5-13 境界の元天使
「うおっと!」
やっぱり落ちた。細かい骨が周りに散らばっている。
「ありゃ、抜けねぇな」
どうやら俺は魔王城のどこかの床に埋まっているようだ。衝撃の影響で、あちこちの骨が、絶妙な角度でずれている。
(やっぱりこうなるよな……)
「英雄、様……?」
見上げると、総務ゴブリンだった。
残業申請書の束を抱えたまま、口をぱくぱくさせている。
「どうして、また空から……」
「現場からの帰りだよ。忘れ物しちまってな」
雑に答えながら、骨を引き抜いていると——
「……報告にあった通りですね。魔王様が前線に出ている今こそ、“異物”を正しく処理する好機であると」
背後から、冷たい声がしている。
「はい?」
振り向くと、魔族兵たちが数人。砦で見たのと同じ、新魔王派の紋章を身につけていた。
「英雄の器を、本来あるべき状態に戻す。世界の理から外れた魂を、この場で切り離す」
その手には、禍々しい刻印が輝いている。
(うわ、あいつら、魔王城にも別働隊を送ってたのかよ……)
「おい、お前ら。辺境区がボロボロだぞ」
「そうでしょうね。しかし英雄が正しい姿に戻れば、何も問題がありません」
「うわー、話通じねぇ……」
魔王不在の魔王城。
残ってるのは過労死寸前の総務と、腰布干してる兵と、そして——ただの骨。
(城の守りが手薄過ぎるだろ)
「では、始めましょうか」
魔力による黒と白の刃が、骨の俺を切り裂こうと——
「危ねぇ!」
間一髪で避ける。仮に食らっても、元の姿に戻る時間が必要になるくらいのダメージだが。
(今はそんな場合じゃねえんだよ)
「おい、お前ら。やめ……」
次の瞬間、俺の目の前で、魔力の刃が“消滅”した。
「なっ——」
魔族の一人が驚く間もなく、刃のように形を持っていた魔力は消滅して、空中に霧散していく。
「魔王様から、城の防衛を命じられているの」
騒動に現れたのは、無彩色の双翼——元天使ルシフェリアだった。
「くだらない事をしてないで、あなたたちは元の仕事に戻りなさい」
淡々と言いながらも、その背中にははっきりとした殺気が宿っていた。
(助かった……のか?)
「ルシフェリアさん!? なぜ、私たちの邪魔を——!」
「邪魔なんてしてないわ。呆れてるだけ」
ルシフェリアは足元の転移陣を見下ろした。
「……あなたたち、今、自分たちが何をやろうとしているか分かっている?」
「“世界のため”を勝手に翻訳して、境界の外側にまで、正しさを伸ばそうとしている」
(知ってたのか、こいつ)
「しかし、この骨は——」
「ええ。“本来ここにいるべきじゃない存在"」
「でも、その“間違い”を正しいという魔王がいるのも、また事実」
ルシフェリアの言葉に、新魔王派の魔族たちが悔しそうに俯いていた。
「魔王は感情で境界を変える。リリスは正しさで境界を引き戻す——結局、あなたたちも板挟みなのよね」
「ルシフェリア様……」
自嘲気味に呟いたルシフェリアの視線が、ゴミを見るかのように俺へと向いた。
「……で、あなた。なんで戦場から逃げてきたのよ」
「逃げてねぇよ! むしろ立ち向かった側だわ」
「なんか床に刺さってるし。好きなの、それ?」
俺は床に刺さったまま、反論する。
「好きなわけあるか! “面倒くさくなりそうだから、その前に手を打ちに来た”んだよ」
「ふーん、そう。私を呼びに来たってわけね」
ルシフェリアが何かを察したのか、盛大にため息をついた。
「ルシフェリア。お前に頼みがある」
俺は、骨をぱきぱきとはめ直しながら、真正面から彼女を見る。
「嫌よ。断るわ」
「まだ何も言ってねぇだろ!」
「私にだって、面倒くさいって言う自由があるし」
ルシフェリアは翼を小さく揺らしながら、壁にもたれた。
「どうせ、“魔王を止めてほしい”とか、“リリスを説得してほしい”とかでしょ?」
「そんなの英雄のあんたがやりなさいよ。大体、私にそこまでの力はないわ」
「違う」
俺は頭蓋骨を横に振る。
「魔王の肩を持てとも、新魔王派に味方しろとも言ってない」
「お前は“境界”を守る、元天使なんだろ」
「何が言いたいの?」
ルシフェリアが横目で俺を見る。
「戦場の境界は、感情の魔王と、正義の新魔王派——その真ん中で、現実と世界がまとめて押し潰されかけている」
「お前が見てきた境界ってのは、そんな単純なものだったのか?」
好きか嫌いか。正しいか正しくないか。そんな綺麗に分けられるなら、白と黒の羽を持つ元天使なんているはずがない。
「“単純だったら良かった”って話なら、いくらでもしてあげるわ」
何を言ってるのよ、とルシフェリアは小さく鼻で笑った。
ため息と一緒に、彼女の視線が遠くへ外れていく。
——ずっと昔。まだ彼女の羽が“純白”だった頃。




