5-12 正しさと感情と、その真ん中で
一行がやってきたのは、辺境区の防衛本部。
「開けなさい。私よ」
「はっ、魔王様!」
すぐに砦の門が開いた。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」
中から数人の幹部魔族が姿を現す。
黒と赤の装束に、新しい紋章——先程ゴブリンが報告していた“新魔王派”のもの。
「ああ、これは魔王様。リリス様もよくぞいらっしゃいました」
一番前に立っている、長い角の生えた人型魔族が一礼した。
「すでに情報が届いておりましたか」
「あなたたちに、ここまで大きな“誤解”があるとは、思っていませんでした」
リリスが静かに言う。
「誤解、などではありません——」
「我々はただ、魔王軍の未来と、この世界の正しさを憂いているだけです」
人型魔族が、派手に装飾された鎧を鳴らしながら、英雄の棺桶に近づいてくる。
「そして——世界の理をねじ曲げる“異物”を、正しい姿に戻すべきだと」
彼の視線が、本当なら、英雄であったはずの棺桶へと向いた。
「まったく。異物って便利な言葉だよな」
俺は棺桶から上体を起こす。
「お前らも、まさか英雄がこんなんだとは思わなかっただろ」
(中途半端な願いってのは、時に歪な結果を生むもんだ)
◇
「確認したいのだけれど——」
魔王が前に出る。
「あなたたちは、私が“感情的”だから、リリスを新魔王に担ぎ上げたい、のよね」
「はい。物事を単純化しすぎるのも魔王様の悪癖ですがね」
(超分かる。なのに、人の話は全然聞かないんだよ)
魔族が淡々と答えた。俺も心の中で同意していた。
「あなたは、個人的に持ちこんだ感情で、魔王軍と世界の正しさを弄んでいる」
「ええ、そうよ。私が魔王だからね」
魔王本人もあっさり認めた。
「魔王とは、本来“魔族ファーストのリーダー”であるべきです」
将校の言葉には、どこか確信があった。
「この世界では、正しく魔王と英雄が対立していなくてはならない——」
「あなたがその立場を利用して、力なき英雄に個人的な感情で執着し続けていることを、私たちは黙って見過ごすことはできません」
すでに覚悟は決まっているのだ、と彼の表情が語っていた。
「正論だよな。こいつらの言い分はよく分かる」
俺が小声で呟くと、リリスが複雑そうな顔をしていた。
(まぁ、そう言われても仕方ないよな。俺のために一億とか言い出した女だし)
「ふーん。要するに、あんたたちは私が嫌いってことよね」
「い、いえ。そういうわけでは……」
魔王の発言に、将校が困惑していた。
「じゃあ、もしかして嫉妬してるの? 私が英雄を愛してるから」
「あのっ、お姉様! さすがにそういう問題ではないような。ここは正しいか、正しくないかが重要で——」
見かねたリリスが、将校に助け舟を出した。
「好きか嫌いかでは、組織の公平も均衡も保てません——だからこそリリス様は、私たちに手を差し伸べた」
「この世界と、魔王軍の未来を守るために」
(なんかリリスの正しさが救世主みたいになっちゃってるぞ)
将校たちが、リリスを見る目は完全に“新しい王”へと向けられたもの。
リリスは居心地悪そうに視線を落とした。
「そんなつもりでは、なかったのですが」
「私はただ、魔王軍が“正しく”続く仕組みを——」
「正しい仕組みを作ったら、魔王がいらなくなっちゃったじゃない」
「“感情的で単純な魔王”の代わりに、“賢くて正しい妹”を立てましょう、って?」
「いい度胸してるわよね、ほんと」
魔王が退屈そうに将校たちを眺めていた。
「は、反乱などと——!」
「我々は、魔王軍の改革を理念に……!」
「それこそ、MAKE MAOU GREAT AGAIN!」
「馬鹿ね、あんたたち。さすが私の僕って感じだわ」
魔王が笑った。しかし熱は収まらない。
「好きと嫌い。そんな単純な感情でも——それだけで世界を回してる私と」
「正しいか間違ってるか——って、リリスを犠牲にしようとしてるあんたたち」
「どっちも、そんなに大差ないと思わない?」
挑発的な笑みで、魔王は将校たちに問いかけた。
「……魔王様の“気分”で振り回される現場は、もううんざりなんです」
「残業申請も、戦線の維持も、兵站も——全て『気が乗らないから』で後回しにされていく」
「それならまだしも、英雄との戦いですら、気が乗らないからと、魔王城に引きこもる始末……」
「仕方ないでしょ。魔王は気軽に遊びにも行けないのよ」
(都市で遊んでる魔王とか前代未聞だが。ここにカジノで全財産擦った英雄ならいるけど)
「だからこそ、感情ではなく、“世界の理”を理解しているリリス様こそが——」
「はいはい。まとめるとこういうことよね」
魔王が指を鳴らすと、空中にまた図が出てきた。
「『好き・嫌いで決める魔王』VS『正しい・正しくないで決める新魔王派』」
「で、あんたたちは、『好き嫌い』ではなく、『正しさ』を中心にしたい、と」
魔王が説明を終えると、将校は頷いた。
「好悪で運営される組織は不安定です。私情で英雄を囲いこむ魔王様ではなく、世界のあり方と、魔王軍の将来を“正しく”考えられるリリス様こそ——」
「正しく、ねぇ……」
魔王が不満そうに将校を眺めていたが、リリスがすかさず口を挟んだ。
「やめてください。私は魔王様の代わりになる気はありません——私が望んでいるのは、“正しさ”で魔王様を支えることだけです」
「その"正しさ"が、こいつらにとっての"正義"を作りだしちゃったってわけね」
魔王の鋭い視線が、リリスと将校、そして砦全体に向けられる。
「見過ごすつもりなんてないわ。あなたたちもその覚悟でしょう?」
空気がびりっと張りつめた。
砦の内外で睨み合う魔王軍の兵たち。魔王派と新魔王派の両方が、今にも衝突寸前の気配を見せている。
(これ、絶対にめんどくさいやつだろ。本当なら、俺があいつらを相手にしてた可能性が……)
「……リリス」
魔王が、優しく静かな声を出した。
「私は別に、魔王の座にしがみつきたいわけじゃないわ」
「世界がどうなろうと、英雄がここにいてくれればいいし」
魔王が、愛おしそうに棺桶を眺めている。
「でもね。あんたの正しさが、私を間違いと突きつけてしまうのなら——そいつらは、まとめてぶっ刺すしかないのよ」
「お姉様、それは——」
「正しさ同士は必ずどこかでぶつかるって、さっきも言ったでしょ?」
魔王が笑う。その笑顔は、今までで一番“魔王”らしかった。
「私は魔王よ。感情的で、身勝手で、英雄に執着してて、現場の声もよく聞いてないけど」
「外から来た“正しさ”よりも、私が好きなものを守るの」
魔王の背中から、黒い魔力が立ち上る。
「さっさとこっちに来なさい、リリス——あなたに新魔王の立場は、ちょっと重すぎるかな、って思うわ」
「……っ」
リリスの表情が固まる。
その両側で、兵たちが一斉に声を上げた。
「リリス様! こちらへ!」
「魔王軍の未来は、あなたにかかっている!」
新魔王派の魔族たちが武器を取る。
「リリス様! 号令を!」
「一声あれば、この身を差し出す覚悟が出来ています!」
新魔王派の反乱が更なる膨張の様相を見せ始める。将校は師団を統率し、御旗の元に士気を一様に集めた。
「リリス様! この辺境区から、魔王軍の誇りよ、もう一度!」
「MAKE MAOU GREAT AGAIN! MAKE MAOU GREAT AGAIN!」
歓喜と熱狂と共に、辺境区防衛軍が組織されていく。防衛の職務は、反乱の機運に上書きされていった。
(おいおいおい。易々と内戦始めようとするな)
そして——最初に動いたのは将校だった。
「我ら、新魔王派は——」
彼は、リリスを一瞥してから、魔王を正面から見据えた。
「リリス様の正しさに従い、『英雄を本来あるべき姿に戻す』ことも誓う——そして、魔王軍を“感情”ではなく、“世界の理”に基づいて運営することを!」
「つまり、私を頂点から降ろす、ってことよね」
「そうだ。我らは魔王に反旗を翻す」
刹那、砦は熱狂に包まれる——
魔王の足元から黒い紋様が広がり、砦の防衛を命じられていた辺境領の兵たちが、魔王に向けて、一斉に武器を構えた。
「リリス——」
魔王が、横目で妹を見る。
「最後に、あなたの口から聞きたいわ。これがあなたにとっての“正しさ”なのかしら?」
「私は——」
リリスが唇を噛みしめた。
兵たちはきっと彼女の一言に期待している。
「“英雄の魂を、正しく戻すべきだ”と考えています」
「でも——」
その先が続かない。
この世界の両方に、彼女の“正しさ”が刺さってしまっていた。
(ガチバトルだな。どうすんだ、俺)
俺は棺桶の中で、蓋の裏地を眺めていた。
「時間をかけても、事態は変わらないわ——その間に被害が拡大したら、もっと面倒でしょ?」
空間を捻じ曲げるほどの威圧感。黒い魔力が本気で膨れ上がっていく。
(あ、あいつ今回はマジじゃねぇか!)
「新魔王派、ね。リリスの方が好きっていうなら、別にそれでも良いわ」
「でもね、浮気ってやっぱり許せないものなのよ——」
次の瞬間。砦の一角が、轟音と共に崩壊した。
「うおおおおお!?」
「防御陣が、一瞬で……!」
魔王が軽く指を振っただけで、辺境区のあちこちが木っ端微塵に吹き飛んでいく。
(どう考えても勝ち目ないだろ)
俺は早々に悟った。
これは戦いなんかじゃない。一方的な“実力差の証明”だった。
(もし本物の英雄だったら、こんなんと戦ってたのかよ……)
「ひ、怯むな! 陣形を立て直せ!」
「無理です! 魔王に攻撃が届きません!」
「よっわ。何が新魔王派よ」
「間違って全滅させないようにしなきゃね」
その後の光景は、なかなか地獄だった。
魔王はなんとか兵を殺してはいない。そこだけはギリギリ守っている。
しかし——
「ぎゃああああ!」
「装備が全部崩壊して……!」
物体に魔力を強制的に干渉させて、構造や法則を強引に破断しているらしい。
「魔力が……逆流してくる!?」
「うわあああああ!!」
砦のあちこちで、魔王の魔力が暴れ回っていた。
攻撃魔法を放てば、魔法の軌道をねじ曲げて、味方陣地に突き刺さり、防御結界を張れば、その結界が牢獄のようになって兵たちを閉じこめていく。
(本気になったら、簡単に消し去れんのかよ)
圧倒的な戦力差の中、唯一の希望は、リリスが必死に守護していることだった。
「そこは、下がってください!」
「お姉様、その威力は——っ」
リリスがあちこちに瞬間転移しながら、結界を張り直して、魔王の魔力を減衰させている。
おかげで死者は出ていない。出ていないが——
兵たちの顔は真っ青だった。
「これが……本気を出した、魔王様……」
「リリス様が抑えて、この力……」
(反乱なんかやる前に見せとけよって感じだが。これも俺のせいなのか?)
でも、問題はそれよりも。
俺の視界の端で、リリスが茫然としている。
左を見れば、傷ついて倒れる新魔王派の兵。
右を見れば、平然と黒い嵐を操る魔王。
「お、お姉様!」
リリスが、慌てて呼びかける。
「どうか、彼らの——」
「下がってなさい。ちゃんと手加減してるわ」
「彼らは自分で選択して、私に剣を向けたの。正義の旗を振りながらね」
魔王が辺境塔を軽々とへし折った。
「で、ですが——」
「自分たちの“世界のために——魔王を刺してでも、新しい世界を作ることは、きっと“正しい”んでしょう?」
「…………っ」
リリスの手が震えていた。
目の前では、兵が必死に戦っている。彼女の掲げた正しさを信じて。
「私には、正しさを守ることしかできません……」
もちろん魔王に剣を向けるなんて選択肢は、リリスの中にはないだろう。向けたところで、何も変えられないことは明らかだった。
(詰んでるよな、これ)
リリスには、リリスの“正しさ”がある。
魔王には、魔王の“感情”がある。
——両方とも、筋は通っている。
(英雄がいれば、こんなことにはなってなかったんだよな)
でも、その真ん中で割を食うのは、いつだって“現実”だ。
そしてまさに俺は——
(失われた真ん中。英雄っていう中心だったはずだよな)
骨がきしむくらいには分かっていた——多分、このまま棺桶に引きこもっているわけにはいかないことを。
「……面倒くっせぇな、ほんと」
俺は棺桶の縁をガタンと鳴らして、上体を起こす。
「ユウト君?」
魔王が一瞬だけちらりとこちらを見る。
「どこに行くの。消し飛んじゃうわよ?」
「ほんとお前、おっかねぇよな。未来の面倒くささから逃げるために、今ちょっとだけ面倒なことをしに行く」
「言ってる意味が分からないんだけど」
「さあな。俺だって、分かってるようで分かってねぇよ」
骨の脚で、ずるずると棺桶から降りる。
砦の中枢——さっきリリスが展開していた転移陣が、まだ地面に残っていた。
(ちょっくら行ってくるか)
リリスが“本陣と魔王城を繋ぐ非常用ルート”として描いたものだ。
「え、英雄様!? どこへ——」
リリスが気づいて駆け寄ってくる。
「ちょっと魔王城まで。まだ強いのが一人残ってたからな」
「もしかして、ルシフェリアさんですか?」
「ルシフェリアさんでも無理です! お姉様が本気になったら、ルシフェリアさんでも絶対に止められません!」
俺は転移陣の中心に骨を乗せる。
「待ってください! そこはさっきお姉様が——」
「座標誤差が発生するかもしれませんし、英雄様には転移先の修正も——」
「一回死んでるし、俺って不死身みたいなもんだから」
骨の親指と人差し指を、ぱちんと鳴らす真似をして。
「英雄ってのは、無謀を美談にするもんなんだよ」
転移陣が光った。汚い骨を光が包む。
「英雄様ぁぁぁぁ!?」
「ちょっ、勝手に使わないでください——!」
リリスの悲鳴を背に受けながら、俺の景色は小さく圧縮されていった。
(あー、なんか落ちる予感しかしねぇ……)




