5-2 魔王の妹と世界の正しさ
魔王城の中庭。俺は何となく納得していた。
尖った塔、黒い石畳、禍々しい彫像——まではいい。ただその横にオークの腰布が無数に干してあるのはどうなんだ。さっきの奴らが巻いてたのと同じデザインだった。
(自由なんだな、意外と)
黒ローブと黒ローブの間には、やたらファンシーなエプロンが揺れている。
「魔王様〜! この前の会議資料、どこやったか覚えてますかぁ!?」
「魔王様、税の調整案にサインを……!」
「休暇申請、まだ見ていただけてなくて……!」
「もう辞めて、故郷に帰ろうかと思ってます」
うるさい。
死んでる身としては、安らげる冥府のような場所を想像していたのに。
「ね、賑やかでしょ?」
隣で、魔王が楽しそうに笑っていた。
「全部、私の“愛すべきバカたち”よ」
「愛され方間違ってるだろ。バカと部下も間違えてるぞ」
「人間も魔族も、働けるうちが華なのよ」
「働かせる側がそれ言うなって。俺はあいつらの気持ち、めちゃくちゃよく分かるぜ」
そんなやり取りの最中。
背後から、聞き覚えのある声が。
「魔王様。少し、よろしいですか?」
振り返ると、黒と白の羽根を持った女——ルシフェリアが、翼をたたんで立っていた。
いつ見ても、妙な色気と威圧感がある。
「何よルシフェリア。今は彼との“デート中”なんだけど?」
「魔王様。僭越ながら、毅然とした対応を心がけた方がよろしいかと——いつ英雄がこちらに剣を向けるかも分かりませんし」
ルシフェリアが俺に視線を向ける。
「魔王様のお気に入りが、どれほど“世界にとって危険な存在”なのか。そろそろ、きちんとお伝えすべきです」
(こいつも忌憚のない奴だよな)
「ここで俺を始末するって、展開じゃないだろうな?」
「簡単に始末できるなら楽で良いんだけど——」
「残念ながら、今日はもっと面倒な話」
ルシフェリアが指を鳴らした。
それに応じて、周囲で働いていた魔族たちが、一斉に距離を取る。
(魔王よりも魔王みたいだな、ルシフェリアは)
「——リリス」
ルシフェリアが、誰かを呼ぶように低く言う。その瞬間、かすかな鈴の音が聞こえてきた。
からんころん。浄化されるような響きの音色。重苦しい城の空気には似つかわしくない、天使のような雰囲気。
(何だ、この既視感は)
やがて、彫像の影から、一人の少女が姿を現した。
「お久しぶりです。英雄様」
魔王と似た黒髪。ただし、その髪先は淡く銀色に透き通る。瞳は優しい茶色で、笑った時に柔らかい弧を描いた。
「初対面だよな、お前」
着ているのは、魔王城の陰鬱とした黒ではなく、清廉な白を基調としたドレス。けれど裾や袖には、力強く黒い刺繍も施されている。
「魔王なのに、天使みたいだってよく言われます」
——“清楚で良い子”のテンプレみたいな振る舞い。
「姉様、こちらにいらっしゃったんですね」
少女は、魔王の前で膝を折って、丁寧に一礼した。
「お仕事、お疲れさまです。魔王城は今日も円滑に運営されております」
「相変わらず礼儀正しいわね、リリス」
魔王——元カノが、どこかくすぐったそうに笑う。
「紹介するわね。彼女は私の妹、リリス」
(リリス。魔王の妹って姿じゃない。なぜか物凄く既視感がある)
リリスと呼ばれた少女が、今度はゆっくりと俺の方に向き直った。
——そして、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。魔王の妹にして、辺境区の統治を任されております、リリスと申します」
「英雄様——いえ、“英雄の器”であるあなたに、お会いできて光栄です」
その一言で、背骨が冷える。
“英雄様”じゃなくて、“英雄の器”。
(彼女も、俺を知っているのか……?)
「器って。俺はただの骨だぞ」
「あっ、申し訳ありません。つい、仕事の癖で——」
リリスが慌てて顔を上げる。
本当に申し訳なさそうで、確かにどこからどう見ても“いい子”だった。
「私の管轄では、戦力や資源を“器”として管理しているんです。だから、その——」
「悪気はないのよ、本当に。ちょっと空気読みすぎちゃうところはあるけど」
魔王が口を挟む。まるで彼女を守るかのように。
「昔のレイナと似ている。これは俺の気のせいじゃないよな?」
「さあね。私は彼女の姉としての務めを果たしているだけだから」
魔王が表情を引き締めた。
しかし俺の意識は、どうにも別のところで引っかかっていた。
——昔の、レイナ。
あいつがまだ、俺のクラスメイトをやっていた頃。
周りからは「天使みたい」なんて言われて、誰にでも笑顔を振りまいて、本当に誰からも好かれていた。
(あの頃のレイナと似ている、のか……?)
「英雄様。あなたは今、幸せですか」
リリスが、そっと俺を見上げる。
その目は、どこか懐かしくて。
何だか——もう一度、あの時を再現するかのように。
「ははっ、毎日に嫌気がさしてるよ」
「刺されて死んでるし。骨だし。借金一億だし。世界経済は崩壊しかけてるし」
リリスが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「どう考えても、幸せ要素ないだろ。不幸そのものだ」
「そう、ですよね——」
リリスが、ほんの少しだけ目を伏せた。
その表情が、また俺の記憶を呼び戻す。
(こんな顔、昔見たことがあったな)
「最近、LINE返すの遅いよね」とか、「他の子と話してたよね」とか、そんなことを言う前に、レイナが一瞬だけ見せていた顔。
「英雄様。お伝えしたいことがあるのです」
しばらく逡巡していたようだが、リリスが凛とした顔に変化する。
「本来、あなたが宿っている“英雄の身体”には——」
「この世界が望んでいた、本物の英雄の魂が降ろされるはずでした」
「だろうな。誰だって分かる」
(“本物の英雄”の話。俺が本物じゃないから、一番分かってるんだけど)
「けれど、どこかで何かが狂ってしまった」
言葉を続けたのは、ルシフェリアだった。
「教会の儀式。王家の慢心。そして——魔王様の執念」
「本来招かれるべき魂は、境界の外へと弾かれてしまった」
(大丈夫か、元の俺。いや、この身体の元主よ)
「その代わりに、世界の外から“別の魂”が滑りこんできた」
「それが、あなた。他にも違和感はあるんだけど」
ルシフェリアが魔王を見た後に、俺の眼窩を射抜くような視線を向ける。
「俺だって、好きでここに来たわけじゃない——」
「それはそうでしょうね。あなたは事故に巻きこまれたようなものだし」
「ただ、あれだけ英雄を嫌っていた魔王様が、やけに今のあなたに執着する意味は分かっていないんだけど」
意味が分からないといった様子で、ルシフェリアが頬に手を当てていた。
「これを世界の側から見れば——内にあった“正しい魂”を弾き出して、外の“御霊”が内側を歪に支配している状態」
「このままでは、歪みが大きくなって、魔王と英雄、いずれは世界と物語の均衡を破壊する」
(まあ確かに。骨が生き返ってるって意味不明だし、謎の筋や腐った肉からしても、明らかに不完全だとは分かる)
「英魂再臨の儀とは、死者と生者の境界すら揺らがしかねない、とても危険な儀式だったのよ」
ルシフェリアが忌々しげな顔をしながら、俺の棺桶を眺めていた。
「別に世界がどうなろうと知ったことじゃないわ。英雄と魔王は確かにセットだけど、今の世界が普通にあるんだから十分じゃない」
「こいつさえ、ここにいてくれれば、それでいい」
魔王が俺の下顎骨を愛おしそうに撫でていた。
「そういう方ですよね、お姉様は」
リリスが、小さくため息をついた。
「でも、私は——この世界が“正しい形”で続くべきだと思っています」
「英雄の身体には、本来の英雄の魂が宿るべきです」
「そして——」
リリスの瞳が、ほんの一瞬だけ光を発したかのように見えた。
「英雄の魂は、“英雄として”終わるべきです」
「私たちが正しい術式を使えば、本来の英雄の魂を呼び戻して、お前の身体に戻せる」
ルシフェリアが補足するように続ける。
「代償として、この世界に居場所を持たない『今の魂』——つまりあなたは、世界の外側へと、再び弾き出される」
「二度とここには戻れない。永遠にどこかを彷徨う」
「物騒なのが出てきたな」
「この世の痛みも苦しみも、不安も、全てなくなります。ようやく貴方の魂もあるべきところに——」
リリスが、微笑んだ。
(“全部なくなる”って、本当は俺の願望だよな。何もかもめんどくさいから、全部手放して寝ていたい——それを綺麗な言葉で言い直しただけ)
「それって、もちろんだけど」
俺は、わざとゆっくりと言った。
「この世界からは、俺が消滅するって話だよな?」
「存在そのものが消えるわけではありません」
「世界の外側で、静かに——」
「ああ、そういうのはもういいから」
魔王が、苛立ったように手を振る。
「リリス。あんたの言ってることはいつも“正しい”」
「でもね、正しいだけじゃ、誰かの心は救えないのよ」
「姉様は、いつも感情論で世界そのものを壊そうとします」
「あなたは、いつも理屈で感情を切り捨てようとするわ」
ルシフェリアが、二人を見比べながら、呆れたような表情を浮かべる。
「そして、その真ん中で一番割を食ってるのが——俺、ってわけだな」
骨だけの身体で、ため息をつくふりをする。もちろん肺はないが、ため息の気分だけを味わっていた。




