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5-14 観測者としての天使

 雲の果てにある世界の頂は、純白の光に満ち溢れていた。

 その頂は、世界を円環で示すように。


 英雄の誕生と死。

 魔王の出現と消滅。

 文明の膨張と崩壊。


 全ての生滅をゆっくりと循環させていた。

(あんたが今いる世界だけじゃないのよ。英雄と魔王の“物語”は何度も繰り返されている)


 光の中に、ひとりの少女が立っている。

 長い髪。純白の翼。足元には巨大な魔法陣。

「ルシフェリア。境界の設定、完了したか」

 背後から、別の天使の声。

 同じく白い翼。しかし、彼の翼は一切汚れていない。完璧な、天界側の“正しさ”そのものだ。


「はい」

 少女は静かに頷いた。

「今回の英雄譚、英雄側の勝率は、だいたい七割。魔王の出現周期も許容範囲内かと」

「それで良い。だがルシフェリア、分かっているな?」

「我らの役目はただ一つ。“境界を守ること”だ。英雄の肩を持つことではない。魔王の肩を持つことでもない」


「異物が世界に入りこもうとしたら、遮断する。境界を破ろうとする者がいれば、正しく罰する——私たちは、善という中庸でなくてはならない」


「はい。私は天の意志に従います」

 白い少女は、無機質に答えていた。


 ——あの頃のルシフェリアは、ただ信じていた。

 “境界”を守れば、世界はきっと上手く回り続けるのだと。

「……で、その時の世界の話なんだけど」

 ルシフェリアが、再び言葉を紡ぎ出す。


 ——その周回での“英雄”は、今のあなたと違って、きちんと英雄をしていた。


 人間の社会を守り。

 魔物たちから村を救い。

 王国の旗の下に、信仰と通貨と信用を集め。

 「勇者がいる世界こそ正しい」なんて本気で言われてた、わりと順調な時代。


 魔王もまた、“正しく魔王”をしていた。


 人間側の文明が膨らみすぎれば、街を一つ焼き払い。

 英雄が力をつければ、戦線を伸ばして対立する。それは、世界そのものを壊さないように、計算された残酷さだった。

「ある日。その世界の“境界”が、少しだけ揺らいだ」

 ルシフェリアは続ける。


 英雄を輩出した王国が、魔族の小さな集落を見つけた。

 英雄が直接行くほどでもない。

 でも、“魔王側の補給拠点かもしれない”と疑うには十分な規模があった。


 そこに王国が送ったのは——

「英雄に憧れた兵士たちだった。教会に選ばれた、英雄予備軍として」

「王国とって、“将来の英雄候補”を競い合わせるのは、国民を熱狂させて、王国の正しさを示すいい方法だった」

 だから天界の決定は、こうだった。

『この戦闘は“英雄”システムの維持と認定』

『魔族側の被害を必要コストとして、境界線を設定する』

 少女はその戦場を“空”から見ていた。

 白い翼から、きらきらと羽を落とす。

 境界線の上から、彼らの戦況を淡々と観測していた。


「戦闘力の高い個体は、すでに前線へ徴発されています。王国側の士気は高い。信仰値も安定。通貨との連動も問題なし」

「上手くいっているようだな。今回の物語は非常によく出来ている」

 上位天使が淡々と述べる。


「記録しろ。“若き信徒たちが、魔族の集落を討伐し、信仰を高めたのだ”と」

「……はい」

「戦闘は終わった。帰還せよ」

 上位天使の命令を受けて、少女が飛び去ろうとすると、ある光景が飛びこんできた。


 魔族の子どもが戦場の片隅に一人。棒きれを握って立っている。全身はボロボロで、それでも必死に、倒れた親の前に立っていた。


「……戦いは終わったのよ」

 少女は空から、小さく呟いた。

 もちろん聞こえるはずがない。


 安全なところで観測している天使の声なんて、地上にはきっと届かない。


「そこに立てば、あなたは戦力としてカウントされる」

 観測の上で、ただの「魔族の子」から、「討伐対象」に変わるだけ。

 天使たちにとっては、霊魂の処理以外では必要ない出来事。


「ルシフェリア。どうした」

「いいえ」

 彼女は目を閉じた。

 今回の彼女の役目は、境界線を維持すること。

 現実へと介入することではない。

「……すぐに戻りますから」


 物語は、“正しい”。

 世界は、その“正しさ”によって回っている。


(でも——)

 焼き付いて離れない。

 棒きれを震える手で握っている、小さな背中。

(このまま見捨てれば、あの子の物語は、きっとここで終わってしまう)


 天界の計算は、そこまで含めて“最適解”を弾き出している——どちらか一方を、切り捨てることこそが「正しさ」なのだから。

 ルシフェリアは、一瞬だけ迷った。

 そして、境界線を、ほんの少しだけ“ずらした”。


「……っ」

 光の束が、目に見えない結界をつくりだす。

 人間の若者たちと、魔族の子どもの間に——


「おい、どうした!?」

 英雄候補たちの剣が、見えないところで逸れていく。


「腕が……! 剣が抜けない!」

 “英雄候補”たちの動きが止まり、魔族の子は、ぽかんとした顔で立ち尽くす。

「……これで、いい」

 ルシフェリアは、小さく呟いた。


 しかし、物語のルールからすれば、これは明確な“干渉”だった。

 ただの一人の子どもを守るために、英雄譚の進行をわずかに狂わせてしまった。


 それでもいい、とその時は思っていた。

 “正しさ”に従って、目の前の何かを犠牲にするよりはマシだと。

「ルシフェリア」

 上位天使が、冷たい声で告げる。


「お前は境界へと勝手に介入した。その行為が、“世界の正しさ”を歪めた——あの子は死ぬ物語だった。魔王の魂は、一旦、回収されなくてはならなかったのだ」


「どういうことですか」

「あの村の子が魔王になった。世界が予期しない物語を生み出し続けている」

 少女は俯いた。


「世界は“物語”で出来ている。英雄が“魔王”を討たなければならない」


「お前が守ったあの子は、魔王軍の一人として成長し——」

「魔王を討ち、此度の戦争で、英雄と王国を焼き払ったのだ」

「……そう、調整されたのよ」

 ルシフェリアは唇を噛んだ。

「“あの時助けた命”が、今度は“世界の悪役”に回された」

「天使の加護まで受けてるから、魔王を止めることなんて出来なかった」


 この世界の物語は、必ず釣り合いを取る。

 誰かが一度、正しさから外れたことを、どこかで別の正しさが修正していく——


「境界を守る者が、境界を曲げてはならない」

 上位天使が告げる。

「お前は、“正しさ”から外れてしまった」

「では——」

 その時、少女は初めて天界に逆らった。

「目の前の現実になんて、意味が無いじゃないですか」

「それが、“神の意志”である。お前はそれを"感情"で裏切った」


 そう言われた瞬間。

 ルシフェリアの“白い翼”が引き裂かれ、黒い痕が走ったのだった。

「罰は単純だったわ」

 現実に戻って、ルシフェリアが微笑みながら答える。


「“正しさに疑問を持った天使は、天使じゃない”——だから、片方の翼を焼かれた」

 片側から黒が染み出し、翼の半分が煤けたようになっていく。

 境界を守るはずの天使が、“境界の逸脱”として象徴された。


「でも、面白いことにね」

「そんな“正しさ”から外れた私を、今度は“魔王側”が利用しようとしたのよ」

 自嘲気味にルシフェリアが笑った。

「天界の裏切り者は魔王軍の天啓——だったらいっそ、こっちに来れば良い」


 その魔王はきっとレイナではない。

 どんな魔王だったかは分からないが、きっとその時の英雄と、運命を競い合っていたのだろう。

「だから私は、“境界”にしか興味がないの——」

 ルシフェリアは、俺をまっすぐに見る。


「天界の正しさも、魔王の感情も、どっちも信じていない——信じているのは、“世界”っていう真実だけ」


「それでも物語は、“何かのためだ”って言いながら、奇妙な正しさを押し広げる」

「どっちも、嫌ってほど見てきたわ」

 白と黒の翼が、ゆっくりと広がる。

 無彩色の羽根たちが、静かに揺れていた。


「まあ結論として。どっちもクソなのよ」

(すごい結論だな、おい)

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