地の感触が消え、風の音も消え、仲間たちの気配も、全部。
俺の存在が、世界から切り離されていくような——
(あー、これ完全に死んだ時と同じだな……)
そんなことを思う余裕は、ぎりぎり残っていた。
◇
映像が、骨のすべてに流れこんでくる。
雪原。
血の海。
燃える城壁。
剣を振り下ろす俺の腕。
(元々はこんなに強かったんだな……)
先代魔王の胸を貫く光。
城下で泣き叫ぶ人々。
祝福の声。
英雄の凱旋。
貨幣の印刷。
それに群がる人々。
(……これが、本当の俺の記憶)
どれも、俺が経験したことのない景色だった。でも、この俺の身体には刻まれている。
(こっちの記憶、ってやつか)
腐りかけの骨に刻まれている“英雄の人生”。
そいつが今、俺の意識を再構成していく。
◇
巻き戻りが、少しずつ和らいでいった。
気がつくと——
無限に青空が広がる、ひび割れた荒野の上に立っていた。
前方に、一つの影。
背を向けたまま、じっと立っている人影。
腰に携えているのは、美しい聖剣。
(聖剣セレスティアか。今ではオリジンとして、伝えられているようだが)
柄の装飾も、刃のラインも、俺が抱えているボロの聖剣と瓜二つ。
「……よう。初めまして、で良いのかどうか分かんねぇけど」
声をかけると、影がゆっくりとこちらを振り向いた。
どこにでもいそうな、少し疲れた青年の姿。本当に影のようだったが、何かを決断し続けた存在としての力強さを感じさせる。
「そうだな。初めまして……だが、同じ身体の俺たちだ」
「お前がセレスでいいのか」
セレスが無言で頷く。
「お前のことは骨の方の俺、って呼ぶべきかな」
「違うだろ。俺はお前だけど、中身が別人だ」
「骨になった自分を見るのは、ちょっと複雑な気分だ」
しばらく、沈黙が続いた。
俺が口を開く前に、セレスが言葉を紡いでいく。
「……すまない。俺の冒険が、中途半端に終わったせいで」
「世界に、妙な禍根を残してしまった。“英雄”が信用として消費され、物語がお前たちを支配する結末を残してしまった」
「挙げ句の果てに——異世界の魂まで巻きこんじまった」
(それはお前のせいじゃない。俺の浮気のせいで……)
「皮肉なものだろう?」
セレスが自嘲するかのように笑った。
「今の仕組みは、俺と魔王との戦いの後、教会・王国・商会・天界の“密約”で作られたものだ」
「英雄の物語を、信用の土台に使う。そのための道具でしかなかった——俺は、“正しく世界を救った”はずなのに、な」
セレスの視線が、どこか遠くを見ていた。
「魔王を討ち、この世界を救い、民衆に夢と熱狂を与えて、英雄譚という物語を残す。それが、俺の“正しい冒険”だった」
「でもその結果として、物語だけが延々と消費される世界が残った。英雄も魔王も、全部、“正しさの燃料”にされ続ける世界だ」
(リリスの考えてたことと同じだな)
「だから、役割を分けないか」
「“後始末”は、俺の仕事にする。俺の英雄譚が積み上げた負債は、俺が片づけたい——でも“その先”がお前の仕事だ」
セレスが俺のことをまっすぐに見る。
「今の世界に“新しい英雄という約束”を示せ——次の物語のためじゃなく、“今ここにいる皆の希望”になるんだ」
「……押しつけがましいな、まったく」
「俺は英雄だからな。肉体だって、押し付けてるだろ?」
セレスが、自嘲気味に笑いながら、腰の聖剣に手をかけた。
「聖剣セレスティアよ。もう一度だけ、世界の行き先を示してくれ——」
セレスが聖剣を天に掲げる。
どこまでも広がる青空の中で、剣身は美しい光を返していた。
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