6-1 割れていく空
空一面に、見たことのない紋様が幾重にも描かれていく。
リリスの結界や術式でもなく、魔王の破壊的な魔力でもない。ルシフェリアの術式による、物質に干渉するタイプの力とも性質が違っていた。
「天頂方向から、高密度の……属性が判別不能です!」
リリスが真剣な顔で、彼方を見た。
空の裂け目から、闇が降りてくる。
『——世界観測プロセス、再構築。英雄と魔王の関係性に重大な逸脱を確認』
『すぐに、干渉を開始します』
「おい、なんかとんでもないことになってないか!」
(とんでもなく面倒なことになってるだろ!)
「こ、この声……教会の大聖堂上空から聞こえる啓示と同じです! でも、今日のはもっと冷たい……」
「……ふざけんじゃないわよ。壊すことは良いっていうの?」
ルシフェリアが空の裂け目を睨んだ。
「英雄と魔王が敵対しない世界なんておかしい。だから、奴らは新しい“英雄譚”を作り直そうってわけ」
「新しい……英雄譚?」
俺が思わず聞き返すと、リリスが小さく頷いた。
「英雄と魔王は必ず対立して、どちらか一方が終わりを迎える。破壊と創造のプロセスが、英雄への信用と魔王の復讐心を生み続けていく」
「魔王様と英雄様が、馴れ合いを続けている今の状態は——少なくとも、彼らには“停滞”に見えるはずです」
「マンネリ化したバカップルってか?」
「喧嘩することが前提ならまだしも、それじゃ関係が必ず終わってしまいますよ」
(現実の俺らはそうだったがな!)
空の紋様が、妖しく輝き始める。
意味は読み取れなかったが、まるで何かに警告を発しているかのような。
『御使いの一柱、天界より地上へ』
『英雄譚への強制介入開始』
(なんかやべえ感じしてきたな)
ぞわぞわと背骨が冷える。
同時に、ルシフェリアの翼が怒りに合わせて、一度だけ羽ばたいた。
「おい、ルシフェリア。今のって——」
「私とは別の“高位の天使”。ただの観測じゃなくて、物語の記録と編纂側」
「——強いの堕とされるわよ。世界の都合でね」
◇
光が帯のように、空に幕を作り出す。
空の裂け目から現れたのは、天使ではなく悪魔だった。
「堕天ですって……? こんな強制的な——」
光と闇が混ざった瘴気が、白い影を焼くようにして、黒い紋様を浮かび上がらせていく。
『先代魔王の魂、回収開始』
最後の宣言が降った瞬間——
黒い閃光と共に、辺境区へと悪魔が降臨した。
(これが先代の魔王なのか? レイナとは違って、邪気と復讐心に満ち溢れている)
「が、ああああああああああああ!!!」
戦場が咆哮と瘴気で揺れる。
◇
地響きのような残響が収束すると、ゆっくりと悪魔が立ち上がる。背中には、半分だけ残った白い翼と、黒く変質した翼が入り混じって生えていた。
(何なんだよ、あいつ……)
「……悪趣味ね。私への当てつけかしら」
ルシフェリアが小さく呟いた。
「ここが俺の世界、か——」
悪魔は、ゆっくりと目を開いた。
その瞳は、金と深い紅が混ざり合っている。
「英雄の怠惰。魔王の嫉妬。教会の強欲。王国の虚栄……ずいぶんと自由な世界だ」
感情の無い声。しかし、その寧静さの裏には、憤怒と傲慢が両在している。
「誰だ、お前は」
俺が問いかけると、悪魔が静かに答えた。
「我は、天界の意志により堕とされた。これから、先代魔王の座を、正統として受け継ぐ者」
男が黒い腕輪に指で触れる。
「ただの悪魔、にしておこうか。もう一度、魔王の座を取り返すまではな」
黒い炎が、その身を包む。
「悪魔ねぇ。なんか弱そう」
魔王がつまらないわ、と言った様子で答える。
(悪魔って、ルシフェリアとは違うのか?)
「なら、試してみるか」
悪魔は、魔王を見た。
赤い瞳と、金と紅の混ざった瞳が、空中で視線を交錯させる。
「これからお前は、英雄と共に修正される」
「それが、この世界の“正しさ”だ」
「だったら私、その正しさごと刺すわね」
(古傷が痛むけど、こういう時は頼りになる)
「あなたは……天界の意思そのもの、なのですか?」
リリスが、震える声で口を開く。
「英雄を復活させ、魔王が再誕する——世界の正しさは、この物語を否定することで、誕生する」
「そのためならば——」
悪魔は、ゆっくりと人差し指を掲げた。
「どんな手段でも取る。それが天界の決断なのだ」
(お前らの勝手な都合で振り回しやがって。本当に面倒くせぇ)
「ふーん、あんまり面白くなさそう」
魔王が、退屈そうに笑った。
「世界が勝手に作った“新しい魔王さん”ってわけね」
「私よりは可愛くないけど、魔王っぽくて良いんじゃない?」
魔王の足元で、黒い魔力が渦を巻いていた。
「英雄を渡せ。こちらで先代の英雄を復活させる」
「英雄と魔王が敵対しない物語は、ここで大きな転換点を迎えなくてはならない」
「断るわ。これは魔王と英雄のラブ&コメディなの——」
「私とユウト君が、現世で見られなかった夢の続きだから」
魔王は、淡々と答えた。
「英雄は、私が一億オーリスで借りるつもりだし。つまんなかったら、破壊しちゃえばいいし——本当は、世界も物語もどうでも良いんだけど」
魔王が、俺の棺桶に手を置いた。
「私は、世界よりも“私が好きなもの”を守るから」
あまりにも、迷いのない宣言だった。
(お前って、ほんと魔王だよな……)
「だから——」
赤い瞳が、真っ直ぐに悪魔を射抜く。
「“天界の意志”だか何だか知らないけど、つまんない世界の方をぶっ刺してしまいなさい」
「——それが、今の魔王のやり方よ」
◇
地鳴りと共に辺境区が揺れている。
悪魔の周囲に、無数の魔法陣が展開された。同時に、魔王の掌にも、黒い渦が生じる。
「——来るわよ」
ルシフェリアが、俺のすぐ横で呟いた。
「境界、保てるのか?」
「無理。あんなの相手に出来ないわ」
(どうすんだよ、マジで……頼みはレイナだが、主人公であるはずの英雄にも、何か出来ることはないのかよ)
俺は、棺桶の縁を掴む。
(英雄と魔王が敵対しない世界が失敗だってんなら——)
(俺とあいつの間違いも、このまま失敗で終わっちまうのか?)
「ならば見せよう。世界の意志に沿った悪魔が、“正しい魔王”であることを」
悪魔が一歩、前に出た。
「正統の魔王が、この世界に新たな混沌をもたらすのだ」
その掌に、黒と白の光が収束していく。
現魔王もまた、漆黒の魔力を一点に集めていく。
「ユウト君。終わったら城下でデートしましょう」
魔王が、ちらりと俺を見た。
「喧嘩する前みたいに、楽しく過ごせそうな気がしてる」
「……嫌って言っても、どうせ連れていくんだろ」
「もちろん。だから、私があいつをぶっ刺してやるわ」
(本当に恐ろしい奴だよ。レイナは天使じゃなくて、魔王だったんだから)
次の瞬間——
二つの魔力が衝突した。
辺境の空を裂いて、地平線まで届くかのような閃光。
(ほ、骨が砕けるっ!)
そして、その光の中で——
俺は、消滅フラグしかしない“術式の気配”を感知していた。
(あ、やべぇ。なんかが俺に向いてる)




