5-3 リリスの願い
「英雄様。どうか、私の願いを聞いてください——」
リリスが一歩近づいてきてから告げる。
「あなたには、本来の英雄の魂を、その身体に返していただきたい」
「それが、世界のためであり——何よりも、“あなた自身”のためなのです」
(骨のまま、この世界に執着してもな)
しかし、ただ一つだけ疑問があった。
「俺のためって言うけどさ。身体なんてのは、死んだら腐って無くなっちまうのが普通なんだぜ?」
俺は、違和感を言葉にしていく。
「死んだ人間を復活させようってのがおかしいんだよ——そんな訳の分かんねえことをするから、こうやって俺みたいなのが生まれちまう」
「本当に救ってくれるってなら、喜んでお願いしたいところだが、その“正しさ”、今のところ、俺のためには見えねえんだわ」
「そう、ですか。私としては、これが一番“あなたのため”だと思っていますが」
リリスの瞳が揺れている。
涙、ではない。でも、自分の中の信念へと迷うような顔。
「俺の魂がここにいちゃいけないってのは分かってる。でも同時に、ここから既に去った魂を呼び戻すのも、おかしいことだって分かるだろ」
「しかし、この世界には、必ず物語が存在します。英雄と魔王は、どちらか一方を滅ぼして、世界の均衡を保たねばならないのだ、という——」
リリスが話を続ける。
「英雄と魔王が共存し続ければ、貴方のように世界の歪みが生じていくのです」
「それじゃダメなのか? 魔王と英雄だって、互いのルールさえ決めとけば何とかなりそうだけど」
「大体戦うとか、めちゃくちゃ面倒くせぇし」
刃物で刺された経験からすると、出来るなら暴力は回避したいところだった。
「人間たちは、英雄を“信用の裏付け”として使います」
リリスが続けていく。
「英雄の加護を受けた王国の貨幣は安全。英雄がいる国に投資すれば回収できる——」
「そう信じさせることで、教会も王国も商会も、自分たちの通貨や契約の価値を根本から支えているのです」
(それがセレス札や英魂再臨の儀って訳なのか?)
「彼らにとっての“英雄譚”は、勇敢な物語であると同時に、貨幣と信用を支える“肖像”でもあります——ですが、私たち魔王側にとっては違います」
「英雄と魔王の神話は、“世界そのものが存続し続けるための循環”です——」
「文明が膨らみすぎれば魔王が現れ、英雄がそれを討つ。あるいは、討てずに魔王が世界を塗り替えて、新たな秩序を生み出す」
(魔王が勝てば、またいつか英雄が現れるってことでもあんのかな)
「その循環の中でしか、この世界は保てません」
リリスが神妙な面持ちで口を閉じた。
「要するに俺は——」
「人間側からすれば“必要善”で、魔王側からすれば“必要悪”ってわけか」
(骨の英雄を倒すには、俺の魂ごとどうにかしないといけないわけだな。そんな非効率的で不確かなことをするなら、"本物"と殴り合って、決着を付けちまった方がいいってことか)
微妙な顔をしながら、ルシフェリアが割って入る。
「人間たちの通貨信用システムなしでは、魔王領の経済ももう長くは持たないわ。税も、交易も、賃金も——全部、あの連中の“信用”にリンクしている」
「英雄の信用が崩れすぎれば、あいつらの通貨は先に死ぬ。通貨が死ねば、世界も維持できない——」
ルシフェリアが淡々と続けていく。
「偽札だって、本物の信用を借りてるのよ。本来なら、私たちは生み出すのではなく、破壊するだけの存在」
「境界が曖昧になっては、互いの存在意義に関わる。壊すことも、生むこともない世界なら——永遠に存在することを目指すしかなくなってしまう」
(頭が痛くなりそうだな。頭蓋骨が軋んでくる)
「だから私たちは、共倒れだけは避けるように、対立するしかないの」
「本物の英雄が帰ってくれば、私たちは全力で向かい撃てるし、ね——」
ルシフェリアが俺の頬骨スレスレに、魔弾を撃った。
(危ねぇ! バラバラになっちまうだろ!)
「問題はやはり——そのどちらの計算式にも、“本来ここにいるはずのないあなた”が混ざってしまっていることです」
「この“間違い”を放置すれば、いずれ物語そのものが破綻していきます」
リリスが目を伏せながら呟いた。
「そうやって、世界だの信用システムだのって、皆で“正しい理由”を積み上げていくけど」
「——私は別に、世界のためにも通貨のためにも生きてないわ」
魔王がバカバカしいと言った様子で、話し始める。
「こいつがここにいて、私とくだらない会話してくれるなら、それだけで十分なの」
「もしも世界が間違ってるなら、世界の方をぶっ刺してしまいなさい。それが魔王のやり方なのよ」
(背骨がゾワゾワするわ!)
「今すぐに、無理に何かを決めさせようとは思いません。英雄様には姉様との契約もありますし——」
「それでも私は、何度でも提案します」
リリスが顔を上げる。
「あなたが、本当に嫌だと言っても——それでも、私は、世界のための“正しい選択”を探し続けます」
「ただ一つ、約束させてください——あなたの意思を、無視したまま、勝手に儀式を進めるようなことだけはしませんから」
「……」
(リリスの顔って、あの時のレイナにそっくりだよな)
「では、私はこれで。正解は見えませんが、私は私で、正しさを守らねばなりませんから」
リリスが、丁寧に頭を下げる。
「改めてお会いした際には、またお話させてください。英雄様の“本当のあり方”について」
「まあ、考えとくよ」
今度はルシフェリアが、目の前に現れた。
「今日はここまでにしとくわ。世界の境界は、一日でどうこうできるものじゃないし」
二人が中庭の奥へと向かっていく。
鈴の音が遠ざかっていくと、再びざわめきが戻ってきた。




